ウラディミール・バレンティン
Wladimir Balentien
東京ヤクルトスワローズ #4
20140713 Wladimir Ramon Balentien, outfielder of the Tokyo Yakult Swallows, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2014年7月13日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 オランダ領アンティルの旗 アンティル自治領ウィレムスタット(現:キュラソーの旗 キュラソー自治領)
生年月日 (1984-07-02) 1984年7月2日(34歳)
身長
体重
185 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2000年 アマチュア・フリーエージェントとしてシアトル・マリナーズと契約
初出場 MLB / 2007年9月4日
NPB / 2011年4月12日
年俸 $3,000,000+出来高(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム オランダの旗 オランダ
五輪 2004年
WBC 2013年2017年
プレミア12 2015年

ウラディミール・ラモン・バレンティンWladimir Ramon Balentien, 1984年7月2日 - )は、オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット出身のプロ野球選手外野手)。東京ヤクルトスワローズ所属。

NPBシーズン本塁打記録保持者(60本、2013年)。同長打率記録保持者(.779、同年)。NPB史上5人目の3年連続本塁打王獲得者2011年~2013年)[1]。2011年よりNPBに在籍し2017年までで7年在籍中である。故障の影響で15試合の出場に留まった2015年を除いた6年間[2]全てで30本塁打をマーク。また打率3割を2度記録し、最高出塁率タイトルも2度獲得している[3]

経歴

プロ入り前

初めて野球をしたのは5歳の頃で[4]、12歳で地元のリトルリーグのチームに入った。

マリナーズ時代

2000年7月9日に、16歳でメジャーリーグ・ベースボールシアトル・マリナーズと契約[5]

2001年はルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズに所属し、打率.206、本塁打0本、打点9に終わる[6]

2004年シーズン途中にアテネオリンピック野球オランダ代表に選出された。シーズンではA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズで76試合に出場し、15本塁打46打点10盗塁、打率.277だった。8月にA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズ英語版へ昇格し、10試合に出場した。

2005年はA+級インランド・エンパイアで、プロ入り初のシーズン20本塁打以上となる25本塁打を記録した[6]

2007年マイナーリーグオールスターゲームに相当するオールスター・フューチャーズゲームに2年連続出場。その時点で打率.328、20本塁打、66打点と好成績を残した。9月4日にメジャー初昇格を果し、同日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。8回に代打で打席に立ち左中間へ二塁打を放つ。9月26日の対クリーブランド・インディアンス戦で、メジャー初の本塁打を記録した[6]

2008年は開幕をマイナーリーグで迎えたが、ブラッド・ウィルカーソングレッグ・ノートンらのDFAに伴い4月30日にメジャー昇格。71試合で7本塁打を放ったが、79三振を喫し打率は.202にとどまった。

2009年は低打率にあえぎ、7月25日マイケル・ソーンダースの昇格に伴ってDFAとなり、ウェイバー公示された。

レッズ時代

シンシナティ・レッズ時代

2009年7月29日ロバート・マニエル英語版とのトレードシンシナティ・レッズに移籍[7]10月2日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦が、ヤクルト入団前としては最後のメジャーリーグ出場試合となったが、この時に放った推定飛距離151メートルの本塁打は「メジャーでは二度と出ない」とも言われた[6]

2010年は傘下のAAA級ルイビルで116試合に出場し、25本塁打78打点12盗塁、打率.282だった。オフの11月6日にマイナーリーグFAとなった。

ヤクルト時代

2010年11月18日に肩の強さと状況に応じられるチームバッティングが評価され(後述)、東京ヤクルトスワローズと2年契約(3年目は球団オプション)合意発表[8]FA権取得まで球団の許可なく日本国内の他球団への移籍を禁じる項目が盛り込まれている[9]

