パプアニューギニア独立国
Independent State of Papua New Guinea(英語)
Independen Stet bilong Papua Niugini(トク・ピシン)
Papua Niu Gini(ヒリモツ語)
パプアニューギニアの国旗 パプアニューギニアの国章
国旗 国章
国の標語:多様性は団結なり
国歌すべてのものよ立ち上がれ
パプアニューギニアの位置
公用語 英語トク・ピシンヒリモツ語
首都 ポートモレスビー
最大の都市 ポートモレスビー
政府
女王 エリザベス2世
総督 ボブ・ダダエ英語版
首相ジェームズ・マラペ
面積
総計 462,840km253位
水面積率 2.2%
人口
総計(2008年 6,732,000人(107位
人口密度 12人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 342億6,100万[1]キナ
GDP(MER
合計(2013年 160億[1]ドル(113位
GDP(PPP
合計(2013年198億[1]ドル(129位
1人あたり 2,833[1]ドル
独立
 - 日付
オーストラリア信託統治より
1975年9月16日
通貨 キナPGK
時間帯 UTC +10 ~ +11(DST:なし)
ISO 3166-1 PG / PNG
ccTLD .pg
国際電話番号 675

パプアニューギニア独立国(パプアニューギニアどくりつこく)、通称パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別オブザーバーであるが、地理的にはオセアニアに属する。オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置する。イギリス連邦加盟国かつ英連邦王国の一国であり、非白人が国民の多数を占める国としては英連邦王国のうち人口最多・面積最大の国である。

国名

トク・ピシンにおける正式名称はIndependen Stet bilong Papua Niugini。通称 Papua Niugini。略称は PNG。

日本語の表記はパプアニューギニア独立国。通称はパプアニューギニア。他に、パプニューギニア、パプアニューギニ、パプニューギニ、という表記もされる。「パプア」と「ニューギニア」の間に、中黒(・)を入れることも多い。

パプアニューギニアは、元々あったパプアニューギニアが合併してできた国である[2]。パプアニューギニアの南側は、旧イギリス領(のちにオーストラリア領)で、メラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉から、パプア(オーストラリア領パプア準州)と呼ばれた[2]。一方、北側は、旧ドイツ領(のちにオーストラリア委任統治領)で、メラネシア人がアフリカギニア人に似ているところから、スペイン人の探検家がニューギニアと名付けた[2]

なお、ニューギニア島の西半分は、かつてはオランダ領ニューギニアであり、現在はインドネシアに併合され「パプア州」という名称である。

歴史

ニューギニア島はオーストラリア大陸と共にゴンドワナ超大陸を構成していたが、白亜紀に始まった大陸分裂で、オーストラリア大陸と南極大陸は4500万年前に分離し、ヒマラヤ山脈と同じ頃にニューギニア中央山脈も形成された。氷河期にはニューギニアとオーストラリアは地続きで、サフル英語: Sahul、あるいはMeganesia - メガネシア)と呼ばれる一つの陸地であった。

この地域において、約6万年前の東南アジア方面から来たと思われる人類の痕跡が見つかっている。約5000年前、ニューブリテン島中央部のタラセアにおいて、貝の貨幣「シェルマネー」が作られた。これが最古の貝貨とされている。

ポルトガル人の到来

1526年 ポルトガル人メネセスが来航、パプアと命名した。

オランダ・ドイツ・イギリス植民地

イギリス統治地代の農村(1885年

19世紀の植民地主義の時代、1828年 ニューギニア島を東西に分割し、1848年に西半分をオランダが併合、1884年には東半分をオーエン・スタンレー山脈ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが獲得した。南部は1901年にイギリスから独立したオーストラリアに継承された。

オーストラリア委任統治領

日本軍を攻撃するオーストラリア軍

1914年からの第一次世界大戦にドイツが敗北すると、ドイツ領ニューギニアであった島の東北部は、国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となった。

1941年からの太平洋戦争では、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランドブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙った。しかし、1942年5月に行われた珊瑚海海戦の結果、海からのポートモレスビー攻略を諦め、1942年8月にはソロモン海岸からオーエン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦が実行された。ここでも飢えとマラリアの為に多くの死者を出して撤退し、その後、制海権制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの日本軍は、「ジャワの極楽ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア[3]と評される凄惨な状況となった。

