フランス革命
サン・キュロットに扮した歌手シュナール』
(1792年、ボワイユ画)
種類 市民革命
目的 自由・平等・友愛
対象 旧体制アンシャン・レジーム
結果 王政と旧体制が崩壊
封建的諸特権は撤廃され、近代的所有権が確立
革命の結果による国有財産の所有者の移動が追認された。
ナポレオン・ボナパルトの台頭
フランス革命戦争の発生
発生現場 Royal Standard of the King of France.svg フランス王国
指導者 フランス革命関連人物一覧
関連事象 ハイチ革命
フランス7月革命
フランス2月革命
奴隷制廃止運動
フランスの歴史
フランス国章
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フランス ポータル
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フランス革命(フランスかくめい、: Révolution française, : French Revolution 1789年5月5日 – 1799年11月9日[1])は、フランスの資本主義革命(ブルジョア革命)[2]。フランス革命を代表とする資本主義革命は、封建的な残留物(身分制領主制)を一掃し、

を成し遂げた[2][3]

フランス革命はアメリカ独立革命と共に、資本主義革命の典型的事例である[2]。フランスでは旧支配者(宗教家君主貴族)の抵抗が極めて激しかったため、諸々の階級対立闘争が最も表面化した[2]

概要

アンシャンレジームを風刺した画
(第三身分者が聖職者と貴族を背負う)

フランス革命は世界史上の代表的な市民革命であり、前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命。フランス革命戦争を通して、カリブ海から中東まで戦争が波及した。歴史家はフランス革命を世界史の中で最も重要な出来事の一つであると見なしている[4][5][6]

1787年ブルボン朝絶対王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、1789年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、政治体制は絶対王政から立憲王政、そして共和制へと移り変わった。さらに1794年のテルミドール反動ののち退潮へ向かい、1799年にナポレオン・ボナパルトによるクーデターと帝政樹立に至る(1799年11月9日ブリュメール18日のクーデター[注 1])。一般的には1787年の貴族の反抗から1799年のナポレオンによるクーデターまでが革命期とされている。

フランスの王政とアンシャン・レジームが崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃されて近代的所有権が確立される一方、アッシニア紙幣をめぐって混乱が起こった。

経緯・展開

当時のフランスでは啓蒙思想家であるルソー百科全書派であるヴォルテールにより、社会契約説が多くの知識人に影響を与えた。それに共感した国民が当時の社会体制(アンシャン・レジーム)に対する不満を鬱積させた。ブルボン朝政府、特にルイ16世はこれを緩和するために漸進的な改革を目指したが、特権階級と国民との乖離を埋めることはできなかった。

1789年7月14日バスティーユ襲撃を契機としてフランス全土に騒乱が発生し、第三身分(平民)らによる国民議会(憲法制定国民議会)が発足し、革命の進展とともに絶対王政と封建制度は崩壊した。

革命の波及を恐れるヨーロッパ各国の君主たちはこれに干渉する動きを見せ、反発する革命政府との間でフランス革命戦争が勃発した。フランス国内でも、カトリック教会制度の見直し、ルイ16世の処刑などのギロチンの嵐、ヴァンデの反乱といった内乱、ジャコバン派恐怖政治、繰り返されるクーデター、それらに伴った大量殺戮などによって混乱を極めた。革命は1794年テルミドールのクーデターによるジャコバン派の粛清で転機を迎えたが、不安定な状況は1799年ブリュメールのクーデター1801年にフランス政府がローマ教皇コンコルダートを結んで和解するまで続いた。最終的な決着は、第三共和政の成立を待たねばならず、革命勃発より80数年がかかった。

その後多くの国家がフランス革命時に掲げられた理念を取り入れている。民法メートル法など、フランス革命が生み出した制度も後世に受け継がれた。

革命前夜

時代背景

ヴォルテール

18世紀ヨーロッパ各国では、自然権平等主義社会契約説人民主権論など理性による人間の解放を唱える啓蒙思想が広まっていた。責任内閣制を成立させ産業革命が起こりつつあったイギリス、自由平等をアメリカ独立宣言で掲げて独立を達成したアメリカ合衆国は、他国に先駆けて近代国家への道を歩んでいた。プロイセンロシアでも、絶対君主制の枠を超えるものではなかったものの、政治に啓蒙思想を実践しようとした啓蒙専制君主が現れた。アンシャン・レジームに対する批判も、ヴォルテールルソーといった啓蒙思想家を中心に高まっていたのである。

しかしフランスでは18世紀後半でも、君主主権が唱えられブルボン朝による絶対君主制の支配(アンシャン・レジーム)が続いていた。アンシャン・レジーム下では、国民は三つの身分に分けられており、第一身分である聖職者が14万人、第二身分である貴族が40万人、第三身分である平民が2600万人いた。第一身分と第二身分には年金支給と免税特権が認められていたのである。

