グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland[1]
イギリスの国旗 イギリスの国章
国旗 国章
国の標語:Dieu et mon droit
フランス語:神と我が権利
国歌God Save the Queen(英語)
神よ女王を護り賜え
イギリスの地図
イギリスの位置
公用語 英語
首都 ロンドン(事実上)
最大の都市 ロンドン
政府
女王 エリザベス2世
首相 ボリス・ジョンソン
貴族院議長ノーマン・ファウラー
庶民院議長リンジー・ホイル
最高裁判所長官ブレンダ・ヘイル
面積
総計 244,820km276位
水面積率 1.3%
人口
総計(2018年 6643万5600[2]人(22位
人口密度 271人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年 2兆0,587億[3]UKポンド (£)
GDP(MER
合計(2020年2兆6,383億[3]ドル(6位
1人あたり 39,229[3]ドル
GDP(PPP
合計(2020年2兆9,786億[3]ドル(6位
1人あたり 44,288[3]ドル
建国
エグバートイングランドを統一827年
スコットランド王国成立843年
イングランド王国成立927年
ノルマン朝成立
ノルマン・コンクエスト
1066年12月25日
グレートブリテン王国成立1707年5月1日
グレートブリテン及びアイルランド連合王国成立1801年1月1日
現在の国号に変更1927年4月12日
通貨 UKポンド (£)(GBP
時間帯 UTC±0 (DST:+1)
ISO 3166-1 GB / GBR
ccTLD .uk / .gb[4]
国際電話番号 44
  1. ^ 英語以外での正式国名:
  2. ^ Population estimates - Office for National Statistics” (2019年6月26日). 2019年6月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2020”. IMF (2020年10月). 2020年12月26日閲覧。
  4. ^ 使用は.ukに比べ圧倒的少数。

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英語: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称イギリスは、ヨーロッパ北西岸に位置し、グレートブリテン島アイルランド島北東部その他多くの島々からなる立憲君主制国家。首都はロンドン

英語圏ではUnited Kingdom、頭文字を取ってU.K.UKと略称される[1]日本語における通称ならび俗称の一例としてイギリス英国(えいこく) がある(→#国名)。

イングランドウェールズスコットランド北アイルランドという歴史的経緯に基づく4つのカントリー(「国」)が、同君連合型の単一主権国家を形成している[2]。また、2020年1月31日まで欧州連合(略称 EU)に属していたが離脱した (ブレグジット)。

概要

同王国は国際連合安全保障理事会常任理事国の一国(五大国)であり、G7G20に参加する先進国[3]。また、経済協力開発機構北大西洋条約機構欧州評議会の原加盟国である[4][5][6]

GDPは2020年時点で名目GDP世界第5位購買力平価世界第9位と、どちらも世界10位以内に位置する大きな市場を持ち、世界的な経済大国かつヨーロッパにおける四つの大国「ビッグ4」の一国である。人間開発指数の高い先進国と見なされている。

核拡散防止条約により核兵器保有を許された公式な5つの核保有国の一つであり[7]、強力な軍事力を持つ。ウィーン体制が成立した1815年以来、世界で最も影響力のある国家を指す列強の一つに数えられる。

また、民主主義立憲君主制議院内閣制など近代国家の基本的な諸制度が発祥した国でもあり、ピューリタン革命名誉革命産業革命など、さまざまな歴史的事象の舞台であった。シェイクスピアダーウィンニュートンクックファラデーフレミングといった科学者や芸術家の故国で、現代においてもビートルズなどを輩出した国家である。ビジネスや政治において「国際共通語」化が進んでいる英語は、イングランドの発祥である。

イギリスの擬人化としてはジョン・ブルブリタニアが知られる。

国名

正式名称は英語で、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(ユナイテッド・キングダム・オヴ・グレイト・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド)。

日本語では、「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」とする場合(法文など)と「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」とする場合(条約文など)がある。

英語での略称は「United Kingdom」、「UK」。日本語における一般的な通称は「イギリス」もしくは「英国」であるが、稀に「United Kingdom」の直訳である「連合王国(れんごうおうこく)」が用いられることもある。現在の公用文では「英国」が使用されており、「イギリス」は口語で用いられることが多い[注釈 1]。「連合王国」は2003年まで法文において用いられていた[8]

「イギリス」は、イングランドに関連するポルトガル語の形容詞「inglez, inglês(イングレス、イングレシュ)」が語源で、戦国時代にポルトガル人が来航した事に起源を持つ。原義にかかわらず連合王国全体を指して使われており、連合王国の構成体たる「イングランド」とは区別される。江戸時代には、オランダ語の形容詞「engelsch, engels(エンゲルス)」を語源とする「エゲレス」という呼称も広く使用された[9]幕末から明治大正期には「英吉利(えいぎりす)」や「大不列顛(大不列顚、だいふれつてん、大ブリテン)」と漢字で表記されることもあったが、前者が「英国」という略称の語源である。ただし「英国」は、狭義に連合王国全体でなくイングランド(英格蘭)のみを指す場合もある[注釈 2]