2011年開幕戦の対読売ジャイアンツ戦(宇部市野球場)で6番右翼で先発初出場、初打席は三振に倒れるが、7回の第3打席で初安打となる左越二塁打を放った[10]。5月13日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では1試合3本塁打を記録し[11]、5月は7本塁打でリーグトップタイ、長打率、出塁率でリーグトップの成績を挙げるなどの活躍で月間MVPを初受賞した[12]。前半戦はリーグトップの19本塁打を放ち、オールスターゲームにはセ・リーグ外野手部門のファン投票・選手間投票共にチームメイトの青木宣親に次ぐ第2位で選出された。6月以降は低打率に苦しみ本塁打のペースも落ちたものの、セ・リーグでは唯一の30本台である31本塁打で本塁打王を獲得した。打率.228、三振131は規定打席到達者の中でワースト記録だった。規定打席到達者中、打率最下位の本塁打王は日本プロ野球史上3人目であった。

2012年シーズン前半は開幕当初から打撃好調で6月16日まで打率部門でトップだったものの、後半に入ると極度の打撃不振に陥り、7月以降の打率は2割を割り込んだ。7月28日の試合で張りを訴え8月1日に検査の結果、右臀部肉離れと診断され[13]翌日登録抹消となった[14]。最終的に31本塁打を放ち、球団初の2年連続、さらに2リーグ制後初となる規定打席未到達での本塁打王を獲得した[15]。また、チームメイトのラスティングス・ミレッジを1票差で上回り、初のベストナインにも選出された[16]。12月15日に翌年の球団オプションが更新され、さらに翌々年からの3年総額750万ドル+出来高での契約を結んだ[17]

2013年シーズン開幕前の3月に開催された第3回WBCオランダ代表に選出された[18][19]。対キューバ戦で負傷し途中退場となり[20]、その後左内転筋肉離れと診断された[21]

シーズンの開幕戦は二軍でむかえた。今季初出場は13試合目の4月12日の対読売ジャイアンツ戦で[22]、復帰から2戦続けて4打数0安打に終わり[6]、今季初本塁打は復帰から4試合目の4月16日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)で2打席連続で右越本塁打を放っている[23]。この時点で本塁打トップのDeNAのトニ・ブランコとは6本差をつけられ、その後、最大で10本差をつけられていたが[4]、この後バレンティンがハイペースで追い上げることになる[22]。 6月は打撃部門で月間三冠の活躍で3年連続で3度目の月間MVPを受賞した[22]。6月8日の対北海道日本ハムファイターズ戦から、同月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)にかけて2四球を挟んで、日本プロ野球タイ記録の4打数連続本塁打を記録した[24]。ブランコと1本差で迎えた、6月27日の対DeNA戦でブランコが1本塁打、バレンティンが2本塁打で、共に25号でバレンティンが今季初めてトップに並び[4]、7月2日の対DeNA戦でバレンティンが今季初めて単独トップとなると、以降のセ・リーグの最多本塁打はバレンティンの独走状態となり[6]、7月13日に30号リーグ一番乗りをした頃より55号越えが現実味を帯びてくるようになった[4]オールスターゲームでは選手間投票で選ばれ3年連続出場した[25]。 8月は月間本塁打の日本プロ野球新記録を樹立するなど本塁打を量産した。8月4日の対広島東洋カープ戦(神宮)で球団最速記録[26]の通算100本塁打[27]。8月22日の対巨人戦(神宮)で球団シーズン本塁打新記録の45号[28]。8月23日の対広島戦(神宮)で47号で自身初の100打点[29]と、球団タイ記録の月間13本塁打[30]。8月27日の対中日戦(神宮)で2本塁打を記録し50号[注 1]。シーズン111試合目での50号は日本プロ野球史上最速、同時に門田博光に日本プロ野球タイ記録の月間16本塁打とした[31]。翌28日の同戦で日本プロ野球新記録の月間17本塁打[32]。8月は月間18本塁打の新記録と合わせて打率、打点でリーグ三冠の成績を挙げ、通算4度目の月間MVPを巨人の村田修一と同時受賞した[33]。 9月は日本プロ野球、およびアジア野球のシーズン本塁打新記録を達成した。相手チームから勝負を避けられる敬遠四球や、厳しい内角攻めに遭うようになり[34]、50号以降の6試合で2敬遠を含む10四球を記録した[4]9月8日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で7試合、28打席ぶりとなる53号を放ち[35]、続く9月10日の対広島戦(神宮)で54号を放ち日本プロ野球記録に王手をかけた[36]。翌11日の同戦の6回裏に大竹寛から日本プロ野球シーズン本塁打タイ記録で史上4人目となる55号を放つ。シーズン122試合目での達成は史上最速であった[37]。この後の3試合は本塁打が出なかったが、9月15日の対阪神タイガース戦(神宮)において、1回裏の第1打席に榎田大樹から日本プロ野球シーズン本塁打新記録となる56号を左中間へ放った[注 2]。続く3回裏の第2打席で榎田から左翼へアジア新記録の[注 3]57号を放った[38]10月4日の対阪神戦(神宮)でランディ・メッセンジャーから60号を放ち、日本プロ野球史上初のシーズン本塁打60本台とした[39]。最終戦までブランコとの打撃タイトル三冠争いとなったものの、僅かに逆転の可能性が残っていた[40]10月8日のシーズン最終戦の対巨人戦(東京ドーム)では満塁の場面で四球を選び1打点を挙げるが、3回の守備から交代して今シーズンを終えた。バレンティンは本塁打王と最高出塁率の2冠を獲得したが[41]首位打者は3厘差、打点王は5点差でブランコが獲得し、バレンティンはいずれも2位に終わる[42]。また、シーズン長打率を.779として、ランディ・バースを抜いて日本プロ野球史上最高を記録[43]、2年連続のベストナイン[44]と、初のMVPを受賞。最下位球団からの受賞は史上初[45]

