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大韓民国
대한민국
韓国の国旗 大韓民国の国章
国旗 国章
国の標語:弘益人間(建国理念、デ・ファクト
国歌애국가 (愛國歌)(朝鮮語)
愛国歌
韓国の位置
公用語 韓国語韓国手話言語
首都 ソウル特別市
最大の都市 ソウル
政府
大統領 文在寅
国務総理 丁世均
国会議長文喜相
大法院長金命洙
面積
総計 100,339km2109位
水面積率 0.3%
人口
総計(2019年 51,845,612[1]人(25位
人口密度 503(12位)人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2018年 1,893兆4,971億大韓民国ウォン
GDP(MER
合計(2018年 1兆7,204億ドル(10位
GDP(PPP
合計(2018年2兆138億[2]ドル(12位
1人あたり 41,173[2]ドル
独立のちに単独政府樹立
大韓民国臨時政府樹立記念日
(現行大韓民国憲法及び政府はその継承性を主張)
1919年4月11日
アメリカ軍政庁設置1945年9月8日
独立準備選挙実施1948年5月10日
大韓民国樹立宣言
アメリカ軍政の終了)
1948年8月15日
通貨 大韓民国ウォンKRW
時間帯 UTC +9 (韓国標準時)(DST:なし)
ISO 3166-1 KR / KOR
ccTLD .kr
国際電話番号 82

大韓民国の国璽
国璽
大韓民国
各種表記
ハングル 대한민국
漢字 大韓民國
発音 テハンミングク
日本語読み: だいかんみんこく
ローマ字 Daehan Minguk
英語表記: Republic of Korea
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大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語: 대한민국漢字: 大韓民國: Republic of Korea)、通称韓国かんこくは、東アジアに位置する共和制国家。首都はソウル特別市

冷戦で誕生した分断国家のひとつであり、朝鮮半島(韓半島)全域を領域と主張しているが、実際には半島南部のみしか実効支配していない。日本北朝鮮国家として承認しておらず[3][4]、日本は韓国を朝鮮半島唯一の合法政府とする[5]

概要

憲法上は鴨緑江豆満江以南の「朝鮮半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治下にあり、韓国の施政権は全く及んでいない。朝鮮戦争で争った北朝鮮とは1953年休戦したが、その後も断続的に軍事的対立や小規模な衝突が発生している。

政治面は1980年代半ばまで独裁体制が取られていた。しかし、1987年民主化宣言によって成立し、現在まで続いている第六共和国憲法に基づく体制は民主主義政体と評価される[6]

経済面は1960年代前半まで世界最貧国グループにあったので[7][8][9]、独自に資金や技術を調達できなかった[10]。しかし、ベトナム戦争参戦で獲得したアメリカ合衆国からのドル資金と、日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款およびその後も続いた技術指導や技術援助により、社会インフラを構築し輸出産業が育ち早い経済発展を遂げた[10][11]。これは漢江の奇跡と呼ばれ、国内総生産(GDP)で世界11位(2015年時点)となっている[12]。2017年、韓国全体のGDP(1.531兆ドル)で東京(約1.8兆ドル)を多少下回る程度にまで成長した[13]。韓国の一人当たりGDPは、2018に3万3,346ドル(USD)を記録した[14](日本は約4万ドル[15])。

日本の隣国ではあるが、歴史的経緯や共に民主党[16][17]政治教育などの誘導により一部の韓国民における反日感情は世界的に見てもその傾向は高い方である[18][19][20]。日本に対して批判的な意見を持つ人もいるが、一方でそれ以上に日本や日本人、日本文化に好意的な言動を示す人も多くいる[21]日本と韓国は相互に貿易総額で第3位(2016年)の貿易相手国であり、韓国の財閥企業は多くの部品・素材・生産機器を日本からの輸入に依存しており、経済的な結び付きは高い[22]

支配領域の面積は日本の約26%で[23]、山地が多く平野部は少ない。森林と農地で国土の約81%を占める[24]ソウル首都圏には全人口5千万人の約半数が居住し世界の都市圏人口の順位でも第5位となっている[25]。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国と各々国境を接する。

