ハンガリー
Magyarország
ハンガリーの国旗 ハンガリーの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌Himnusz(ハンガリー語)
賛称
ハンガリーの位置
公用語 ハンガリー語(マジャル語)
首都 ブダペスト(ブダペシュト)
最大の都市 ブダペスト(ブダペシュト)
政府
大統領 アーデル・ヤーノシュ
首相 オルバーン・ヴィクトル
面積
総計 93,030km2107位
水面積率 0.7
人口
総計(2017年 9,800,000[1]人(80位
人口密度 108人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2018年 42兆728億[2]フォリント
GDP(MER
合計(2018年1,612億[2]ドル(57位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2018年3,121億[2]ドル(57位
1人あたり 31,913[2]ドル
オーストリア・ハンガリー帝国から独立
ハンガリー王国成立
ソビエト連邦による占領
第三共和国成立
1918年10月31日
1920年3月1日
1945年5月8日
1989年10月23日
通貨 フォリントHUF
時間帯 UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 HU / HUN
ccTLD .hu
国際電話番号 36

ハンガリーハンガリー語: Magyarország)は、中央ヨーロッパ共和制国家。西にオーストリアスロベニア、北にスロバキア、東にウクライナルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペストである。

国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる[3]。首都のブダペストにはロンドンイスタンブールに次いで世界で3番目に地下鉄が開通した。

国名

正式名称はハンガリー語で、 Magyarország [ˈmɒɟɒrorsaːɡ] ( 音声ファイル)。カタカナの大まかな発音は「マジャロルサーグ」。通称、Magyar [ˈmɒɟɒr] ( 音声ファイル)(マジャル)。英語表記は Hungary

日本語の表記はハンガリーであるが、20世紀中盤まではハンガリアと表記する例も散見された。漢字表記では洪牙利で、と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。

ハンガリー語で「ハンガリー」もしくは「ハンガリー人」を指す名詞「Magyar」は、日本の教科書などにおいて「マジャール」と誤ってカタカナ表記されているものが見られるが、どの母音も伸ばさず「マジャル」と表記・発音するのが正しいカタカナ表記となる(ハンガリー語では長母音の場合は母音字にエーケゼット[注釈 1]をつける規則があるため(例:á)、そうでない母音は長母音ではない。「Magyar」であって「Magyár」でないため、長母音として発音しないのが正しい)。

歴史上、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。

「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族」ではなく、7世紀のテュルク系オノグル (Onogur) という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャール7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。「ウンガーン」(: Ungarn)、「ウンガリア」(: Ουγγαρία)に見られるように、もともとは語頭のhがなかった。

2012年1月1日より新たな憲法「ハンガリー基本法」が施行され、国名が変更された[4]

  • 1920年 - 1946年 ハンガリー王国(Magyar Királyság [ˈmɒɟɒr ˈkirɑ̈ːjʃɑ̈ːɡ](マジャル・キラーイシャーグ))
  • 1946年 - 1949年 ハンガリー共和国Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ](マジャル・ケスタールシャシャーグ))
  • 1949年 - 1989年 ハンガリー人民共和国Magyar Népköztársaság [ˈmɒɟɒr ˌne̝ːpkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ] (マジャル・ネープケスタールシャシャーグ))
  • 1989年 - 2011年 ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ](マジャル・ケスタールシャシャーグ))
  • 2012年 - ハンガリー(Magyarország [ˈmɒɟɒrorsɑ̈ːɡ](マジャロルサーグ))

歴史

ハンガリーの国土はハンガリー平原といわれる広大な平原を中心としており、古来さまざまな民族が侵入し、定着してきた。

古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族・ダキア人などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中ごろ、属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。

その後、フン族はアッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡したあと、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァールの侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。

ハンガリー王国時代(1000年 - 1918年)

