キリスト教
Golden Christian Cross.svg
Jesus-Christ-from-Hagia-Sophia.jpg
国・地域 世界の旗 世界的に信仰される
信者数 約23億人[1]
成立年 1世紀[2]
創始者 ナザレのイエス[3]
信仰対象 三位一体
聖典 旧約聖書/ヘブライ語聖書[3]
新約聖書[3]
母体 ユダヤ教[2][4]
宗派 キリスト教諸教派の一覧
主な指導者 教皇カトリック教会
聖地 エルサレム
バチカンの旗 バチカン
発祥地 パレスチナ[2]
教義
備考 世界宗教のひとつ
テンプレートを表示

キリスト教(きりすときょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμόςラテン語: Religio Christiana英語: Christianity)は、ナザレのイエスが起こした様々な奇跡を信じ、更に彼を旧約聖書タナハ)に言及されている、キリスト(救い主)として信仰する宗教[5][6]イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[6]。その多く(カトリック教会[7]聖公会[8]プロテスタント[9][10][11][12]正教会[13]東方諸教会[14]など)は「父なる神[注 1]と「その子キリスト[注 2]と「聖霊」を唯一の神(三位一体至聖三者)として信仰する。彼の軌跡は新約聖書にまとめられている。

世界における信者数は23億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い[1]

概要

キリスト教は、イエス・キリスト[注 3]旧約聖書で預言された罪のない人間であると受け入れる宗教であり、自らをキリスト教徒と呼ぶすべての人々を包含するものである[15]。キリスト教には、その歴史的経緯から様々な教派教団、組織、信条が存在している[15][16]。キリスト教は普遍的な宗教(世界宗教)であり[17]、特定の民族や人種あるいは限定された身分や社会階層のためのものではなく、すべての人に向けられたものである[15][注 4]。実際、キリスト教は、異なる文化・多くの民族の様々な人々に広く受け入れられて、政治構造や社会状況および科学知識や哲学思想、世界観の歴史的な変化、移り変わりがあった地域で何世紀にもわたって教団や組織を維持してきた[15]。ただし、カトリック教会は現教皇フランシスコは8世紀のグレゴリウス3世以来のヨーロッパ外出身であるなど、組織はヨーロッパ中心主義であり続けた。また、聖書は主に地中海世界から中東を舞台にしたものである。

日本でも多く使われる西暦が、救世主とされるナザレのイエスの生まれたとされた年を元年(紀元)としているように[注 5]、キリスト教は[[中世][注 6]ー近代から推移してきた現代文明の根幹の形成に関与している。

中世における国教化されたキリスト教は宗教の自由を認めなかったため、異教との戦いによって支配域を拡大し、土着の宗教に代えてキリスト教を説いた[注 7]。異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立していること、ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立していること等が規定されている[注 8]。そうしたキリスト信仰に加え、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として絶対的に受け止めることもある[注 9]

また、異教との対話時にもキリスト者本人に、聖霊による神の言葉が具体的に顕現することが言われている福音書もある[20][注 10]福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされている[21]聖霊現象と深いかかわりのあるイエス派運動成立の上で、黙示思想はその重要な背景として存在した[注 11]

キリスト教は、「旧約聖書」[注 12]を聖典としていることから、ヤハウェによる天地創造から始まり、原罪とその救済が教義の中心にある。「旧約聖書」という呼び方はキリスト教において「新約聖書」と対応して名づけたもので、ユダヤ教の聖典[注 13]の名称を旧(ふる)い約束の意味に変えて用いているものである[23]

古代

キリスト教はユダヤ教の預言と律法を引き継ぐ[4]。イエスの死後、弟子たちはイエスの教えを当時のローマ世界へと広めていった[24]

イエスの復活信仰の確立

  • 50年ころパウロテサロニケ人への第一の手紙を記し[27]、生ける真のによって、死んだはずのナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明した[28]テサロニケの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。
  • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し[29]、神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明した[30][注 14]。コリントの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。
  • 70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記し[32]、ナザレのイエスの死後女性信者たちに何らかの事象が起きたことを表明する[33]。空になった墓を見たという記述以降は、後代の加筆であるとされている[34]。南シリアの信者はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなる[注 15]
  • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し[36]、死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明した[37]。西シリアの信者は、死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めた。
  • 80年代、無名の著者は
    • 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明した[39]。テサロニケの信者は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めた。
    • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した[40]。コリントの信者はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めた。また、パウロはコリント人への第一の手紙を記し、アダムにおいてすべての者が死ぬように、そのようにキリストにおいてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明した。コリントの信者はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めた[41]
    • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し[42]、イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明した[43]。そしてかれの民をもろもろの罪から救うことを表明した[44]。西シリアの信者は イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であるという信仰を始めた。そしてかれの民をもろもろの罪から救うという信仰を始めた。また、マタイ福音書の記者は、山上の垂訓の中に主の祈りを記した[45]。これにより西シリアの信者は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなる。信者は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなる。
    • 80年代、無名の著者はルカ福音書を記す
      • 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明した[47]。テサロニケの信者はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めた。
      • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した[48]。コリントの信者はイエスは私たちの主なるイエス・キリストであるというキリスト信仰を始めた。
      • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し[49]、ナザレのイエスの父ヨセフは、アブラハムダビデの子孫であり、ヨセフの子であるナザレのイエスは予言されていたキリストであることを表明した[50][注 17]。西シリアの信者は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めた。
      • 80年代、無名の著者はルカ福音書を記す[52]
      • 90年代、無名の著者は使徒行伝を記し