国名

太極旗
大韓民国
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
古朝鮮 - 檀君朝鮮
箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮
三韓時代 - 三国時代
統一新羅
後三国時代
高麗
李氏朝鮮 - 大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
大韓民国
カテゴリ
政治 - 法律 - 経済
教育 - 軍事 - 交通
組織 - 文化 - 歴史

正式名称

正式名称は、ハングル表記: 대한민국漢字表記: 大韓民國。読みは、テハンミングKo-Daehan_Minguk.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]。略称は、한국韓國、ハング)である。

」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓辰韓弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名で、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)がから独立するにあたって使用した国号大韓帝国」に由来している(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については大韓帝国#国名を参照のこと)。1910年日韓併合後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、1919年朝鮮独立運動の活動家たちが中華民国で「朝鮮の亡命政権」(大韓民国臨時政府)を樹立する際、共和制国家の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については大韓民国臨時政府#名称の由来参照のこと)。

現在の「大韓民国」という国号は、李承晩金九などの「大韓民国臨時政府」を正当な独立運動の主体と考える大韓独立促成国民会(独促国民会)の強い意向により決まった。

1945年日本の降伏時点で、連合国は大韓民国臨時政府の政府承認を否定し、朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた。その後、1948年米軍統治下の朝鮮のみで独立することが決まると、米軍は憲法制定(制憲)国会を招集して独立準備にあたらせた。その際、憲法起草委員会が新国家の憲法起草とともに新国家の国号と年号も決めることになり、国号候補として「大韓民国」「高麗共和国」「朝鮮共和国」「韓国」の四つが挙げられた。最終的には、1948年6月23日に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓民国」が新国家の国号に決定した[26]。なお委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する」というハプニングがあったという[27]

日本における呼称

日本語表記は、大韓民国。略称は、韓国。もしくは南北朝鮮の対比の略称として南鮮。ただし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府を「朝鮮の合法な政府」として支持する者(朝鮮総連など)や共産趣味(チョソンクラスター)の間では、南朝鮮みなみちょうせんまたは南鮮なんせんという呼称が使用される[28]

大韓民国の建国からしばらくの日本では、「韓国」のほかに「南朝鮮」「南鮮」などの呼称も一般的であった。1965年日韓基本条約締結で国交が樹立されてからは「大韓民国(韓国)」の呼称も使用されるようになるが、メディアなどでは「南朝鮮・大韓民国」と二つ並べて呼称されることが多かった[29]。1980年代中ごろ以降、「南朝鮮」「南鮮」の呼称は公式の場面でほとんど用いられなくなっている[30][31]。例外として日本共産党が南北が国際連合へ加盟した際、「どちらかが全体を代表するという響きがない」として用いていたことがあった[32][33]。日本語での伝統的な異称としては「高麗(こま、「狛」とも表記)」があり、「こまひと(高麗人)」といえば朝鮮半島の人々の異称であった[34]

独立直後は「ハーヌ民国」と表記する地図もあった。

ヨーロッパ諸語における呼称

ヨーロッパ諸語でのコリアKorea)はマルコ・ポーロの『東方見聞録』における「高麗(고려 [koɾjʌ]、コリョ)」に由来する。大韓民国のヨーロッパ諸語の呼称は Republic of Korea(英語)を公式に使用している。また、北朝鮮を North Korea、韓国を South Korea と略称することも多い。

朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いており、かつ韓国を主権国家として正式に承認していない。南北朝鮮は、東西ドイツ基本条約を結んだかつての東西ドイツとは違い、条約に基づく相互国家承認をしていない。1991年南北基本合意書に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が批准を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮の人々は、韓国政府が実効支配している地域を南朝鮮みなみちょうせん남조선ナムジョソン)と呼んでいる。韓国政府をアメリカ合衆国の傀儡政権と見なして、「南朝鮮傀儡」と表記することもしばしばである。

韓国(南朝鮮)の人々も、大韓民国建国まで、韓国政府の実効支配区域(38度線以南の朝鮮)に居住する朝鮮民族の間でも、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いていた。しかし、韓国と北朝鮮は、1948年の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位をめぐって対立しており、1950年には朝鮮戦争によって甚大な被害を受けている。このため韓国の人々は、大韓民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている日本統治時代李氏朝鮮を想起させること[35]などの歴史的・政治的事情により、「朝鮮」という表現を避ける傾向が強い。

