きょうたんごし
京丹後市
琴引浜の西部.jpg
Flag of Kyōtango, Kyoto.svg
Emblem of Kyōtango, Kyoto.svg
京丹後市旗
2004年4月1日制定
京丹後市章
2004年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
市町村コード 26212-9
法人番号 4000020262129 ウィキデータを編集
面積 501.43km2
(境界未定部分あり)
総人口 51,673[編集]
推計人口、2020年1月1日)
人口密度 103人/km2
隣接自治体 宮津市与謝郡伊根町与謝野町
兵庫県豊岡市
市の木 ブナ
市の花 トウテイラン
京丹後市役所
市長 三崎政直
所在地 627-8567
京都府京丹後市峰山町杉谷889番地
北緯35度37分26.9秒東経135度3分39.4秒座標: 北緯35度37分26.9秒 東経135度3分39.4秒
市庁舎位置

Kyotango cityhall(mineyama) (2).jpg
外部リンク 公式ウェブサイト

京丹後市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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市役所本庁舎が置かれている峰山

京丹後市(きょうたんごし)は、京都府北部に位置する丹後半島の大部分を占めている。

日本海側気候であり、豪雪地帯に指定されている。

2018年平成30年)、沖縄国際映画祭 JIMOT CM REPUBLIC 全国46都道府県部門において、大宮町常吉地区をモデルにSDGsのgoal11「住み続けられるまち作り」を題材に制作したCM「便利さよりも安心できるまち京丹後」でグランプリを受賞した[1]

概要

網野町浅茂川付近

京都府の最北部に位置しており、市制施行時点の人口は約67,000人だった。旧峰山町役場に市役所が置かれたほか、その他の5つの旧町役場はそれぞれ市役所庁舎となった。現在の京丹後市は全域がかつての久美浜県に含まれる。

市域を京都丹後鉄道宮豊線が横断し、市名「京丹後」を冠する駅としては京丹後大宮駅がある(2015年3月まで丹後大宮駅)。同線には峰山駅網野駅久美浜駅と旧町名を名乗る駅も存在する。なお、高速道路地域高規格道路などとしては山陰近畿自動車道(鳥取豊岡宮津自動車道)の一部が敷設されている。

確実な記録がある世界で最高齢の男性である木村次郎右衛門を始め、2013年2月時点で100歳以上の長寿者が全国平均の約2.5倍となる60人在住している[2]。市では同年齢以上を「健康大長寿」と称したうえで、これを活かした自治体や医療関係者および市民向けのシンポジウム「健康大長寿のさとづくり全国交流会」を2008年11月に初めて開催した[3]。また、2013年度からは食習慣を調査し市民向けに広報するとともに「長寿のまち」としてアピールするとしている[2]。2016年3月には市と京都府立医科大学が長寿に関する研究を行う施設を京丹後市立弥栄病院内に共同で設置し、京都府立医科大学附属北部医療センターとも連携して市内の高齢者を対象とした調査が10年間かけて行われる予定となっている[4]

旧町の概要

合併による市制施行により中郡、竹野郡、熊野郡は消滅したが、旧町名は大字として住所表記に残された。峰山町、大宮町が中郡、網野町、丹後町と弥栄町が竹野郡、久美浜町が熊野郡であった。

地理

旧峰山町中心部周辺の空中写真。1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
旧網野町中心部周辺の空中写真。1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
旧丹後町、間人地区周辺の空中写真。1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
久美浜湾付近の空中写真。1976年撮影の12枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

丹後半島の大部分の海岸線は、切り立った複雑な断崖によって形成されている。

山地

主な山
主な峠
  • 七竜峠(網野町)
  • 引原峠(網野町)
  • 比治山峠(峰山町・久美浜町)2000年に国道312号の新トンネル(比治山バイパス)が開通したため、峠と呼ばれることは少なくなった。旧道は柵で封鎖してあり地元の人しか立ち入りできない。
  • 河梨峠(久美浜町)
  • 大内峠(大宮町)与謝野町へと続く府道53号線。
  • 主な河川

    湖沼

    主な湖
    • 久美浜湾潟湖
    • 砂丘
          • 京都府の旗京都府
            • 宮津市
            • 与謝郡伊根町
            • 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.87%減の59,044人であり、増減率は府下26市町村中20位、36行政区域中30位。

              Demography26212.svg
              京丹後市と全国の年齢別人口分布(2005年) 京丹後市の年齢・男女別人口分布(2005年)
              紫色 ― 京丹後市
              緑色 ― 日本全国
              青色 ― 男性
              赤色 ― 女性

              京丹後市(に相当する地域)の人口の推移
              総務省統計局 国勢調査より


歴史

網野銚子山古墳のステレオ空中写真(1975年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

日本海に面する市域一帯には、峰山町に扇谷遺跡、途中ケ丘遺跡、弥栄町に奈具遺跡など弥生時代の大遺跡があり、日本海側における文化の一大中心地であったと見られる。古墳時代の4世紀中頃には、網野町に日本海側最大の前方後円墳である網野銚子山古墳(全長198メートル)、丹後町に神明山古墳(全長190メートル)が築かれた。当時は独自の王国があったとの説もある(丹後王国を参照)。

峰山町丹波は8世紀始めには丹波国丹波郡丹波里といわれたところで、丹波国の中心地であったと見られる。その後、713年丹後国が分置され、丹後国となった。

主要な延喜式内社としては多久神社(峰山町丹波)、大宮売神社(大宮町周枳)、竹野神社(丹後町宮)、奈具神社(弥栄町舟木)、網野神社(網野町網野)などが鎮座する。

関ヶ原の戦いの功績により丹後全域が京極高知の領国(丹後藩)となった。その後、高知の三子により3藩に別れ(丹後三分割)、峰山には京極高通により峰山藩が置かれる。宮津藩京極家は改易舞鶴藩京極家は但馬へ転封となる中、峰山藩京極家は丹後の所領を幕末まで守り通し、京極高知の丹後藩の伝統を伝える存在として知られた。また峰山藩京極家からは幾人もの若年寄が出て、江戸幕府の中枢で活躍した。

現在の久美浜町には久美浜代官所が置かれ、山陰地方天領を統轄した。のち、幕末から明治の一時期には久美浜県が設置され、県庁が同代官所跡に置かれたこともある。

江戸時代中期には京都のお召ちりめんを参考にした「丹後ちりめん」が峰山藩加悦谷で生まれ、以後この地の名産となった。

沿革

  • 1927年昭和2年)3月7日 - 北丹後地震が起こり、旧峰山町では人口の1/4が亡くなるなど、壊滅的な被害を出した。
  • 2004年平成16年)4月1日 - 市制施行。
  • 2015年(平成27年)3月2日 - 国によるまち・ひと・しごと創生総合戦略地方創生)の政策に向けた市の創生総合戦略(人口・産業・観光・教育などの目標)を全国に先駆けて発表した[5][6]
  • 市名は丹後国に由来する。平成の大合併において、京都府内では既存の市名との重複を避けるためもあって「京」を冠する所が多いが、当市の場合は合併する自治体の中に「丹後町」があったため、他町への配慮からか重複がないにもかかわらず「京」を冠している。一般的に都市名の重複を避ける等のために冠する側になる旧国名が、冠される側になった珍しい例である。

行政・司法

市長
歴代市長