オーストラリア委任統治領パプアニューギニア自治政府

1949年、オーストラリアは南東部と北東部を一行政単位に統合して「パプアニューギニア」とし、西部はオランダ領ニューギニア1949年 - 1962年)となった。

1961年にオランダは島の西部を西パプア共和国として独立を認めたが、インドネシアが侵攻したため(パプア紛争1963年–現在)、国連による暫定統治を経て、インドネシアへ併合されてイリアンジャヤ州となった。

1964年、自治政府初の選挙が行われ、54名が当選、1968年、自治政府2回目の選挙で、84名が当選。同年、禁酒法が廃止となる。1971年 自治政府が、国旗、国歌、国章などを採択。1972年、第3回自治政府選挙で100名が当選。この選挙で、マイケル・ソマレが連立政権を樹立。

独立

1975年9月16日、独立の丘でオーストラリアの国旗を降ろし、パプアニューギニア国旗を掲揚する儀式を経て、「パプアニューギニア独立国」として独立した。それまでの自治政府議会が国会となり、初代首相マイケル・ソマレは紛争を行うことなく平和的に独立を成し遂げた独立の父として「チーフ」と呼ばれて崇められ、通貨(50キナ札)にもその肖像画が描かれている。

1976年、地続きで国境を接しているインドネシアが加盟しているASEAN閣僚会議オブザーバーとして初参加し、1981年には特別オブザーバーの地位を得ている。

1983年に各州における自治の失敗を受けて、中央政府の権力が強化。1985年、民族的緊迫により、ポートモレスビーで非常事態宣言発令。

1986年のASEAN閣僚会議で東南アジア諸国連合に正式に加盟を申請して以降、現在まで加盟を希望しているが、パプアニューギニアが東南アジアではないことからASEAN諸国は正式加盟には否定的である。

ブーゲンビル危機

1988年ブーゲンビル島ブーゲンビル自治州)でフランシス・オナ英語版を中心とするグループが、パングナ英語版の銅山(リオ・ティント傘下のBougainville Copper Ltdが所有)の閉鎖、ブーゲンビルの分離・独立(en:Republic of the North Solomons)を求めてブーゲンビル革命軍(BRA)を構成し、鎮圧を試みた政府軍との間に内戦が始まった。1992年にはソロモン諸島 ショートランド諸島を、革命軍(BRA)への支援を理由に政府軍を攻撃した。当初、容易に鎮圧可能と見られていたブーゲンビル危機英語版は休戦と戦闘再開を繰り返し長期化した。

1997年には紛争鎮圧を狙ってイギリスの民間軍事会社サンドライン・インターナショナル傭兵派遣契約を結んだことが国外のメディアリークされ、現役の国防軍英語版司令官ジェリー・シンギロック英語版ジュリアス・チャン英語版(陳仲民)首相の退陣を求めてクーデター騒ぎを起こし、全国で戒厳令が発令されるなど泥沼化した(サンドライン・クライシス, en:Sandline affair)。

2001年8月30日に武器の放棄、紛争中の戦争犯罪に対する恩赦、ブーゲンビル自治政府の容認、将来のパプアニューギニアからの独立に関しては住民投票で決定する、などの条項を盛り込んだ「ブーゲンビル平和協定」がアラワで調印され、平和への歩みが再開された。

ブーゲンビル自治領

2005年にはブーゲンビル自治領で初の大統領選挙が行われ、元ブーゲンビル革命軍のジョセフ・カブイ英語版が初代大統領英語版に就任した。和平協定に盛り込まれた将来的な政治的立場を問う住民投票は、2019年11月23日から12月7日までの予定で実施されている[4]

2019年12月11日、住民投票の開票結果が発表された。投票者の98%に当たる17万6928人が賛成票を投じ、パプアニューギニア残留に票を投じたのは3043人にとどまった。新国家誕生の可能性が高まった[5]

政治

国会議事堂

国家元首は、イギリスの国王(または女王)(現在はエリザベス2世女王)。象徴的地位であり、任命などの権限は、議会内閣の決定に従い行使される。その職務は、総督が代行する。

行政府の長である首相は、議会総選挙後、第1党党首が総督により指名される。閣僚は、首相の推薦に従い総督が任命する。

議会は、一院制。全109議席で、全国を89の小選挙区に分けられ、20議席は州の代表として、選挙によって選出される。州代表の議席を獲得した国会議員は、国務大臣にならない限り、自動的に当該州の知事となる。任期5年。