これらの事情のため、韓国人が「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉を日常で使うことはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」という表現が主流となっている。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」または「韓国動乱」などと呼称するのが一般的となっている。朝鮮の南北についても「北韓・南韓」と呼んでいる[36]。さらに、朝鮮人参も「高麗人参」という[37]

ただし、ごく一部の民族民主(NL)系人士が自国のことを「南朝鮮」と呼んでいるほか、ホテル名学校名朝鮮日報のような大韓民国成立以前から存在する組織など、ごく少数の固有名詞では、あえて歴史的な事実を尊重して、歴史的感覚から「高麗」「新羅」と同様に「朝鮮」を使用している場合もある[38]

歴史

朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 AD
伝説 檀君朝鮮
史前 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
前18-660
高句麗
前37-668
新羅
前57-
南北国 熊津安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東
都護府
668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

独立に至る経緯

朝鮮1910年韓国併合によって日本の統治下に入り、国際的に併合の合法性を問題視する国もなかった。しかし、第二次世界大戦の勃発で日本連合国が敵対するようになると、連合国の首脳は1943年に発表したカイロ宣言の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」ことを宣言した[39]1945年2月、ヤルタ協定にて連合国首脳は戦後朝鮮を4か国による信託統治下に置くことを決定[40]、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍8月9日対日参戦後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を光復節という祝日に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている[41])。

光復後、朝鮮は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)をアメリカ軍にそれぞれ占領された。米軍司令部は9月7日に朝鮮における軍政(占領統治)実施を宣言し、独立運動家らが自発的に樹立した朝鮮人民共和国大韓民国臨時政府政府承認を否定した[42]9月9日米軍朝鮮総督府から降伏文書の署名を受け[43]、南朝鮮では新設された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した[44]

米軍軍政下の朝鮮半島南部には幾つかの政治勢力が存在した[45]。このうち李承晩を中心とする右派のグループは米国ともっとも近い関係にあった[45]。しかし李承晩は米国本国との直接のパイプを見せながら米軍軍政に対して接したため軍政の当局からは厄介な存在として扱われていた[45]。ただ李承晩には長年本国を離れていたため国内に組織的な支持勢力を持っていないという弱点もあった[45]。右派の政治勢力には李承晩のグループとともに大韓民国臨時政府の中心となっていた金九のグループがあった[45]。さらに右派には宋鎮禹金性洙など韓国民主党(韓民党)を結成した政治勢力がおり、韓民党は財政的基盤では他よりも優位にあった[46]。一方、左派の政治勢力には朴憲永のグループがあった(朴憲永はのちに北朝鮮へ越北)[46]。このほか呂運亨を中心とする中道左派のグループや金奎植を中心とする中道右派のグループが存在した[46]

第二次世界大戦後の朝鮮半島南部では左右対立が激しく、無償農地改革を主張していた左派勢力のほうが優勢だった[47]。しかしソ連が提案した朝鮮半島の国際信託統治案をめぐって左派が「賛託」と呼ばれる賛成派につき、右派が「反託」と呼ばれる反対派についたことを契機に状況は変化した[48]。連合国は1945年12月のモスクワ三国外相会議にて朝鮮半島の信託統治を協定し、翌1946年1月から京城府で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。しかし、共同委員会は信託統治受け入れに反対する李承晩、金九ら大韓民国臨時政府系の右派の扱いをめぐって紛糾し、米ソ対立から1947年7月に決裂した[42]

アメリカは朝鮮問題を国際連合に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌1948年1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行った。ソ連がUNTCOKの入北を拒否したため、アメリカ主導の国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九、金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や北朝鮮人民委員会による南部単独での総選挙反対を押し切って5月10日南部単独総選挙を実施した。

米軍軍政は李承晩や金九を絶対的に支持していたわけではなく、中道派を軸に左右の勢力を取り込んだ政権を実現しようとしたが挫折(左右合作運動[45]。結局、李承晩と韓民党の連携による政権樹立が目指された[45]。憲法案では大統領制を採用するか内閣責任制を採用するかが争点となり、強大な権力を理想とする李承晩や金九は大統領制を主張したのに対し、議会に基盤を置いていた韓民党は内閣責任制を主張した[49]。制憲憲法はその折衷案として大統領を国会議員間接選挙により選出する大統領間接選挙制を採用した[50][51]。選挙によって成立した制憲議会7月12日制憲憲法を制定、7月20日には李承晩を大韓民国大統領に選出して独立国家としての準備を性急に進めた。この制憲憲法には進歩的な条文も含まれていたが、自由に関しては法律での制限を広範に認める内容で、国内の多くの政治勢力の意向を汲んだ妥協点が反映されたものだった[50]

