六花亭製菓 株式会社
ROKKATEI CONFECTIONERY CO., LTD.
種類 株式会社
略称 六花亭
本社所在地 日本の旗 日本
080-2496
北海道帯広市西24条北1丁目3-19
北緯42度55分38秒 東経143度07分01秒 / 北緯42.92722度 東経143.11694度 / 42.92722; 143.11694座標: 北緯42度55分38秒 東経143度07分01秒 / 北緯42.92722度 東経143.11694度 / 42.92722; 143.11694
本店所在地 080-0012
北海道帯広市西2条南9丁目6
設立 1933年(創業)
1952年(帯広千秋庵製菓)
1977年(六花亭製菓)
業種 食料品
法人番号 2460101001964
事業内容 和菓子洋菓子の製造販売、美術館運営
代表者 佐藤哲也(代表取締役社長)
資本金 1億3,150万円(六花亭グループ)
従業員数 1,346名(正社員:977名、パート:369名)※2018年4月1日現在
関係する人物 小田豊四郎
小田豊
外部リンク http://www.rokkatei.co.jp
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六花亭札幌本店ビル(2015年7月)

六花亭(ろっかてい、: ROKKATEI)は、北海道帯広市に本社のある製菓メーカー。企業名は「六花亭製菓」。

概要

北海道を代表する銘菓の1つである「マルセイバターサンド」をはじめとする菓子を製造・販売している。直営店などの店舗は北海道のみで展開しており、北海道内の主要空港などでも商品を取り扱っている。北海道外では通信販売で商品を購入することができるほか、百貨店で開催する物産展などで商品を販売することがある。

各種社内制度が充実しており、従業員の「ワーク・ライフ・バランス」確保に向けての取組みが評価されているほか、メセナ企業の社会的責任(CSR)に積極的な企業であり、「中札内美術村」や「六花の森」、「六花文庫」の運営などを行っており、1960年昭和35年)創刊の児童詩誌『サイロ』は毎月1回の発行を続けている。

名称について「六花」(りっか)とは雪の結晶を表しており、社名を変更する際に小田豊四郎が当時の東大寺管長であった清水公照に相談し、「北海道を代表する菓子屋になるように」という願いを込め、北海道の代名詞とも言えるに因んで名づけた[1]

主な商品

六花亭は、「最上の原料を使うこと」「地域に根ざしたストーリーや季節感を現していること」で「六花亭らしさ」を商品にしている[2]。そのため、十勝地方には豊富で良質な原料があるが十勝産には拘っておらず、地元で最上のものがなければ外から手に入れるものもある[2]小麦粉はその一例であり「マルセイバターサンド」は専用の粉を用いている[2]。商品名やデザインに関しては、十勝の歴史・風土や先人の苦労を投影することを意識しており、「マルセイバターサンド」は依田勉三が興した「晩成社」が北海道で初めて商品化したバター「マルセイバター」に由来しているほか、開拓時の苦闘を詠んだ依田勉三の句「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」から名づけた「ひとつ鍋」[3]十勝平野をイメージする「大平原」などがある[2]。また、六花亭の商品は「十勝の人が日常食べるおやつ」を作ることを常に意識しており、毎日おやつとして食べることができる価格帯を想定している[2]。商品づくりでも手作業の方が味が保たれる工程については機械化せずに行っている[2]

  • 焼菓子
    • マルセイバターサンド
    • マルセイビスケット
    • 大平原
    • 玉がしわ
    • 北加伊道(ほっかいどう)
    • 六花亭貯古齢糖
    • 百歳(ももとせ)
  • チョコレート菓子
  • 和菓子
    • ひとつ鍋
    • 白樺羊羹
  • 洋菓子
    • マルセイバターケーキ
    • おふたりで
    • カステラ
    • 六花亭醍醐
    • シーフォームケーキ
    • 十勝川西長いもシフォン
  • その他
    • マルセイキャラメル
    • 六花のつゆ
    • おかげさま

