座標: 北緯37度30分 西経85度00分 / 北緯37.5度 西経85度 / 37.5; -85

ケンタッキー州
Commonwealth of Kentucky
ケンタッキー州の旗ケンタッキー州の印
州旗(州章)
州の愛称: ブルーグラスの州
Bluegrass State
ケンタッキー州の位置
州都フランクフォート
最大の都市ルイビル
州知事アンディー・ベッシャー英語版
公用語英語 [1]
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全米第37位
104,659 km²
102,895 km²
1,764 km² (1.7%)
人口2010年
 - 総計
 - 人口密度
全米第26位
4,339,367
41.46人/km²
合衆国加入
 - 順番
 - 加入年月日

15番目
1792年6月1日
時間帯UTC -5, -6
DST -4, -5
緯度北緯36°30' - 39°9'
経度西経81°58' - 89°34'
東西の幅225 km
南北の長さ610 km
標高
 -最高標高
 -平均標高
 -最低標高

1,263 m
230 m
78 m
略称 (ISO 3166-2:US)US-KY
ウェブサイトケンタッキー州政府
上院議員ミッチ・マコーネル
ランド・ポール

ケンタッキー州: Commonwealth of Kentucky)は、アメリカ合衆国中東部にあるコモンウェルス)である。州都フランクフォートで、最大都市ルイビルである。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第37位、人口では第26位である。元はバージニア州の一部だった。1792年にアメリカ合衆国15番目の州に昇格した。

他の主要な都市レキシントンがある。また、オハイオ州の大都市、シンシナティの大都市圏の一部はケンタッキー州北部にまたがっており、北ケンタッキー地域と呼ばれる。

家庭で話される言語(ケンタッキー州) 2010[2]
英語
  
95.44%
スペイン語
  
2.39%
人種構成(ケンタッキー州) 2010
白人
  
86.3%
黒人
  
7.8%
ヒスパニック
  
3.1%
アジア系
  
1.1%
インディアン
  
0.2%
混血
  
1.7%

州名の由来

州名「ケンタッキー」の由来は定かでないが、同州に先住するチェロキー族インディアンの「暗い血まみれの大地」、またはイロコイ族イロコイ諸語で「平原」を指す言葉であるという説などがある。同州ではもっぱら後者の解釈が支持されている。

現在ケンタッキー州となっている地域で狩猟を行っていたインディアンが、この地域を「カトーバ」あるいはそれに類似した名称で呼んでいたことは一般に認められている。ケンタッキー州ブルーブックに拠れば、チェロキー族の若き酋長ドラッギングカヌーが、先祖伝来の猟場を売却することに反対し、白人に対して「暗く血塗られた土地」を買おうとしていると警告した。

現在の「ケンタッキー」という名称はイロコイ族の言葉であり、州中部のサバンナにあるバッファローの猟場を指し、「草原の地」を意味するとされている。イロコイ族「ハウデノソーニー」に属する者達は昔から現在のニューヨーク州ペンシルベニア州に住んでいた。彼等はオハイオ川の領域に侵入し、猟場を広く支配するために他部族を追い出した。ヨーロッパ系アメリカ人がこの地域に入ってくるずっと以前、バッファローの猟に加えて、フランス人イギリス人と毛皮を取引するためにビーバーの罠猟を行っていた[3]

ケンタッキー州は「ブルーグラスの州」というニックネームがある。これは土壌が肥沃だったので、牧草地の多くにブルーグラスen:Poa pratensis)見られたことに基づいている。

歴史

エイブラハム・リンカーンの生家、ホジェンビル近く

現在ケンタッキー州となっている地域では、特に水路に沿った土地や野生生物を狩猟できる領域で、遅くとも紀元前1000年から紀元後1650年頃まで、様々なインディアンによる文化が移り変わってきた。この地域にはアメリカバイソンがうろついていた。18世紀半ばにヨーロッパ人や植民地人の探検家や開拓者が大勢で入ってきたときまでに、インディアンによる大きな定住地は無くなっていた。イロコイ族は現在のニューヨーク州を本拠にし、狩猟の場所としてオハイオ川流域の大半を支配していた。