10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年キリスト教に改宗し、西ヨーロッパカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国アールパード朝)を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニアヴォイヴォディナクロアチアダルマチアなどを広く支配する大国に発展する。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来(モヒの戦い)を受け大きな被害を受けた。14世紀から15世紀ごろには周辺の諸王国と同君連合を結んで中央ヨーロッパの強国となった[5]

1396年オスマン帝国とのニコポリスの戦いで敗北。フス戦争1419年 - 1439年)。15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受けるようになった。1526年には、モハーチの戦いに敗れ、国王ラヨシュ2世が戦死した。1541年ブダが陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国(オスマン帝国領ハンガリー)、北西部の3分の1をハプスブルク家オーストリアによって分割支配され(王領ハンガリー)、両帝国のぶつかりあう最前線となった。

三十年戦争1618年 - 1648年)には、プロテスタント側にトランシルヴァニア公国が、カトリック側に王領ハンガリーが分裂して参加した。

1683年第二次ウィーン包囲に敗北したオスマン帝国が軍事的に後退すると、1699年カルロヴィッツ条約でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。

オーストリア=ハンガリー帝国におけるハンガリー(赤、1914年

1848年3月革命では、コッシュート・ラヨシュが指導した独立運動こそロシア帝国軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、1867年キエッジェズィーシュ(和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア=ハンガリー帝国となった。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の体制下で資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。

ハンガリー人民共和国時代(1918年 - 1919年)

1918年10月31日アスター革命ハンガリー語版ハンガリー語: Őszirózsás forradalom)でハンガリー初の共和制国家であるハンガリー人民共和国が成立し、社会民主党系のカーロイ・ミハーイ英語版が初代大統領および首相を務める。

ハンガリー・ソビエト共和国時代(1919年 - 1919年)

1919年3月、ハンガリー共産党クン・ベーラによるハンガリー革命英語版が勃発し、クン・ベーラを首班とするハンガリー・ソビエト共和国3月21日 - 8月6日)が一時成立したが、ルーマニアの介入で打倒される(ハンガリー・ルーマニア戦争)。

ハンガリー王国時代(1920年 - 1945年)

1920年3月1日、ハプスブルク家に代わる王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュ摂政として統治するハンガリー王国の成立が宣言された。1920年6月4日に結ばれたハンガリーと連合国とのトリアノン条約により、二重帝国時代の王国領のうち、トランシルヴァニアやハンガリー北部(スロバキア)など、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。領土を失った反動、周囲の旧連合国からの孤立などの要因から次第に右傾化した。

1930年代後半からはナチス・ドイツと協調するようになり、1938年ミュンヘン協定ハンガリーのカルパト・ウクライナへの侵攻英語版[6]1939年スロバキア・ハンガリー戦争英語版、 2度のウィーン裁定などで一部領土を回復した。第二次世界大戦では領域拡大とナチス・ドイツからの圧迫を受けて枢軸国に加わり独ソ戦などで戦ったが、戦局は次第に劣勢となり、1944年にはホルティは枢軸国からの離脱を目指すが、ナチス・ドイツ軍と矢十字党によるクーデター(パンツァーファウスト作戦)で阻止されて失脚した。かわって矢十字党の国民統一政府が成立、1945年5月8日敗戦まで枢軸国として戦うことになった。一方でソビエト連邦軍の占領区域では、軍の一部や諸政党が参加したハンガリー臨時国民政府が樹立され、戦後ハンガリー政府の前身となった。1945年4月4日には、ハンガリー全土からドイツ軍が駆逐され、ナチス・ドイツの崩壊とともに残存していたハンガリー軍部隊も降伏した。

戦後から共産主義政権時代(1946年 - 1989年)

1946年2月1日には王制が廃止され、ハンガリー共和国(第二共和国)が成立した。しかし、ソ連の占領下に置かれたハンガリーでは1ペンゲー紙幣まで発行される史上最悪のハイパーインフレーションが起きるなど政府に統制力はなく、共産化の影響力が次第に高まりつつあった。

