- 停車…全:全ての列車が停車する駅(2016年3月改正時)
- 長距離乗車券の特定都区市内
- 山:
※支線のガーラ湯沢駅は冬期間のみ営業。越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅は書類上は在来線の上越線に属する。
各駅の構造
※新潟駅はこの他に「のりかえホーム」1面があり、3面4線となっている。
その他の特殊な構内配線とホームの形式
配線分類
|
2面4線+通過線
|
3面6線
|
2面4線(終着駅)
|
---|
構内図
|
|
|
|
---|
該当駅
|
高崎駅※
|
大宮駅
|
東京駅
|
---|
※高崎駅は下り方に上越新幹線上り線と北陸新幹線上り線が別線で入線している。
駅名標
上越新幹線では、東北新幹線と同様に、開業時には在来線とほぼ同様の様式の駅名標が設置されていたが、JR東日本発足後に順次同社標準の駅名標に交換されている。
なお、東海道新幹線や山陽新幹線ではそれぞれに独自仕様の駅名標が設置されていたが(前者は1970年代中頃に、後者は国鉄時代末期より順次交換されたため現存していない)、上越新幹線および東北新幹線では独自仕様の駅名標を採用しなかった。
運行形態
東京駅 - 新潟駅間を通して運転する「とき・Maxとき」はおおむね1時間に1 - 3本の運行。停車駅は列車ごとに異なるが、途中上野駅・大宮駅・高崎駅と、越後湯沢駅 - 新潟駅間の各駅に停車するものが標準的である。2013年3月16日のダイヤ改正以前は、朝に1日1往復のみ東京駅 - 新潟駅間ノンストップ列車が存在していた[報道 1]。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間を区間運転する「とき」「Maxとき」は、全列車が各駅停車である。
東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の区間運転列車である「たにがわ」「Maxたにがわ」は、臨時列車や「Maxとき」と併結する列車を除いて全列車が各駅停車である。
2015年3月14日のダイヤ改正で「Maxとき310号」が大宮駅に停車することになったため、大宮駅を通過する上越新幹線の定期列車はなくなった。
ダイヤパターンと停車駅
現行
2019年3月16日現在
下り
種別
|
東京駅 発車時刻
|
東京
|
上野
|
大宮
|
熊谷
|
本庄早稲田
|
高崎
|
上毛高原
|
越後湯沢
|
浦佐
|
長岡
|
燕三条
|
新潟
|
終着
|
---|
とき ◇
|
16分
|
● |
● |
● |
△ |
→ |
▲ |
△ |
△ |
△ |
● |
▲ |
●
|
新潟
| (Max)とき ◇
|
40分
|
● |
● |
● |
△ |
△ |
● |
▲ |
▲ |
▲ |
● |
● |
●
|
新潟
| (Max)たにがわ ◆
|
不定
|
● |
● |
● |
● |
● |
● |
● |
●
|
|
高崎/越後湯沢
| 上り
種別
|
始発
|
新潟
|
燕三条
|
長岡
|
浦佐
|
越後湯沢
|
上毛高原
|
高崎
|
本庄早稲田
|
熊谷
|
大宮
|
上野
|
東京
|
東京駅 到着時刻
|
---|
(Max)とき ◇
|
新潟
|
● |
▲ |
● |
→ |
△ |
△ |
△ |
△ |
△ |
● |
● |
●
|
00分
| (Max)とき ◇
|
新潟
|
● |
▲ |
● |
▲ |
● |
▲ |
● |
△ |
△ |
● |
● |
●
|
28分/40分
| (Max)たにがわ ◆
|
越後湯沢/高崎
|
|
● |
● |
● |
● |
● |
● |
● |
●
|
不定
| - ●:停車 ▲:一部列車通過 △:一部列車停車 →:通過
- ◇:時間帯によってどちらかが運行 ◆:おおむね朝・夕夜間に運行
- ※「たにがわ」「Maxたにがわ」を除いたダイヤパターン化されていない定期列車、臨時列車は掲載していない。
号数の振り方
- とき・Maxとき
- 東京駅 - 新潟駅間:定期列車は300 - 351号、臨時列車は350号台 - 400号台
- 越後湯沢駅 - 新潟駅間:480・481号(共に毎日運転)
- 長岡駅 - 新潟駅間:491号(土休日運休)
1987年に上野駅 - 新潟駅間を途中長岡駅のみに停車する最速達列車に1桁台(例:あさひ1号)の号数が割り当てられた。以降も東京駅 - 新潟駅間の最速達列車に1桁が割り当てられたが、現在は全て上記のように統一されている。なお、繁忙期の一部の臨時列車には1桁や2桁の号数が使われている。
- たにがわ・Maxたにがわ