北西からショーニー族が、南からチェロキー族が狩猟のために定期的にこの地域に一隊の者を送り込んでいた。多くの開拓者が入ってくるようになると、インディアンは開拓者達が自分の昔からの狩猟場に入り込んでいると考えたために、戦争が持ち上がった[4]。今日、ケンタッキー州にいる南部チェロキー族は州政府が認定した部族だが、連邦政府が認定したチェロキー族の3部族は、州政府の認めた部族が「チェロキー族」だと主張することの信憑性を声高に難じている[5]

アメリカ合衆国政府が1790年に作成した報告書に拠れば、アメリカ独立戦争の終戦後、ケンタッキー州でインディアンの襲撃により、1,500人の開拓者が殺されたとされていた[6]。そのような州内への襲撃を止めさせるために、1786年、ジョージ・ロジャース・クラークが徴募した1,200名の兵士を率いて遠征を行い、ウォバッシュ川沿いのショーニー族の集落に向かった。これが北西インディアン戦争と呼ばれるものの最初期の動きになった[7]

アメリカ独立戦争後、バージニア州の中でアパラチア山脈の向こう側にある郡部は、ケンタッキー郡と呼ばれるようになった[8]。ケンタッキー郡の住人はバージニア州からの分離を請願した。1784年から1792年の間にダンビルの憲法広場庁舎で10回の憲法制定会議が開催された。1790年、ケンタッキーの代議員団がバージニア州の分離条件を受入れ、1792年4月の最終会議で州憲法案が起草された。同年6月1日、ケンタッキーが合衆国15番目の州に昇格した。バージニア出身の退役士官アイザック・シェルビーが初代州知事に選出された[9]

ルイビル市にあるアメリカ合衆国海兵隊病院、ワシントン記念塔の設計を担当した建築家ロバート・モリスが設計、南北戦争前の病院として国内では保存状態の良いものとみなされている

19世紀

ケンタッキー州中央部のいわゆるブルーグラス地域は、農園所有者がタバコアサを栽培したので奴隷制度の中心地となり、また良質な家畜の産地にもなった。ケンタッキー州の奴隷所有者は、過剰になった奴隷を深南部に売り始めた。ルイビル市が奴隷市場の中心地となり、川を下って運ばれる奴隷の出発港になった。

南北戦争の時、ケンタッキー州は境界州の1つとなった[10]。ケンタッキー州はアメリカ合衆国から脱退しなかったと言われることも多いが、幾つかの郡代表がラッセルビルに集まり、それをケンタッキー州人民の会議」と呼び、1861年11月20日に脱退条例を可決した[11]。彼等はアメリカ連合国ケンタッキー州政府を樹立し、ボーリンググリーンを州都にした[12]

アメリカ連合国戦闘旗で、ケンタッキー州は中央の星で表されているが[13]、ラッセルビル会議は州民の多数派を代表していなかった。州民の多くが北軍の同調者だったので、ケンタッキー州は戦争を通じて「中立」に留まった。戦中に南軍を支持した量を超えることになった「失われた大義」の復活では、当時の人々の中にアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスの誕生日、6月3日を南軍記念日として祝い、南軍の再現に参加する者がいた[14][15]

フランクフォート市にあるウィリアム・ゴーベルの彫像

20世紀

20世紀初期に、自警団の動きからブラックパッチ・タバコ戦争が起こった。タバコ産業が独占された結果として、タバコ農家は低価格でタバコ葉を売らざるを得なくなった。地元農家や活動家が結束し、タバコ会社にタバコ葉を売ることを拒んだ。

自警団組織である「ナイト・ライダーズ」が、タバコ会社の言いなりになって低価格でタバコ葉を販売した農夫を襲った。ホプキンスビルやプリンストンなどではタバコ倉庫が焼かれた。その活動の後期に入ると、ボイコットを破る農夫に暴行を加えるようになった。州知事が戒厳令を宣言し、州民兵隊を動員して、ブラックパッチ・タバコ戦争と呼ばれたこの紛争を終わらせた。