1947年2月にはパリ条約によって連合国と講和し、占領体制は一応終結したがソ連軍はそのままハンガリーに駐留し続けることになった。ハンガリー共産党は対立政党の影響力を徐々に削減する戦術で権力を掌握し、1949年ハンガリー人民共和国が成立した。ハンガリー共産党が合同したハンガリー勤労者党による一党独裁国家としてソ連の衛星国となり、冷戦体制の中では東側の共産圏に属した。

共和国成立直後より国民への統制は厳しいものとなり、1949年時点から他の衛星国に先駆けて西側諸国(オーストリア)国境に鉄条網の障壁が築かれた[7]。共産主義体制に対する反発も根強く1956年にはハンガリー動乱が起こったが、ソ連軍に鎮圧された。勤労者党はハンガリー社会主義労働者党に再編され、カーダール・ヤーノシュによるグヤーシュ・コミュニズムと呼ばれる比較的穏健な政策がとられた。

1980年代後半になると、ソ連のペレストロイカとともに東欧における共産党一党独裁の限界が明らかとなった。社会主義労働者党内でも改革派が台頭し、ハンガリー民主化運動が開始され、1989年2月には憲法から党の指導性を定めた条項が削除された。5月には西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網(鉄のカーテン)を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリーに殺到、汎ヨーロッパ・ピクニックを引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。また6月には複数政党制を導入し、社会主義労働者党もハンガリー社会党に改組された。

第三共和国(1989年 - 現在)

1989年10月23日ハンガリー共和国憲法施行により、多党制に基づくハンガリー第三共和国が成立した。1990年代、ハンガリーはヨーロッパ社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年北大西洋条約機構(NATO)に、2004年欧州連合(EU)に加盟した。

ハンガリー第三共和国の国旗国章では、ファシズム体制を敷いた矢十字党の「矢印十字」の紋章と、共産党時代の「赤い星」の紋章が消去されている。また、ナチスドイツ、矢十字党、ソビエト連邦共産党一党独裁による圧制の反動から、「鉤十字」「矢十字」「鎌と槌」「赤い星」の配布・公刊・公の場での使用が、1993年の改正刑法にて禁止された[8]

2007年にシェンゲン協定を導入[9]。2011年に新憲法「ハンガリー基本法」への改正が行われた。

政治

ブダペストの国会議事堂

ハンガリーの大統領は任期5年で議会によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。大統領官邸はブダ王宮に隣接するシャーンドル宮殿。実権は議院内閣制をとる首相にあり、自ら閣僚を選んで行政を行う。

立法府国民議会 (Országgyűlés) は一院制、民選で、任期は4年、定員は199人である。国民議会は国家の最高権威機関であり、すべての法は国民議会の承認を経なければ成立しない。

純粋に司法権を行使する最高裁判所とは別に憲法裁判所が存在し、法律の合憲性を審査している。

おもな政党

詳細はハンガリーの政党英語版を参照

その他の政党

(政治項目更新中)

軍事

内陸国であるため海軍は持たず、現在の国軍は、陸軍および空軍の 2軍からなる。ただし、ハンガリー領内を流れるドナウ川の防衛目的でユーゴスラビア製の掃海艇を3隻保有しており、陸軍の河川警備隊がドナウ川において運用している。1999年に北大西洋条約機構に加盟し、西欧諸国と集団安全保障体制をとっている。

軍の歴史は長く、第一次世界大戦時にはオーストリア=ハンガリー二重帝国として中央同盟軍の一角を占めていた。戦後の独立ハンガリーは1920年のトリアノン条約により兵力を制限されていた。その反動もあって第二次世界大戦時には枢軸国として参戦し、東部戦線にも兵力を出している。1945年にはソ連軍に占領され、冷戦時には共産圏国家として、ワルシャワ条約機構に加盟していた。

地方行政区分

ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。うち19は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、20はメジェと同格の都市郡という行政単位(megyei város)である。なお首都のブダペスト都はいずれにも属さない、独立した自治体である。

