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ベトナム社会主義共和国
Cộng hoà Xã hội chủ nghĩa Việt Nam
(共和社會主義越南)
ベトナムの国旗 ベトナムの国章
国旗 国章
国の標語:Độc lập - Tự do - Hạnh phúc
漢字独立自由幸福
国歌Tiến Quân Ca(ベトナム語)
進軍歌
ベトナムの位置
公用語 ベトナム語(越南語)
首都 ハノイ(河内)
最大の都市 ホーチミン市(胡志明市)
政府
党書記長グエン・フー・チョン
国家主席 グエン・スアン・フック
国家副主席 ヴォ・ティ・アイン・スアン
政府首相ファム・ミン・チン
国会議長ヴオン・ディン・フエ
面積
総計 331,212km264位
水面積率 1.3%
人口
総計(2019年 96,208,984人(14位[1]
人口密度 290人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2018年 5,535兆2,675億[2]ドン
GDP(MER
合計(2018年2372億[2]ドル(58位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2018年7,105億[2]ドル(34位
1人あたり 7,505[2]ドル
独立
フランスより独立宣言
ベトナム民主共和国
1945年9月2日
独立承認
ジュネーヴ協定
1954年7月21日
南北統一、改称1976年7月2日
通貨 ドンVND)(₫ / Đồng; 銅)
時間帯 UTC(+7) (DST:なし)
ISO 3166-1 VN / VNM
ccTLD .vn
国際電話番号 84
ベトナム
ベトナム社会主義共和国の国章

ベトナムの歴史


主な出来事
仏領インドシナ成立
東遊運動 · 日仏協約
仏印進駐 · 大東亜戦争
マスタードム作戦
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ディエンビエンフーの戦い
ジュネーヴ協定 · 南北分断
トンキン湾事件 · ベトナム戦争
パリ協定 · 西沙諸島の戦い
サイゴン解放
カンボジア・ベトナム戦争
中越戦争 · 中越国境紛争
ドイモイ
スプラトリー諸島海戦


ベトナム共産党
南ベトナム解放民族戦線
共産主義
ホー・チ・ミン思想


「国家」
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
ベトナム社会主義共和国
越南民国臨時政府


人物
ファン・ボイ・チャウ
グエン・タイ・ホック
バオ・ダイ
ホー・チ・ミン
ヴォー・グエン・ザップ
レ・ドゥク・ト
レ・ズアン
ゴ・ディン・ジエム
ゴ・ディン・ヌー
マダム・ヌー
グエン・ミン・チェット
グエン・カオ・キ
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン
グエン・フー・チョン


言語
ベトナム語 · チュノム · チュハン
チュ・クオック・グー

[]

ベトナム越南、えつなん、ベトナム語Việt Nam/ 越南、ヴィエットナム) 、全称はベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、ベトナム語Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam/ 共和社會主義越南)は、東南アジアインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家ベトナム共産党による一党独裁体制下にある。首都ハノイ東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国。人口約9,936万人(2021年)。通貨はドン

インドシナ半島の東海岸をしめるベトナムの国土は南北に長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジア国境を接する。東と南は南シナ海に面し、フィリピンボルネオ島マレーシア連邦ブルネイインドネシア)そしてマレー半島(マレーシア連邦およびタイ王国南部)と相対する。

南シナ海南部のスプラトリー諸島を「長沙諸島」(ちょうさしょとう、ベトナム語Quần đảo Trường Sa/ 群島長沙、クァンダオ チュオンサ)と呼称して自国領と主張し、一部を実効支配している。南シナ海中部のパラセル諸島(ベトナム名は「黄沙諸島」)に付いても領有権を主張しているが、中国の実効支配下にある。過去には、中華人民共和国民主カンプチアとの武力衝突もある[3]

概要

中国南東岸に住む諸族である百越のうち駱越が南下して、の時代には中国の支配を受けたが、10世紀に独立[4]丁朝李朝陳朝黎朝阮朝などの王朝支配を経て、19世紀後半にフランス植民地に編入された[4]第二次世界大戦中の日本軍の進駐と戦後の第一次インドシナ戦争を経てフランス植民地体制が崩壊し、国土は共産主義陣営のベトナム民主共和国(北ベトナム)と資本主義陣営のベトナム共和国(南ベトナム)に分裂。ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)を経て南ベトナムの政権が崩壊し、1976年に統一国家としてベトナム社会主義共和国が成立した[5]

