テレビ受像機

テレビは、テレビジョン及び「テレビ受像機(テレビジョンセット、: television set)」の略語。一般には次のような文脈で用いられる。

  • テレビジョン放送あるいは通信遠隔監視に使用される、遠方へ映像を送る技術(映像機器を含む)。本項で詳述。
  • テレビジョン放送:主として動画電波を使って、不特定多数のために放送する仕組み。通常は動画に加えて音声、あるいはデータ等の付加情報を送ることができる。電波を使用せず有線で送出するケーブルテレビ(CATV)もある。本項で詳述。
  • テレビジョン放送で送られる番組(プログラム)。⇒テレビ番組を参照。
  • テレビジョン放送を視聴するための受信機。⇒テレビ受像機を参照。

語源・定義

「テレビジョン」はフランス語のtélévisionテレヴィジオン)に由来し、「TV」と略されることも多い。なお、tele-τηλε)はギリシア語の「遠く離れた」、「vision」はラテン語で「視界」の意味である。

日本の電波法では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている[1]。また放送法ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている[2]

中国語では電信と電話を継いで電視と呼ばれる。

テレビの歴史

  • 1873年 - イギリスで明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発が始まる。
  • 1875年 - アメリカのジョージ・ケリー、並列式の機械走査の概念を提案。
  • 1877年 - アメリカのウィリアム・ソーヤー、直列式の機械走査の概念を提案。
  • 1884年 - ドイツのポール・ニプコー、直列式の機械走査を実現する「ニプコー円板」の発明。
  • 1896年 - イタリアのグリエルモ・マルコーニが電磁波を使って、3km離れた地点間でモールス信号の無線通信実験に成功(無線通信参照)
  • 1897年 - ドイツの
    • 1907年 - ロシアのボリス・ロージング、ブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願。
    • 1908年 - イギリスのキャンベル・スウィントン、撮像側にも陰極線管を使った電子式走査法の概念を科学雑誌Natureに発表。全電子式テレビジョンを示唆。
    • 1911年 - ボリス・ロージング、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板と受像に電子式のブラウン管を用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。しかし実用レベルの受像に至るには、映像を電気信号に変換する光電管や、その信号を増幅する真空管の発達を待たねばならなかった。
    • 1923年 - アメリカへ亡命したロシアのウラジミール・ツヴォルキン、電子走査式撮像管アイコノスコープを考案し特許出願。
    • 1925年 - スコットランドのジョン・ロジー・ベアード機械式テレビの開発。撮像と受像に機械式のニプコー円板を用いた。見分けられる程度の人間の顔を送受信することに成功。
    • 1925年 - アメリカのチャールズ・フランシス・ジェンキンスが機械式テレビの画像を8km離れた地点間で無線送受信する公開実験を行う。
    • 1926年、ジョン・ロジー・ベアード、ロンドンの王立研究所で動く物体の送受信の公開実験に成功。同年12月25日 - 浜松高等工業学校高柳健次郎電子式テレビ受像機(ブラウン管テレビ)の開発。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管を用いた。「イ」の字を表示させる。
    • 1927年 - アメリカのフィロ・ファーンズワース電子式テレビ撮像機の開発。電子走査式の撮像管「イメージディセクタ」による映像撮影に成功。ブラウン管に「$$」を表示。同年、撮像・受像の全電子化が達成される。
    • 1928年 - ジョン・ロジー・ベアード、カラーテレビの公開実験に成功。
    • 1929年 - 英国放送協会(BBC)がテレビ実験放送開始。
    • 1931年 - NHK技術研究所でテレビの研究開始。
    • 1932年8月 - イギリスで世界初の定期試験放送(機械式、週4日)開始。
    • 1933年 - アメリカのウラジミール・ツヴォルキンがアイコノスコープを開発、野外の景色を撮像することに成功。
    • 1935年 - ドイツで定期試験放送開始。ベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる。
    • 1936年 - ハンガリーのKálmán Tihanyi、プラズマテレビの原理を示す。世界初のフラットディスプレイの概念。
    • 1939年3月 - 日本でテレビ実験放送開始。
    • 1939年5月13日 - NHK放送技術研究所による公開実験。[3]
    • 1940年4月13日 - 日本初のテレビドラマ夕餉前」の実験放送。
    • 1941年3月 - 米国NTSC方式の白黒テレビ放送開始[4]
    • 1945年 - 「日本のテレビの父」と言われる高柳健次郎らによって戦前より始められていた日本のテレビ研究が敗戦直後にGHQにより禁止される[5]
    • 1946年 - 7月に禁止令が解除され、11月よりNHKがテレビ研究を再開[5]
    • 1950年代 有馬哲夫の『テレビの夢から覚めるまで』[6]によれば、50年代に米国でテレビが一般家庭に普及し始めた頃、米国の人々は大真面目に以下のように思っていたという[7]
    テレビは、神からのクリスマス・プレゼントだ。われわれは、このプレゼントを手にして娯楽のことばかりを考えるのではなく、人類の善意と地上の平和のことを、そして、それにいかに役立てるかをも考えなければならない。テレビを通じて、いかにひとびとの蒙を啓き、偏見を根絶し、理解を深めるかに心くだかなければならない。テレビこそ、その未来を開いてくれるだろう。 — 有馬哲夫、『テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史』(1997年/国文社)
    • 1950年 - 電波法放送法電波監理委員会設置法の電波3法施行。
    • 1951年 - GHQの要請により電波監理委員会メンバーが視察のため渡米[5]。アメリカから3人のコンサルタントが来日。軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を重要視していたアメリカの圧力によりアメリカ式(NTSC方式)の技術標準が日本で採用される[5]
    • 1952年
    • 1953年
      • 1月 - シャープが国産第1号のテレビTV3-14Tを発売[9]。価格は175,000円。
      • 2月1日 - 日本放送協会('NHK JOAK-TV)のテレビ放送開始(日本での地上波テレビ放送の開始)。
      • 8月28日 - 日本テレビ、(略称NTV JOAX-TV)テレビ放送開始(民放での初のテレビ放送の開始)。また日本初のテレビCMを放送したがテレビ画面が裏返しに映る日本初の放送事故が発生した。
      当時の主な番組は大相撲プロレスプロ野球などのスポーツ中継や、記録映画など。白米10kgが680円、銭湯の入浴料が15円程度であった当時、テレビ受像機の価格が非常に高価(20万〜30万円程度)で一般人には買えないため、多くの大衆は繁華街や主要駅などに設置された街頭テレビや、土地の名士などの一部の富裕世帯宅、喫茶店、そば屋などが客寄せに設置したテレビを視ていた。
    • 1954年1月23日 - アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。
    • 1955年4月1日 - ラジオ東京(KRT・KRテレビ JOKR-TV、現:TBSテレビ)がテレビ放送開始。
    • 1956年12月 - NHKのカラーテレビ実験放送開始(UHF帯を使用)。
    1955年 三菱電機TV受像機の広告
    1958年の14インチTVセット
    テレビの世帯普及率の推移