朝鮮半島における国連軍(こくれんぐん、: United Nations Command, UNC)は、1950年に勃発した朝鮮戦争において組織された多国籍軍である。2018年現在も組織は存続しており、日本の横田飛行場に後方司令部を置く。朝鮮国連軍とよばれることもある[1]

概要

1950年6月25日(現地時間)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が大韓民国(韓国)に侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。国際連合安全保障理事会は、ソビエト連邦が欠席しているため、アメリカ合衆国が主導し、6月25日の国際連合安全保障理事会決議82[2]にて北朝鮮の武力攻撃を非難し、韓国への援助を求めた。

アメリカは、韓国政府からの要請を受けて6月27日に軍事介入を決断しており、安保理も、6月27日の国際連合安全保障理事会決議83[3]にて軍事力の行使を認めている。7月7日、国際連合安全保障理事会決議84[4]において、北朝鮮に対抗するために、アメリカが指揮を執る多国籍軍の編成を要請した[5]

多国籍軍については、アメリカ軍の司令官が指揮を執り、参加各国の国旗とともに国際連合の旗を使用する権限(Authorizes the unified command at its discretion to use the United Nations flag)が与えられている。この軍は、国際連合憲章第7章に基づく、安保理が指揮する国連軍ではないが、国際連合の決議に基づき、その名称使用が認められている[6]

7月8日に、ハリー・S・トルーマン大統領は、ダグラス・マッカーサーを国連軍司令官に任命した[7]。国連軍には、イギリストルコフランスベルギーカナダなど16ヶ国が参加し[5][6]、国連非加盟であった大韓民国は、1950年7月15日の大田協定により、作戦指揮権(operational command)を国連軍に委ねている[6]。1953年7月の朝鮮戦争休戦協定は国連軍が当事者となっており、以後も組織は存続している。このうち、アメリカ軍と韓国軍については、1978年11月に米韓連合司令部(ROK-US Combined Forces Command,CFC)が設置され、連合部隊として指揮される[6]。なお、作戦指揮権は、1954年に作戦統制権(operational control)に名称が変更されている[8]

国連軍司令官と米韓連合軍司令官は兼職であり、アメリカ軍人がその地位にある[6]。ただし、国連軍司令官は、休戦協定の維持が責務であり、統合参謀本部の隷下にあり、参加各国軍(主力は米韓連合軍)の指揮を行うのに対し、米韓連合軍司令官は、米韓の合同組織である軍事委員会の隷下にあり、韓国防衛が責務で、米韓連合軍の指揮を執るとの差異がある[9]

結成当時アメリカやイギリスなどの連合国軍の占領下にあった日本はこの国連軍に参加してはいないが、設置時の司令部は、当時日本の占領を指揮していた連合国軍最高司令官総司令部の本拠地があった東京にあり、1951年に吉田・アチソン交換公文が交わされ、占領を脱した後の1954年に「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)が締結されたことに基づき、国内に国連軍施設が設置されている[6][10]。1957年に司令部が韓国に移転した[6]後も、後方司令部がキャンプ座間に置かれ、これは2007年に横田基地に移転している[10]。2018年1月16日に北朝鮮情勢を受けてアメリカが朝鮮戦争当時の国連軍派遣国[11][12]に呼びかけてカナダで開催された外相会合でも日本は関係国として招待[11]されて出席している[13][14]

1953年時点の兵力

国連軍のエチオピア人兵士、1953年
国連軍のルクセンブルク人兵士、1953年

国連軍の1953年7月27日時点の総兵力は932,964人であり、参加各国別の兵力は以下の通り[15]