政治体制はベトナム共産党による一党独裁体制である[6][7]エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界136位と後順位で「独裁政治体制」に分類されている(2019年度)[8]。また国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも下から6番目の175位と後順位であり、最も深刻な状況にある国の一つに分類されている(2020年度)[9]

人権状況についてヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府が言論、結社、報道、信仰など人民のあらゆる基本的自由を制限しており、刑事司法は政府からの独立性に欠け、警察は自白を引き出すために拷問を多用するという人権侵害が極めて深刻な国であることを報告している[10]

経済面では、1978年のカンボジア侵攻後の国際的孤立の中で国際収支が悪化して経済危機に陥り、干ばつや洪水などの自然災害による食糧不足などが重なって大量の難民を出す事態に陥った[4]。その対策として1986年ドイモイを打ち出し、経済の自由化を進めた。外国資本の導入で製造業は活況を呈し、南シナ海で石油の開発が進んで原油が重要な輸出品になっている[5]。他方でドイモイの進展で貧富の格差は拡大している[4]

外交面ではベトナム戦争以来親ソビエト連邦外交を基調としたため、ソ連と対立する中華人民共和国と関係が悪化。1977年国連に加盟するも、1978年に親中反ソ派のポル・ポト政権下のカンボジア侵攻したため、1979年に中国のベトナム侵攻を招き[11]、国際的に孤立した[5]ソ連崩壊後の1991年に中越戦争で交戦した中華人民共和国と、1995年にはベトナム戦争で交戦したアメリカ合衆国と国交を回復し、ASEANにも加盟した[4]。近年は南沙諸島など南シナ海への実効支配を強める中国との対立が深まっており[12]2010年代以降はアメリカ軍やASEANと合同軍事演習を行うなど中国けん制の姿勢を強めている[13][14]

軍事面では18歳から25歳の男性を対象に兵役期間2年の徴兵制を敷いており[15]ベトナム人民軍は50万弱の兵力を有する[16]。軍事力は軍事ウェブサイトの グローバル・ファイアパワー (GFP) が発表する「2020 Military Strength Ranking」によれば世界22位で、東南アジアでは第2位である[17]

人口は9762万人(2020年ベトナム統計総局)。住民はキン族(ベトナム人)が約86%を占め、他にミャオ族チャム族など53の少数民族が存在し、中国人も暮らしている[4][18]

宗教は仏教徒が多いが、カオダイ教ホアハオ教、フランス植民地時代からのカトリックも存在する[4]。憲法上は信教の自由を認めているが、実際には政府による強力な規制・監督が敷かれており、アメリカから信教の自由の改善を要請されている[19]

公用語はベトナム語で住民の大半が使用しているが、一部に少数民族の言語も存在する[4]。表記方法としては古くは漢字が用いられ、13世紀からはチュノムという漢字を基に作られた独自の民族文字が使用されるようになったが、フランス統治時代以降はチュ・クオック・グーと呼ばれるローマ字表記が用いられており、現在は漢字とチュノムは廃れている[20]

地理としてはインドシナ半島の東半部、トンキン湾、南シナ海に沿うS字形の南北に細長い国土である。北部はソンコイ川の形成する 紅河デルタとそれを囲む山岳地帯から成り、中部はアンナン山脈が急崖をなして南シナ海岸に迫る狭い地域であり、最狭部では東西の幅が約50kmである。南部は主としてメコン川メコンデルタからなる。首都はハノイ[4]

国名

正式名称はベトナム語で "Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam" (Công hoà xa hoi chu nghia Viêt Nam.oga 聞く)。略称は "Việt Nam" (ベトナム語発音: [viət˨ næm˧] ( 音声ファイル))である。ベトナム語の漢字チュハン)では「共和社會主義越南」「越南」となる。

1802年に現代とほぼ変わらない領土で統一した人物は、阮朝の創始者の阮福暎(嘉隆帝)である。1804年には嘉慶帝から越南国王封ぜられ、「越南」を正式の国号とした、阮朝は最初清に「南越」の号を求めたが、嘉慶帝は「越南」という国号を与えた。「南越」という国号に阮朝の領土的野心を警戒したという見方もある。

