不動産(ふどうさん)とは、大陸法系の民事法国際私法において用いられる概念であり、主に土地やその定着物をいう概念。

概説

区別の根拠

物を動産と不動産に分けて異なる法律的取扱いが行われてきたのには幾つかの理由がある[1]

第一は歴史的な理由で動産よりも不動産のほうが価値が高いと考えられていたことがある[1]

第二は自然の性質による理由で物の移動がある動産と移動のない不動産とでは、法技術的に異なった扱いをせざるを得ないという理由があったためである[1]

歴史

不動産と動産の区別あるいはその歴史は時代や地域によって制度や法制が大きく異なっており、今日でも法体系によって多少の違いが存在している。

動産は原始時代に個々の人類が自己の所持物を他者のそれと分けるようになってから存在し続けていたと考えられているが、土地のような不動産が所有の対象となるのは、限られた土地の上に社会・国家が成立した後であり、しかも当初は社会・国家を構成する特定の人々による共同所有であった。ローマ法による動産と不動産の区分はビザンツ帝国期から成立していたが、法律上の扱いに大きな差異は見られない。また、建物は土地と一体化したものと考えられており、今日のドイツやスイスの民法にその名残が存在する。また、フランスでは土地を「天然の不動産」、建物を「性質の不動産」として後者は前者の存在を前提として成立するものとしている。一方、ゲルマン法では早くから動産と不動産の法的扱いの違いの差異が生じており、ローマ法とゲルマン法の動産・不動産観念は今日の欧米や日本の民事法に強く影響を与えている。

古代日本においては動産は「もの」、不動産は「ところ」と称せられ、律令制の頃には前者は「資財」「財物」、後者は「田宅」「所領」などと称されるようになった。田宅とは土地を生産・収益の根源とみなすところから来た呼称であり、中世には「知行」、近世には「石高」がこれに代わる概念として現れることとなった。江戸時代には家屋や蔵などが土地から分離して売買や貸借の対象となっていった。もっとも、こうした区別は当時の法制や法慣習を近代的な法概念に当てはめたものであり、当時の法意識は「生産財」か「消費財」かという概念の法が重要視されていたという説もある。また、古代から近世末期まで「奴婢」「下人」など、人間でありながら動産として扱われてきた人々がいた。

更に前近代においては所有の概念の違いも時代や地域によって異なり、国制・身分に基づく所有の制約が存在した。例えば、日本においては所有の観念が今日と大きく異なっていた。土地を開墾した人(「草分け」)や財物を所持し続けた人と当該財産の関係は単なる所有の主体と客体ではなく一種の呪術的な関係があり、仏物(ぶつもつ)・神物(しんもつ)・人物(じんもつ)などと言った、本主(本来所有すべき所有者)に基づく財産の区分が存在し、本主のみが正当な所有者で他の区分あるいは人物に売買や譲渡が行われたとしても相手は正当な所有者ではないため、いつかは本来あるべき姿(本主が当該財産を所有する状態)に回復されなければならないとする法観念が広く存在していた。そのため、中世の日本において、合法的な売買・譲渡が行われた土地が無償で本主に返還されるという徳政令寺社興行法のような今日の観念では非常識・反社会的な法令が行われたのも、本主が所有されるべきものが所有されていないことの方がより問題視されていたからだと言われている[2][3]

土地と建物の関係

欧米の法制度では建物は土地の一部として扱われ、土地と建物が同一所有者ならば建物には土地から独立した所有権は認められない[4]

一方、日本法においては土地と建物は別個の不動産とされており、不動産登記法はそのような前提で定められている[4]。民法制定過程では当初は建物は土地の一部とされる予定だったが、土地抵当権の効力がその後に建築された建物に及ぶことに異議が唱えられた[4]。審議の結果、抵当権の効力の及ぶ範囲の規定(現行の民法370条)に抵当地の上に存する建物を除外する文言が規定され、不動産登記法でも土地と建物は別の不動産とされた[4]。これは台湾民法にもみられるが、比較法的には珍しい。

日本法における不動産