光復から3年後の1948年8月15日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言[52]。同日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となった[53]

南朝鮮単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立した。

双方に政権ができてからも南北分断回避を主張する南北協商論は強く、金九や金奎植は平壌で金日成と会談したが決裂した(南北連席会議[49]。南北間には隔たりがあり、金日成はこの会議を朝鮮半島全体の指導者として印象づけるために利用したという評価もある[49]

1948年の時点では南北の分断はまだ強固で強靱に制度化されたものとはみられていなかったが、冷戦を背景に南北で非常に対照的な憲法が制定されたことで南北の分断は次第に固定化された[49]。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する分断国家はそれぞれの朝鮮統一論を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は建国翌日の9月10日最高人民会議の演説で「国土完整」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の李承晩大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「北進統一」を唱えた[54]。互いを併吞しようとする両政府は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、実際に干戈を交えることになる。

朝鮮戦争

1950年6月25日朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は韓国との境界であった北緯38度線を越えて南下を開始し、朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発した。そのころ、弱体である韓国軍は敗退を重ね、洛東江以東の釜山周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して国連安保理は非難決議を上げ、米国を中心とする西側諸国国連軍を結成して韓国軍とともに後退戦を戦っていたが、仁川上陸作戦により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追って鴨緑江近辺にまで侵攻した。これに対し中国義勇軍を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、北緯38度線付近で南北の両軍は膠着状態になり、戦争で疲弊した米国と北朝鮮は1951年7月10日から休戦合意を巡る協議を開始した。2年間にわたる戦協議の末、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定締結をもって大規模な戦闘は停止した。ただし、韓国政府は休戦協定に署名しておらず、戦争自体も協定上は停戦状態のままとなっている。この戦争により、朝鮮半島のほとんど全域が戦場となり、インフラや文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、保導連盟事件済州島四・三事件の例にあるように双方とも敵の協力者と見なした一般市民の大量処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。また、38度線が引かれたことにより朝鮮半島の分断が確定的となり、朝鮮統一問題が南北朝鮮の最重要課題となっている。

李承晩時代

1948年に初代大統領に就任した李承晩は、日本から戦争賠償金を獲得するために「対日戦勝国連合国の一員)」としての地位を認定するよう国際社会に要求したが、連合国からは最終的に認定を拒否され、1951年日本国との平和条約を締結することができなかった。そのため、李承晩は李承晩ラインの設置(1952年)や竹島の占拠(1953年)によって武力で日本の主権を奪う政策に出た。一方、国内では朝鮮戦争という危機的状況下でも権力を維持し、戦争中に釜山へ移転していた政府を休戦後に再びソウルへ戻すことができた。朝鮮戦争後、李承晩は政敵の排除(進歩党事件など)や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、権威主義的体制を固めていった。しかし、経済政策の失敗で韓国は最貧国の一員に留まっており、権威主義的な施策もあって人気は低迷していった。そのため、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、1960年4月19日の学生デモを契機として政権は崩壊し(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命した。

朴正煕時代

李承晩失脚後は、張勉内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた朴正煕少将をはじめとした軍の一部が1961年5月16日クーデターを決行し、国家再建最高会議 が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は1963年10月に第5代大統領に当選 した。1972年、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は10月17日非常戒厳令を発し憲法を改正(第四共和国)、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「維新体制」と呼ばれるこの時期には、反対派に対する激しい弾圧により政治的自由が著しく狭まったが、1979年10月26日、側近の中央情報部長により朴正煕は暗殺された。朴正煕時代は強権政治の下、朝鮮戦争以来低迷していた経済の再建を重視した。しかし、世界最貧国グループに属していた韓国は[8][9]自前で「資金」や「技術」を調達できず、いずれも、特に米国や日本など海外に依存せざるを得なかった[10][7]。資金面では、米国のベトナム戦争参戦で得た巨額のドル資金や、1965年日韓基本条約締結を契機に日本からの1990年までの約25年にわたる円借款、技術面は、日米の技術者による指導や日米企業との技術提携を通して、技術やノウハウを吸収し、鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、造船や自動車産業などの輸出産業も成長した[10][11]。のちに「漢江の奇跡」と呼ばれた。これにより韓国は世界最貧国の層を脱した[7]。一方で朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である慶尚道を優遇し、全羅道に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の地域対立、差別の問題が深刻になった。この問題は今に至るまで解決していない。

