敬宮愛子内親王
Princess Aiko cropped 1 Crown Prince Naruhito Crown Princess Masako and Princess Aiko 20160801.jpg
続柄 今上天皇第1皇女子[1]

全名 愛子(あいこ)
称号 敬宮(としのみや)
身位 内親王
敬称 殿下
お印 ゴヨウツツジ
出生 (2001-12-01) 2001年12月1日(18歳)
日本の旗 日本東京都千代田区千代田
皇居宮内庁病院
父親 徳仁(今上天皇)
母親 皇后雅子
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称号: 内親王
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敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess
皇室
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天皇 徳仁
皇后 雅子






愛子内親王(あいこないしんのう、2001年平成13年〉12月1日 - )は、日本皇族称号敬宮(としのみや)、お印ゴヨウツツジ(五葉つつじ)。身位内親王敬称殿下[2]

徳仁(第126代天皇)の第1皇女子。母は雅子皇后)。明仁上皇)と美智子上皇后)の皇孫にあたる。

21世紀3千年紀)に誕生した初の皇族であり、2020年令和2年)4月1日現在、18名の皇室構成員のうち最年少の女性皇族で、内廷皇族である。

住居は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある赤坂御所(旧:東宮御所)。

来歴

父の天皇徳仁(左)と母の皇后雅子(右)
お印に選ばれた、ゴヨウツツジ
2013年11月、祖父・第125代天皇明仁(当時)や皇族らと。
2016年8月1日、「水を考えるつどい」にて両親の皇太子徳仁親王(中央)、同妃雅子(右から2人目)らと。

(各事象等における身位の表記は、当時に沿う。)

2001年平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子(両者とも当時)の間に第1子・第1皇女子として、東京都千代田区宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル、体重は3,102グラム[3]

同日、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた[4][5]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。

また、内閣総理大臣小泉純一郎(当時)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[6]

同年12月7日、「浴湯の儀」「命名の儀」「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」の御称号を受けた。名と御称号の由来は

人をする者は人恒に之を愛し、人をふ者は人恒に之を敬ふ。

—『孟子』離婁下

に拠る。皇太子・同妃(当時)、そして学者[7]が相談して内定し、祖父の天皇(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した[8][9]

浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元学習院大学児玉幸多により、『日本書紀』から8人10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれている[10]。お印のゴヨウツツジ那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[11]

平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子西田ひかるなどの芸能人、毛利衛長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した[12][13]

幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[14]

2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区こどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[15]

2006年(平成18年)4月11日学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[16]

同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[17]

2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された[18]

2010年(平成22年)2月下旬から風邪を患うなど体調不良が原因となり欠席しがちだった[19]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[20][21][22][23]

2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[24][25]

2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された[26]

2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[27][28]。同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる昭和天皇香淳皇后武蔵野陵を初めて参拝し[29]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[30]。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[31]

同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、皇居内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と皇后美智子(当時、現:上皇と上皇后)を初めて一人で挨拶のため訪問した。春からはテニスソフトボールを始めている。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[32]

2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて第二次世界大戦の企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[33][34][35]

2016年(平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し長野県上高地を訪れた[36][37]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[38]、休養に努め11月に学校に復帰した。

2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業し[39]、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[40]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。同年4月、学習院女子高等科に入学[41]

2018年(平成30年)7月22日-8月9日まで、イギリスに短期留学した。(学習院女子高等科の海外研修プログラム) 首都ロンドン郊外のイートン校で英語教育、更にポーツマスオックスフォードで英国の文化を体験した[42]

2019年令和元年)5月1日天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行(前日の平成31年4月30日に祖父の天皇明仁が退位し上皇となり、祖母の皇后美智子上皇后となる。)により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も立后し皇后となる。これに伴い、内親王は第1皇女子として、天皇・皇后を両親に持つ唯一の人物となった。

2020年令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。同年4月より父の母校でもある学習院大学文学部日本語日本文学科に入学(父天皇は、同学部史学科出身である)[43]

内親王を巡って

21世紀を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した父・皇太子は「非常に元気そうですね」という感想を述べた[44]

しかし、その後マスメディアに露出することを控えたため、「発達の遅れがあるのではないか」等といった噂・憶測が、2004年(平成16年)頃に海外メディアを中心に流れ[45]、一部の国内週刊誌にもとりあげられた[46][47]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[48]宮内庁は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。ビデオ映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた[49]

学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている[50]。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、敬宮愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている[51]

1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以降長期にわたり皇室に男子が誕生しなかったため、皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、当時の小泉純一郎首相の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」において(第117代後桜町天皇以来の女帝として)敬宮愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇女系天皇の可能性が検討された(詳細は「皇位継承問題」も参照)[52]。その後、2006年(平成18年)9月6日、秋篠宮妃が皇室で41年ぶりの男子・悠仁親王を出産したことで、皇室典範見直しの動きは止まった[53][54]

内親王にちなむ花

プリンセスアイコ

誕生後、以下の3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた[55]

また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である[56]

逸話

スポーツ試合観戦