1707年合同法においては、イングランド王国およびスコットランド王国を一王国に統合すると宣言する。同法において、新国家名称は「グレートブリテン王国」または「グレートブリテン連合王国」および「連合王国」とすると述べている[10][11]。しかしながら、「連合王国」という用語は18世紀における非公式の使用にのみ見られ、「長文式」でない単なる「グレート・ブリテン」であった1707年から1800年まで、同国はごくまれに正式名称である「グレート・ブリテン連合王国」と言及された[12][13][14][15][16]1800年合同法では、1801年にグレート・ブリテン王国とアイルランド王国が統合し、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国が成立した。現在の正式国名である「グレート・ブリテン及び北(部)アイルランド連合王国」は、北アイルランドのみが連合王国の一部としてとどまった1922年のアイルランド自由国独立およびアイルランド分裂英語版後に採用された[17]

イギリスは主権国家として国であるが、イングランド、スコットランドウェールズ、それほどの段階ではないが北アイルランドも、主権国家ではないが「国」(country)と呼ばれる[18][19]。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは、権限の委譲による自治権を有する[20][21]。イギリス首相のウェブサイトでは、連合王国の説明として「1国内の国々」という言葉が用いられていた[2]イギリスの12のNUTS1地域英語版統計のような複数の統計的概要において、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを「region」と言及している[22][23]。北アイルランドは「province」とも言及される[18][24]。北アイルランドに関しては、記述名の使用が「多くの場合、個人の政治的選好を明らかにする選択で議論の的になり得る」[25]

英語では「Britain」という言葉は、連合王国の同義語として頻繁に用いられる。一方、「Great Britain」という言葉は、連合王国全体の緩い同義語として用いられる場合もあるが[26][27]、本来はイングランド、スコットランドおよびウェールズを指すものであり、北アイルランドを含む(すなわち、イギリス全体を指す)場合には用いるべきでないとされる[28][29][30]

"GB"及び"GBR"は、イギリスの標準国名コード (ISO 3166-2及びISO 3166-1 alpha-3を参照) であり、その結果として国際機関がイギリスに言及する際に用いられることがある。さらに、イギリスのオリンピックチームは「Great Britain」もしくは「Team GB」の名称を用いる[31][32]

形容詞の「British」は、イギリスに関する事項への言及によく用いられる。「British」に明白な法的含意はないが、イギリスの市民権及び国籍に関する事項への言及に法律上用いられる[33]。イギリスの国民は、自らの国民性を表現するのに多数の異なる用語を用い、自らをイギリス人であるか、イングランド人スコットランド人ウェールズ人北アイルランド人アイルランド人[34] であるか、またはその両方であると見なし得る[35]

2006年、英国旅券に新デザインが導入された。新パスポートの1ページ目には、英語ウェールズ語スコットランド・ゲール語で正式国名が記載されている[36]。ウェールズ語での正式国名は「Teyrnas Unedig Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon」であり、政府のウェブサイト上での略名は「Teyrnas Unedig」であるが[37]、通常は語形変化した形「Y Deyrnas Unedig」から「DU」と略される。スコットランド・ゲール語での正式国名は「Rìoghachd Aonaichte Bhreatainn is Èireann a Tuath」であり、略名は「Rìoghachd Aonaichte」である。

歴史

プトレマイオスの『地理学』に基づく地図、アルビオンとヒベルニア(現在のアイルランド)の文字が見える

古代のグレートブリテン島はアルビオンと呼ばれた。ラテン語起源で、ドーバーの白い崖に由来するとされる。

1066年にノルマンディー公であったウィリアム征服王 (William the Conqueror) がイングランドを征服し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。人口と経済力に勝るイングランドがウェールズとスコットランドを圧倒していった。

1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれた。14 - 15世紀にわたりフランスと百年戦争を展開したが、1373年に英葡永久同盟を結んだ。

1497年、ジョン・カボットが北米海岸を発見した。1534年、国王至上法が出た。1536年及び1543年の統一法英語版の下、ウェールズを正式に併合した(ウェールズ法諸法英語版)。1559年、キリスト教がイングランド国教会統一された。1562年フランスでユグノー戦争が起こってユグノーが移ってきた。1588年、アルマダの海戦でスペインを破った。

1600年イギリス東インド会社ができた。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成した。そしてヘンリー・ハドソンウィリアム・バフィンが北米探検に活躍した。1620年、ピルグリム・ファーザーズが北米に上陸した。1628年に権利の請願がなされた。ウィレム3世は1694年イングランド銀行を設立した。1707年の合同法で、イングランドとスコットランドは合邦しグレートブリテン王国となった。