全斗煥・盧泰愚時代

朴正煕暗殺により、急速に規制が解かれた韓国の政治はソウルの春と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、1979年12月12日より始まった粛軍クーデターにより、全斗煥陸軍少将をはじめとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して反対運動が各地で発生したが、80年5月17日非常戒厳令拡大措置が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。5月18日、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、5月27日、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は戒厳軍により武力鎮圧された(光州事件)。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた崔圭夏8月16日に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年2月25日に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。1987年、大統領の直接選挙を求める6月民主抗争が起こり、与党盧泰愚大統領候補による6.29民主化宣言が引き出されたため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた大統領選挙では、野党側の有力な候補が金泳三金大中に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、1988年ソウルオリンピックの成功、中華人民共和国ソビエト連邦1990年9月30日)との国交樹立[55]国際連合への南北同時加盟などにより新興工業経済国として韓国の国際的認知度の上がった時代でもあった。

文民政権登場以後

1990年金泳三率いる統一民主党金鍾泌の率いる新民主共和党とともに盧泰愚政権の与党である民主正義党と合同(「三党合同朝鮮語版」)し、巨大与党である民主自由党が発足した。金泳三は1992年大統領選挙に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない文民の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、全斗煥、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。1997年大統領選挙では、長年にわたって反軍政・民主化運動に関わってきた金大中が大統領に当選した。金大中政権において民主化・自由化は本格化し、国家安全企画部の改組、民主労総の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした民主労働党が結成され、のちに国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「太陽政策」のもと2000年6月南北首脳会談を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、日韓ワールドカップの共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。2002年大統領選挙で当選した盧武鉉は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。2007年大統領選挙に当選した李明博2012年大統領選挙に当選した朴槿恵により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓民国においてもはや定着していると言える。2017年3月には民主化以降初めての大統領弾劾が成立して朴槿恵が失脚。5月の大統領選挙文在寅が当選し、再び革新系に政権が戻った。

