画像提供依頼:内装の写真・4両編成で運用されていた当時の画像・犬山線で8両編成で運用されていた当時の画像の画像提供をお願いします。2015年2月
名鉄100系電車
(200系)
Meitetsu 100 series 021.JPG
豊田線を走行する100系
基本情報
運用者 名古屋鉄道
製造所 日本車輌製造
製造年 1978年 - 1994年
製造数 11編成66両
運用開始 1979年1月
主要諸元
編成 4両編成(1993年8月まで)
6両編成(1993年8月以降)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 100 km/h[1](名鉄線内)
75 km/h[1](地下鉄線内)
起動加速度 3.0 km/h/s[2]
減速度(常用) 3.5 km/h/s[2]
減速度(非常) 4.0 km/h/s[2]
車両定員 編成表を参照
自重 編成表を参照
全長 20,000 mm
全幅 2,730 mm
全高 4,140 mm (集電装置付き)
3,880 mm (集電装置なし)
車体 普通鋼
台車 住友金属工業 FS398A
住友金属工業 FS398B
住友金属工業 SS126D
住友金属工業 SS026D
主電動機 東洋電機製造 TDK-8200A
東洋電機製造 TDK-8201A
東洋電機製造 TDK-6380A
主電動機出力 100kW ×4基 / 両(TKD-8200A・TDK-8201A)
170kW × 4基 / 両(TDK-6380A)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式[1]
中実軸平行カルダン駆動方式(TDタイプ)[3]
歯車比 85:14=6.07[1]
制御方式 抵抗制御(1・2次車)
界磁添加励磁制御(3・4次車)
VVVFインバータ制御(5次車以降)
制御装置 三菱電機 ABFM-138-15MDHA[4](電動カム軸式弱め界磁付直並列抵抗制御)[注釈 1]
三菱電機 ABFM-138-15MRH[6](回生ブレーキ付界磁添加励磁制御)[注釈 2]
三菱電機 MAP174-15V38[3](VVVFインバータ制御)[注釈 3]
制動装置 発電ブレーキ(回生ブレーキ)併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)
保安装置 M式ATS車内信号ATC
Wikipedia laurier W.png
第20回(1980年
ローレル賞受賞車両

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名鉄100系電車(めいてつ100けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1979年から運用している通勤型電車である。

名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互直通運転のために導入された車両で、名鉄が製造した車両としては初となる20m4扉ロングシートの電車である[8][注釈 4]1980年には鉄道友の会よりローレル賞受賞車両に選出された[10]。当初は4両編成で製造されたが、地下鉄直通運転の本格化に伴い6両編成に増強された。

本項では、同様の車体で制御方式が変更された増備車である200系についても記述する。また、特定の編成について記す場合は、豊田線内で豊田市向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊田市向き先頭車の車両番号がク111の編成であれば「111編成」)。

登場の経緯

名鉄豊田線は、名鉄の前身のうちの1社である新三河鉄道1926年10月に免許を受けた、挙母(当時)と大曽根を結ぶ鉄道敷設計画に端を発する[11]。その後、新三河鉄道の保有していた敷設の権利は1937年に三河鉄道に継承され[11]、その三河鉄道も1941年に名古屋鉄道に合併となった[11]が、本格的な工事は行われないままであった[11]

1950年代以降の高度成長期の中、豊田市は自動車産業の隆盛により人口が急増していた[11]が、名古屋市から豊田市方面に至る地域には鉄道がなく、道路交通が主体となっていた[11]。また、名古屋都市圏においては、自動車の急激な増加による路面交通の混雑により、通勤輸送の逼迫や交通公害の発生による都市交通問題が深刻なものとなっていた[12]。このため、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会の名古屋圏部会は、1972年に既設路線を含めて総延長139kmの路線網を答申した[13]が、この中に名古屋市と豊田市を結ぶ鉄道が含まれていた[11]。この都市交通審議会の答申を受け、名鉄では新三河鉄道から継承された免許区間のうち、地下鉄3号線と競合する八事と赤池の間の権利を名古屋市に譲渡した[11]上で、赤池と豊田市の間については名鉄が建設し、車両や設備の規格をあわせて相互直通運転を行うことになった[11]