ハンガリーの地理
ヴィシェグラードから眺めるドナウ大曲(ペシュト県)

旧ハンガリー王国の領土(大ハンガリー)に含まれた地域については、ハンガリー王国の歴史的地域を参照。

主要都市

都市 人口(2005年)
1 ブダペスト 1,702,297
2 デブレツェン ハイドゥー・ビハール県 204,297
3 ミシュコルツ ボルショド・アバウーイ・ゼムプレーン県 171,096
4 セゲド チョングラード県 167,039
5 ペーチ バラニャ県 156,649
6 ジェール ジェール・モション・ショプロン県 128,808
7 ニーレジハーザ サボルチ・サトマール・ベレグ県 116,298
8 ケチケメート バーチ・キシュクン県 109,847
9 セーケシュフェヘールヴァール フェイェール県 101,755

地理

ハンガリーの地形

ハンガリーの国土はカルパティア山脈のふもとに広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川も流れている。国土の西部にはヨーロッパでも有数の大湖バラトン湖がある。また各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。もっとも温度の高い熱水泉ヘーヴィーズ湖を有するヨーロッパ有数の「温泉大国」として知られ[11][リンク切れ]、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる[12]トランシルヴァニア地方など、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。

大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、四季もある。緯度が比較的高く、冬は冷え込むが、地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で曇りがちである。年間平均気温は10°C前後。

経済

国際通貨基金(IMF)による統計では、2018年現在でGDPは1,612億ドル、一人あたりのGDP(為替レート)は1万6,484ドルであり、EU平均の約45%、世界水準の約1.4倍である[2][13]

ハンガリーは1989年の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、1997年以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が国内総生産(GDP)の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどであった。また2004年の欧州連合加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。

しかしその後、インフレーション失業率が増加して貧富の差が広がり[14]、社会問題として常態化した。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。

伝統的な産業ではアルコールが強い。特にワインは有名で、ブルゲンラントショプロンヴィッラーニなど著名な産地があるが[15]、中でもトカイトカイワインはワインの王と言われる。農業ではパプリカが名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウの飼育も盛んであり、ドナウ川西岸(ドゥナーントゥールハンガリー語版地方)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラもよく輸出されている。

工業

北部の都市エステルゴムにあるスズキ工場は6,000人の従業員を抱える

第二次世界大戦前のハンガリーは肥沃な土壌と計画的な灌漑設備により、農業国として成立していた。そのため、食品工業を中心とした軽工業が盛んであった。第二次世界大戦後、社会主義下の計画経済によって重工業化が進められた。特に車両生産、一般機械が優先され、化学工業と薬品工業がそれに次いだ。しかし、有機鉱物資源とボーキサイトを除くと工業原材料には恵まれておらず、輸入原材料を加工し輸出するという形を取った。1970年代には工業を中心とする貿易が国民所得の40%を占めるまで成長した。

共産主義体制から資本主義体制に転換後、1990年代初頭においては、化学工業の比重が次第に大きくなっていく傾向にあった。2003年時点では全産業に占める工業の割合がさらに高まっており、輸出額の86.8%を工業製品が占めるに至った。さらに貿易依存度は輸出54.5%、輸入59.2%まで上がっている。品目別では機械工業が再び盛んになっており、輸出に占める比率は電気機械36.1%、機械類16.2%、自動車8.2%である。世界シェアに占める比率が高い工業製品は、ワイン(1.7%、49万トン)、硝酸(1.5%、31万トン)である。

鉱業

ハンガリーの鉱業は、燃料に利用できる亜炭ボーキサイトが中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブダペストの西方50キロに位置するタタバーニャ近郊の2か所に広がる。油田は中央南部セゲド近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。

金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブダペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。このほか、小規模ながらマンガンウランの採掘も見られる。

ハンガリーの通貨単位の変遷