年表

大韓民国成立後の歴史は、憲法大韓民国憲法)による政体の相違によって、七つの時代に区分される。

1945年 - 1948年:アメリカ軍政庁期連合軍軍政期、非独立)
1948年:済州島4・3事件
1948年5月10日:南朝鮮単独での初代総選挙が実施される。
1948年7月12日:大韓民国憲法が制定され、7月17日に公布される。
1948年 - 1960年:第一共和国期
1948年8月15日:第二次世界大戦後の米ソ冷戦の中、アメリカの支援により大韓民国が建国、9月9日にソ連の支援により朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が建国される。
1948年:済州島4・3事件継続。
1948年:麗水・順天事件
1948年5月14日:瑞穂丸拿捕事件[56]。韓国による日本漁船拿捕、民間人虐待。
1949年:聞慶虐殺事件
1949年:対馬領有宣言[57]
1950年1月12日:アメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンが「アチソンライン」を表明。
1950年6月25日:朝鮮戦争北朝鮮の先制攻撃による朝鮮半島主権をめぐる紛争
1950年6月27日:保導連盟事件李承晩大統領による韓国民大量虐殺。犠牲者は20万人から120万人と推定[58]
1952年1月18日:李承晩ライン設定。この海域設定により、竹島を取り込む。海域内での韓国籍漁船以外の漁業を禁止し、違反漁船は拿捕接収、銃撃、殺害などの被害に遭った(おもに日本国籍)。
1952年2月12日:アメリカは韓国に対し、李承晩ラインを認めないと通告するも、韓国はこれを無視。
1953年:竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[59]
1953年2月4日:第一大邦丸事件韓国海軍が日本漁船を銃撃後、民間人を虐待・殺害。
1953年7月27日:朝鮮戦争休戦協定国連軍と中朝連合軍間で署名。終戦でなく停戦であり、名目上は現在も戦時中。
1953年10月1日:米韓相互防衛条約米韓同盟が結ばれる。
1954年:韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[59]
1955年8月18日:日本との経済関係断絶[60]
1959年12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件
1960年4月27日:四月革命によって李承晩初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
1960年 - 1961年:第二共和国期
朴正熙少将による5・16軍事クーデターによって国家再建最高会議が設置される。
1961年 - 1963年:国家再建最高会議軍政)期
朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
1963年 - 1972年:第三共和国期
1964年 - 1973年:ベトナムに出兵韓国軍によるベトナム人に対する大虐殺慰安婦ライダイハン問題が生じる。虐殺現場100か所以上、犠牲者数最大3万人との調査結果もあり、強姦売春婦強制妊娠の犠牲者は最小1500人から最大3万人と推定されている[61]
1952年 - 1965年:韓国による日本漁船拿捕328隻、日本人漁民抑留3929人、死傷44人(1968年の『日韓漁業対策運動史』より)。抑留者は大虐待を強いられる。海上保安庁巡視船に向けた銃撃等の事件は15件で、16隻が攻撃された。
1965年1月:竹島密約
1965年6月22日:日韓基本条約締結。同日「日韓請求権並びに経済協力協定」「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」なども結ばれる。これらにより、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決(韓国の対日請求権放棄含む)、日韓関係正常化などで合意。日本は韓国に対し無償3億ドル、有償2億ドル、および民間融資3億ドル以上、計約11億ドルの経済協力支援を行った(当時1ドル=約360円)[62]
1968年:青瓦台襲撃未遂事件
1971年8月23日:実尾島(シルミド)事件
1972年10月17日:十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
1972年 - 1979年:第四共和国期
1973年8月8日:大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日韓関係は悪化する。
1974年8月15日:朴正煕大統領の陸英修夫人が在日韓国人文世光によって暗殺される文世光事件が発生する。
1976年8月18日:ポプラ事件
1970年代:コリアゲート事件発覚。
1979年10月26日:朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる(ソウルの春)。
1979年 - 1987年:第五共和国期
1980年:5・17非常戒厳令拡大措置
1980年5月18日 - 5月27日:光州事件
1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件
1983年10月 - ラングーン事件
1987年6月29日:盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
1987年 - 現在:第六共和国期
1987年11月29日:大韓航空機爆破事件
1988年 - ソウルオリンピック
1991年:湾岸戦争に参戦。国連加盟国となる。
1997年11月21日:国際通貨基金(IMF) に救済金融を要請[63]
1997年12月3日:IMFによる韓国救済。韓国が通貨危機(国家破綻の危機)に陥り、国際通貨基金(IMF) 資金支援合意書に署名[63]。IMF管理下に入る。韓国の抱えた民間短期対外債務残高は320億ドル(12月12日時点)で、その借入先の日本は118億ドルを担う。
2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記国防委員長)による南北首脳会談。6月15日に6.15南北共同宣言を締結。
2001年7月4日:日韓通貨スワップ協定締結。
2002年:アフガニスタンに出兵[64]
2003年:イラクに出兵
2004年9月:イラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣。
2005年3月17日:盧武鉉大統領による「対日外交戦争(新韓日ドクトリン)」政策宣言。
2007年10月:盧武鉉大統領と北朝鮮の金正日総書記による第2回南北首脳会談
2008年:ザイトゥーン部隊をイラクから撤収。
2008年 - 2009年:韓国通貨危機ウォンの大暴落。
2010年3月26日:韓国哨戒艦沈没事件
2010年11月23日:延坪島砲撃事件
2011年12月14日:韓国挺身隊問題対策協議会が、韓国内に慰安婦像を設置。以降、韓国系団体が中心となり慰安婦像を世界中に設置(アメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア・中華人民共和国中華民国ドイツなど)。韓国には100体以上の慰安婦像が存在(2018年8月現在)[65]
2012年8月10日:李明博竹島上陸李明博大統領が竹島(独島)上陸後、韓国領であると改めて発言。
2012年8月14日:韓国による天皇謝罪要求李明博大統領が「(天皇が)韓国に来たければ独立運動家を回って跪いて謝罪せよ」と発言。
2014年4月16日:セウォル号沈没事故
2013年3月1日:朴槿恵大統領が「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」と発言。
2015年2月23:日韓通貨スワップ協定終了。
2015年12月28日:慰安婦問題日韓合意慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓の合意)。
2017年1月6日:「日韓通貨スワップ協定に関する協議の無期限中断」を日本政府が発表。釜山での慰安婦像設置(2016年12月30日)を慰安婦問題日韓合意違反とみなした抗議措置。
2017年3月 - 5月:韓国史上初となる朴槿恵大統領の弾劾と前倒し大統領選挙で革新系の文在寅が当選。
2017年9月27日:平昌オリンピック(冬季)公式ホームページ内の世界地図に日本が存在しない画像を使用[66][67]
2018年4月 - 9月:文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談(2018年4月南北首脳会談2018年5月南北首脳会談2018年9月南北首脳会談)。
2018年10月30日:徴用工訴訟問題
2018年12月20日:韓国海軍レーダー照射問題
2019年7月3日:「和解・癒やし財団(日本政府資金拠出の、元慰安婦支援事業を行う韓国の財団)」を韓国政府が解散。
2019年8月23日:
特別市トゥクピョルシTeukbyeol-si
1:ソウル特別市ソウルとくべつし
広域市クァンヨクシGwangyeok-si
2:釜山広域市プサンこういきし
3:大邱広域市テグこういきし
4:仁川広域市インチョンこういきし
5:光州広域市クァンジュこういきし
6:大田広域市テジョンこういきし
7:蔚山広域市ウルサンこういきし
特別自治市トゥクピョルヂャチシTeukbyeol-jachisi
#:世宗特別自治市セジョンとくべつじちし
Do
8:京畿道キョンギどう
9:江原道カンウォンどう
10:忠清北道チュンチョンブクどう
11:忠清南道チュンチョンナムどう
12:全羅北道チョルラブクどう
13:全羅南道チョルラナムどう
14:慶尚北道キョンサンブクどう
15:慶尚南道キョンサンナムどう
特別自治道トゥクピョルヂャチドTeukbyeol-jachido
16:済州特別自治道チェジュとくべつじちどう