政党は全て小規模で、単独で組閣が出来ないため、常に連立内閣となっている。2007年の総選挙[6]で最多の国会議員を当選させ、連立の中心となって組閣した国民同盟党(NAP) でさえ、27議席であった。

政治は男性中心で、女性議員はこれまで数えるほどしか当選していない。2007年総選挙でも多くの女性候補が男性中心の政治に挑戦したが、現職のキャロル・キドゥのみが再選され、現在女性国会議員は1名のみである。2008年には、選挙とは別に女性の代表を国会に参加させる法案が審議されている。

外交においては、旧宗主国であり、現在でも最大の援助国であるオーストラリアとの関係が最重要であるが、近年、オーストラリアから派遣の警察官のパプアニューギニアにおける治外法権が違憲と判決されて即時撤退を余儀なくされたり(ECPの撤退)、オーストラリアの依頼によってポートモレスビーで逮捕された隣国ソロモン諸島の検事総長を夜間、軍用機でソロモンまで逃がした事件(モティ事件)などの問題で関係がこじれていた。2007年12月にオーストラリアで誕生したラッド政権は関係改善に取り組み、就任早々の2008年3月、ラッド首相のパプアニューギニアへの公式訪問が実現した(なお、前任のハワード前首相は11年の任期の内で一度もパプアニューギニアへの公式訪問が無かった)。

国際関係

日本との関係

駐日パプアニューギニア大使館

  • 住所:東京都目黒区下目黒五丁目32-20
  • アクセス:JR山手線目黒駅西口徒歩17

行政区画

Papua New Guinea map.png
行政区画

21の (province) と首都区から成る。各州は4つの地方 (Region) に分ける事が出来る。州都を後ろに記した。

山岳地方
シンブ州の旗 シンブ州 (Simbu; チンブ州とも) - クンディアワ英語版
西部山岳州の旗 西部山岳州 (Western Highlands) - マウントハーゲン
東部山岳州の旗 東部山岳州 (Eastern Highlands) - ゴロカ
南部山岳州の旗 南部山岳州 (Southern Highlands) - メンディ
エンガ州の旗 エンガ州 (Enga) - ワバック英語版
ヘラ州の旗 ヘラ州 (Hela) - タリ英語版
ジワカ州の旗 ジワカ州 (Jiwaka) - Minj
島嶼地方
西ニューブリテン州の旗 西ニューブリテン州 (West New Britain) - キンベ英語版
ニューアイルランド州の旗 ニューアイルランド州 (New Ireland) - カヴィエン
東ニューブリテン州の旗 東ニューブリテン州 (East New Britain) - ココポ
ブーゲンビル州の旗 ブーゲンビル自治州 (Bougainville; 北ソロモン州とも) - 一時的にブカアラワに戻す予定)
マヌス州の旗 マヌス州 (Manus) - ローレンガウ英語版
モマセ地方
サンダウン州の旗 サンダウン州 (Sandaun; 西セピックとも) - ヴァニモ英語版
東セピック州の旗 東セピック州 (East Sepik) - ウェワク
マダン州の旗 マダン州 (Madang) - マダン
モロベ州の旗 モロベ州 (Morobe) - ラエ
パプア地方
ポートモレスビーの旗 首都区 (National Capital District) - ポートモレスビー
オロ州の旗 オロ州 (Oro; 北部州とも) - ポポンデッタ
西部州(パプアニューギニア)の旗 西部州 (Western; フライ州とも) - ダル
中央州(パプアニューギニア)の旗 中央州 (Central) - ポートモレスビー
ミルン湾州の旗 ミルン湾州 (Milne Bay) - アロタウ
パプアニューギニアの地方
  山岳地方
  島嶼地方
  モマセ地方
  パプア地方
PapuaNewGuineaOMC.PNG

パプアニューギニアはオセアニア州に属し、ニューギニア島東半分とビスマルク諸島ルイジアード諸島アドミラルティ諸島ダントロカストー諸島など1万近くので成り立っている島嶼国家である。

ニューギニア島中央部は3000メートルから4500メートル級のビスマーク山脈およびオーエンスタンレー山脈となっている。最高峰はウィルヘルム山(標高4,509m)。赤道に近いが降雪がある。高山部分以外は熱帯雨林に覆われており、セピク川とフライ川を囲んで湿地が広がる。島嶼部も含め、海岸にはサンゴ礁が発達している。なお、ニューブリテン島などは火山である。地質的にはいくつものプレートが衝突するエリアに位置するため、地震も頻発する。

主な島