2014年は6月までにリーグ2位の18本塁打を記録していたものの、6月14日に持病のアキレス腱痛の悪化で一軍登録を抹消された[46]。その後二軍で調整を続けていたが7月11日のイースタン・リーグの対DeNA戦で実戦復帰[47]7月13日の対DeNA戦(神宮)で一軍に復帰した[48]オールスターゲームでは3度目のファン投票選出で4年連続選出となった[49]。なお選手間投票ではセ・リーグトップの431票を獲得した[50]。オールスターゲームでは第2戦(甲子園)で、日本ハムの大谷翔平から160キロの球を中前安打するなど2安打を記録した[51]8月21日の対巨人戦(神宮)で史上4位のスピード記録となる463試合目で通算150本塁打を達成[52]9月7日の対巨人戦(神宮)で来日1年目からの4年連続30本塁打に到達するなど[53]、広島のブラッド・エルドレッドと本塁打王争いをしていたものの、左アキレス腱の検査のため、球団にシーズン途中での帰国を要求し[54]、規定打席に到達した9月21日がこの年の最終出場試合となり、31本塁打で4年連続の本塁打王にはなれなかった[55]。その後、23日に帰国[56]、10月1日にアメリカ国内の病院で左膝の手術が行われた[57]

2015年4月24日に一軍初昇格しスタメン出場を果たしたものの、5回の守備で負傷。同月25日に左大腿直筋の肉離れと診断され、出場登録を抹消された[58]。その後アメリカに帰国するなど、予定より離脱が長期化するも、優勝争いが佳境となった9月18日の巨人戦から戦列に復帰し、いきなりホームランを放つと、翌日は3安打の活躍を見せた。その後は連続打席無安打を続けるなど調整不足を露呈したが、チームは優勝を果たし初めて優勝を経験することとなった。

オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12オランダ代表候補選手36名に選出され[59]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に選出された[60]