一方、名鉄では自社区間の通勤車両として1976年6000系を登場させていたが、この6000系では両開き3扉の通勤用車両でありながら居住性向上という観点から固定クロスシートを採用していた[14]。しかし、名古屋市営地下鉄との相互乗り入れにあたり、相互直通運転に使用する車両の規格は統一することとしており、豊田線と地下鉄を直通運転する車両は全長20m・4扉ロングシートという前提条件があった[14]。そこで、名鉄では「機能一点張り」というイメージをなくすべく、「機能は通勤型であるが乗車感覚は特急型」という基本方針を打ち出した[14]

こうした経過の後、地下鉄への直通運転に使用する車両として登場したのが100系である。

車両概要

100系は4両編成で登場し、1993年8月からは中間車を増備して6両編成に組成変更した。増備時期によって制御方式は抵抗制御から界磁添加励磁制御VVVFインバータ制御と変化しているが、形式は変更されておらず、211 - 214編成については100系200番台として増備された。最終増備車については全車両がVVVFインバータ制御車となり、形式が200系に変更された。また、抵抗制御を搭載していた111 - 115編成は増備の中間2両を除く前後4両がIGBT-VVVFインバータ制御化され、つり革が三角形(111編成の中間2両は丸形)に交換され、JR東海313系と同じ音質のドアチャイムが設置された。

100系・200系は、系列中に6形式ずつが存在する。構成形式に100形や200形は存在しない。

モ110形
100系の編成において豊田市側の先頭車となる制御電動車 (Mc1) 。ただし、111 - 115は制御車(Tc)。
モ120形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M2) 。
モ130形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M1) 。ただし、131 - 135は付随車(T)。
モ140形
100系の編成において上小田井側の先頭車となる制御電動車 (Mc2) 。
サ150形
100系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T) 。
モ160形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車(M) 。
ク210形
200系の編成において豊田市側の先頭車となる制御車 (Tc) 。
モ220形
200系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M) 。
サ230形
200系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T) 。
モ240形
200系の編成において上小田井側の先頭車となる制御電動車 (Mc) 。
サ250形
200系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T') 。
モ260形
200系の編成において中間に組み込まれる電動車(M') 。

本節では以下、登場当時の仕様を基本として記述し、更新による変更については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。

車体

全長20,000mm[2]、車体長19,300mm[2]で、車体幅は2,730mmである[2]。車体は全て普通鋼製で[15]、レール上面から床面までの高さは1,150mmである[15]

客用扉は幅1,300mm・高さ1,808mmの両開き扉を4箇所に配した[15]。側面窓は幅1,750mm・高さ850mmの固定窓1枚とし[16]、厚さ3mm+3mmの複層合わせガラスを使用した[16]。戸袋窓は設けられていない[2]

前面は6000系と5500系を合わせた上で近代的な感覚にまとめることを意図した[2]もので、平面ガラスで構成されたパノラミックウィンドウとした[16]上で、窓の中継ぎ柱を黒色とすることで1枚ガラスに見えるように配慮した[17]。高運転台構造を採用しており[16]、窓下にはステンレスエッチング加工による飾り帯を設け[2](貫通扉中央部に名鉄の社章入り)、流動感を持たせるとともに側面窓高さとの調和を図った[2]。幕式行先表示器は前面の貫通扉上に設けられ[16]、6000系よりもサイズを拡大した[17]ほか、名鉄では初めて側面にも行先表示器が設けられた[16]。細かいところでは、乗務員室の扉のヒンジが相互乗り入れを行う名古屋市営地下鉄の車両に合わせて、当時の名鉄の車両とは逆[注釈 5]の車両先頭側に付いている。

車体の塗装デザインはスカーレット1色である[2]

内装

座席は前述の通り全てロングシートである。座席の表地の色はスカーレットとし[17]、シルバーシートの背もたれのみブルー系統の色を使用した[16]。また、1人分を区分するためにキルティング模様を入れることによって、1人あたりの着席区分を明確化した[17]ほか、座席端部には肘掛を設けている[2]。また、側面窓のカーテンは茶色形の横縞模様の横引カーテンとした[17]が、ロングシート車両で横引カーテンが採用されるのは初めてである[16]。着席した乗客にとってカーテンが邪魔にならないように、窓キセ厚み内にカーテンが納まる位置にカーテンレールを設けている[18]。カーテン掛けは布の掛け帯ではなくアルミ鋳物製とし[17]、ここにカーテンを挟み込む構造とした[18]

車内通路には吊手を設置した[19]。吊手の本数は、先頭車が108本・中間車が114本で[19]、ドア部分の通路上部には握り棒を設けた[19]

