兼松株式会社
Kanematsu Corporation
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本社が入居するシーバンスN館
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8020
1961年10月2日上場
略称 KG
本社所在地 日本の旗 日本
105-8005
東京都港区芝浦1-2-1 シーバンスN館
本店所在地 650-0032
兵庫県神戸市中央区伊藤町119番地
設立 1918年大正7年)3月18日
創業 1889年明治22年)8月
(豪州貿易兼松房治郎商店)
業種 卸売業
法人番号 7140001005647
事業内容 電子デバイス食料鉄鋼素材プラント車両航空
代表者 下嶋政幸代表取締役会長
谷川薫(代表取締役社長
長谷川理雄(代表取締役副社長兼副社長執行役員
資本金 277億8100万円
発行済株式総数 422,501,010株
売上高 連結1兆1,170億円
単独4752億円
営業利益 連結221億円
単独41億円
純利益 連結114億円
単独78億円
純資産 連結1,187億円
単独753億円
総資産 連結4,590億円
単独2788億円
従業員数 連結:5,832名 単体:816名(16年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 4.20%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 3.43%
株式会社三菱UFJ銀行 3.14%
農林中央金庫 2.94%
三井住友海上火災保険株式会社 2.74%
主要子会社 兼松グループの項目を参照
関係する人物 兼松房治郎(創業者)
清川正二
外部リンク www.kanematsu.co.jp
特記事項:各種経営指標は2015年3月期
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兼松株式会社(かねまつ、英: Kanematsu Corporation)は、日本総合商社である。

概要

1889年明治22年)に日豪貿易の先駆けとして創業。 現在は、電子デバイス食料鉄鋼素材プラント車両航空を中心とした分野において国際的に展開する。

かつては十大商社三菱商事三井物産伊藤忠商事丸紅住友商事日商岩井トーメン兼松江商日綿実業安宅産業)の一角をなした。 現在は、規模においては三菱商事三井物産住友商事伊藤忠商事丸紅豊田通商双日に次ぐ商社である。

1990年代以降に経営不振に陥った。その後は、IT・食品系統に注力し利益構造を強化し経営再建を実施した。 過去には東京銀行第一勧業銀行を、現在は三菱UFJ銀行をメインバンクとしている。

歴史

創業者・兼松房治郎は自ら日本の近代化を推進すべく、大阪商船会社(現・商船三井)の設立に参加、また大阪毎日新聞(現・毎日新聞)を興すなど、「貿易立国日本」の礎を築いた。