ユグノーからノースウィック男爵が出た頃、イギリスは対仏大同盟の主役であった。連合国がワーテルローの戦いで勝利し、ナポレオン戦争が終息した。こうしてパクス・ブリタニカの時代が到来した。

1801年の合同法アイルランド王国と合邦し、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となった。

栄光ある孤立」と謳われた外交方針はエドワード7世のときに放棄された。1902年には日本とも日英同盟を締結した。1926年にはバルフォア報告書が提出された。ウィンザー朝ジョージ5世による治世、デビッド・ロイド・ジョージ政権下の1922年英愛条約が発効され、北部6県(北アイルランド、アルスター地方9県の中の6県)を除く26県アイルランド自由国(現アイルランド)として独立し、1927年に現在の名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」へと改名した。

1939年アドルフ・ヒトラー総統のナチ党率いるナチス・ドイツポーランドに侵攻し、フランスとともに宣戦布告を行い、バトル・オブ・ブリテンをはじめヨーロッパ戦線では対独伊戦争、太平洋戦線では対日戦争を経験し、アメリカ合衆国の民主党フランクリン・ルーズベルト大統領と大西洋憲章を共同で提唱した保守党のウィンストン・チャーチル政権による挙国一致内閣の下に勝利を得た第二次世界大戦後、イギリス軍はドイツのハンブルクハノーファーを占領し、旧西ドイツの形成の一役を担った。

イギリスは、1945年冷戦開始以降にかけて政治経済その他多くの面でアメリカ合衆国に覇権を譲った。また、資本主義自由主義陣営の西側諸国の一国としてソビエト連邦とは敵対しながら、政治面では労働党クレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに福祉国家を作り上げた。経済面ではイングランド銀行がブレトンウッズ体制をめぐる駆け引きに競り負け、1960年代のポンド危機と1970年代のセカンダリー・バンキング危機に遭い、「英国病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。産業面では戦前からゼネラル・エレクトリック産業革命の威光を奪われていた。アトリー失脚後は、保守党へ政権交代となりチャーチルが首相に再任する。

第二次大戦中イギリスは帝国内で最大規模の人口を誇るインドに対して、ヨーロッパ、太平洋で複数の戦線を維持し、又城内平和を維持するため戦後インドの地位に対して大幅な譲歩をせざるを得なかった。イギリス政府は1947年にインド独立法を承認し、インドとパキスタンの独立を、翌1948年にはセイロン(スリランカ)の独立を承認した。又大戦中に日本の支配下にあったビルマ、マレーでもイギリス支配下に復することに混乱が見られ、1948年ビルマ(ミャンマー)の1957年マレーシアの独立を承認した。

1960年代に入るとフランス領西アフリカの独立要求を期にアフリカ諸国の独立運動が活発化し、1960年ナイジェリアが、1962年ウガンダが、1963年ケニアが、1964年マラウイザンビアがイギリスから独立を宣言した。又1961年南アフリカが、1966年ローデシアアパルトヘイト維持のためイギリスからの独立を宣言した。

1956年にはエジプトスエズ運河の国有化を宣言し、同地帯を占領したためイギリス、フランス、イスラエルとの間で戦闘が勃発した。これが第二次中東戦争(スエズ危機)である。英仏は国際世論の支持を得られなかったためスエズから撤退し、地中海紅海を結ぶスエズ運河の利権を喪失した。またエジプトの行動に励まされて中東地域でも独立運動が刺激され、1971年バーレーンカタールアラブ首長国連邦がイギリスから独立した。

残る最大のイギリス植民地は香港だけになったが、これも1984年にマーガレット・サッチャー首相と鄧小平中華人民共和国中央軍事委員会主席の間で行われた英中首脳会談で新界の租借期限が切れる1997年に割譲地も含めて一斉に中国に返還されることになった。香港を返還したことで、イギリスは主要な植民地のほぼ全てを喪失することになり、世界の7つの海を跨いだイギリス帝国は消滅していった。

1964年にはハロルド・ウィルソンが首相に就任し、アトリー以来13年ぶりに労働党が政権に復帰する。1969年イングランドウェールズスコットランド1973年北アイルランドで死刑制度が一部例外を除き廃止された。また、ウィルソン労働党政権下で、妊娠中絶の合法化、死刑制度の廃止及び同性愛の非刑罰化(ソドミー法の廃止)を含む社会的改革がなされ、通貨ポンドの平価切り下げや、日本の放送大学の模倣ともなった通信制公立大学であるオープン大学の設置などの政策が実施された。

1980年代に成立した保守党マーガレット・サッチャー政権は、新自由主義による構造改革ネオリベラリズムサッチャリズムに基づく民営化行政改革規制緩和)を急進させて(小さな政府志向・自由主義国家論)、多くの失業者を出した。地方経済は不振を極め、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。

