推理小説(すいりしょうせつ)は、小説ジャンルのひとつ。主として殺人盗難誘拐詐欺など、なんらかの事件犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの[1]。小説以外にも漫画や映画、ゲームなどさまざまなメディアに展開されるミステリというジャンルの元になった。

概要

「推理小説」という名称は、木々高太郎雄鶏社にて科学小説を含む広義のミステリ叢書を監修した際、江戸川乱歩水谷準に提案されて命名したものと伝えられる[2]。このほか探偵小説(たんていしょうせつ)、ミステリー小説(ミステリーしょうせつ)、サスペンス小説(サスペンスしょうせつ)という呼び名もあるが、前者の名称は「偵」の字が当用漢字制限を受けたために用いられなくなった[2]犯罪小説と重なる部分もあるが、完全に同義という訳ではない。

誕生と発展

推理小説誕生の前提となる社会状況

世界初の推理小説は、一般的にはエドガー・アラン・ポーの短編小説「モルグ街の殺人」(1841年[3])であるといわれる。しかし、チャールズ・ディケンズもポーに先立ち、同年1月から連載を開始した半推理・半犯罪小説の『バーナビー・ラッジ』(1841年)を書いているほか、100年ほど前に書かれたヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編『王妃の犬と国王の馬』も推理に重きが置かれている。さらには『カンタベリー物語』、『デカメロン』、聖書外典ダニエル書補遺』の『ベルと竜』などにも推理小説のような話が収録されており、どこに端を発するかという議論は尽きない。

ただ、確実に言えるのは、1830年代イギリス警察制度が整い、犯罪に対する新しい感覚が生まれたということである。この頃一世を風靡したニューゲート小説は、ニューゲート監獄の発行した犯罪の記録を元に書かれた犯罪小説であり、後の近代推理小説が生まれる基盤を作ったと言える。

権利義務の体系が整い、司法制度や基本的人権がある程度確立した社会であることも、推理小説に欠かせない要素であろう。

推理小説というジャンルにとって警察組織の存在は大きい。法を手に犯罪者を捕らえる新しい形のヒーローが誕生したからである。その裏側には、急速に都市化が進むイギリスで、一般市民が都市の暗黒部に対し抱く不安が高まっていた、という歴史的事実がある。そして都市化に伴うストレスのはけ口として、「殺人事件」という素材の非日常性が必要とされていたという見方もある。

発展とメディアの越境

推理小説が誕生した後、様々なアイデアが生み出されてきた。そして下記に挙げられるようなミステリにおける「基礎・応用などの土台」が作られたのである。また、科学・医学が進歩するにつれて、それらの知識を用いたトリックなどが次々と考え出された。

また、ミステリの手法は小説にとどまらず、映画・ドラマ・舞台・漫画・ゲームなど多様なメディアに波及してきた。

歴史

ポー以前

モルグ街の殺人以前にも推理要素を含む文学は存在していた。

旧約・新約聖書

旧約聖書列王記略上』第3章にはソロモン王が裁判で名判決を下す話があり、聖書外典ダニエル書補遺』にも『スザナの物語』『ベルと竜』のようなミステリ仕立ての説話が含まれている[4]

古典文学

ウェルギリウスの『アエネーイス』には、ギリシャ神話の英雄ソクラテスが、盗賊カークスに盗まれた牛を、偽の手がかりを回避しながら見事に探し出す挿話がある。

また、『カンタベリー物語』、『デカメロン』、ヘロドトスの『歴史』などにも推理小説のような話がある。

アラビアン・ナイト

最古の例の探偵小説:『千夜一夜物語』の「3つの林檎の物語」 (The Three Apples) である。

ポー以前の西洋文学

ヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編『王妃の犬と国王の馬』も推理に重きが置かれている。ボーマルシェセヴィリアの理髪師』(1775年)には、謎解き推理小説の要素が含まれる。

ヴィドックの『回想録』(1823年)はポーのデュパン探偵ものに影響を与えた。大デュマ『ポール船長』(1838年)は冒険ミステリの色彩が強く、のちのドイルの一連の海洋奇談ものにも通じる。