なお、現在大韓民国の統治の及んでいない黄海道平安南道平安北道咸鏡南道咸鏡北道の五つの道(以北五道)も名目上設置されている。

地理

NASAからの2012年における夜間の朝鮮半島の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。
大韓民国の地形図

大韓民国は朝鮮半島全域を領土と主張し、そのうちの南北軍事境界線以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府によって実効統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「北韓ほっかん[70]が用いられている。

西には黄海、東には日本海に面し、大韓海峡対馬海峡の西水道)を隔てて釜山対馬とは約50キロの距離である。全国土面積は10万0339km2(2017年基準、干拓事業による領土拡張)で、これは日本の総面積37万7961km2のほぼ4分の1(26%)にあたり、北海道本島の面積7万7984km2の1.26倍に相当する。国土は古期造山帯が支配的である。

地震九州など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり、戸建より人気がある。活火山もまったく存在しない(済州島鬱陵島火山島だが活動していない)が、少数の温泉はある。

日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在するほか、1990年代以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称をめぐって日本国政府と大韓民国政府が対立するなど、いくつかの問題がある(参考:日本海呼称問題李承晩ライン)。

1948年8月の建国以降も、日本統治時代植林政策を受け継ぎ森林の造成を行い、1970年代以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている[71][72]

韓国の範囲
最北端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 江原道高城郡
最北端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 咸鏡北道
最南端 - 馬羅島済州特別自治道西帰浦市
最西端(韓国政府の実効支配下にある地域) - (ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡
最西端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 平安北道
最東端(韓国政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張) - 竹島(独島)
最東端(日本政府が主張) -

ケッペンの気候区分によると、ソウル春川堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[73]。たとえばソウルは新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10度から-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山名古屋京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2、3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。

冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島のほか、過去に1メートルを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の江陵東海市束草や内陸の平昌郡大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30センチ程度と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば三寒四温となりだいぶ暖かくなり、4月に入るとが開花する。

