မွန်, မောန်, မည် | |
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![]() 伝統的な衣装をまとった少女たち | |
居住地域 | |
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言語 | |
モン語 | |
宗教 | |
上座部仏教 | |
関連する民族 | |
クメール人、モン・クメール語派 |
モン族( - ぞく、Mon)は、東南アジアに住む民族の一つ。古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にミャンマーのペグーに移り住んだのでペグー人(Peguan)とも言う。ラーマン(Raman)あるいはタライン(Talaing; ビルマ語: တလိုင်း IPA: [təlã́ĩ]、ただしこれは旧称で現代ではムン မွန် [mʊ̃̀][2])と呼ばれることもある。その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。
浅黒い肌にギョロリとした目、巻き舌音の多い言語、高床式住居、焼畑耕作、水牛供犠、精霊信仰、魔術、壺酒、精緻な竹藤細工、狩猟・罠、腰機織り、ゴング音楽などが、ラオス国内のモン・クメール民族に共通している[3]。
なお、中国国内に多く住むミャオ族(苗族)の支系で、自称をモン (Hmong) という民族集団とは全く別であり、混同に注意。こちらについてはモン族 (Hmong)またはミャオ族を参照のこと。
紀元前1500年頃には東南アジアに到達していたとされ、現在の東南アジアの少数民族としてはネグリト(オーストラロイド)のマニ族などに次いで古い民族と考えられている。
伝説では、紀元前300年ごろ現在のスパンブリー県周辺にスワンナプーム王国を建国し、紀元前200年ごろにはアショーカ王の遣わした伝道者により上座部仏教を信仰し始めた。しかし、モン族はそれ以前から海路による仏教との接触があったと主張する。4世紀ごろワット・プラパトムチェーディーが建設された。6世紀ごろから11世紀ごろまで東南アジアで繁栄したスワンナプーム王国は、モン文字などを開発し先住の文明民族として東南アジアに君臨した。古代モン語を話していたことが確実視されているが、モン族であったかどうかは確定していない。
ドヴァーラヴァティー王国(6世紀 - 11世紀)。
661年または750年頃、モン族は現在のタイ王国・ランプーンにハリプンチャイ王国(661年 - 1281年)を建てているが、伝説ではコレラが流行し、ランプーンの都をすてて南下した。
南下したモン族は、タトォンにタトォン王国(9世紀 - 1057年)を建てた。
その後大半のモン族は南下を続け、現在の居住地域であるタイとミャンマーの国境地域に到る。
モン語はいわゆるオーストロアジア語族モン・クメール語派に属し、モン文字はブラーフミー文字系の独自の文字である。モン文字はクメール文字と並んでマレー半島や島嶼部を除く東南アジアの文字の形成に大きな役割を果たし、ビルマ文字、ラーンナー文字などの元になった。ラーンナー文字はシャン族のタイ・ルー族に現在も使用されている。