ウメ | |||||||||||||||||||||
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ウメの花(白梅)
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保全状況評価[1] | |||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) ![]() | |||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Prunus mume (Sieb.) Sieb. et Zucc. | |||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||
ウメ(梅) | |||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||
Japanese apricot[注釈 1] |
ウメ(梅、学名:Prunus mume、英: Japanese apricot)は、バラ科サクラ属の落葉高木、またはその果実のこと。樹木全体と花は主に鑑賞用は「花梅」として扱われる。一方、果実を利用する品種は「実梅」として扱われ、未熟なものは有毒であるものの、梅干などに加工して食用とされる。枝や樹皮は染色にも使われる。
中国原産の落葉小高木[2]。日本でもよく知られる果樹や花木で、多数の園芸品種がある[3][4]。早春、葉に先だって前年枝の葉腋に、1 - 3個の花がつく[4]。毎年1 - 3月ごろに[5]、5枚の花弁のある1センチメートルから3センチメートルほどの花を葉に先立って咲かせる。花の色は白、淡紅、紅色など[3]。花柄は短い[6]。葉は互生で先がとがった卵形で、周囲が鋸歯状。
果実は6 - 7月ころに結実し[3]、形は丸く、片側に浅い溝があり、細かい毛が密生する[4]。果実の中には硬い核が1個あり、中果皮で、表面にくぼみが多い[4]。未熟果に青酸を含むため、生で食べると中毒を起こすと言われている[4]。青ウメの果実は燻製にして漢方で烏梅(うばい)と称して薬用されるほか、民間で梅肉エキス、梅干し、梅酒に果実を用いる[4]。可食部である果肉部分は、子房の壁が膨らんだもので、構成する細胞の遺伝子は母となる雌由来である[2]。中にある種子は、半分は花粉由来なので、種子から発芽した株は母株と同じ性質になるとは限らない[2]。しかし、果肉については母由来のため、雄親である花粉が様々異なっても、同じものができる[2]。
栽培では、自家結実する品種[7]と自家結実しない品種[8]がある。ウメは自家不和合性[注釈 2]が強いため、果実を目的とした栽培では、1品種だけの栽培を避けて、花粉親として少しだけ性質が異なる異品種を混植して栽培を行う[4][2]。
和名ウメの語源には諸説ある。一つは中国語の梅(マイ・ムイ・メイ)[9]を日本的に発音してウメとしたという説[3]、また韓国語のマイが転訛したものとする説がある[3]。伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた[注釈 3]ため、me を /mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが「ムメ」のように表記され、さらに読まれることで /mume/ となり /ume/ へと転訛した、というものである。また一説には、漢方薬の烏梅(ウメイ)が転訛したともいわれている[3]。別名でムメ[10]ともよばれており、上記のように「ンメ」のように発音する方言もまた残っている。
学名は江戸時代の日本語の発音を由来とする "Prunus mume" であり、英語では "Japanese apricot"(日本の杏)と呼ばれる[11]。
原産地は中国であり、一説には日本への渡来は弥生時代(紀元前3世紀 - 紀元3世紀)に朝鮮半島を経て入ったものと考えられている[3]。また他説には、遣唐使が日本に持ち込んだと考えられている[12]。奈良時代ころに中国から日本に渡来した説では、薬木として紹介されたと考えられている[2]。
梅には500種以上の品種があるといわれている。近縁のアンズ、スモモと複雑に交雑しているため、主に花梅について園芸上は諸説の分類がある。実梅も同じ種であるので同様に分類できる[13]。梅は、野梅系、緋梅(紅梅[14])系、豊後系に大きく3系統に分類できる[15]。
果実は、2センチメートルから3センチメートルのほぼ球形の核果で、実の片側に浅い溝がある。6月頃に黄色く熟す。七十二候の芒種末候には「梅子黄」(梅の実が黄ばんで熟す)とある。特定の地域のみで栽培される地方品種が多く、国内どこでも入手可能な品種は比較的限定される。また、品種によっては花粉が無かったり自家受粉しなかったりする品種もあり、その場合は開花時期が重なるように授粉用の品種も必要となる。
100 gあたりの栄養価 | |
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エネルギー | 117 kJ (28 kcal) |
