東武鉄道株式会社
TOBU RAILWAY CO., LTD.
ロゴ 社紋
ロゴ(左)と社紋(右)
Tobuhonsha.jpg
本社(東武館)
種類 株式会社
市場情報
略称 東武、とぶてつ、TRC
本社所在地 日本の旗 日本
131-8522
東京都墨田区押上二丁目18番12号[1]
本店所在地 131-8522
東京都墨田区押上一丁目1番2号
東京スカイツリータウン[1]
設立 1897年明治30年)11月1日
業種 陸運業
法人番号 6010601014508 ウィキデータを編集
事業内容 旅客鉄道事業 他
代表者 代表取締役社長兼社長執行役員
根津嘉澄
代表取締役兼副社長執行役員
角田建一
資本金 1,021億35百万円
発行済株式総数 2億1231万3621株
(2019年3月31日現在[2]
売上高 連結:6175億4300万円
単独:2319億600万円
(2019年3月期[2]
営業利益 連結:672億9500万円
単独:515億4700万円
(2019年3月期[2]
純利益 連結:284億9900万円
単独:308億5000万円
(2019年3月期[2]
純資産 連結:4692億7600万円
単独:3834億5200万円
(2019年3月31日現在[2]
総資産 連結:1兆6431億9000万円
単独:1兆5595億8400万円
(2019年3月31日現在[2]
従業員数 連結:20347人
単独:3510人
(2019年3月31日現在[2]
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 7.21%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 4.30%
富国生命保険相互会社 2.47%
株式会社みずほ銀行 2.20%
STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234 2.04%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口5) 1.95%
(2019年3月31日現在[2]
主要子会社 東武グループを参照
関係する人物 末延道成
原六郎
浅田正文
初代 根津嘉一郎
2代目 根津嘉一郎
内田隆滋
外部リンク https://www.tobu.co.jp/
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東武鉄道ならびに東武グループのシンボル・東京スカイツリー
本社と工事中の東京スカイツリー(2010年3月20日撮影)
旧東武鉄道本社ビル

東武鉄道株式会社(とうぶてつどう、: TOBU RAILWAY CO., LTD.)は、交通・流通・住宅・レジャーなどの関連会社からなる東武グループの中核となる日本の企業である。略称は東武(とうぶ)。

概要

東京証券取引所一部上場。日経225(日経平均株価)の構成銘柄。根津財閥の中核企業であり、芙蓉グループ(融資系列ではみずほグループ)を構成する企業の一つでもある。本社は東京都墨田区押上二丁目に所在。

東京都埼玉県千葉県栃木県群馬県の1都4県に、総営業キロ数463.3kmに及ぶ鉄道路線を有する大手私鉄である。営業キロ数は、2018年時点でJRを除く日本の鉄道では近畿日本鉄道(501.1km[3])に次いで第2位、関東地方では最長である。

路線は、伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・日光線野田線(東武アーバンパークライン)を軸とした「本線」と、東上本線越生線からなる「東上線」の2つの路線群に分けられる(1983年に熊谷線の廃止で独立線区が消滅して以降)。

「東武」の名称は武蔵国の東部に由来する。創立は日本の大手私鉄の中では最も古い[注釈 1]老舗企業である。また明治期に発足した私鉄のうち、創立以来社名を一度も変更せずに存続しているのは東武鉄道と近江鉄道島原鉄道の3社のみである。

社紋・ロゴ

社紋は1897年(明治30年)の創立以来のものを使用しており、車輪を模した円に図案化した東武の「東」を加えて鉄道による奉仕の意思を表現している[4]

社紋に代わるロゴは時代によって様々なものが考案・使用されてきたが、グループ会社間で統一されていなかった。そのため東京スカイツリー建設による沿線地域の開発決定を機に、イメージの刷新を兼ねてグループ統一ロゴが制作されることになった。社内部門や協力会社との検討によって1,500種の案から選定された現在のロゴは2011年平成23年)7月から使用を開始している。「T」を中心に四方に延びるラインには「高く伸びる東京スカイツリー」「会社が周囲に提供する安全、安心、快適さ、期待感」「地域ニーズの収集及び発信」という意味が込められている。またロゴの青色は「Future Blue」と命名され、東武グループの「信頼性」「包括力」「期待感」を表している[4]。開発には凸版印刷ブランディング部門が関わった[5]