- 東京駅 - 越後湯沢駅間:定期列車は400 - 417号(ただし、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間で「とき」と併結する定期列車は「とき」の号数を使用)、臨時列車は70号 - 100号代
- 東京駅 - 高崎駅間:470 - 475号(一部は土休日運休)
- 列車番号は、定期列車は基本的に号数+C、臨時列車は4000、8000、9000+号数+Cである。
- また、「たにがわ」「Maxたにがわ」をガーラ湯沢駅まで延長運転する場合は、4000+号数+Cとなる。
ガーラ湯沢駅開業からしばらくの間は、越後湯沢 - ガーラ湯沢間のみを走る「シャトル・ガーラ」が運転されていた。列車番号は92xxCが割り当てられていた。1995年頃からは運転されていなかったが、2015年3月14日のダイヤ改正で「たにがわ」が運転されない時間帯が発生したため、2015年度と2016年度は同区間のみを走る「たにがわ」が運転されることとなった。博多南線同様に全車自由席で、グリーン車は閉鎖されていた。しかし、2017年度はこの区間運転の列車は運転されなくなり、「たにがわ」の運転のない時間帯は、従前から運行されている越後湯沢駅発着の無料シャトルバスを利用することになる[7]。
列車の概要
新潟駅に発着する列車(東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間運転の列車)が「とき」「Maxとき」、それ以外の東京駅 - 高崎駅・越後湯沢間の区間運転列車が「たにがわ」「Maxたにがわ」と分けられている(一部臨時列車を除く)。
1982年の開業当初は東海道・山陽新幹線にならって、「ひかり」に相当する速達タイプを「あさひ」「こだま」に相当する各駅停車タイプを「とき」としていた。
1997年10月1日、JR東日本は、長野新幹線(北陸新幹線東京駅 - 長野駅間)の開業に合わせて東北・上越両新幹線の列車名を運行区間別とする愛称の再編を行った[新聞 1]。それによって東京駅 - 新潟駅間の列車は全て「あさひ」、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車は全て「たにがわ」とし、「とき」の愛称は東北新幹線の「あおば」とともにいったん消滅した[新聞 1]。
しかしながら、後述の理由により「あさひ」の愛称は2002年12月1日のダイヤ改正で廃止され、「とき」の名称が5年ぶりに復活した。
すべての定期列車と一部の臨時列車は、東京寄りに普通車自由席3両(または4両・5両)を連結した一部指定席扱いで運行されるが、とき359号など全車指定席で運行される臨時列車も存在する。
列車愛称
「とき」「Maxとき」
「とき」・「Maxとき」は、東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間で運行される上越新幹線の主力列車。使用車両は、「とき」がE2系・E7系、「Maxとき」が2階建車両E4系である。
最速列車は東京駅 - 新潟駅間の所要時間が1時間37分。途中停車駅は大宮駅のみという列車もあれば、全区間各駅に停車するタイプ・途中本庄早稲田駅のみ通過するタイプも存在する(号数は全て300号台)。またMaxとき310号に限っては、2015年3月13日まで越後湯沢駅 - 東京駅間ノンストップであり、大宮駅も通過した。
2階建車両E4系「Max」で運転する列車のうち、「Maxたにがわ」を併結する列車は高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合を行っている(東京駅 - 越後湯沢駅・高崎駅間は8両編成を2本併結した16両編成、以降新潟駅までは8両編成)。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間のみを走行する区間運転列車は全て各駅停車である。
上越新幹線開業前日の1982年11月14日までは、上野駅 - 新潟駅間の在来線特急列車の愛称だった歴史があり、新幹線開業後も上記の通り各駅停車タイプの列車愛称として承継された。1997年10月1日に東北・上越新幹線の列車愛称再編のため一度消滅したが[新聞 1]、残った「あさひ」と長野新幹線(現:北陸新幹線)「あさま」とは1文字違いのため紛らわしく誤乗が頻発したことや、「佐渡島のトキ」という新潟県を象徴する観光資源とも関係の深い名であったことなどから、新潟県内を中心に「とき」の復活を求める声が廃止直後から強く、新潟県などの関係機関からもJR東日本に対し列車名を「とき」に変更するよう要請が行われた。このような経緯から、2002年12月1日に「あさひ」を「とき」へ改称する形で、5年ぶりの復活を果たした。一度消滅した新幹線の愛称が復活したのは「とき」が唯一の例である。なお、2020年現在用いられている全ての新幹線の愛称のうち2文字のものは「とき」が唯一である。
