ガレリア竹町(大分県大分市)
日本最大の断面を有するアーケード商店街

アーケード(英語: arcade)は、柱で支えられる連続したアーチヴォールトを用いた通路や歩道、または一続きのアーチが覆う歩道等の道路を指す言葉である。

日本では、商店街がこの形式を採用した「アーケード商店街」が1950年代以降全国各地に誕生した。本項では主としてこれらについて解説する。

概要

都市において、通りに面して建つ建造物、古くから街を囲む城壁の内面、柱廊で覆われた橋などは全て、小さな店舗や露店が立ち並ぶ広く一般的な場所となっていた。これらは日光や天候から守られ、また多くの人々の徒歩での通行を惹きつけた。そして時代を越え「アーケード」という言葉は、とりわけ通りに沿って並ぶ行商人の間でよく使われるようになったのである。またイタリア語で「ガッレリア」として知られていた、屋根が天井部を覆うアーケードは、後にショッピングモールへと発展した。

このアーケードという言葉は他に、一列に連なって食べ物や様々な種類のゲームと結び付けられたグッズなどを売る各地の遊園地謝肉祭でも取り入れられ、それぞれ「アミューズメント・アーケード」や「ミッドウェイ(催し会場)」として使用されている。アミューズメント・アーケードと呼ばれたものは、その後コインを入れて動く遊具などが並ぶ「ペニー・アーケード」と称され、遊園地に常設されるようになった。また催し物で設置されていたゲームはアーケードゲームとして定着するようになり、1970年代に起こった電子ゲームの爆発的人気以来こうした施設は、徐々にゲームセンターへと移行していった。

日本のアーケードの歴史

日本のアーケードは、地域の特性に応じた役割を果たすために設けられてきた。近代以降、このような伝統的なアーケードを源流に、西洋のアーケードの影響を受けて、現在のアーケードが成立したものと考えられる。

  • 庇下 - 道路に庇を延長した形状の片側式アーケード。町並みの景観を整備するために、江戸時代に江戸の町屋の前面に設けられた半私半公の空間で、幕末には商業空間としても利用されるようになった。
  • 雁木造 - 東北や北陸等の雪国の商店街等で、店の建物の軒下を連ねて積雪時の通路としたもの。
  • 共同日覆い - 道路全面に屋根があるアーケード。店舗・歩行者とも降水の影響を受けにくいことから「全天候型アーケード」とも呼ばれる。日差しの強い西日本(特に瀬戸内沿岸)で昭和初期頃から、食品の保護と商品の日焼け防止のために設けられた。

日本で初めてアーケードと名付けられたのは、1922年にオープンした帝国ホテルのライト館一階に設けられたインペリアル・アーケード(現・帝国ホテルアーケード)で、当時は外国人客向けの店が多く出店していた[1][2]大分県別府市には、帝国ホテルの前年の1921年(大正10年)12月1日に完成した、商店街を被う木造ガラス張りの竹瓦小路アーケードが現存しているが、アーケードという名称が使用されるのは後年になってからである[2]。なお、竹瓦小路アーケードは「別府温泉関連遺産」として、2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産に認定されている。公道上にかかるアーケードが取り付けられた商店街では、1951年昭和26年)の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の魚町銀天街が初である。

日本のアーケード商店街