沿革

  • 1895年明治28年)4月6日:創立願い[6]
  • 1896年(明治29年)
  • 1897年(明治30年)
    • 9月3日:本免許状下付(北千住 - 足利間)[9]
    • 11月1日:企業創立(登記完了)。
  • 1899年(明治32年)8月27日:初の路線で現在の伊勢崎線となる北千住駅 - 久喜駅間開業。
  • 1905年(明治38年):営業不振により、根津嘉一郎(初代)を初代東武鉄道社長に迎える。
  • 1906年(明治39年)
    • 3月16日:帝国議会衆議院鉄道国有法案が可決され、東武鉄道が官設鉄道による買収対象となる。
    • 3月25日:貴族院での修正可決案で東武鉄道が買収対象から除外され、同法がこの内容で公布された結果、東武鉄道は存続。
  • 1912年(明治45年)3月30日:現在の佐野線を運営していた佐野鉄道を合併。
  • 1913年大正2年)3月:現在の桐生線を運営していた太田軽便鉄道を合併。
  • 1920年(大正9年)7月22日:現在の東上線を運営していた東上鉄道と対等合併。存続会社は東武鉄道。
  • 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により被災。
  • 1927年昭和2年)10月1日:後の伊香保軌道線(1956年廃止)を東京電燈から買収(9月26日許可)[10]
  • 1929年(昭和4年)
    • 10月1日:日光線全通。日本全国に先駆けて、電車による100km以上の長距離運転を実施。
    • 10月10日:臨時で日光特急運転開始。
  • 1931年(昭和6年)
  • 1933年(昭和8年):傍系バス会社として毛武自動車(東武バスの前身)が設立される。
  • 1934年(昭和9年)4月1日:川越地区で直営バス事業開始(東武バス#沿革を参照)。
  • 1936年(昭和11年)9月:毛武自動車が東武自動車に社名変更。
  • 1937年(昭和12年)1月10日:現在の小泉線を運営していた上州鉄道を合併(1月9日許可)[11]
  • 1938年(昭和13年)
  • 1939年(昭和14年):東武自動車が東武鉄道の直営バス事業を継承してバス事業を一元化。
  • 1941年(昭和16年)7月:根津嘉一郎(初代)の逝去を受け、根津嘉一郎(2代目)が第2代東武鉄道社長に就任。1994年平成6年)6月まで社長職を続け、東京証券取引所上場企業の中では、史上最長期間(52年12か月)の社長職を務める。
  • 1943年(昭和18年)
    • 5月1日:現在の鬼怒川線を運営していた下野電気鉄道を合併(4月30日許可)[12]
    • 7月1日:現在の越生線を運営していた越生鉄道を合併(6月10日許可)[13]
  • 1944年(昭和19年)3月1日:現在の野田線を運営していた総武鉄道を合併。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1946年(昭和21年)3月25日:連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の鉄道司令部 (RTO) の指令により、啓志線全線が開通。連合軍専用列車を運行。
  • 1947年(昭和22年)5月31日:後の日光軌道線(1968年廃止)を運営していた日光軌道、傍系のバス会社である東武自動車を合併。
  • 1948年(昭和23年)8月6日:連合軍専用列車の一部を開放する形で日光・鬼怒川特急運転開始。「華厳」「鬼怒」(現在の「けごん」「きぬ」)と命名。近鉄特急に続いて日本全国で2番目。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月10日:特急が毎日運行になる。
    • 5月:東京証券取引所市場第一部に上場。
  • 1950年(昭和25年)10月5日日光普通索道線 (0.3km) が開通。路線総延長が東武史上最長の591.6kmを記録[14]
  • 1952年(昭和27年)4月:特急列車を自由定員制から座席指定制に変更。
  • 1955年(昭和30年)7月2日:東武鉄道最初の夜行列車として不定期列車「日光山岳夜行」が運転。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1960年(昭和35年)10月:「デラックスロマンスカー (DRC)」と呼ばれた1720系が日光・鬼怒川特急に就役。日光観光を巡り、日本国有鉄道(国鉄)との熾烈な市場獲得競争を繰り広げる。
  • 1962年(昭和37年)5月31日:伊勢崎線にて帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線と相互直通運転開始。
  • 1966年(昭和41年)7月1日:本線で蒸気機関車の運転を廃止。
  • 1967年(昭和42年)6月27日:踏切支障報知装置を設置。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)7月1日:電話交換機を全自動化。
  • 1971年(昭和46年)6月17日:東武鉄道初の分譲マンション「東武西新井サンライトマンション」が完成。
  • 1973年(昭和48年)9月1日:本線全変電所において遠隔集中制御が開始。
  • 1974年(昭和49年)7月2日:伊勢崎線北千住駅 - 竹ノ塚駅間複々線化。関東私鉄として初めての複々線となる。
  • 1979年(昭和54年)1月8日:鉄道運賃改定を実施し、対キロ区間制を導入。
  • 1981年(昭和56年)3月28日:東武動物公園が開園。
  • 1983年(昭和58年)
  • 1986年(昭和61年)
    • 12月27日:スノーパル23:50(現・23:55)の運転を開始。
    • 12月31日:東武鉄道のバス路線廃止により、館林市が当時日本で唯一「路線バスが存在しない市」となる[15]
  • 1987年(昭和62年)8月25日:東上本線和光市駅 - 志木駅間複々線化。帝都高速度交通営団有楽町線と相互直通運転開始。
  • 1988年(昭和63年)5月18日:鉄道運賃改定を実施。初乗旅客運賃を大人100円とする。北千住駅 - 北越谷駅間に特別加算運賃(10円)を設定。
  • 1989年平成元年)
  • 1990年(平成2年)6月1日:100系が日光・鬼怒川特急に就役。「スペーシア」の愛称が与えられる(列車名は「スペーシアきぬ」「スペーシアけごん」)。
  • 1991年(平成3年)11月20日:鉄道運賃改定を実施。初乗旅客運賃を大人110円とする。
  • 1992年(平成4年)4月1日:東上本線の秩父鉄道本線への定期旅客列車の乗り入れが廃止。
  • 1993年(平成5年)
  • 1994年(平成6年)6月:根津嘉一郎 (2代目)が東武鉄道会長職に退き、内田隆滋が第3代東武鉄道社長に就任。
  • 1995年(平成7年)
    • 8月11日:志木駅において初めて冷暖房付きホーム待合室を設置。
    • 9月1日:鉄道運賃改定を実施。初乗旅客運賃を大人130円とする。時差回数乗車券と土・休日割引回数乗車券発売開始。
    • 10月1日:自動券売機で普通・時差回数乗車券の発売開始。
  • 1996年(平成8年)
  • 1997年(平成9年)
    • 3月25日:伊勢崎線の北千住駅の大規模改良工事、草加駅 - 越谷駅間の連続立体交差化と複々線化が完成、日本の私鉄最長の複々線区間となる。
    • 4月1日:消費税率引き上げに伴い、鉄道運賃改定を実施。
    • 12月28日:特定都市鉄道整備事業計画の期間満了に伴い、鉄道運賃改定を実施。初乗旅客運賃を大人140円とする。北千住駅 - 北越谷駅間に設定されていた特別加算運賃を廃止。
  • 1998年(平成10年)10月30日:社史『東武鉄道百年史』を発行。
  • 1999年(平成11年)6月:内田隆滋が社長職を辞職。根津嘉澄が第4代東武鉄道社長に就任。
  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)
    • 4月1日:東上線運行管理システムを使用開始。
    • 11月20日:電子メールによる会員制情報サービス「[email protected]」(いちまるにアットクラブ)開始。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)
    • 3月19日:伊勢崎線にて帝都高速度交通営団半蔵門線東京急行電鉄田園都市線と相互直通運転開始。
    • 5月1日:全駅で終日禁煙を実施。
    • 6月1日:施設・設備の維持補修および保守業務を東武エンジニアリングに委託。
    • 8月1日:69駅における駅業務、構内営業等の業務を東武ステーションサービスに委託。
    • 9月30日:日本大手私鉄で唯一残存していた貨物営業を廃止(実質的な最終貨物列車はこの年の8月2日、北館林荷扱所 - 久喜駅間の石油輸送列車1往復)[17]
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)
    • 3月20日:特定都市鉄道整備事業計画の期間満了に伴い、定期運賃のみ旅客運賃改定を実施。
    • 4月1日:名古屋鉄道の一部路線廃止により同社の路線総延長が東武鉄道を下回ったため、路線総延長がJR以外の私鉄第2位となる。
    • 9月29日:伊勢崎線竹ノ塚駅構内第37号踏切が自動化。これにより手動式踏切が消滅。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日:ICカード乗車券「PASMO」を導入。同時にJR東日本などが発行するICカード乗車券Suicaと相互利用を開始。通過連絡運輸(JR東日本 - 東武 - JR東日本)を全廃。(その後、連絡定期券に限り復活[18]
    • 8月1日:遺失物検索システムを運用開始。
    • 10月1日:鉄道事業部門に管区制を導入。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月14日:公式サイトにおいて遅延証明書の発行サービスを開始[19][注釈 2]
    • 3月14日:自動改札機でのパスネット利用を中止。
    • 6月14日:東上本線が東京メトロ副都心線開業に伴い同線と相互直通運転開始。同時に列車種別の見直しを行い、「特急」を廃止し、座席定員制ライナー列車「TJライナー」と「快速急行」を新設。
    • 7月14日:業平橋駅地平ホームの跡地に、東武鉄道・東武タワースカイツリー株式会社による電波塔東京スカイツリー」を着工。
    • 9月29日:「[email protected]」(いちまるにアットクラブ)終了。
    • 11月1日:会社創立111周年に際し、駅係員・乗務員の制服を一新。
    • 11月11日:「特急券チケットレスサービス」「運行情報メールサービス」開始。伊勢崎線・日光線系統の特急券が対象。販売窓口を経由せずに購入・乗車が可能になる[20][21]
  • 2009年(平成21年)
    • 1月1日:池袋西口駐車場を吸収合併。
    • 9月15日:本線の電気指令が北春日部に移転。
    • 9月18日:新本社ビル「東武館」が竣工。
    • 10月1日:本線の運転指令・営業指令が北春日部に移転。
    • 11月1日:本社事務所を東京都墨田区押上一丁目1番2号から同区押上二丁目18番12号に移転[1]
    • 11月20日:野田線運行管理システムを使用開始。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月24日:全線の踏切に踏切支障報知装置を設置。
    • 11月:電報略号を廃止。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日:東日本大震災により被災。全線が不通になるも、翌12日中に運行再開。東京メトロ日比谷線・有楽町線・半蔵門線との相互直通運転も中止されたが、それぞれ3月26日、4月1日、4月2日に再開。
    • 7月:CIロゴを使用開始[22]。ただし、従来から使用されている円形の社紋も残る[23]社紋・ロゴを参照)。
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)4月1日:野田線の路線愛称名「東武アーバンパークライン」使用開始[27]。消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。切符購入時の初乗旅客運賃を大人150円、ICカード利用時の初乗旅客運賃を大人144円とする。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月31日:東上本線の川越市駅 - 小川町間に自動列車制御装置 (ATC) を導入[28]
    • 6月13日:東上本線の和光市駅 - 川越市駅間にATCを導入[29]
    • 7月1日:東上業務部を廃止[30]
    • 9月26日:東上本線の池袋駅 - 和光市駅間にATCを導入[29]。池袋駅 - 小川町駅間にATC導入完了。
  • 2016年(平成28年)3月26日:地下鉄副都心線・東急東横線・みなとみらい線直通列車を東上線内で急行として運転開始。東上線内急行、副都心線内急行、東急東横線・みなとみらい線内特急として運転される列車の愛称を「Fライナー」とする。野田線(アーバンパークライン)で急行を運転開始。
  • 2017年(平成29年)
    • 4月21日:伊勢崎線・日光線・鬼怒川線・野田線特急で500系「リバティ」運行開始[31](列車名称:「アーバンパークライナー」「スカイツリーライナー」「リバティ会津」「リバティけごん」「リバティきぬ」「リバティりょうもう」)。
    • 8月10日:鬼怒川線で「SL大樹」運行開始。
  • 2019年(平成31年、令和元年)
    • 3月16日:東上本線で「川越特急」運行開始。
    • 10月1日:消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。切符購入時の初乗旅客運賃を大人150円、ICカード利用時の初乗旅客運賃を大人147円とする。
  • 2020年(令和2年)

路線

路線図(クリックで拡大)

現在の東武鉄道の路線は、大きく本線(伊勢崎線〈東武スカイツリーライン〉・日光線・野田線〈東武アーバンパークライン〉ほか)と東上線(東上本線・越生線)とに二分できる。なお、両線の間は自社線では結ばれていないが、車両の転属および東上線車両の南栗橋工場入出場は、秩父鉄道秩父本線のうち寄居駅 - 羽生駅間を利用して行われている。回送時には、秩父ATS搭載の8000系電車(森林公園検修区→南栗橋車両管区所属の8506F)が先頭に連結される。

沿革で記載のように、東上鉄道(東上本線)を合併したほか、第二次世界大戦中の陸上交通事業調整法により、総武鉄道(野田線)や下野電気鉄道(鬼怒川線)など周辺の小規模な鉄道会社をいくつか合併した経緯がある。

東上鉄道との合併は、東武鉄道の歴史上唯一の対等合併であり、社内外の調整が難航した。結果的に東武本社とは別に東京・西池袋に東上線を管轄する東上業務部が設置され、本線とは列車種別や運行体制が異なるなど、独立色が強くなっている。

前述周辺私鉄を合併した戦後の最盛期には総延長591.6kmもの路線を有していた。その後、ローカル線の廃止を早く進めたこともあって、JRを除く日本の私鉄1位の路線網を擁する近畿日本鉄道(近鉄)と2位の名古屋鉄道(名鉄)に次ぐ第3位という状況が長く続いたが、1990年代後半より名鉄でローカル線の廃止が相次ぎ、2005年4月1日に名鉄と東武で順位が入れ替わり、近鉄に次いで2位となった。1997年会沢線を廃止して以降の保有路線総延長は463.3kmで、近鉄・名鉄と同様に400km以上の路線網を擁する日本の大手私鉄の一つとなっている[14]

1984年まで多くの貨物列車がほぼ全線にわたって運行され、貨物駅も起点側都内の業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)や千住駅(現在の牛田駅 - 北千住駅間にあった千住分岐点からの分岐先に所在)を始め各地に存在し、北千住駅・久喜駅伊勢崎駅などで貨物の連絡運輸が行われていた。その後は大幅に縮小しながらも大手私鉄では最後まで貨物列車が運行されていたが、末期の貨物列車運行区間であった伊勢崎線北部、佐野線でも、2003年9月30日限りで貨物営業が廃止された(貨物列車の運行自体は廃止日以前に終了している)。

施設面では、明治時代大正時代蒸気機関車牽引列車主体で営業を開始した路線が多く、いわゆる「国鉄式」のホーム配置など、旧国鉄と共通する駅構造を持った駅が多かった。これらの構造は、1980年代以降の高架化や複々線化など近代化の過程でほとんどが姿を消したが、現在でも春日部駅や伊勢崎線北部、日光線などにその構造が残っている駅がある。また、旅客営業規則についても、1997年3月24日まで本線系統の有料特急・急行列車に定期乗車券では利用できないなど、国鉄の規定にほぼ準じていた。このかつての施設面や営業規則から、一部では「ミニ国鉄」と揶揄されたこともある。

東武の鉄道路線のトンネルは、押上駅付近の地下線の入口を除けば、日光線の明神駅 - 下今市駅間の十国坂トンネル1箇所のみで、それも全長40mと非常に短い。これは、大手私鉄ではトンネル区間のない西日本鉄道に次ぐ少なさ・短さである。

関東地方の大手私鉄で唯一、半世紀以上も路線延伸が一度もない。ただし、西板線(大師線)、熊谷線などの延伸計画があったが、財政難などの理由で頓挫している。

以下で左端のマーク(英字)は駅ナンバリングで使われる記号

本線

東上線