E7系の追加投入に伴い、2021年秋頃にE4系「Max」の運転を終了する予定[報道 2][報道 3][報道 4][報道 5]。
「たにがわ」「Maxたにがわ」
「たにがわ」「Maxたにがわ」は、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間で運行される近距離列車で各駅に停車する。使用車両は、「たにがわ」がE2系・E7系、「Maxたにがわ」が2階建車両E4系である。
越後湯沢方面の定期列車(400 - 417号)は、全て各駅停車である。また、一部の「Maxとき」と併結する列車は、高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合する列車もあるが、これは主に朝・夕のラッシュ時にみられる。冬季期間においては、ガーラ湯沢駅まで延長運転されるものもあるほか、東京駅を発着する臨時列車も多数運転される。臨時列車の中には、途中駅を通過するタイプもある。この列車は、基本的に越後湯沢駅 - 新潟駅間に入線することはないが、2004年夏には臨時列車で新潟駅発上野駅行き、新潟駅発東京駅行きの「Maxたにがわ」が設定されたことがある[報道 6]。現在はおおむね朝と夕・夜間の運転となっている。
E7系の追加投入に伴い、2021年秋頃にE4系「Max」の運転を終了する予定[報道 2][報道 3][報道 4][報道 5]。
車両
新潟新幹線車両センター(2007年11月) 左から200系(オリジナル塗装のK47編成)、E2系、E4系、E1系
一部の「とき」「たにがわ」で使用されるE7系F21編成M (大宮駅 - 熊谷駅間)
現用車両
営業車両
- E2系 - J編成、10両編成[注 3]。1998年に登場し、2004年3月13日のダイヤ改正で一旦運用が消滅していたが、2013年1月26日より東北新幹線へのE5系導入に伴い、東北新幹線で使用しているE2系を上越新幹線へ転属させることとなり、高崎駅以北での運用が再開された[報道 7]。なお、2017年3月31日までは高崎駅以南に、北陸新幹線「あさま」用のN編成も乗り入れていた。
- E4系 - P編成、単独で2階建車両8両編成、もしくは2編成併結して2階建て16両編成で運用される。E4系を使用する列車は列車名の頭に"Max"と冠される。E7系導入及び老朽化に伴いE4系は2020年度に全廃される予定であったが、後述の2019年の東日本台風(台風19号)の影響による北陸新幹線への新造車両転用に伴う車両不足を補うため、数年程度の延命が予定されている。2020年12月13日には、2021年秋頃に運転を終了することが発表されている[報道 2][報道 3][報道 4][報道 5]。
-
-
新潟新幹線車両センター (2012年10月) 左からE5系、200系、E4系、E2系 E3系、E926形(East i)、E1系
- E5系 - U編成。新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転で乗り入れ。2012年11月17日の「上越新幹線開業30周年号」で初めて営業運転に充当され、2017年7月9日・10日にも「東北新幹線開業35周年記念号」として新潟駅 - 八戸駅間で運転された[報道 9]。
-
営業車両
- 200系 - E編成・F編成・G編成・H編成・K編成。ただし、2004年に乗り入れを開始したH編成は、それ以前に東北新幹線の「やまびこ」などで使用されていた本来の姿である16両編成では乗り入れなかった。当時はE1系と200系F編成の12両が上越新幹線の最長編成だったためである(上越新幹線の全区間で16両編成の運用が開始されたのは2012年3月16日のダイヤ改正以降)。このため、H編成は2004年の東北新幹線においての定期運用撤退後に、2階建て車両を含む全てのグリーン車(4両)を編成から抜いた後に、波動用として2005年8月の廃車時まで乗り入れた(グリーン車は12両化時に廃車された)。最後まで残存したK編成(体質改善工事施行車)については、東北新幹線E5系の増備で余剰となったE2系J編成(2013年1月26日から運用開始)・E4系への置き換えにより、2013年3月15日をもって定期運用を、4月14日をもって営業運転を終了した。
- E1系 - M編成、2階建て12両編成。使用列車は列車名の頭にMaxと冠していた。東北新幹線E5系の増備で余剰となったE4系への置き換えにより、2012年9月28日をもって定期運用を、10月29日に営業運転を終了した。
-
-
- 400系 - L編成。速度試験および新潟新幹線車両センターの一般公開時に乗り入れ。
- E3系0番台 - R編成、初代・秋田新幹線「こまち」編成。新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転、廃車回送で乗り入れ。
