ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18


スキッドモア大学管弦楽団による演奏

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ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18は、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフが作曲した2番目のピアノ協奏曲である。

概要

作曲時期は、1900年秋から1901年4月[1]。第2楽章と第3楽章が1900年12月2日に初演された後、全曲初演は1901年11月9日(ユリウス暦 10月27日)に、ソリストに再び作曲者を、指揮者には従兄アレクサンドル・ジロティを迎えて行われた[2]。その屈指の美しさによって、協奏曲作家としての名声を打ち立てたラフマニノフの出世作である[3]。発表以来、あらゆる時代を通じて常に最も人気のあるピアノ協奏曲のひとつであり、ロシアロマン派音楽を代表する曲の一つに数えられている。

多くのラフマニノフのピアノ曲と同じく、ピアノの難曲として知られ、きわめて高度な演奏技巧が要求される。たとえば第一楽章冒頭の和音の連打部分において、ピアニストは一度に10度の間隔に手を広げることが要求されており、手の小さいピアニストの場合はこの和音塊をアルペッジョにして弾くことが通例となっている。

作曲の経緯

ラフマニノフ、1900年代初頭

ラフマニノフの《交響曲第1番》は、今でこそ重要な業績と看做されているが、1897年の初演時には批評家の酷評に遭った[4]。私生活における問題も相俟って、ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱におそわれる。

しかし、1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させた。最大の難関として立ちはだかった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させた。初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得た。本作品の成功は、ラフマニノフがそれまでの数年間にわたるうつ病スランプを抜け出す糸口となった。作品は、ラフマニノフの自信回復のためにあらゆる手を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈された[5]

楽器編成

伝統的な2管編成。演奏時間は約35分。