1900年1月30日、州知事ウィリアム・ゴーベルは、2人のボディガードに伴われ、フランクフォート市中心街の州会議事堂に歩いていくときに、暗殺者に撃たれて致命傷を負った。ゴーベルは1899年の知事選挙に出馬していた。その選挙では当初ウィリアム・S・テイラーが当選したと見られていた。ゴーベルの副知事候補であるJ・C・W・ベッカムとテイラーが、数か月の間、誰が合法の知事であるかについて争い、5月に出たアメリカ合衆国最高裁判所判決では、ベッカムが勝訴した。テイラーはインディアナ州に逃げた後、ゴーベル暗殺の共同謀議者として起訴された。ゴーベルは在任中に暗殺されたアメリカ合衆国唯一の州知事となっている[16]

地理

参照:ケンタッキー州の郡一覧

狭い郡道、石垣と板の塀で仕切られている。ブルーグラス地域で良く見られる

牧草州 (ブルーグラス州) とも呼ばれるケンタッキー州は、アップランドサウスに入っていると見なされている。希に中西部に含まれるとされることもある[17][18]アメリカ合衆国南東部と隣接している。州東部のかなりの領域はアパラチア山脈に入っている。

ケンタッキー州は7つの州に接している。東部でウエストバージニア州及びバージニア州、南部でテネシー州、西部でミズーリ州、北部でイリノイ州インディアナ州、並びにオハイオ州と接している。州の北部境界はオハイオ川によって形成され、西部境界はミシシッピ川によって形成されている。公式の州境は1792年にケンタッキー州が昇格した時の川の流路で決められている。その後幾つかの場所で川が流れを変えており、例えば、ヘンダーソンからアメリカ国道41号線で北に向かうと、オハイオ川を渡った後も約2マイル (3 km) はケンタッキー州内である。サラブレッドのレース場であるエリスパークが、ケンタッキー州のこの小さな地にある。インディアナ州との州境では、水道用道路が唯一の陸の境となっている[19]

ケンタッキー州は他の州により囲まれた飛地を持つ唯一のアメリカ合衆国の州である。ケンタッキー州の最西部隅にあるフルトン郡には、1812年のニューマドリード地震によりミシシッピ川の流れが変わって形成されたケンタッキー・ベンドと呼ばれる小さな飛地があり、ミズーリ州とはミシシッピ川をはさんで、またテネシー州とは陸続きで隣接している[20]

ケンタッキー州図

地域

ケンタッキー州の地域区分図

ケンタッキー州は主に5つの地域に分ける事ができる:南東部のカンバーランド山地とカンバーランド高原の地域、北部から中央部にかけてのブルーグラス地域、南部から中央部並びに西部のペニーロイヤル高原地域、また、エリザベスタウン及び ボーリンググリーンのような都市を "ペニーライル" と表現する西部炭田地域、及び最西部のジャクソン購入地域である。

ブルーグラス地域は一般に2つの地域に区分される。インナーブルーグラスは、レキシントン市周辺の直径90 マイル (145 km) の地域であり、アウターブルーグラスはKnobsより上、ケンタッキー州北部の大部分を包含する地域である。アウターブルーグラスの多くは短く、急勾配で、たいへん狭い丘でできているイーデン・シェイル・ヒルズ地域内にある。

右図は上記地域を大まかに表すものであり、その境界線は郡境を基本にしている。その結果、インナーブルーグラスは実際より大きく見える。カンバーランド高原はやや小さく見える。カンバーランド高原はケンタッキー州では東部炭田地帯とも呼ばれている。この地域は炭田ではないが、多くの重複する地域と連続した炭田がある。西部炭田地域はイリノイ盆地に入っている。

