モンブランクレバスを行く登山者たち(1862年)
登山するAnastasius Grün(1830年ころの絵画)
フランス、エギーユ・デュ・ミディの尾根をゆく登山者たち(2007年)
日本の白馬大雪渓の上部を登る大勢の登山者たち(2015年
夏に低山を、ガイドされつつ登るウィキマニアたち。まわりは樹木が生い茂っている。(2016年)

登山(とざん、: mountain climbing, mountaineering, alpinism)とは、に登ることに楽しみを求め、登ること自体を目的とすること[1]。そのようなスポーツ[1]

概説

登山は山に登ることではある。だが、登山は登山そのものを目的とし、そこに最大の喜びを見出し、自分の人生に活かしてゆくことである[2]。山菜や動物を採集したり、地質調査のため等々のために山に入ってそこを登ることは登山自体を目的としておらず、異なっている[2]

狩猟や信仰のための登山は古くから行われているが、これらは今日的な意味での登山からは除外される[3]。山頂から景色を眺めることがしたくて登山をした、という今日的な意味の登山へとつながる登山をした最初の記録はイタリアのペトラルカ(14世紀の詩人)のものである[3]。→#歴史

山に登ることそのものを目的とする登山とその思想: alpinism, アルピニズム, 近代登山)が18世紀後半のヨーロッパで始まった[1][4][5]。この意味での登山はスポーツの一種とされる[1][4][5]

アルピニズム

: alpinism(アルピニズム) は広義には登山全体を指すが、特に近代登山(近代的なスポーツ登山)とその思想を指す[4]。18世紀後半を始まりとする近代登山は[注 1]、山に登ること自体に喜びを見出し、登山が精神肉体に与えるものを重視し、人生のうるおいとすることを目的とする[5][4]。アルピニズムはまた、登山の知識と技術を総合的に養い、全人格的に山に対していこうとする思想でもある[4]。登るという行為以外に目的がない点で近代登山はスポーツの一種であり、この点において宗教的な登山[注 2]戦争狩猟測量研究などのための登山と異なっている[5][1][4]


日本では戦後に登山者が増加した[8]高年齢の登山者や女性も多くなり、登山は野外スポーツとして定着しているとされるが、遭難の続発は社会問題となっている[8]

歴史

近代登山が始まる以前の段階(近代登山から見れば一種の「前史」に当たるもの)から解説する。

先史時代

山を登るということは先史時代から行われていたようである。イタリアオーストリアの国境にて約5,300年前の男性のミイラであるアイスマンエッツ渓谷(海抜3,210m)で発見された。アイスマンがここまで登った理由は不明であるが、山に登ったことは確かである。他にも、狩猟などでも登山は行われていたが、これらは今日の登山とは除外される。また、多くの宗教で山は崇拝や信仰の対象とされ、神そのものであるとされる場合もあったことから、様々な聖典伝説で登山が記録されている。[要出典]

ヨーロッパ

中世以前

アルプス山脈を越えるハンニバルの軍

前218年ハンニバル第二次ポエニ戦争において、6万人の兵と37頭のゾウとともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされている[5]

125年にローマ帝国のハドリアヌス帝は朝日を見るためにエトナ火山に登った[9]

ルネサンス期から18世紀前半

ヨーロッパ近代の精神が、山に登ることそのものに喜びを見出す近代登山に道を開いた[4][注 3]イタリア詩人ペトラルカがその先駆けとなった[4]1336年、ペトラルカはフランス南部のアビニョン近郊のモンバントゥーに登った[5][1][4]。これが、山頂からの眺望を得るために登山をした最初の記録とされる[1][4]その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家のヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。[要出典]

ルネサンスの始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王シャルル8世1492年エギーユ山フランス語版の登頂を命じたのは、この範疇に入る。レオナルド・ダ・ヴィンチはヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。16世紀にはスイスチューリッヒを中心に登山を賞賛する動きがあり、コンラッド・ゲスナージョシアス・シムラー英語版が度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。17世紀のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。[要出典]

近代登山の始まり

モンブランを見つめるM.G.パカールの像

18世紀後半、アルプス最高峰のモンブラン登頂が達成されたことが、近代的登山(近代登山、スポーツとしての登山[1][4])の幕開けとなった[10][1][4]。1760年、自然科学オラス=ベネディクト・ド・ソシュールシャモニーを訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年にミシェル・ガブリエル・パカール英語版およびジャック・バルマ英語版が登頂に成功した[10][1][4][注 4]

アルプス黄金時代

19世紀に入って、ヨーロッパ・アルプスの登山は盛んになった[10]。特にイギリス人によってアルプス黄金時代がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった[10]マッターホルン(4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日にエドワード・ウィンパーが登頂に成功した[10][11]。1857年には世界で最初の登山団体となるイギリス山岳会が設立された[10]。1854年のヴェッターホルン英語版初登頂から1865年のマッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ[11][1]

アルプス銀の時代

アルプス黄金時代の間に、アルプス山脈の4,000m級の峰が登りつくされ未登峰がなくなると、岩壁や側稜などからの登山といったより困難なルート(バリエーションルート)からの登頂や、季登山、案内人を付けない登山などが行われるようになった[10][12]。その背景には、より困難なルートからの登山を提唱したママリー(1855-1895)の思想があり、これがママリズムとして近代のアルピニズムの主な思想となった[10][13]。新しい山を求めてカフカスアンデスなどにも目が向けられ始めた[10]。1865年のウィンパーによるマッターホルン登頂から、1882年のダン・デュ・ジュアン英語版初登頂までをアルプス銀の時代と呼ぶ[14]

銀の時代以後