7.9 g | |
食物繊維 | 2.5 g |
0.5 g | |
0.7 g | |
ビタミン | |
ビタミンA相当量 |
(3%) 20 µg(2%) 220 µg |
チアミン (B1) |
(3%) 0.03 mg |
リボフラビン (B2) |
(4%) 0.05 mg |
ナイアシン (B3) |
(3%) 0.4 mg |
パントテン酸 (B5) |
(7%) 0.35 mg |
ビタミンB6 |
(5%) 0.06 mg |
葉酸 (B9) |
(2%) 8 µg |
ビタミンC |
(7%) 6 mg |
ビタミンE |
(22%) 3.3 mg |
ミネラル | |
ナトリウム |
(0%) 2 mg |
カリウム |
(5%) 240 mg |
カルシウム |
(1%) 12 mg |
マグネシウム |
(2%) 8 mg |
リン |
(2%) 14 mg |
鉄分 |
(5%) 0.6 mg |
亜鉛 |
(1%) 0.1 mg |
銅 |
(3%) 0.05 mg |
他の成分 | |
水分 | 90.4 g |
水溶性食物繊維 | 0.9 g |
不溶性食物繊維 | 1.6 g |
ビオチン (B7 | 0.5 µg |
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%はアメリカ合衆国における 成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。 |
未熟な青梅は生食してはいけない[18]。熟した果実をそのまま食べることもあるが、普通は熟し切っていない青梅を梅酒に、完熟梅を梅干しなどに加工して食用にされる[18]。他に、梅酢、梅醤やジャムなどにして食用とする場合もある。また甘露梅やのし梅などの菓子や、梅肉煮などの料理にも用いられる。強い酸味が特徴であり、クエン酸をはじめとする有機酸などを多く含むので健康食品としても販売されている。果実から種を取り出すための専用器具も販売されている。 果実の中心にあり、果肉を食べた後に残る種核は、後述する菅原道真信仰との関連で「天神様」と呼ばれる。これは硬いが、食用にでき[19]、梅茶漬けにアクセントとして添えるといった利用法がある。
中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語「塩梅(あんばい)」とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。また、話梅(広東語: ワームイ)と呼ばれる干して甘味を付けた梅が菓子として売られており、近年では日本にも広まっている。
果肉には有機酸で酸味のクエン酸、コハク酸、酒石酸と、オレアノール酸などの成分を含み、これらは人が摂取した栄養分をエネルギーに変えるために必要な成分で、保健に役立つといわれている[3]。
薬用部位として、5 - 6月ころの未成熟果実(青梅)を利用する[10]。未成熟果を燻製にした烏梅(うばい)、未成熟果をすりおろした汁から抽出した梅肉エキス、また梅酒や梅干しをそのまま利用してもよいとされる[10]。
漢方薬の「烏梅(うばい)」は、未熟果(青梅)の皮を剥ぎ、種子を取り去り、藁や草を燃やす煙で真っ黒に燻したウメの実である[3][4]。健胃、整腸、消炎、細菌性腸炎、腸内異常発酵、駆虫、止血、強心作用があるとされるほか、「グラム陽性菌、グラム陰性の腸内細菌、各種真菌に対し試験管内で顕著な抑制効果あり」との報告がある[4][20]。民間療法で、風邪のときに烏梅1 - 2個を水200 - 400 ccで半量になるまで煎じて飲む用法が知られている[4]。家庭では、烏梅の代わりに梅干しをアルミ箔に包んでフライパンで蒸し焼き(黒焼き)にしたものを用いて、風邪の初期症状のときに茶碗に黒焼きを入れて熱湯を注ぎ、崩して飲んでもよいといわれている[3]。
梅肉エキスは、おろし器で青梅をおろし、布で汁を搾って、調理用のホーローバットやホーロー鍋などに薄く汁を入れて、日光または極弱いとろ火で煮詰めて水分を蒸発させて飴状にしたもので、これを採取して瓶に蓄える[4]。下痢、腹痛、食あたりのときに、大豆粒くらいの梅エキスを薄めて飲んだり[10]、また扁桃炎のときに梅エキスを10 - 20%に薄めてうがいするとよいと言われている[21]。
咳には梅酒をガーゼに浸して胸に湿布したり、頭痛のときに梅干しの果肉をこめかみに貼るといった民間療法がある[10]。
なお、サッポロ飲料株式会社と近畿大学生物理工学部、和歌山県工業技術センターの共同研究で、梅の果実成分による疲労軽減効果が報告されている[22]。
6カ月の梅酒飲用で、HDLコレステロールが有意に増加し、動脈硬化指数が有意に低下し、血圧が低下傾向となり、血糖値は変化が認められなかった、との報告がある[23]。
