ユーゴスラビアの変遷

ユーゴスラビアは、かつて南東ヨーロッパバルカン半島地域に存在した、南スラブ人を主体に合同して成立した国家の枠組みである。

国名として「ユーゴスラビア」を名乗っていたのは1929年から2003年までの期間であるが、実質的な枠組みとしては1918年に建国されたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国に始まり、2006年に解体されたセルビア・モンテネグロまでを系譜とする。また、その間に国名や国家体制、国土の領域についてはいくつかの変遷が存在する。(詳細は#国名の項目を参照)。

なお、ユーゴスラビアの名は解体後においても政治的事情により、構成国のひとつであった北マケドニアが現在の国名に改名する2019年までの間、同国の国際連合等における公式呼称であった「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」として残存していた。

その国際的位置から『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容される。

概要

首都はベオグラード1918年セルビア王国を主体としたスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国(セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国)として成立。1929年ユーゴスラビア王国に改名された。1945年からは社会主義体制が確立され、ユーゴスラビア連邦人民共和国と改称された[1]

1980年代後半の不況によって各構成国による自治・独立要求が高まり、1991年からのユーゴスラビア紛争により解体された。その後も連邦に留まったセルビア共和国モンテネグロ共和国により1992年ユーゴスラビア連邦共和国が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。この国も2006年にモンテネグロが独立を宣言、その後間もなくセルビアも独立を宣言し国家連合は解消、完全消滅となった。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアモンテネグロ北マケドニアとなっている。また、セルビア国内の自治州であったコソボ2008年にセルビアからの独立を宣言した。コソボを承認している国は2015年8月の時点で国連加盟193ヶ国のうち110ヶ国[2]、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認していない国々からは、依然コソボはセルビアの自治州と見なされている。

バルカン半島に位置し、北西にイタリアオーストリア、北東にハンガリー、東にルーマニアブルガリア、南にギリシア、南西にアルバニアと国境を接し、西ではアドリア海に面していた。

国名

ユーゴスラビアはスロベニア語、およびセルビア・クロアチア語ラテン文字表記でJugoslavijaキリル文字表記でJугославиjаスロベニア語: [juɡɔˈslàːʋija]セルビア・クロアチア語: [juɡǒslaːʋija, juɡoslâʋija])。

日本語での表記はユーゴスラビアもしくはユーゴスラヴィアである。しばしばユーゴと略される。過去にはユーゴースラヴィアという表記が使われていた。[3]

ユーゴスラビアは「南スラブ人の土地」を意味し、南スラヴ人の独立と統一を求めるユーゴスラヴ運動に由来している。国家の名称としては、1918年のセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の成立の頃より通称として用いられていたが、アレクサンダル1世統治時代の1929年に、これを正式な国名としてユーゴスラビア王国と改称された。

国名の変遷