ロシア語で「Вьетнам」と書き、ラテン文字表記法の学術表記で「V'etnam」になる。日本語表記は「ベトナム」となるが、ベトナム語による「Việt」の正しい発音は「ベト」ではなく「ヴィエッ」であることから、一部文献等では「ヴィエトナム」「ヴィエットナム」等の表記もみられる。漢字による表記では「越南」(えつなん)と書くこともあり、(えつ)と略す。現在の日本国外務省では「ベトナム」「ベトナム社会主義共和国」の表記を用いるが、かつてはベトナム語の発音に近い「ヴィェトナム社会主義共和国」の表記となっていた。

公式の英語表記は "Socialist Republic of Vietnam" 、略称は "Vietnam"、または "SRV"。1976年6月24日、ベトナム戦争後初の南北統一国会(第6期国会第1回会議)が招集され、7月2日の国会決議により現在の国名が決定された[21]。2013年の憲法改正時に、「ベトナム社会主義共和国」の国名を、1945年ベトナム八月革命によって独立した時の国名「ベトナム民主共和国」に改める動きが報じられた[22][23] が、改正案から国名変更部分は除外され、変更はされなかった[24]

歴史

ベトナムの歴史
青龍
文郎国
甌雒
南越
第一次北属期
前漢統治)
徴姉妹
第二次北属期
後漢六朝統治)
前李朝
第三次北属期
南漢統治)
呉朝
丁朝
前黎朝
李朝

陳朝
胡朝
第四次北属期
統治)
後陳朝
後黎朝前期
莫朝
後黎朝
後期
南北朝
莫朝
南北朝
後黎朝後期
阮氏政権 鄭氏政権
西山朝
阮朝
フランス領
インドシナ
ベトナム帝国
コーチシナ共和国 ベトナム
民主共和国
ベトナム国
ベトナム
共和国
南ベトナム
共和国
ベトナム社会主義共和国

石器文化

今からおよそ30 - 40万年前の地層から人類ハノイ北方のタムハイにあるタムクエン洞窟(ランソン省)で発見されている。他の場所からも、例えばクアンイエンのド山(タインホア省)、スアンロク(ドンナイ省)から打製石器剥片石器がたくさん発見されている。また、タムオム(ゲアン省)、ハンフム(イエンバイ省)、トゥンラン(ニンビン省)、ケオレン(ランソン省)などからも人類の足跡が発見されている[25]

今からおよそ2 - 3万年前、現代人(現生人類)の祖先と言われている新人(ホモ・サピエンス)が現れた。彼らの遺跡は、グオム石窟(タイグエン省)、ソンビー(フート省)やライチャウ、ソンラ、バクザン、タインホア、ゲアンの各省にみられる。彼らの道具の主なものは石斧で、万能石器である[26]

最終氷期が終わり、地球規模で温暖化が始まった約1万年前から4000年前の人類の遺物や洞窟が発見されている。ホアンビン、バクソン(ランソウン省)、クインバン(ゲアン省)、ハロン(クアンニン省)、バウチョー(クアンビン省)では、前段階よりも石器が改良され、多種の石材を使い様々な用途に使用できる石器が製作されるようになっていた。今までの打製石器だけではなく刃を研磨した道具の短斧・右肩石斧などの磨製石器がつくられている。その他には、自然石の礫石器や動物の骨や歯を利用した骨角器が造られた。また、パクソン、クインバン、ハロンでは、土器を伴い、石製のが見つかっている。これらの遺物から生活様式が発展したことがうかがえる。たとえば、土器の使用により、煮炊きでき、食物を保存できるようになり、生活が豊かになってきた。さらに鋤や鍬で森・土地を開墾して農業ができるようになったと推測できる。さらに動物の骨から道具を作っていることから、を飼って畜産を行っていたと考えられる。また、農業や畜産を行うことにより、一定の場所に住み着き、狩猟や採取、場所によっては漁撈が可能になっていたと考えられる[27]

青銅器文化

部族国家群鴻龐朝英語版(現フート省付近の文郎国、山岳部の甌越ベトナム語版紅河デルタ雒越など)を形成していた。これが古越人(後のベト族)である。紀元前4世紀頃から、東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が、北部ベトナムの紅河(ホンハー)流域一帯に広がった。始皇帝によって象郡が置かれ、郡県支配を受けた。蜀泮によって文郎国、甌越、雒越が統合され、甌雒紀元前257年 - 紀元前207年)が成立し、コロアを王都とした。紀元前207年に南越国が成立し、甌雒を併合した。

北属期