深刻な財政危機

ルイ16世
ジャック・ネッケル

1780年代、フランスでは45億リーブルにもおよぶ財政赤字が大きな問題になっていた。赤字が膨らんだ主な原因は、ルイ14世時代以来続いた対外戦争の出費と宮廷の浪費、ルイ15世時代の財務総監ジョン・ローの開発バブル崩壊など、先代、先々代からの累積債務がかさんでいたことで、それに加えて新王ルイ16世が後述の財政改革の途中にアメリカ独立戦争への援助などを行い、放漫財政を踏襲したことで破産に近づいた。当時の国家財政の歳入は5億リーブルほどであり、実に歳入の9倍の赤字を抱えていた事になる。

そこで国王ルイ16世は1774年ジャック・テュルゴーを財務長官に任命し、財政改革を行おうとした。第三身分からはすでにこれ以上増税しようがないほどの税を徴収していたので、テュルゴーは聖職層と貴族階級の特権を制限して財政改革を行おうとした。しかし貴族達は猛反発し、テュルゴーは十分な改革を行えないまま1776年に財務長官を辞任する。

ルイ16世は次に銀行家ネッケルを財務長官に任命した。ネッケルは反対の大きい税制改革よりも構造改革によるリストラと募債によって財務の改善をめざしたが、失敗して赤字幅を逆に増やし、続いて免税特権の廃止によって税務の改善を図ったが、特権身分の反対にあってやはり挫折し、1781年に罷免された[8]

また大きな背景要因として、1783年にアイスランドの地で起きていたラキ火山噴火噴煙によるヨーロッパ全域での日照量激減によってもたらされた農作物不作が上げられ、これは収穫量減少と飢饉を引き起こした[9][注 2]。これにより都市部への穀物供給は滞り、食糧事情を悪化させただけでなく、小麦の価格が前年に比べて4割も高騰し[10]パンの価格の上昇による貧困を生み出した。国庫収入も激減し、債務償還も暗礁に乗り上げる。

全国三部会の召集

ネッケルの後任財務長官たちも課税を実現しようとしたが(1783年,カロンヌ-1785年,ブリエンヌ)、特に貴族階級の抵抗で辞職に追い込まれ、1788年、再び招聘されたネッケルは三部会の開催を就任の条件とした(参照:ジャック・ネッケル)。 パリ高等法院[注 3]は、全国三部会[注 4]のみが課税の賛否を決める権利があると主張して、第三身分の広い範囲から支持を受けた[11]。国王は1788年7月に全国三部会の開催を約束した。翌1789年に各地で選挙が行われて議員が選出され、5月5日、ヴェルサイユで開会式が行われた。国王は三部会を主導しての問題解決を目論んでいた。しかし税の不平等負担への第三身分の鬱積はすでに頂点に達しており、複雑化・多様化した国内事情ゆえ、従来の身分制では問題を解決できなかった。

三部会が始まるとすぐに議決方法で議論が紛糾した。特権階級である第一、第二身分は利害を同じにするのでほぼ同じ意見を持っており、身分ごとに議決を行う方法を主張した。つまり第一、第二身分の部会が同じ議決を行えば、第三身分の部会が否決しても、2対1で可決されるという方式である。これに対し第三身分は全ての議員1人が1票を持つ、三部会合同の議決を主張した。第三身分の議員の人数(621名)が、第一(308名)・二身分(285名)の合計よりも多かったことから、第三身分の総意が議決を決めるというわけである。議決方法をめぐる討議は40日間も堂々巡りを続けた。

球戯場の誓い

ダヴィッドによる『球戯場の誓い』。

議論が進まない事に愛想をつかした第三身分の代表達は、三部会に見切りをつけ、自分達だけの議会「国民議会」を発足させる。そしてヴェルサイユ宮殿の室内球戯場に集まり、憲法を制定する事と国王が国民議会を正式な議会と認めるまで解散しない事を誓った(球戯場の誓い・テニスコートの誓い)。ただし、ミラボーや一部の議員の中には、国王の承認なしに議会をフランスの代表とする事に懸念を示す者もいた。

第一身分、第二身分代表中にも、アンシャン・レジームに無理がある事を理解している者がおり、そうした者たちも国民議会に参加した。国民議会との軋轢を避けたいルイ16世は、国民議会を正式な議会として承認し、王の説得により他の第一身分・第二身分の議員も合流した。承認を得た国民議会は憲法制定国民議会と改称して憲法制定に着手する。内心では議会を承服しかねるルイ16世ではあったが、事態を収拾し、改革の芽を残すには止むを得ない手段であった。しかし特権貴族や王族はこれに反対し、第三身分に圧力をかけるため、軍隊をヴェルサイユとパリに集結させる事を国王に強要した。

革命勃発