1990年代、政権は保守党のジョン・メージャーから労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正しつつかつての重厚な福祉国家にも逆戻りしない「第三の道」への路線に進むことになった。また、1998年人権法を制定し、死刑制度が完全に廃止された。この頃からイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべく「クール・ブリタニア」と呼ばれるイメージ戦略・文化政策に力が入れられるようになった。

2000年代 - 2010年代、21世紀に突入し、労働党のゴードン・ブラウン、保守党のデーヴィッド・キャメロンと政権が続く。

2014年からは、同性結婚が合法化された。カントリーの一つであるスコットランドが独立すべきかどうかを問う住民投票が2014年9月に実施されたが独立は否決された[38]

2016年6月23日イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票が実施されその結果、僅差をもって離脱賛成派が過半数を占めたため、イギリスの欧州連合離脱(通称: ブレグジット、Brexit)が決定された。

これを受けて、キャメロン首相兼保守党党首が責任を取る形で辞任を表明し、テリーザ・メイが、サッチャーに続く2人目のイギリスの女性首相兼保守党党首として2016年7月13日に就任した。メイ政権は、新たに欧州連合離脱省を設置した。

結果として、2020年1月31日午後11時(GMT)にイギリスは欧州連合から脱退した[39]

地理

イギリスの地形図

イギリスはグレートブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランド、およびアイルランド島北東部の北アイルランドで構成されている。この2つの大きな島と、その周囲大小の島々をブリテン諸島と呼ぶ。グレートブリテン島は中部から南部を占めるイングランド、北部のスコットランド、西部のウェールズに大別される。アイルランド島から北アイルランドを除いた地域はアイルランド共和国がある。

北アイルランドとアイルランド共和国の国境の他に、イギリスは大西洋に囲まれ、東に北海、南にイギリス海峡がある。アイリッシュ海は、グレートブリテン島とアイルランド島の間に位置する。イギリスの総面積は243,610 km2であり、世界第78位及びヨーロッパ第11位

イングランドの大部分は岩の多い低地からなり、北西の山がちな地域(湖水地方のカンブリア山脈)、北部(ペニンネスの湿地帯、ピーク・ディストリクトの石灰岩丘陵地帯、デールと呼ばれる渓谷、パーベック島リンカンシャーの石灰岩質の丘陵地帯)から南イングランドの泥炭質のノース・ダウンズ、サウス・ダウンズ、チルターンにいたる。イングランドを流れる主な河川は、テムズ川セヴァーン川トレント川ウーズ川である。主な都市はロンドン、バーミンガムヨークニューカッスル・アポン・タインなど。イングランド南部のドーヴァーには、英仏海峡トンネルがあり、対岸のフランスと連絡する。イングランドには標高 1000m を超える地点はない。

ウェールズは山がちで、最高峰は標高 1,085m のスノードン山である。本土の北にアングルシー島がある。ウェールズの首都また最大の都市はカーディフで、南ウェールズに位置する。

スコットランドは地理的に多様で、南部および東部は比較的標高が低く、ベン・ネビス山がある北部および西部は標高が高い。ベン・ネビス山はイギリスの最高地点で標高 1343 m である。スコットランドには数多くの半島、湾、ロッホと呼ばれる湖があり、グレート・ブリテン島最大の淡水湖であるロッホ・ネスもスコットランドに位置する。西部また北部の海域には、ヘブリディーズ諸島オークニー諸島シェトランド諸島を含む大小さまざまな島が分布する。スコットランドの主要都市は首都エディンバラグラスゴーアバディーンである。

北アイルランドは、アイルランド島の北東部を占め、ほとんどは丘陵地である。中央部は平野で、ほぼ中央に位置するネイ湖はイギリス諸島最大の湖である。主要都市はベルファストデリー

現在イギリスは大小あわせて1098ほどの島々からなる。ほとんどは自然の島だが、いくつかはクランノグといわれる、過去の時代に石と木を骨組みに作られ、しだいに廃棄物で大きくなっていった人工の島がある。

イギリスの大半はなだらかな丘陵地及び平原で占められており、国土のおよそ90%が可住地となっている。そのため、国土面積自体は日本のおよそ3分の2(本州四国を併せた程度)であるが、可住地面積は逆に日本の倍近くに及んでいる。イギリスは森林も少なく、日本が国土の3分の2が森林で覆われているのに対し、イギリスの森林率は11%ほどである[40]

その他、紛争中英語版フォークランド諸島ジブラルタルインド洋地域を含む14の海外領土を有する[41]ガーンジージャージーマン島はイギリスの一部ではなく、イギリスの君主をともに君主とし、イギリス政府が防衛及び国際的表示に対して責任を負う王室属領である[42]