二子山部屋(ふたごやまべや)は、日本相撲協会相撲部屋。現在の部屋(14代)は出羽海一門に所属している。

歴史

2013年(平成25年)3月場所限りで現役を引退した元大関・雅山は、14代二子山を襲名して藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、2018年(平成30年)4月1日付で内弟子6人を連れて藤島部屋から分家独立し、二子山部屋を創設した[1]。2019年1月場所で狼雅力が部屋初の各段優勝となる序ノ口優勝を果たした。[2]

所在地

  • 埼玉県所沢市北岩岡366
    • 14代:二子山雅高(ふたごやま まさたか、大関・雅山、茨城


      旧・二子山部屋

      8代二子山時代 (土州山時代)

      沿革

      1921年(大正10年)5月場所限りで引退した友綱部屋(前頭筆頭・海山)所属の元前頭筆頭・土州山役太郎が年寄・二子山を襲名して、友綱部屋より分家独立して二子山部屋を創設した。中立部屋(大関・伊勢ノ濱)が中立親方の死去で部屋が閉鎖された時には、後の幕内・灘ノ花銚子灘らを一時預かり(彼らはその後出羽海部屋に移籍)、幕内・土州山好一郎らを育てたが、1947年(昭和22年)限りで二子山部屋を閉じた。

      なお、5代二所ノ関を襲名した関脇海山(第32代横綱玉錦の師匠)は、友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設したため、同系統とみなされて、二子山部屋の力士と二所ノ関部屋の力士との対戦はなかった。

      弟子の土州山好一郎は高知県出身ということで同郷の横綱・玉錦の露払いなどを務め、引退後は年寄・大嶽を襲名したが部屋は興さなかった。

      師匠

      • 8代:二子山役太郎(ふたごやま やくたろう、前頭1・土州山、高知)

      力士

      前頭
      • 沿革

        土俵の鬼と呼ばれ栃若時代を築いた花籠部屋二所ノ関一門)の第45代横綱初代若乃花は、1962年(昭和37年)9月2日に引退と同時に年寄・二子山を襲名、8人の内弟子(のちの小結二子岳武など)を連れて分家独立、花籠部屋の近所である杉並区成宗3丁目(現・成田東3丁目)に二子山部屋を興す。独立に際して師匠花籠とは連れて行く弟子について話をつけていたので、ついて行きたいと志願しても連れて行けない弟弟子数名(その中にのちの龍虎がいた)を「お前たちのような弱い連中は連れていかない。自分で探した若い者を、俺の手で育てるから。」と泣く泣く突き放してきれいな独立を果たした。花籠部屋から二子山部屋の分家独立ほど円満な独立は珍しかったという[4][5][6]

        部屋での指導の厳しさは大変なもので、親方としてはまだ若かった頃は自らもまわしをつけて稽古土俵に降りて指導をした。よその部屋から関取衆が出稽古に来ても、来るのは最初の一日だけで二日目はほとんど来ないほど、二子山部屋の稽古の厳しさは有名だった[7]

        10代二子山は実弟である大関初代貴ノ花(のち藤島二子山)、第56代横綱・2代若乃花(のち間垣)、第59代横綱・隆の里(のち鳴戸)、大関・若嶋津(のち松ヶ根二所ノ関)をはじめ三役以上11人、一代で19人の関取を育てた。二所ノ関一門の総帥として君臨し、第6代日本相撲協会理事長も務め、土俵の充実に力を注いだ[8][9][10]

        阿佐ヶ谷に部屋があった花籠部屋、二子山部屋、放駒部屋の全盛時代は多くの名力士を輩出したことから阿佐ヶ谷勢と呼ばれ、「東の両国、西の阿佐ヶ谷」と言われた大相撲の拠点だった。一時期は本家・花籠部屋と共に花籠一門を称していた[11][12]。現在も花籠部屋、二子山部屋の系統は二所ノ関一門阿佐ヶ谷系と言われる。 停年直前であった1993年1月場所後に自身の二子山の年寄名跡を実弟の貴ノ花が持つ藤島と交換し、同年3月に相撲協会を停年退職した。

        師匠

        • 10代:二子山勝治(ふたごやま かつじ、第45代横綱・初代若乃花、青森)※第6代日本相撲協会理事長

        力士

        横綱
        大関
        関脇
        小結
        前頭
        • 飛騨乃花成栄(前1・岐阜)10代二子山弟子
        • 豊ノ海真二(前1・福岡)10代・11代二子山弟子 ※藤島部屋独立に同行
        • 大旺吉伸(前4・富山)10代二子山弟子
        • 魁罡功(二子竜功)(前5・青森)10代二子山弟子 ※花籠部屋から移籍
        • 大觥吉男(前8・青森)10代二子山弟子
        十両
        • 修羅王政勝(十4・東京)10代二子山弟子
        • 北ノ花吉保(十4・青森)10代二子山弟子
        • 若双龍秀造(十8・秋田)10代二子山弟子
        • 沿革

          10代二子山の実弟であり、日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った角界のプリンス・元大関貴ノ花は1981年(昭和56年)1月場所限りで現役を引退して、年寄・鳴戸を経て12代藤島を襲名し、二子山部屋二所ノ関一門)の部屋付き親方となっていた。

          1982年(昭和57年)2月に豊ノ海など数名の内弟子を連れて二子山部屋から分家独立し、中野区本町3丁目(中野新橋)に藤島部屋を創設した[13][14]

          12代は実子である若花田(若乃花)・貴花田(貴乃花)兄弟や、安芸乃島貴闘力貴ノ浪などの関取を育て上げて一時代を築いた[15]

          1993年(平成5年)3月に12代の実兄である10代二子山(第45代横綱・若乃花)が定年退職を迎えるため、1993年(平成5年)2月1日付で12代は年寄名跡を交換して11代二子山を襲名し、同時に力士38人が二子山部屋へ移籍して部屋は閉鎖された。もっとも、合併後はそれまでの藤島部屋の建物を使用したため、実質的には二子山部屋の在籍者全員が藤島部屋へ移籍の上で、部屋名を二子山部屋と改称した形の逆さ合併だった。

          11代は二所ノ関一門から選出されて日本相撲協会の理事も務めた。その後2004年(平成16年)2月1日付で一代年寄・貴乃花(第65代横綱・2代貴乃花、11代の実子)が継承。それに際して部屋名を貴乃花部屋と改称し2018年(平成30年)10月まで存在した。

          師匠

          • 11代:二子山満(ふたごやま みつる、大関・貴ノ花、青森)

          力士

          ※藤島部屋時代から2003年1月まで

          横綱
          • 貴乃花光司(65代・東京)11代二子山弟子 ※藤島部屋時代に入門
          • 若乃花勝(花田虎上)(66代・東京)11代二子山弟子 ※藤島部屋時代に入門
          大関
          • 貴ノ浪貞博(青森)11代二子山・貴乃花弟子 ※藤島部屋時代に入門
          関脇
          小結