はちのへし
八戸市
Tanesashi Hachinohe.JPG
八戸市旗 八戸市章
八戸市旗 八戸市章
1931年8月27日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
市町村コード 02203-9
法人番号 2000020022039 ウィキデータを編集
面積 305.56km2
総人口 221,513[編集]
推計人口、2020年6月1日)
人口密度 725人/km2
隣接自治体 三戸郡階上町五戸町南部町上北郡おいらせ町
岩手県九戸郡軽米町
市の木 オンコ(イチイ
市の花
八戸市役所
市長 小林眞
所在地 031-8686(八戸市庁
青森県八戸市内丸一丁目1番1号
北緯40度30分44.2秒東経141度29分18.2秒
Hachinohe city hall.jpg
外部リンク 公式ウェブサイト

八戸市位置図

― 市 / ― 町・村

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八戸市(はちのへし)は、青森県東部に位置し、太平洋に面するである。中核市に指定されており、青森市弘前市と共に、青森県主要3市の一角を構成する。

概要

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八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏でもあり、三八地域県民局が設置されている[1]2002年平成14年)12月には東北新幹線八戸駅まで延伸されている。

八戸港は工業港、フェリー港、漁港を兼ねている[2]商圏青森県東部や岩手県北部を包摂する[3]

八戸藩が置かれた城下町でもある。伝統芸能であるえんぶり(朳)および八戸三社大祭騎馬打毬はいずれも国の重要無形民俗文化財に指定されている。伝統工芸品には八幡馬八戸焼南部姫毬などが、郷土料理には南部煎餅八戸せんべい汁いちご煮などが、特産品には市川いちご糠塚きゅうりなどがある。お盆には「背中あて」を食べる慣習が根付いている[4]温泉銭湯も歴史的に多く存在する。

スケートアイスホッケーが盛んで、氷都八戸の異名を持つ。実業団体やジュニアチーム、女子チーム、素人アイスホッケーを含め加盟登録数は60チームを数える。

B-1グランプリ発祥の地でもある。

地理

歴史

古代

縄文時代是川遺跡風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文時代後期の[5]が出土している。風張から出土した合掌土偶国宝となっている[6]ほか、是川からも数々の工芸品が出土している。

中世

1191年建久2年)、甲斐国南部氏北東北一帯を源頼朝から賜ったとされている。南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。1334年建武元年)、南部師行根城を築き、根城南部氏(遠野南部氏)の祖となった。根城南部氏は1627年寛永4年)、三戸南部氏(後の盛岡南部氏)の命により遠野に居城を移した。

近世

転機となったのは江戸時代前期の1664年寛文4年)である。南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため、盛岡藩は御家断絶の危機を迎えた。江戸幕府南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸南部氏の祖となる南部直房により八戸城が築かれた。これが八戸藩の始まりである。八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、現在の岩手県久慈市までが八戸藩だった。

八戸城は現在の三八城公園にあった(従って八戸公園は城跡ではない)。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も八戸市中心市街地となっている。

近代

1915年大正4年)、鮫浦港修築工事が開始され、1929年昭和4年)に商港に指定された。

現代

八戸市には馬淵川新井田川という比較的大きな河川が流れている。特に馬淵川は蛇行が激しく流量も多いため、水害の多い河川だった。特に河口部分で馬淵川が大きく曲がって新井田川と合流するような形で太平洋に注ぎ込んでいた。1937年(昭和12年)、馬淵川の改修工事(河口付近の直線化)が難航し、戦争のために中断された。1949年(昭和24年)に工事が軌道に乗り、新産業都市に指定された1961年(昭和36年)に完成した。これにより水害が減り、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。

2011年平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う津波により臨海部は大きな被害を受けたものの、岩手県以南よりは比較的被害が少なかった[7]

沿革