- 962形 - 試験電車。
- 952形・953形 (STAR21) - 高速試験電車。
-
運賃は営業キロに基づいて算出する。東京駅 - 新潟駅間の営業キロは、並行する東北本線(東京駅 - 大宮駅間)・高崎線(大宮駅 - 高崎駅間)・上越線(高崎駅 - 宮内駅間)・信越本線(宮内駅 - 新潟駅間)のそれと同一になっている。東京駅 - 新潟駅間の営業キロは333.9キロで、東京駅 - 新潟駅間の新幹線の実際の距離(300.8キロメートル)より1割ほど長い。ただし、大宮駅 - 熊谷駅間の営業キロは実際の距離より短い。これは、大宮駅を発車すると約8キロメートルにわたり東北新幹線の線路と並んでほぼ北進し、その後、高崎線と平行するために西へカーブするという線形をたどっており、ほぼ北西に直線で走る高崎線の距離のほうが短いためである。
特急料金は、「三角表」と称するものにより各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。2019年10月1日改定の営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり[10]。
(参考)上越新幹線特急料金表 (2019年10月1日改定。普通車通常期・大人料金)
営業キロ・区間
|
特急料金(円)
|
---|
自由席 |
指定席
|
---|
100キロ以下
|
隣接駅間[* 1]、 熊谷 - 高崎
|
880
|
2,400
| 上記以外
|
1,870
| 101 - 200キロ
|
上野 - 高崎
|
2,300
|
2,830
| 上記以外
|
2,640
|
3,170
| 201 - 300キロ
|
3,530
|
4,060
| 301キロ以上
|
4,300
|
4,830
|
- 東京駅と大宮駅以北の各駅との間の特急料金は、東京駅発着の営業キロは使用せず、上野駅発着の営業キロで算出した特急料金に210円を加算した額となっている。
- 指定席特急料金は、閑散期は一律200円引き、繁忙期は一律200円増し。自由席は通年で同額。
- グリーン車を利用する場合には、自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間も1,870円)の特急料金に利用区間に応じたグリーン料金を加算した金額となる。「グリーン料金」を参照。
- グランクラスを利用する場合には、自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間も1,870円)の特急料金に利用区間に応じたグランクラス料金を加算した金額となる。「グランクラス料金」を参照。
- 「かがやき」の立席特急券料金は自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間は1,870円)。
東京駅 - 高崎駅間は北陸新幹線と共用するため、その区間内[注 5]であれば、JR西日本のe5489で予約した乗車券と特急券の受け取りが可能である。
営業利用状況
正式には上越線支線である越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間の平均通過人員は「 上越線#平均通過人員」を参照
区間ごとの平均通過人員は以下の通りである。
年度
|
平均通過人員(人/キロ/日)
|
---|
全区間
|
大宮 - 高崎
|
高崎 - 越後湯沢
|
越後湯沢 - 新潟
|
---|
1987年度[利用状況 1] |
28,876
|
44,430
|
35,364
|
23,498
|
---|
1992年度[利用状況 1] |
39,777
|
61,778
|
41,448
|
26,379
|
---|
1997年度[利用状況 1] |
39,705
|
74,174
|
37,281
|
22,284
|
---|
2002年度[利用状況 1] |
42,063
|
85,910
|
35,949
|
22,203
|
---|
2007年度[利用状況 1] |
43,305
|
90,505
|
36,831
|
21,658
|
---|
2010年度[利用状況 2] |
38,834
|
81,649
|
32,872
|
19,261
|
---|
2011年度[利用状況 2] |
39,592
|
82,591
|
33,691
|
19,873
|
---|
2012年度[利用状況 2] |
41,255
|
86,256
|
35,572
|
20,274
|
---|
2013年度[利用状況 2] |
42,469
|
89,090
|
36,536
|
20,763
|
---|
2014年度[利用状況 3] |