沿革

「六花亭製菓」は、1860年万延元年)に秋田県出身の藩士・佐々木吉兵衛が箱館(現在の函館市)で創業した老舗であり、現在の「千秋庵総本家」が発祥となっている[4]。その後、明治から昭和にかけてのれん分けする形で、北海道内各地で「千秋庵」が誕生していった[4]1894年(明治27年)に「小樽千秋庵」が創業すると(1997年廃業)、1921年大正10年)に小樽千秋庵から独立して「札幌千秋庵」が創業した[4]。そして、1933年(昭和8年)に札幌千秋庵の創業者・岡部武二の弟である岡部勇吉が独立し、帯広に「札幌千秋庵帯広支店」を創業したが[4][5]、体調不良のため1937年(昭和12年)に経営を甥の小田豊四郎が引き継いだ[1][2]。十勝ではビートといった原材料に恵まれていたことから、すでに「伊豆屋高野三郎」(後のイズヤパン、現在の札幌パリ)、「露月」などの同業他社が多くて経営は苦戦していたが、1939年(昭和4年)頃には砂糖の大量購入が功を奏し、「価格等統制令」で砂糖が不足した他社を凌いで地域一番店になった[1][6]

第二次世界大戦」のため、1943年(昭和18年)に小田豊四郎が招集されると店舗は「偕行社」の売店となったほか、工場疎開によって休業を余儀なくされた[1]1946年(昭和21年)に小田豊四郎が帰還すると店の運営を再開し、戦後に「カボチャ饅頭」などの製造を開始した[1][6]1952年(昭和27年)には帯広市からの依頼によって『帯広開基70周年記念式典』用の最中「ひとつ鍋」を開発し、初のオリジナルヒット商品となった[6]。以後は和菓子を中心に製造・販売していたが、次第に酪農を生かした洋菓子を開発するようになった[6]1963年(昭和38年)にはマドレーヌの「大平原」が誕生した[6]1967年(昭和42年)、小田豊四郎がヨーロッパへ視察研修へ行った際、視察先の菓子店でチョコレートが主力商品となっていることを目の当たりにし、「日本でもチョコレートの時代が来る」と感じた小田豊四郎が帰国後の翌年からチョコレートの製造を始めた[2]。白いチョコレートの製法を聞くと「北海道の雪のイメージにも合う」ということで試行錯誤を重ねて、日本国内初となる「ホワイトチョコレート」が誕生した[2]日本国有鉄道(国鉄)による「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンによって広尾線(現在は廃線)愛国駅から幸福駅への切符が「愛の国から幸福へ」としてブームになると、ホワイトチョコレートは帯広を訪れた通称「カニ族」と呼ばれた若者達などから口コミで全国的に知られるようになった[2]。他社でもホワイトチョコレートを販売するようになると商圏を札幌圏など北海道内に拡大して展開しようとするが、すでに「千秋庵製菓」(札幌千秋庵)などが店舗を構えていることなどから活動は狭められた[6]。そこで、1977年(昭和52年)に「千秋庵」の暖簾を返上し、「六花亭製菓」と改名した[6][2]

「六花亭」への改名記念で発売したのが「マルセイバターサンド」であり、これが大ヒット商品となり販売網を拡大していった[6]1978年(昭和53年)には「帯広工業団地」に工場を建設した。1987年(昭和62年)には中札内村の柏林約30ヘクタールを取得し、製菓工場を中心に地域文化を醸成する「地域開発計画」を企画・立案した[7]。このプロジェクトは、「坂本直行記念館」開館を皮切りに敷地内に美術館レストランなどが点在している「中札内美術村」、マルセイバターサンドの製造工場「六花亭中札内ファクトリーパーク」とその周辺をランドスケープした「六花の森」となって地域に根ざしている。

2015年平成27年)には札幌市に「六花亭札幌本店ビル」が開業し[8]、店舗やギャラリー「柏」、ホール「ふきのとうホール」があるほか、テナントとして「ヤマハミュージック札幌店」などが入居している[9]

年表