2017年開幕前の1月31日第4回WBCオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした[61]。メジャーリーガーもいる中で四番打者を任され[注 4]、3月12日の日本戦では石川歩から一時同点となる本塁打を記録している。3月15日のキューバ戦では1試合2本塁打を記録し、コールド勝ちに貢献し[62]、打率.615、4本塁打、12打点の好成績を残して、結果的に決勝トーナメント進出(ベスト4)に貢献し[63]E組MVPを受賞した[64]3月20日の準決勝プエルトリコ戦では初回に一時先制となる本塁打を記録し、延長10回にはエドウィン・ディアスからビーンボールを投じられ激昂し、乱闘になりかけた[65]。これについて試合後に「わざとだとは思わなかったけど、みんな感情的になっていた。必死にプレーしていればああいうことはある」、メジャー復帰について尋ねられると「メジャーでもう一度やれるといつも思っている」とコメントした[63]3月22日にオランダ代表選手では唯一[66]大会最優秀外野手となった[67]

レギュラーシーズンでは開幕から四番で出場。4月4日の阪神タイガース戦で3回に藤浪晋太郎からシーズン初本塁打を記録したが、5回に畠山和洋への死球を巡って乱闘となった際に阪神バッテリーコーチの矢野燿大を突き飛ばし、矢野とともに退場処分となった。[68]

選手としての特徴

バレンティンの打撃フォーム
(2011年10月15日、横浜スタジアム)

広角に長打を放つことのできる並外れたパワーが持ち味だが変化球に弱く[69]、メジャーでは三振率25.7パーセントを喫するなど確実性に欠けていた[70]

足と守備は平均的だが[70]、外野3ポジションを守ることができ、マリナーズ時代にはイチローとチーム1、2を争うといわれたほどの強肩が持ち味[71]

変化球の多い日本人投手の攻め方の研究を欠かさないなど、勉強熱心である[72]

バレンティンをスカウトしたヤクルトの編成部次長の奥村政之によれば、本塁打を期待しての入団ではなく、2010年7月にバレンティンを初めて見た3A[注 5]では、3試合観戦して「肩の強さが強烈な印象に残った」と述べ、打撃では走者一塁の場面で右方向への進塁打を放ち、3Aはメジャーへのアピールの場で派手なプレーをしたがる選手の多い中、「状況に応じた打撃ができることがチーム打撃で得点を重ねるヤクルトにぴったりだった」と述べている。奥村は入団するまではバレンティンの本塁打は1本も見なかったとしている[73]

アメリカのベースボール・アメリカ社刊の「プロスペクト・ハンドブック」(2006年版)ではシアトル・マリナーズ11番目の期待の選手として挙げられており、マイナーリーグで彼ほど楽しみな選手はいないと紹介された[6]

スイングのフォロースルーが大きく、振り切ったバット捕手の頭に当てて捕手を負傷退場させる事故を2016年だけで2度起こしている(7月24日の中日杉山翔大・8月2日の広島石原慶幸)。これについて、打者と捕手のどちらが気を付けるべきか、議論が巻き起こった[74]

2017年シーズン終了時点で球団最多の通算5度の退場処分を受けている[注 6]。審判の判定に対しての暴言や侮辱行為が3度、暴力や危険行為が2度である[75][76][77]

人物

チーム内での愛称は、幼い頃から家族に呼ばれていたココ(愛称の由来は「顔がココナッツに似ているから」だという)[78]。またココという愛称にちなんで、「CoCo壱番屋」に模したボードを掲げて応援するスタイルがスワローズファンに定着している。その他にも、女子プロレスラーアジャ・コングに容姿が似ていると言われており、2011年には激励のメッセージを送られている[79]。なお、アジャ・コングに似ていると言われていることは本人も認識しており、2016年には「アジャ・コング? 知っているよ、プロレスラーだろ」と答えている[80]

応援歌は同じオランダ領アンティル・キュラソー島出身のヘンスリー・ミューレン(その後高橋智にも使用された)のものが使用されている。なお、二人は故郷では近所同士で、互いに面識がある[78]。また2013年、2017年のWBCでは監督と選手の関係になった。

元チームメイトのラスティングス・ミレッジとは大の仲良しで、お互いに尊敬しプレーに刺激を与える関係となっている[81]。他球団の選手では、シアトル・マリナーズ時代のチームメイト、横浜DeNAベイスターズホセ・ロペスと仲が良い。