42,857
|
90,927
|
36,212
|
20,847
|
---|
2015年度[利用状況 3] |
[備考 1]44,219
|
[備考 1]104,922
|
[備考 2]29,133
|
21,105
|
---|
2016年度[利用状況 3] |
44,588
|
105,189
|
29,541
|
21,503
|
---|
2017年度[利用状況 3] |
45,347
|
106,539
|
30,179
|
22,020
|
---|
2018年度[利用状況 3] |
46,249
|
108,697
|
30,693
|
22,497
|
---|
2019年度[利用状況 4] |
43,424
|
102,386
|
28,411
|
21,224
|
---|
- 備考
- ^ a b 北陸新幹線長野 - 金沢間延伸開業初年度。
- ^ 北陸新幹線長野 - 金沢間延伸開業に伴う東京⇔北陸間のアクセスルート変更。
主要技術
冬季対策設備
冬期間の越後湯沢駅。スプリンクラーで融雪され、線路上の積雪は排除される。いずれも下りホームから東京方を撮影。
東海道新幹線は開業4か月目で雪害の影響により列車の定時運行ができなくなった。そのため、寒冷・豪雪地帯を通過する東北・上越新幹線では10年に1度の積雪量に対しても正常に運行することを目的に「新幹線雪害対策委員会」が設立され、その成果が実際の雪害対策に反映された。東北・上越新幹線では10年以上かけて沿線の気象調査や技術開発が行われ、沿線の状況に合わせた雪害対策が取られた。東海道新幹線では盛土が54%、全区間バラスト軌道であったが、上越新幹線では高架橋が49%、トンネルが39%であり、軌道はスラブ軌道が90%、バラスト軌道が10%となっている。さらに、上越新幹線沿線では比較的気温が高く、雪質が重いことや、降雪量が平年で最高3 mにもおよび、列車が走行する時に排雪する雪を高架下に貯める貯雪式では対応不可能であると想定された。これらの事情を踏まえて、上越新幹線では散水消雪方式の採用が決定された。1972年(昭和47年)の方針決定から1977年(昭和52年)にかけて新潟県南魚沼郡大和町(現・南魚沼市)に消雪試験場として九日町高架橋(延長971 m)を建設し、6冬にわたる開発試験が行われた。散水消雪設備は上毛高原駅 - 新潟車両基地間の157 kmのうち明かり区間79 kmに設置されている。水源は河川水やトンネル湧水で、加熱装置によって約10℃に加熱されてスプリンクラーによって散水される。散水量は降水量に換算するとバラスト軌道区間で72 mm/h、スラブ軌道区間で42 mm/hとなっている。雪を融かした水は高架橋に設けられた排水溝を勾配に沿って流れ、消雪基地に回収されて再利用される。
また、トンネル間の短い明かり区間にはスノーシェルターを設けることで高架橋への積雪を防止している。
なお、上毛高原駅 - 新潟駅の各駅では雪害対策のためホーム全体が屋根で覆われているが、特に豪雪地帯である越後湯沢駅、浦佐駅、長岡駅の3駅では屋根上に散水して消雪する方式をとっている。
地震対策
上越新幹線では沿線に約20 km間隔で設置された地震計を用いた沿線検知システムが設置された。東北新幹線では海岸線に約80 km間隔で設置された地震計を用いた「海岸線検知システム」が導入されたが、太平洋側に比べて地震が少ないため、日本海側の沿岸には地震計が設置されなかった。1982年の開業当時は初期微動を引き起こすP波を用いた警報が実用段階ではなかったため、主要動を引き起こすS波の加速度の大きさを基準とした警報が導入された。地震計が設置されている場所の加速度が設定値以上になると警報が発せられ、予め決められた警報範囲で変電所からのき電を停止し、列車の非常ブレーキが作動することで列車防護を行うものであった。
1975年から国鉄において、P波から地震の規模や位置を推定するアルゴリズム(早期検知アルゴリズム)の研究が行われ、世界初のP波警報システムである「ユレダス (Urgent Earthquake Detection and Alarm System)」の開発が進められた。ユレダスは1992年に東海道新幹線で導入が開始され、1998年には上越新幹線においても導入された。ユレダス導入によってP波およびS波の2種類の警報判定が可能になり、S波到達より早く新幹線の停止信号を送ることが可能になった。
その後、最新の観測技術や高速ネットワークに対応し、早期探知アルゴリズムを改良した「早期地震防災システム」が開発された。
2004年に発生した新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故を受けて、新幹線車両が地震などにより脱線した場合でも、車両がレールから大きく逸脱することを防止する「車両逸脱防止L型ガイド」を開発し、2008年度上期までに全ての新幹線車両に設置を完了した。