東部炭田地帯はその岩がちの地形で知られる
インナーブルーグラス、数多くの馬牧場がある
ジャクソン購入地域とペニーライル地域西部にはヌマスギとテュペロの湿地がある

気候

ケンタッキー州は北アメリカ大陸の南東内陸部に位置し、温暖湿潤気候ケッペンの気候区分 Cfa)に区分するのが一番当てはまる。夏の日間平均最高気温は87°F (31 ℃)、冬の日間平均最低気温は23°F (-5 ℃) になる。年間平均降水量は46インチ (1,200 mm) である[21]

ケンタッキー州には四季があるが、夏と冬の厳しさについては大きな変化がある[22]。過去最高気温は1930年7月28日にグリーンズバーグで記録された114°F (46 ℃) だった。過去最低気温は1994年1月19日にシェルビービルで記録された-37°F (-38 ℃) だった

これまでの大きな自然災害には下表のようなものがあった。

災害 死者数
1890年ルイビル竜巻 推計 76人-120人+
1937年オハイオ川洪水 ?
1974年4月3日竜巻大発生 72人
1977年4月7日カンバーランド川洪水 ?
1997年3月1日洪水[23] 18人
2003年北アメリカ吹雪 ?
2008年スーパーテューズデイ竜巻 Weather.comの報告で 17人
2008年9月大暴風 1人
2009年1月氷雪 24人+
2012年3月竜巻 22人
各都市の月別平均最高最低気温(°F)
都市 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
レキシントン 40/24 45/28 55/36 65/44 74/54 82/62 86/66 85/65 78/58 67/46 54/37 44/28
ルイビル 41/25 47/28 57/37 67/46 75/56 83/65 87/70 86/68 79/61 68/48 56/39 45/30
オーエンズボロ 42/25 47/28 57/36 69/45 78/55 86/64 88/68 88/65 81/58 70/46 57/37 45/28
パデューカ 42/24 48/28 58/37 68/46 77/55 85/64 89/68 87/65 81/57 71/45 57/36 46/28
パイクビル 46/23 50/25 60/32 69/39 77/49 84/58 87/63 86/62 80/56 71/42 60/33 49/26
アシュランド 42/19 47/21 57/29 68/37 77/47 84/56 88/61 87/59 80/52 69/40 57/31 46/23

湖と河川

カンバーランド湖はその保水量で、ミシシッピ川より東では最大の人工湖である

州内の全長9万マイル (140,000 km) におよぶ河川は、アメリカ国内でも最も広範で入り組んだ水流体系を作り上げている。カンバーランド湖はその保水量で、ミシシッピ川より東では最大の人工湖であり、ケンタッキー湖は表面積で最大である。3方向の州境が川になっているのも国内唯一の州である。すなわち西がミシシッピ川、北がオハイオ川、東がビッグサンディ川とタグ・フォークである[24]。他の主要な川としては、ケンタッキー川、テネシー川カンバーランド川、グリーン川、及びリッキング川がある。

自然湖の大きなものは3つしかないが[25]、人工湖の数は多い。アラスカ州を除けば、航行できる水路の長さでも1番である[26]

自然環境と保護

ルイビルの産業廃棄物埋め立て地であった所が、現在は多くの樹木や歩道のあるウォーターフロントに生まれ変わっている

ケンタッキー州には広範な公園体系があり、国立公園1か所、国立レクリエーション地域2か所、国立歴史公園2か所、国有林2か所、国立野生生物保護区2か所、州立公園45か所、広さ37,696 エーカー (153 km2) の州有林、野生生物管理地域82か所がある。

ケンタッキー州はアメリカ合衆国の歴史でも野生生物を再導入する計画で最も成果を上げた2州の1つだった。1997年冬、ケンタッキー州魚類野生生物資源省が東部郡で、150年間も絶滅していたエルクの補充を始めた。2009年時点で生体数は目標としていた1万頭に達しており、ミシシッピ川以東では最大になった[27]

1950年代には野生シチメンチョウの再生も始めていた。一度は絶滅していたシチメンチョウが、東部州のどこよりも大きな生体数となった。2009年春の23日間で、猟師が29,006羽を観測した[28]

重要な自然観光地

レッド川峡谷、観光客の数が多い場所の1つ