済州島九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国ではもっとも温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山標高1950メートル)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5 - 6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県宮崎県北部の気温に匹敵する。

は半島部においては日本列島よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国でもっとも暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になることはほとんどないため、エアコンがなくても寝苦しいということはほとんどない。

近年は[いつ?]中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。

大韓民国各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:大韓民国気象庁
平年値
(月単位)
北西部沿岸 北部内陸 北部高地 ソウル都市圏 北東部沿岸
江華 鉄原 春川 原州 楊平 堤川 忠州 清州 平昌郡
大関嶺
太白 ソウル 水原 仁川 利川 天安 束草 江陵
気候区分 Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Cfa Dfb Dwb Cwa Cwa Cwa Dwa Cfa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 24.5
(8月)
23.8
(8月)
24.6
(8月)
24.8
(8月)
25.0
(8月)
23.8
(8月)
24.9
(8月)
25.8
(8月)
19.1
(7,8月)
21.0
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
25.1
(8月)
23.7
(8月)
24.6
(8月)
最寒月 -3.8
(1月)
-5.5
(1月)
-4.6
(1月)
-4.3
(1月)
-3.4
(1月)
-5.2
(1月)
-4.2
(1月)
-2.4
(1月)
-7.7
(1月)
-4.8
(1月)
-2.4
(1月)
-2.9
(1月)
-2.1
(1月)
-3.1
(1月)
-2.9
(1月)
-0.3
(1月)
0.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月 358.2
(7月)
400.9
(7月)
383.8
(7月)
362.2
(7月)
429.4
(7月)
373.5
(7月)
293.5
(7月)
285.1
(8月)
420.9
(8月)
287.3
(7月)
394.7
(7月)
351.1
(7月)
319.6
(7月)
370.2
(7月)
298.3
(7月)
293.0
(8月)
298.9
(8月)
最少月 17.7
(1月)
20.6
(1月)
20.3
(1月)
22.0
(1月)
16.6
(12月)
23.0
(12月)
21.1
(12月)
25.3
(12月)
36.8
(12月)
19.2
(12月)
20.8
(1月)
21.8
(12月)
19.3
(12月)
16.3
(12月)
23.4
(1月)
38.2
(12月)
38.3
(12月)
平年値
(月単位)
中西部沿岸 中部内陸 鬱陵島 南東部沿岸 南部内陸 南部沿岸 済州島
瑞山 保寧 群山 大田 全州 南原 安東 大邱 鬱陵 浦項 蔚山 光州 密陽 木浦 釜山 統営 昌原
馬山
済州 西帰浦
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cwa Cfa Cwa Cwa Cwa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 25.1
(8月)
25.5
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
26.4
(8月)
23.6
(8月)
25.7
(8月)
25.9
(8月)
26.2
(8月)
25.8
(8月)
26.1
(8月)
25.9
(8月)
26.1
(8月)
26.5
(8月)
26.8
(8月)
27.1
(8月)
最寒月 -2.0
(1月)
-0.8
(1月)
-0.4
(1月)
-1.0
(1月)
-0.5
(1月)
-1.4
(1月)
-2.2
(1月)
0.6
(1月)
1.4
(1月)
1.8
(1月)
2.0
(1月)
0.6
(1月)
0.0
(1月)
1.7
(1月)
3.2
(1月)
3.1
(1月)
2.8
(1月)
5.7
(1月)
6.8
(1月)
降水量
(mm)
最多月 295.9
(8月)
297.1
(8月)
263.1
(8月)
333.9
(7月)
299.6
(7月)
346.1
(8月)
244.3
(7月)
235.9
(8月)
170.7
(9月)
227.4
(8月)
240.3
(8月)
308.9
(7月)
269.5
(7月)
236.7
(7月)
316.9
(7月)
313.5
(7月)
299.0
(8月)
262.5
(8月)
309.8
(7月)
最少月 26.6
(2月)
28.1
(1月)
29.3
(12月)
25.9
(12月)
31.1
(12月)
25.4
(12月)
16.6
(12月)
15.3
(12月)
72.2
(3月)
25.7
(12月)
23.0
(12月)
33.5
(12月)
16.4
(12月)
29.3
(12月)
22.8
(12月)
21.1
(12月)
22.0
(12月)
47.7
(12月)
45.1
(12月)