沿革
整備計画決定まで
1969年(昭和44年)5月30日に『新全国総合開発計画』が閣議決定された。この中で主要開発事業の構想として「東京から高崎を経て日本海沿岸地帯を結ぶ上越新幹線鉄道の建設を進めるとともに」と、現在の上越新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が盛り込まれた。
1970年(昭和45年)5月に全国新幹線鉄道整備法(以下は全幹法と略記)が公布された。この法律により、逼迫する幹線の輸送力増強を目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり、経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が行われるようになった。1971年(昭和46年)1月に全幹法第5条第1項の規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和46年告示第17号)により東北新幹線(東京都 - 盛岡市)、上越新幹線(東京都 - 新潟市)、成田新幹線(東京都 - 成田市)の基本計画が公示された。この基本計画において上越新幹線は東京都を起点に新潟市を終点とすることが示された。同年4月1日に3路線の整備計画が決定された。上越新幹線は最高設計速度260 km/hとされ、建設主体は日本鉄道建設公団とされた。
大宮 - 新潟間の建設・開業
1971年(昭和46年)10月12日に上越新幹線 大宮 - 新潟間の工事実施計画(その1)の認可申請が行われ、14日に認可、12月に上越新幹線の工事に着手した。工事実施計画その1において、「東北新幹線のターミナルを東京駅、上越新幹線のターミナルを新宿駅に設け、この両ターミナルより大宮駅に至る路線を建設」とされ、また「線路容量、ターミナル容量は十分であるので」「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出する」こととされ、現在に至っている。開業当初は最高速度210 km/h、12両編成の計画であるが、最高速度260 km/h、大きな手戻りなく16両編成に対応できる建設基準であった。
1973年4月26日から、東京都北区と埼玉県戸田市・与野市・浦和市(与野市と浦和市は現・さいたま市)などで非常に大規模な反対運動が発生している。工事地内への見張り櫓の建設、居座り行動、デモ行進、国鉄説明会打ち切りなどが実施され、東北・上越新幹線の騒音対策や埼京線の快速停車駅数など地元の要望が実現化するきっかけとなった。この一連の反対運動を「東北・上越新幹線反対運動」という。詳しくは該当ページ及び埼京線#当時の沿線住民の反対運動を参照。
認可時点での完成目標は1976(昭和51)年度であったが、オイルショック後の経済悪化や国鉄の経営悪化などにより、1977年(昭和52年)には完成目標が1980(昭和55)年度に、1981年(昭和56年)には完成目標が1986(昭和61)年度に繰り下げられた。
1979年3月20日には建設工事中だった大清水トンネルの保登野沢工区(県境付近から群馬県寄り約5キロ付近)で火災が起き、16名の死者を出した(この入口は「保登野沢斜抗」として点検等に使用されており、隣接して殉職の碑が建立されている)。そして、中山トンネル工事中に2回の異常出水事故が発生した。迂回のトンネルを掘るなど工事は難航した。
1980年(昭和55年)11月以降、先行して長岡駅 - 新潟車両基地での実車走行試験や雪対策試験が行われた。同年12月には東北・上越両新幹線の開業を1982年(昭和57年)春とし、仮の始終着駅を大宮駅とすること。大宮駅 - 上野駅間の開業を1984(昭和59)年度とし、東京駅 - 上野駅間についても引き続いて完成に努力することが発表された。翌1981年(昭和56年)12月には越後湯沢駅 - 長岡駅間でも実車走行試験や雪対策試験が行われ、難航していた中山トンネルが貫通した。
このために[独自研究?]東北新幹線 大宮駅 - 盛岡駅間との同時開業は果たせず、5か月遅れの1982年11月15日の開業となった。
国鉄民営化と高速化
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、上越新幹線の鉄道施設は新幹線鉄道保有機構に移管された。東日本旅客鉄道(JR東日本)は新幹線鉄道保有機構にリース料を支払い、鉄道施設を借り受けて運営していた[注 7]。