青梅には青酸が含まれているので、「食べると死ぬ」という警告が日本では広く知られている[24]。実際に、ウメや近縁のアンズのみならずモモなども含めてバラ科植物の葉や未熟な果実や種子には、青酸配糖体のアミグダリンやプルナシンが含まれている[3]。これらの中でウメは青梅、つまり未熟なまま収穫されることが多い。未熟な果実や種子に含まれたアミグダリンやプルナシンを摂取すると、胃酸により有毒性を発揮する恐れがある他、腸内細菌が持つ酵素の作用によってもシアンが生成することがある。このため青梅をヒトが多量に食べた場合は、激しい吐き下し、痙攣や呼吸困難で苦しみ、さらに量によっては麻痺状態になって死亡するといわれている[3]。
ただし、胃酸や胃の消化酵素だけでは、シアンの生成は起こらない。中毒の危険は、大量の未熟な種子を噛み砕いて、その酵素を併せて摂取した特殊なケース(アンズの種子を大量に食べたことによる重症例がある)に限られる。よって、幼児などが青梅の果肉を囓った程度では、ほぼ心配ないとされている。また、梅酒の青い実や梅干しの種の中身などは、アルコールや塩分、天日干しの熱により酵素が失活し、毒性は低下している。
これらとは別に、過敏症、アレルギーの症状が、複数報告されている[20]。
農林水産省が2014年11月25日に公表した統計によると、
農林水産省の平成24年産特産果樹生産動態等調査によると、
(作況調査〈果樹〉各年度版ならびに市町村別データ長期累年一覧による) 日本国内では和歌山県で国内総収穫量の6割以上を占める寡占状態が続いているが、ウメの産地は全国に分布している。作況調査(2014年版)では、14県が年間生産量が1000トン以上、また北海道と沖縄県以外は全都府県とも100トン以上となっている。
枝や樹皮、樹皮に付くウメノキゴケは、煮出すなどして布を染めるのに使われる。この梅染の起源は飛鳥時代に遡ると考えられ、加賀友禅の源流になった[44]。月ヶ瀬梅林がある奈良市月ヶ瀬地区では、烏梅と紅花を組み合わせた染色が行われている[45]。
別名に好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある。
花を扱う歌は以下である[注釈 4]。そしてウメは古里(ふるさと=奈良平城京)の静かな美しさと文化的郷愁の花となり[46]、和歌や能に取り上げられることになる[47]。
天平2年(730年)1月13日、大宰帥・大伴旅人の邸宅(現在の福岡県太宰府市・坂本八幡宮辺りとの説がある。地図)で開かれた宴会で、いわゆる筑紫歌壇の員により梅花を題材に32首の歌が詠まれた。この宴会を「梅花の宴」と呼び、これら32首の歌は『万葉集』巻五に収録されている。これを基に、元号『令和』が制定されている。
天文14年(1545年)4月17日に後奈良天皇が、京都の賀茂神社に梅を奉納したと『御湯殿上日記』にあることに因み、「紀州梅の会」が新暦の6月6日を梅の日に定めている[48][49]。また、古来より梅の名所として「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林(兵庫県神戸市東灘区岡本)は、起源は明確ではないが山本梅崖の『岡本梅林記』に羽柴秀吉の来訪が記されており、寛政10年(1798年)には摂津名所図会に岡本梅林の図が登場するほどの名所であった[50][51]。
平安時代の政治家・碩学であった菅原道真は梅をこよなく愛した。道真は死後に天満大自在天神(天神)として神格化され、梅はそのシンボルとみなされて、飛梅伝説(後述)などを生んだ。このほか、江戸時代の禅僧で禅画を多く描いた白隠の代表作の一つ「渡唐天神図」には、「唐衣(からころも)おらで北野の神ぞとは そでに持ちたる梅にても知れ」(意訳:これが天衣無縫の唐衣を着た北野天満宮の神であることを、彼が袖に持っている梅によっても知りなさい)の賛が残されている(古くは『菅神入宋授衣記』にほぼ同様の和歌が記載されている)[52]。ところで日本では申年はウメが不作になることが多いと言われてきた[53]。この申年のウメを使って平安時代の村上天皇は疫病を退けたとの言い伝えがある[54]。
俳句では梅は春の季語である[55]が、「早梅」「寒梅」や「探梅(たんばい、うめさぐる)」は冬の季語[56][57]。
花札では2月の絵柄として、「梅に鶯」、「梅に赤短」、カス2枚が描かれる。
梅紋(うめもん)は、ウメの花を図案化した日本の家紋である。その一種で「梅鉢(うめばち)」と呼ばれるものは、中心から放射線状に配置した花弁が太鼓の撥に似ていることに由来している。奈良時代に文様として用いられ始め、菅原道真が梅の花を好んだことにより天満宮の神紋として用いられ始めたと考えられている。
「梅」は、太宰府天満宮、「星梅鉢」は北野天満宮が用いている。武家では、菅原氏の末裔や美濃斉藤氏の一族が菅原天神信仰に基づいて用いた。おもに、加賀前田氏の「加賀梅鉢」や相良氏の「相良梅鉢」などがある。また、天理教の紋が「梅鉢紋」であるのは、教祖・中山みきの中山家の家紋に由来する。
図案は、「梅(うめ)」、「梅鉢(うめばち)」、「捻じ梅(ねじうめ)」、「実梅鉢(みうめばち)」などがある。「匂い梅(においうめ)」や「向う梅(むこううめ)」などの写実的な図案の梅花紋と、「梅鉢」などの簡略的な図案の梅鉢紋に大別される。
この他、ウメとは直接関係ないが、音が「埋め」と同じであるために田を埋めた場所である埋め田を「梅田」という漢字に変えるといったことが行われてきた。