明治維新
日本の近代化が進んでいた頃、当時関西実業界のリーダー的存在であった兼松房治郎は日本の貿易に疑問を抱いていた。
『日本の繁栄には貿易の振興が不可欠であるのに、現状はその90%が外国商館で独占されている。本来この商権は我々が握るべきなのでは…』
房治郎が注目したのがオーストラリアとの羊毛貿易。欧米文化が普及する中、毛織物需要も伸びているにも関わらず、日本人が直接海外から羊毛を輸入する事業はまだなかった。房治郎はこの初めての日本人の手による羊毛直輸入に挑戦した。
1889年(明治22年)、『貿易商権を日本人の手に』の理想のもと、『豪州貿易兼松房治郎商店』を開業。翌年にはオーストラリア・シドニーに支店を開設し、日本初の日豪直貿易を成し遂げた[1]。その後大恐慌などの困難にも直面したが、『日豪貿易を断絶させることは何としても避けねばならない』とし、兼松商店は活路を見出していった。
房治郎の没後もその遺志は引き継がれた。社会貢献事業として神戸大学に兼松記念館、一橋大学兼松講堂、そしてオーストラリアのシドニー病院には兼松病理学研究所が寄贈されるなど、日豪貿易の基礎を確立のみならず社会的にも大きな功績を残した。
敗戦後
財閥解体の命令を受け財閥系商社を中心に分社化を余儀なくされたが、1950年昭和25年)以降は再び群小商社の統合が進められた。
名門商社「江商」[2]が多角化と海外取引拡大に失敗し経営危機が表面化。当時、両社のメインバンクであった東京銀行の仲介により1967年(昭和42年)に合併し、兼松江商(KANEMATSU GOSHO)株式会社として新たな出発した(なお、現在使われている兼松の略称『KG』は、この社名の名残)。
その後、戦後の日本経済の高度成長および産業構造の転換に対応して、繊維主体から脱皮。海外現地法人・関係会社の新設或いは増強といった商社の企業基盤の強化、取扱商品の多様化など、繊維や石炭の『貿易商社』から『総合商社』へと地位を着実に固めていった。
1960年代以降
「商社斜陽論」「商社冬の時代」という言葉に象徴されるように、順風満帆ではなかった。
60年代は、メーカーが独自の海外販売網を持つことで問屋排除が進むのではと危惧されたこと。80年代は、原料品市場の停滞や重厚長大から軽薄短小の時代への対応の遅れたこと。
東西冷戦の終焉後は、世界は『情報化』と『グローバリゼーション』をキーワードに大きく変化。バブル崩壊後の日本経済は、『失われた90年代』ともいわれる変化にうまく対応できず、収益が伸びない時代となった。1990年(平成2年)、兼松江商株式会社から兼松株式会社に社名を変更。東京本社を現在の芝浦シーバンスに移転した。
1990年以降
1999年5月、収益力の向上および財務体質の強化を柱とした『構造改革』を実施。得意分野の電子・IT、食品、食糧、鉄鋼、機械・プラント、環境・素材の分野へ経営資源を集中させた。それにより、強固な経営基盤の確立・収益性の高い営業基盤が拡大。『兼松モデル』と称される復活を遂げた。
2010年度からは新中期経営計画『S-project』がスタート。単純なファイナンス取引や投機的取引は回避し、実業の裏づけがある取引に注力。「事業創造集団」

1. 創業主意

  • わが国の福利を増進するの分子を播種栽培す

2. われらの信条

  • 伝統的開拓者精神と創意工夫をもって業務にあたり、適性利潤を確保し企業の発展を図る
  • 会社の健全なる発展を通じて、企業の社会的責任を果し、従業員の福祉を増進する
  • 組織とルールに基づいて行動するとともに、会社を愛する精神と、社内相互の人間理解を基本として、業務を遂行する

沿革

旧 兼松株式会社

  • 1889年(明治22年)8月 - 兼松房治郎兵庫県神戸市に羊毛の輸入を目的として豪州貿易兼松房治郎商店を創業。
  • 1911年(明治44年) - 本店ビル「日濠館」(現、海岸ビルヂング)建設。
  • 1913年(大正2年)5月 - 兼松合資会社に改組。
  • 1918年(大正7年)3月 - 株式会社兼松商店に改組。
  • 1919年(大正8年)2月 - 創業30周年、兼松房治郎7回忌に当たり第1回記念事業として神戸高商(現神戸大学)に商業研究所“兼松記念館(1921年竣工)”と兼松貿易研究基金300千円を寄贈。
  • 1925年(大正14年)8月 - 兼松房治郎13回忌に当たり第2回記念事業として東京商科大学(現一橋大学)に“兼松講堂(1927年竣工)”を寄贈。
  • 1929年(昭和4年)2月 - 創業40周年、兼松房治郎17回忌に当たり第3回記念事業として豪州Sydney病院に“兼松病理学研究所(1933年竣工)”を寄贈。
  • 1943年(昭和18年)2月 - 兼松株式会社(英文社名:Kanematsu&Co.,Ltd.)に商号変更。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 米国にKanematsu NewYork,Inc.を設立(戦後日本商社初の現地法人)。
  • 1961年(昭和36年)1月 - 東京・大阪両支店を支社に。