東京と北陸を結ぶルートの変遷。 ほくほく線開業前は、東海道新幹線 米原駅乗換の「きらめき」ルートと、上越新幹線長岡駅乗換の「かがやき」ルートがあったが、ほくほく線開業により、金沢以東では上越新幹線越後湯沢駅乗換の「はくたか」ルートが使われるようになった。北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業した後は、芦原温泉以東では北陸新幹線が最速のルートとなった。
1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正(通称:一本列島)より上越新幹線「あさひ」が最高速度240 km/h運行を開始した。これにより上野駅 - 新潟駅間の所要時間が最短1時間39分に短縮された。これに合わせて北陸方面への速達列車として在来線特急「かがやき」が運行を開始し、長岡駅乗り継ぎによる上野駅 - 富山駅・金沢駅間の所要時間が大幅に短縮されたことで、このルートが東京から北陸方面への主要なルートになった。
1990年(平成2年)3月10日より、さらなる所要時間の短縮を目指して、山間部のトンネル区間を中心に、上毛高原駅 - 浦佐駅間の下り線(大宮起点 139 km - 176 km)で改造を施した200系F90番台編成による最高速度275 km/hの営業運転を開始した。 自動列車制御装置(ATC)の車内信号現示が「あさひ」(200系F90番台編成)の場合は275 km/h、1992年(平成4年)に営業を開始した東海道新幹線「のぞみ」(300系)の場合は270 km/hであることから[38]、「日本一速い新幹線」と言われていた。実際には、ATCの頭打ち速度は「のぞみ」も275 km/h[注 8]だったため、ATCの抑止速度で考えた場合の最高速は同速ということになるが、営業速度で考えた場合はこの「あさひ」が最速であった。200系F90番台編成による275 km/h運転は1999年(平成11年)12月4日まで続けられた[39]。
1991年(平成3年)6月20日に東北新幹線 東京駅 - 上野駅間が開業し、上越新幹線にも東京駅発着列車が設定された。東京駅へ向かう場合の在来線乗り換えが不要となったことにより、所要時間は東京駅 - 新潟駅間で2時間6分から20分短縮されて1時間40分、東京駅 - 酒田駅間(「あさひ」と「いなほ」)では4時間20分から34分短縮されて3時間46分、東京駅 - 金沢駅間(「あさひ」と「かがやき」)では4時間20分から22分短縮されて3時間58分となった。同年10月に新幹線鉄道保有機構は「新幹線鉄道に係る鉄道施設の譲渡等に関する法律」に基づき、東北新幹線(東京 - 盛岡)および上越新幹線の鉄道施設を3兆1,069億円でJR東日本に譲渡し、解散した。
ほくほく線・北陸新幹線開業による運行体系の見直し
東北・上越新幹線では、東海道・山陽新幹線と同様の「新幹線運行管理システム」(COMTRAC)などの運行管理システムをが用いられていたが、システムの陳腐化や北陸新幹線の開業など運行形態の複雑化を見据えて、新たなシステムとして「新幹線総合システム」(COSMOS)を1995年11月に導入した。
上越新幹線では開業以来、速達タイプ「あさひ」と各駅停車タイプ「とき」いう列車愛称であった。しかし、東京駅 - 高崎駅間などの近距離需要の増大に伴い、「とき」に比べて所要時間の短い「あさひ」の乗車率が高くなり、長距離利用客が指定席を取りづらくなっている一方、高崎駅以北で各駅停車「とき」の乗車率が大きく減少する傾向にあった。さらに、1997年(平成9年)は、東京 - 長野・北陸方面において運行体系の大幅な変化が生じた。1997年3月の北越急行ほくほく線の開業に伴い、東京から石川県東部・富山県・新潟県西部への鉄道の最短ルートが越後湯沢駅でほくほく線経由の在来線特急「はくたか」に乗り換えるルートになることで、越後湯沢駅の利用客が増加すること、さらに同年10月は北陸新幹線 高崎駅 - 長野駅間(長野新幹線)の開業に伴い東京駅 - 高崎駅間に直通列車が設定されることなどから、運行体系を大幅に見直す必要が生じた。それに伴い、1997年10月1日の北陸新幹線開業に合わせて、上越新幹線においても運行区間を基本とした運行体系に変更された。近距離需要および越後湯沢駅乗り換えの利用客向けに東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の各駅停車タイプを27本から39本に増発し、愛称を「たにがわ」とした。また、遠距離需要を主とする東京駅 - 新潟駅間の列車愛称は「あさひ」に統一した。これにより、上越新幹線において各駅停車タイプとしての「とき」の愛称は廃止された。しかし、長野新幹線「あさま」と上越新幹線「あさひ」は一文字違いであり紛らわしいことから、2002年12月のダイヤ改正で速達タイプの列車名を「とき」に変更した。