またヤクルトスワローズのマスコット、つば九郎とも仲が良く、ブログにも度々登場する。

キュラソー島名物のイグアナ食が大の好物。日本ではイグアナを食べる文化が存在しないため、バレンティン曰く、食感が似ているフライドチキンも好物である。首脳陣から試合中のプレーの件で説教を受けている際にもフライドチキンを口にしたことがあり、球団がフライドチキン禁止を検討した程だという[82]豚骨ラーメンも好物であり、バレンティンは神宮球場の試合が終わると『伝丸 青山店』に向かう常連客である。ただ2017年6月時点では、体重を気にして食す回数が減ったという[83]

2013年オフにはキリンビールの新ジャンル「澄みきり」のCMに出演した[84][85]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 SEA 3 4 3 1 2 1 0 1 6 4 0 0 0 1 0 0 0 0 0 .667 .500 2.000 2.500
2008 71 260 243 23 49 13 0 7 83 24 0 1 0 1 16 1 0 79 12 .202 .250 .342 .592
2009 56 170 155 18 33 10 0 4 55 13 1 0 0 2 13 1 0 43 2 .213 .271 .355 .625
CIN 40 125 110 12 29 7 1 3 47 11 1 1 0 0 15 0 0 27 1 .264 .352 .427 .779
'09計 96 295 265 30 62 17 1 7 102 24 2 1 0 2 28 1 0 70 3 .234 .305 .385 .690
2011 ヤクルト 140 555 486 63 111 22 1 31 228 76 3 1 0 6 61 6 2 131 15 .228 .314 .469 .783
2012 106 422 353 58 96 13 0 31 202 81 1 0 0 2 64 4 3 92 14 .272 .386 .572 .958
2013 130 547 439 94 145 17 0 60 342 131 0 0 0 4 103 9 1 105 14 .330 .455 .779 1.234
2014 112 446 366 61 110 12 0 31 215 69 2 0 0 3 75 5 2 95 10 .301 .419 .587 1.007
2015 15 52 43 4 8 2 0 1 13 6 0 0 0 0 9 0 0 14 1 .186 .327 .302 .629
2016 132 537 457 64 123 20 0 31 236 96 0 1 0 5 72 2 3 116 19 .269 .369 .516 .885
2017 125 519 445 60 113 14 1 32 225 80 0 1 0 1 70 0 3 112 18 .254 .358 .506 .864
MLB:3年 170 559 511 54 113 31 1 15 191 52 2 2 0 4 44 2 0 149 15 .221 .281 .374 .655
NPB:7年 760 3078 2589 404 706 100 2 217 1461 539 6 3 0 21 454 26 14 665 91 .273 .381 .564 .945
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBでの歴代最高

年度別守備成績



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF) 外野(OF)
















































2007 SEA 1 0 0 0 0 ---- - 2 0 0 0 0 ---- 3 0 0 0 0 ----
2008 5 13 1 0 0 1.000 29 60 0 0 0 1.000 35 76 5 2 0 .976 68 149 6 2 0 .987
2009 42 83 5 1 0 .989 - 5 5 0 0 0 1.000 47 88 5 1 0 .989
CIN 19 39 1 1 0 .976 - 17 28 0 0 0 1.000 36 67 1 1 0 .986
'09計 61 122 6 2 0 .985 - 22 33 0 0 0 1.000 83 155 6 2 1 .988
2011 ヤクルト - - - 140 217 11 8 3 .966
2012 - - - 97 139 4 2 0 .986
2013 - - - 123 205 3 6 0 .972
2014 - - - 99 158 5 6 1 .964
2015 - - - 14 18 1 1 0 .950
2016 - - - 122 166 9 4 1 .978
2017 - - - 123 183 6 8 2 .959
MLB:3年 67 135 7 2 0 .986 29 60 0 0 0 1.000 59 109 5 2 0 .983 154 304 12 4 0 .988
NPB:7年 - - - 718 1086 39 35 7 .970
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB