東美鉄道
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種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
岐阜県可児郡中村中648-1[1]
設立 1926年(大正15年)9月10日[1]
創業 1915年(大正4年)2月[2]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業、湯屋事業 他[1]
代表者 社長 平井信四郎[1]
資本金 800,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在[1]
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東濃鉄道(とうのうてつどう)および東美鉄道(とうみてつどう)は、かつて岐阜県可児郡で鉄道の敷設・運営を行っていた鉄道事業者

東濃鉄道は、岐阜県多治見市の新多治見駅から可児郡広見村(現・可児市)の広見駅を経由して可児郡御嵩町の御嵩駅(現・御嵩口駅)を結んでいた軌間762mmの軽便鉄道で、国の多治見と美濃太田間を結ぶ鉄道計画に重なるため、新多治見 - 広見間が1926年に国有化され鉄道省(後の日本国有鉄道。現在の東海旅客鉄道太多線となった。名前は現在の東濃鉄道(かつて鉄道事業を行っていた現在のバス会社)と同一であるが、資本や履歴のつながりはない。

東美鉄道は国有化対象区間から外れた広見駅 - 御嵩駅間の運営を目的に東濃鉄道・(旧)名古屋鉄道大同電力の共同出資により設立された鉄道会社。設立後に鉄道の電化・改軌を行い八百津方面にも延伸した。のちに名古屋鉄道に合併され、広見線の一部及び八百津線となった。

本項ではこの2社について扱う。

歴史

東濃鉄道の設立

御嵩駅(現・御嵩口駅)での試運転

1900年明治33年)、後に中央本線(中央西線)となる官設鉄道が名古屋から可児郡豊岡町まで延伸し、同地に多治見駅が開業すると、ルートから外れた可児郡北部では多治見駅とを鉄道で結ぶ計画が持ち上がった[3]1912年大正元年)には平井信四郎(地元酒造業者、可児郡上之郷村村長)他、地元有力者が中心となって多治見駅と御嵩とを結ぶ東濃鉄道の免許申請が行われた。創立趣意要項によれば旅客輸送のほか、御嵩の亜炭、石材の貨物輸送も考えられ、木曽川上流から錦織(八百津)に流れ着く木材の輸送もから鉄道に変えることも計画されていた[4]

申請は同年12月18日に認可されたが、政府が将来多治見 - 太田間に鉄道を敷設する必要が生じた場合、政府による会社買収(国有化)を認めることが条件とされた[4]。認可を受け発起人らは早速株の募集を始めたが、同年の天候不良による旱魃第一次世界大戦勃発に伴う米価や生糸市場の暴落によって募集は捗らなかった。会社は1915年(大正4年)に設立されたが、予定された資本金45万円が集まらないことから35万円に減額し、鉄道の規格も2呎6吋(762mm)の軽便鉄道に変更された[5]。建設工事はまず多治見 - 広見間が1917年(大正6年)から始まり、翌年に竣工、営業が開始された[6]。その後、1918年(大正7年)から広見 - 御嵩間の延長工事が行われ、1920年(大正9年)8月に開業した[7]

軽便鉄道規格であるため速度は遅く、時には坂で列車が止まり乗客が押すこともあったというが、それでも当時兼山 - 多治見間を運行していた定期馬車よりは早く、利用者の評価は賛否両論であった[8]。建設費を抑えたこともあって営業成績も良好で、1920年(大正9年)以降は株式配当が10%となる会計期間も少なくなかった[9]

東濃鉄道の買収と東美鉄道の設立

高山線・飛越線の建設が進んだことで太多線(太田 - 多治見間)が北陸地方と中央線をつなぐ連絡線として着目されるようになり、東濃鉄道の国有化が現実味を帯びてきた[10]。同社の買収は1926年(大正15年)3月の第51回帝国議会で可決され[7]、買収額は658,069円であった[10]。社長の平井信四郎は同年に開催された株主総会で政府買収の旨を株主に説明して理解を求め、買収対象区間から外れる広見 - 御嵩間の営業を新会社によって続ける決意を表明した[7]

これと前後して名古屋鉄道大同電力がそれぞれ八百津方面への鉄道を計画していた。名古屋鉄道は名古屋電気鉄道時代より犬山 - 太田間の免許を有しており、1925年(大正14年)には今渡線として今渡駅まで開業していた[11]。名鉄は今渡からさらに八百津までの免許申請を1921年(大正10年)6月に行っており、11月には重役の上遠野富之助跡田直一が東濃鉄道を視察している[12]。一方、木曽川水利権を持つ大同電力では八百津にダムの建設を計画(後の丸山ダム)しており、その資材を運搬する目的で高山線古井駅と八百津とを結ぶ八百津電気鉄道1922年(大正11年)9月に出願した[12][13][注釈 1]。東濃鉄道にとって八百津方面への延伸は設立当初からの構想でもあり、広見 - 御嵩間の経営対策として建設が検討されていたが、既に八百津方面への鉄道建設は名鉄・大同二社による競願状態となっていたのである[14]

鉄道省は東濃鉄道の残存区間について、当初は名鉄に買収を勧めていた[15]。しかし先述した競願状態を鑑みて方針を転換し、東濃・名鉄・大同の関係各社共同出資による新会社の設立を提案した。3社はこれに合意し、広見 - 御嵩間の運営と八百津方面の建設を新会社の下で行う旨の協約を締結した[16]。設立資金は3社がそれぞれ40万円出資することとなったが、東濃鉄道が線路などの設備(評価額20万円)を現物出資したため、合わせて140万円とした[17]。広見町 - 錦津村(八百津)間の免許は新会社が1926年(大正15年)7月に取得[注釈 2]し、9月10日の創立総会で社名を東美鉄道とすることが決議された。本社を可児郡中村に置き、社長には東濃鉄道の平井信四郎が選任されたほか、役員には関係各社の面々が選ばれた[16][注釈 3]

東濃鉄道の国有化は1926年(大正15年)9月25日に実施され、同社は解散した[20]。解散2日前の9月23日に東濃鉄道は東美鉄道へ広見 - 御嵩間の営業権と設備財産を譲渡し、同区間の営業は東美鉄道に委ねられた[16]

東美鉄道の運営から名鉄合併まで

新広見駅

東濃鉄道から営業権を譲り受けた東美鉄道は、輸送効率を上げるため1,067mm軌間への改軌電化を1928年(昭和3年)10月に実施した[16]。同時に広見駅付近の経路変更が太多線とともに行われ[17]、1929年(昭和4年)1月には名鉄今渡線が広見駅まで延伸して広見線となり[21]、東美鉄道との旅客・貨物の連帯運輸を開始した[12]。電化後は名古屋鉄道から4輪単車デシ500形、537・538号)を譲り受け、[注釈 4]デ1形(1・2号)とした[22]。電力は名古屋鉄道から受電した[16]。新駅の設置にも積極的で、地元から要望のあった前波駅学校前駅などを新設している[23]

八百津方面への延伸は1930年(昭和5年)4月に兼山駅まで、同年10月に八百津駅まで竣工した。錦織までの延伸は、大同電力の電源開発が延期されたため中止された[16]。このほか、街の外れにあった御嵩駅を中心部(御嵩町中地内)へ伸ばすための免許を1929年(昭和4年)11月に取得していたが、不況で着工に至らなかった[24]

東美鉄道の業績は当初バス・トラックの進出と不況で思うように上がらず、年4、5分あった配当も1930年(昭和5年)からは無配当となっていた。しかし日中戦争の勃発で亜炭の需要が高まると成績は好転し、配当も復活した[24]。大同電力の電源開発も丸山ダムこそ延期したものの、沿線には他に兼山ダムがあり、同ダム建設の資材搬入に東美鉄道が活用され、営業利益に繋がっていった[25]。1940年(昭和15年)下半期(10月1日 - 3月31日)の決算では18,540円12銭5厘の営業利益を計上し、株主配当と役員賞与の支給も行われている[26]

その後、戦時体制の時勢によって東美鉄道は名鉄との合併機運が高まり、1942年(昭和17年)11月に両社の間で合併契約が取り交わされた[27]。両社は元より新広見駅を介して密接な関係にあり、戦時要請による合併に異議はなかった[27]。地元の反応もまた然りで、かつての東濃鉄道国有化と同じく、地域経済の発展に繋がるならば経営主体について特に問題としなかった[28]。合併比率は名鉄株10に対して東美株9とされ、東美鉄道の従業員は現給のまま名鉄に新規採用される形を取った[29]

1943年(昭和18年)3月に合併が実行され、東美鉄道の鉄道路線は全線が名鉄の東美線となった[30][31]。東美線は1948年(昭和23年)5月の路線名改定で広見線と統合された[注釈 5][33]。御嵩町中地内への未成線は合併時に土木工事まで進んでいたものの、軌条・電線類が入手できず戦時中に工事を継続できなかった[30]。同区間は1952年(昭和27年)4月1日にようやく完成し、従来の御嵩駅を御嵩口駅に改めた[34]。一方、八百津 - 錦織間の免許線は1943年(昭和18年)8月10日に起業廃止となり、のちに電力会社の手によって専用鉄道として建設された(丸山水力専用鉄道を参照)[35]

年表

東濃鉄道

  • 1912年(大正元年)12月18日 - 鉄道免許状下付(可児郡豊岡町-同郡中村間)[36]
  • 1915年(大正4年)2月20日 - 東濃鉄道株式会社設立(資本金35万円、本社御嵩町、代表取締役平井信四郎)[2][37]
  • 1918年大正7年)12月28日 - 新多治見 - 広見間が開業(軌間762mm)。新多治見駅、小泉停留場、姫停留場、広見駅開業[38]
  • 1919年(大正8年)
  • 1920年(大正9年)
  • 1921年(大正10年)12月11日 - 大藪口停留場を駅に格上げ
  • 1926年(大正15年)
    • 9月23日 - 東美鉄道へ広見 - 御嵩間を譲渡[42]
      • 1926年(大正15年)
        • 7月22日 - 鉄道免許状下付(可児郡広見町-同郡錦津村間)[44]
        • 9月10日 - 東美鉄道株式会社設立(資本金140万円、本社可児郡中村、代表取締役平井信四郎)[45][46][47]
        • 9月23日 - 東濃鉄道より広見 - 御嵩間を譲受[42]
      • 1928年昭和3年)
        • 10月1日 - 全線を1,067mm軌間に改軌電化[45][48]。国鉄広見(現在の可児)駅の移転に伴い、広見 - 伏見口(現在の明智)間の線路を移設。広見 - 伏見口間に前波駅、伏見口 - 御嵩間に顔戸駅開業
        • 12月7日 - 前波 - 伏見口間に学校前駅開業
      • 1929年(昭和4年)11月4日 - 鉄道免許状下付(可児郡中村-同郡御嵩町間)[49]
      • 1930年(昭和5年)
      • 1942年(昭和17年)2月 - 死去した平井信四郎にかわり鈴木朝太郎が社長就任[27]
      • 1943年(昭和18年)3月1日 - 名古屋鉄道に合併され、東美線となる
      • BSicon STR.svg 東濃鉄道線および東美鉄道線BSicon STR black.svg 省線BSicon uSTR.svg 他社線1922年 は哩程ヤード・ポンド法)、1937年は粁程メートル法

        1922年:東濃鉄道時代[52] 
        BL
         1937年:東美鉄道時代[53]
        BL HUBc2
        新多治見駅笠原鉄道
        BL
        多治見駅(笠原鉄道)
         多治見駅 
        STRq black
        STRq black STRq black STRq black BL STRq black
        STRq black STRq black
         (0.0) 多治見駅
        新多治見駅 0.0M 
        BL
        STR3 black
         新多治見駅 -1928
        STR BL
        STRc4 black
        小泉駅 1.8M 
        BHF BL BHF black
         (3.2) 小泉駅
        根本駅 2.9M 
        BHF BL
         根本駅 -1928
        大藪口駅 4.6M 
        BHF BL BHF black
         (7.9) 姫駅 (II) 1928-
        姫駅 5.7M 
        BHF BL
         姫駅 (I) -1928
        STRc2 STR3 BL
        STRc3 black
        旧線 -1928
        STR+1 STRc4 BL STR+1 grey
        STR+4 black
        広見駅 7.4M 
        BHF BL
        HUBc2
         (12.8) 広見駅 (II) 左:広見駅 (I) -1928
        STR BL exSTR
         0.0 新広見駅
        今渡駅名鉄今渡線 
        STR uKHSTaq BL exSTR
        uSTRq uHSTq
         今渡駅:名鉄広見線
        STR BL exSTR STR kSTR2 black
        STR2 STRc3 BL exSTR2
        kSTRc1 black kSTRl+4 black STRq black
         1.2 前波駅 太多線
        STRc1 STR+4 BL exSTRc1 eABZg+4
        STR BL BHF
         1.9 学校前駅
        伏見口駅 9.4M 
        BHF BL BHF
         3.5/0.0 伏見口駅
        STR BL KRWgl KRW+r
        STR BL BHF STR
         5.1 顔戸駅
        御嵩駅 11.5M 
        KBHFe BL KBHFxe STR
         6.8 御嵩駅
        BL exCONTf STR
        御嵩方面(免許線)
        BL BHF
               0.8 東伏見駅
        BL BHF
               2.3 兼山口駅
        BL BHF
               3.0 城門駅
        BL BHF
               3.6 兼山駅
        BL BHF
               5.4 中野駅
        BL BHF
               6.2 伊岐津志駅
        BL KBHFxe
               7.3 八百津駅
        BL exCONTf
              錦織方面(免許線)

        輸送・収支実績

        東濃鉄道

        年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
        1918 32,120 10,255 8,873 4,929 3,944 1,012
        1919 153,508 8,083 44,332 26,921 17,411 13 650 3,314
        1920 199,919 6,602 72,579 46,562 26,017 544
        1921 249,010 12,974 103,785 44,817 58,968
        1922 240,478 13,614 103,626 53,129 50,497
        1923 252,984 12,882 103,069 50,784 52,285 自動車2,837 自動車3,283
        1924 220,762 11,702 93,764 47,678 46,086 自動車23
        1925 212,784 13,306 91,226 44,559 46,667 自動車8、準備金繰入1,080 償却金600
        1926 93,009 5,987 39,793 25,115 14,678 自動車33

        東美鉄道

        年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
        1926 63,511 3,818 24,635 15,888 8,747 自動車435
        1927 129,640 9,652 49,795 30,904 18,891 自動車236
        1928 177,440 6,875 45,096 25,754 19,342 雑損700、自動車693
        1929 215,665 9,620 37,424 25,405 12,019 雑損500、自動車1,570 351 18,083
        1930 266,478 7,813 47,946 31,904 16,042 雑損1,292、自動車1,514 10,062 7,834
        1931 277,043 6,939 53,996 30,409 23,587 自動車温泉704 雑損2,648、償却金1,834 17,391
        1932 249,371 7,154 52,185 30,449 21,736 雑損28,189、自動車3,100 15,573 25,168
        1933 259,800 8,042 52,586 29,862 22,724 雑損償却金32,710、自動車1,246 13,285 24,208
        1934 256,927 6,444 51,548 28,949 22,599 雑損償却金36,526、自動車518 10,144 24,203
        1935 282,897 5,691 53,372 28,655 24,717 自動車その他953 償却金41,150 8,214 23,623
        1936 296,660 5,814 58,693 28,773 29,920 雑損償却金39,631、自動車6,466 5,555 21,844
        1937 305,483 5,290 61,629 29,074 32,555 雑損償却金33,565、自動車5,670 3,315 10,001
        1939 428,165 22,276 101,223 53,894 47,329 自動車温泉4,272 雑損償却金23,476 165 17,612
        • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

        兼営事業

        東濃鉄道時代より自動車輸送業(バス事業)を営んでおり[6]、東美鉄道時代の1934年時点で13路線を運営していた(使用車両は常用5両、予備2両)[54]

        このほか、鬼岩温泉の温泉旅館業や石材採取業も手掛けていた[24][26]

        車両

        A形蒸気機関車
        デボ100形電車

        軽便鉄道時代

        国有化時には、蒸気機関車4両、客車7両、貨車14両が在籍したが、国有化の対象となったのは蒸気機関車2両、客車3両、貨車13両であった。