長きにわたり上越新幹線は北陸地方へのアクセスルートの一部を担ってきたが、2015年3月のダイヤ改正では北陸新幹線 長野駅 - 金沢駅間が開業し、東京駅 - 富山駅・金沢駅間の主要ルートは北陸新幹線となった。これにより、高崎駅以南での北陸新幹線直通列車の大幅な増加や、越後湯沢乗り換えの在来線特急「はくたか」の運行終了など、東京 - 北陸方面の運行体系に再び大幅な変化が生じた。上越新幹線においても運転本数の見直しが行われ、「とき」の東京駅 - 新潟駅間1往復、「たにがわ」の東京駅 - 越後湯沢駅間7往復、東京駅 - 高崎駅間0.5往復が削減された[報道 14][報道 15][報道 16][報道 17]。
新潟県中越地震による影響
2004年10月23日17時56分頃(JST)に発生した新潟県中越地震により、新潟・群馬県内で7本の列車が被災し、うち2本は運転を再開したが4本は停電などで動けなくなった。そして、東京発新潟行の「とき325号」(200系K25編成・10両編成。2005年3月25日廃車)は速度約200 km/hで走行中、長岡駅の手前約5km、滝谷トンネル先の地点で10両中8両が脱線した。1964年10月1日の東海道新幹線開業以来、日本国内の新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった(詳細は上越新幹線脱線事故の項を参照のこと)。
この地震の影響で浦佐駅 - 長岡駅間の高架橋・トンネルなどの設備が損壊し、越後湯沢駅 - 新潟駅間が不通となった。このため、10月31日から不通区間に代行バスを運行する一方、応急補強工事(トンネル5本の復旧作業、高架橋の耐震補強工事)が実施された。長岡以北の区間については、「East i」を送り込めないため、京浜急行電鉄から借用した軌道検測車を陸送して軌道状態を点検した後に運行を再開した。地盤が隆起した魚沼トンネルと妙見トンネルについては、いったん軌道を撤去したうえで岩盤を削るなど新線敷設と同様の工事が行われたが、年末年始の帰省ラッシュに間に合わせる形で2004年12月28日に全線で運行を再開した。
復旧後も当面は越後湯沢駅 - 燕三条駅間で70-110 km/hの徐行運転を実施する区間があるため、通常ダイヤを基準に越後湯沢駅以北で15分前後の遅着(下り)・早発(上り)させる特別ダイヤが編成された。なお、2005年1月22日には通常ダイヤとのずれが5分前後に緩和され、3月1日からは通常のダイヤに戻っている。また、その他の道路交通も寸断されたため、羽田空港と新潟空港を結ぶ航空便も臨時開設された。この地震の際、新潟新幹線運輸区の乗務員は東京駅 - 越後湯沢駅間の乗務のために、郡山駅まで出た上で東京入りして乗務列車に乗り込む方法と丸の内車掌区等への一時転属などの臨時措置を行った。
年表
国鉄時代 開業前
- 1964年(昭和39年)
- 1969年(昭和44年)5月30日:新全国総合開発計画閣議決定。
- 1970年(昭和45年)5月18日:全国新幹線鉄道整備法公布。
- 1971年(昭和46年)
- 1月18日:昭和46年運輸省告示第17号により、上越新幹線(東京都 - 新潟市)を含む3路線の基本計画公示。
- 4月1日:上越新幹線(東京都 - 新潟市)を含む3路線の整備計画決定。
- 10月12日:大宮 - 新潟間の工事実施計画(その1)認可申請。
- 10月14日:大宮 - 新潟間の工事実施計画(その1)認可。
- 12月9日:大宮 - 新潟間の工事に着手(大清水トンネル)。
- 1977年(昭和52年)3月30日:第1回工事実施計画変更認可。
- 1979年(昭和54年)
- 1月25日:大清水トンネル貫通。
- 3月18日:中山トンネル四方木工区で出水事故(1回目)。
- 3月20日:大清水トンネルで火災事故発生。
- 1980年(昭和55年)
- 3月8日:中山トンネル高山工区で出水事故(2回目)。
- 3月18日:第2回工事実施計画変更認可。
- 11月5日:長岡駅 - 新潟車両基地間で実車走行による総合監査。
- 12月16日:長岡駅 - 新潟車両基地間で実車走行による雪試験(翌年3月31日まで)。
- 1981年(昭和56年)
- 3月19日:第3回工事実施計画変更認可。
- 9月30日:越後湯沢駅 - 長岡駅間で実車走行による総合監査。
- 10月29日:列車愛称を「あさひ」「とき」と発表。
- 12月1日:越後湯沢駅 - 長岡駅間で実車走行による冬季対策設備効果確認(翌年3月31日まで。
- 12月23日:中山トンネル貫通。
- 1982年(昭和57年)
- 3月20日:中山トンネル完工式。
- 月日不詳:新潟新幹線第一運転所発足。
- 4月20日:埼玉県北足立郡伊奈町でレール締結式を挙行。
- 6月1日:大宮駅 - 越後湯沢駅間で実車走行による総合監査
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