室内の内張りは、天井が白色のメラミン樹脂アルミ化粧板を[17]、側壁は縦縞模様のメラミン樹脂化粧鋼板を使用した[2]。床面は中央部をワインレッド・両脇を薄茶色とすることにより、赤い絨毯が敷いてあるような感覚をねらった[2]

主要機器

電装品

電動台車 FS398A

6000系で実績のある機器を使用することによって、安定した性能や保守の便を図った[18]

制御装置は三菱電機製の主制御器であるABFM-138-15MDHA形が採用された[20]。1台の制御器で8基の電動機の制御を行う方式 (1C8M) の多段制御装置で[18]、制御段数は力行を起動1段・直列16段・並列8段・弱め界磁4段[21]、制動を17段とした[21]。ただし、地下鉄線内では、弱め界磁は3段までしか使用しない[21]

主電動機は東洋電機製造製の直流直巻補極補償巻線付電動機であるTDK-8200A形が採用された[21]。100系では全車電動車方式としたことから、主電動機の出力は100kWとした[18]。駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式で、歯数比は85:14=6.07である[21]制動装置(ブレーキ)は発電ブレーキ併用のHSC-D形電磁直通ブレーキが採用された[22]

台車は6000系で使用実績のある住友金属工業製のS形ミンデン式のFS398A形空気ばね台車が採用された[20]。基礎制動装置はクラスプ式(両抱え式)で、固定軸距は2,100mmである[17]

その他機器

運転台。機器配置は地下鉄車両と統一されている。

乗務員室はATC・誘導無線など、地下鉄直通運転に必要な機器を搭載するため6000系より若干広くした[17]ほか、主なスイッチや表示灯の位置は地下鉄の車両と統一を図った[23]ため、運転台の機器配置は6000系とは大幅に変更された[20]

冷房装置は10,500kcal/hの能力を有するRPU-3004形を1両につき3台を搭載した[22]ほか、ラインフローファンを先頭車では9台、中間車では10台設けた[22]。補助電源装置は出力60kVAのCLG-326-N1形電動発電機を装備した[22]

集電装置はモ120形・モ140形にPT4214-A-M形菱枠型パンタグラフを設けた[2]

連結器は先頭部分を簡易密着連結器[1]、中間を棒連結器とした[1]

増備途上での変更点

1978年12月までに製造(100系1次車)
  • 100系1次車は1978年12月までに、4両編成2本が製造された[8]
1979年6月製造(100系2次車)
  • 4両編成3本が増備された[24]。乗務員室背面の仕切り壁の位置・寸法・支持方式が変更された[25]
1989年4月製造(100系3次車)
  • 4両編成1本が増備された[6]。この時の増備車からは回生ブレーキを付加した界磁添加励磁制御を採用[24]、制御装置は三菱電機の主制御器であるABFM-138-15MRH形を採用した[6]。台車はブレーキシリンダ径が変更されたことに伴いFS398B形に変更され[7]、耐雪ブレーキを付加した[6]。補助電源装置は出力60kVAのSVH70-447B形GTOインバータ装置に変更され[6]、集電装置もステンレスパイプを使用したPT4212S-A-M形に変更[6]、冷房装置もRPU-3004AJ形となった[6]。また、車体床面は40mm下げられ、レール上面から床面までの高さは1,110mmとなった[24]ほか、客室内は平天井に変更[7]、座席は座り心地の改善のため形状が変更された[6]。そのほか、側面の行き先表示器の面積も拡大された[24]ほか、自動放送装置を当初より搭載した[7]
100系4次車の内装。配色が6750系2次車と同様のものになっている。
1991年4月製造(100系4次車)
  • 4両編成4本が増備された[26]犬山線と鶴舞線の相互直通用に製造された[6]が、直通運転開始までは犬山線・名古屋本線・常滑線で暫定使用するために仕様変更が行われ[26]、形式は変わらないが車両番号は200番台となった(番号不足のため)[24]。主要な機器は3次車と同様である[7]が、4次車では制御段数の増加が行われた[6]ほか、4両編成を2本連結した8両編成での運行を可能にするため、元空気溜め管・直通管・ジャンパ栓(27芯・48芯)の新設が行われ[26]、乗務員室には「自車締切」「他車締切」のスイッチが追加された[26]。また、内装も一部変更され、床面が6750系2次車と同様、紫系濃淡の配色に変更された[24]
5次車で採用されたボルスタレス台車(付随台車 SS026D)
1993年4-7月製造(100系5次車)