ウンシュウミカン
Citrus unshiu 20101127 c.jpg
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: ムクロジ目 Sapindales
: ミカン科 Rutaceae
: ミカン属 Citrus
: ウンシュウミカン C. unshiu
学名
Citrus unshiu
(Swingle) Marcow.[1]
和名
ウンシュウミカン
(温州蜜柑)
英名
Citrus unshiu

ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)は、ミカン科常緑低木またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。

名称

現代において「みかん」は、通常ウンシュウミカンを指す[2][3]:21。和名ウンシュウミカンの名称は、中国の温州から入った種子を日本で蒔いてできた品種であるといわれることに由来する[4]。「ウンシュウ」は柑橘の名産地として知られていた中国浙江省温州にちなむが、本種の原産地は日本であり、温州から伝来したというわけではない。中国名は早生温州蜜柑(わせうんしゅうみかん)という[5]

「みかん」がもっぱらウンシュウミカンを指すようになったのは明治以後である[2]。江戸時代に普及していたのは本種より小型のキシュウミカン(紀州蜜柑)Citrus kinokuniであり[3]:21、「みかん」を代表していたのはキシュウミカンであった[2]

「蜜柑」「みかん」について

「みかん」は蜜のように甘い柑橘の意で、漢字では「蜜柑」「蜜橘」「樒柑」などと表記された[2]中国では、かつて柑橘類に「柑橘」(現在では柑桔)の字を当てていて、特に「柑」は南方の大果のミカン類を、「橘」は北方の小ミカン類を指していた[4]

史料上「蜜柑」という言葉の初出は、室町時代の1418年(応永26年)に記された伏見宮貞成親王(後崇光院)の日記『看聞日記』で、室町殿(足利義持)や仙洞(後小松上皇)へ「蜜柑」(キシュウミカンと考えられる)が贈られている[2]。1540年頃と年次が推定される、伊予国大三島の大山祇神社大祝三島氏が献上した果物に対する領主河野通直の礼状が2通が残されているが、一通には「みつかん」、もう一通には「みかん」と記されており、「みつかん」から「みかん」への発音の過渡期と考えられている[2]

江戸時代には甘い柑橘類の種類も増え、「橘」と書いて「みかん」を意味するケースや、柑子(コウジ)の甘いものを蜜柑(みつかん)と呼ぶケース、「柑類」で「みかん類」を意味するケースなど、名称に混乱が見られるようになった[6]

「温州」について

南宋韓彦直が1178年に記した柑橘類の専門書『橘録』には、柑橘は各地で産出されるが「みな温州のものの上と為すに如かざるなり」と記している[2]。日本でも『和漢三才図会』(1712年)に「温州橘は蜜柑である。温州とは浙江の南にあって柑橘の産地である」とあり、岡村尚謙『桂園橘譜』(1848年)も「温州橘」の美味は「蜜柑に優れる」と記す[2]。温州は上質で甘い柑橘の産地と認識されていた[2]。古典に通じた人物が、甘みに優れた本種に「温州」と名付けたという推測は成り立つ[2]が、確証といえるものはない。

本種は江戸時代にはおもに「李夫人」(りうりん[2]、りふじん[2]。漢字表記には「李婦人」もある[3]:25)と呼ばれていた。この中国女性風の名称の由来についても定かではないが[2]漢の武帝の夫人で白居易の詩「李夫人」「長恨歌」によって傾国の美貌がうたわれた李夫人に因んだのではないかという推測はある[2]

和漢三才図会』(1712年)には「蜜柑」の品種として「紅蜜柑」「夏蜜柑」「温州橘」「無核蜜柑」「唐蜜柑」の5品種を挙げている[3]:25。「温州橘」「無核蜜柑」は今日のウンシュウミカンの可能性があるが、ここで触れられている「温州橘」は特徴として「皮厚実絶酸芳芬」と書かれており、同一種か断定は難しい[3]:25。「雲州蜜柑」という表記も行われ[3]:21、19世紀半ば以降成立の『増訂豆州志稿』には「雲州蜜柑ト称スル者、味殊ニ美ナリ」とあって、これは今日のウンシュウミカンとみられる[3]:25

1874年(明治7年)より全国規模の生産統計が取られるようになった(『明治7年府県物産表』)[3]:27。当初は地域ごとに様々であった柑橘類の名称を統一しないまま統計がとられたが、名称を統一する過程で、小蜜柑などと呼ばれていた種が「普通蜜柑」、李夫人などと呼ばれていた種が「温州蜜柑」となったという[2]。明治中期以降、温州蜜柑が全国的に普及し、他の柑橘類に卓越するようになる[3]:29安部熊之輔『日本の蜜柑』(1904年)は、蜜柑の種類として「紀州蜜柑」「温州蜜柑」「柑子蜜柑」の3種類が挙げられている[3]:33。キシュウミカンの産地は紀州以外にも広がっており、ウンシュウミカンの普及後は生産地との混同を避けるために「小蜜柑」と呼ばれることが多い[3]:21

英語表現

英語で本種は satsuma mandarin と呼ばれる[2]。欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である。

"satsuma" という名称は、1876年(明治9年)、本種が鹿児島県薩摩地方からアメリカ合衆国フロリダに導入されたことによる[2]。なお、その後愛知県尾張地方の種苗産地からアメリカに本種が渡り、それらは "Owari satsuma" という名称で呼ばれるようにもなった[2]

タンジェリン (Tangerine)・マンダリンオレンジ (Mandarin orange) (学名は共にCitrus reticulata)と近縁であり、そこから派生した栽培種である。

植物学的な特徴

原産・生育地

ウンシュウミカンの果樹

中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定される。農学博士田中長三郎は文献調査および現地調査から鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)がウンシュウミカンの原生地との説を唱えた。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと、1936年に当地で推定樹齢300年の古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400 - 500年前に発生したと推察される。DNA鑑定により種子親がキシュウミカン、花粉親がクネンボであると推定された[7]

ウンシュウミカンは主に関東以南の暖地で栽培される。温暖な気候を好むが、柑橘類の中では比較的寒さに強い。

形態・生態

常緑小高木で、高さは3 - 4メートルほどになる[4]。日本で一般的に使われているカラタチ台では2 - 4メートルの高さに成長する。

花期は5月ころで、花径3センチメートルほどの白い5花弁のを咲かせる[4]

秋になると果実が結実する[4]。果実の成熟期は9月から12月と品種によって様々で、5 - 7.5 センチメートル程の扁球形の実は熟すにしたがって緑色から橙黄色に変色する。一般的に花粉は少ないが単為結果性のため受粉がなくても結実する。自家和合性であるが、受粉しても雌性不稔性が強いため種子を生じにくく、通常は種なし(無核)となる。ただし、晩生品種は雌性不稔性が弱いことから、近くに甘夏等の花粉源があると種子を生じることがある。生じた場合の種子は多胚性で、播種しても交雑胚が成長することはまれであり、ほとんどの場合は珠心細胞由来の珠心胚が成長する。そのため、種子繁殖により母親と同一形質のクローン珠心胚実生)が得られる。ただし、種子繁殖は品種改良の際に行う[8]。未結実期間の短縮、樹勢制御、果実品質向上等のため、日本では通常は接ぎ木によって増殖を行う。台木としては多くはカラタチが用いられるが、ユズなど他の柑橘を用いることもある。

ミカンの歴史