皇室

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皇居・正門石橋 2019年(令和元年)5月4日撮影
皇居・正門石橋
2019年(令和元年)5月4日撮影
日本の旗 日本
当主称号 天皇
当主敬称 陛下
創設 伝・神武天皇即位元年1月1日
紀元前660年2月11日
家祖 神武天皇(初代)
現当主 徳仁(第126代)
民族 大和民族
担当官庁 宮内庁
公式サイト 宮内庁 皇室
皇室
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天皇 徳仁
皇后 雅子






皇室(こうしつ、: Imperial House of Japan)は、日本天皇およびその一族の総称。

2020年令和2年)4月1日現在、天皇と上皇および皇族16名の計18名により構成される[1][2]

狭義には天皇と内廷皇族のみを、広義には天皇とその近親である皇族を指すが、皇室の範囲は時期によって異なる。近代以降は、天皇および内廷皇族と、内廷外皇族(宮家に属する皇族)を総称して皇室とする。

概要

剣璽等承継の儀
1989年(昭和64年)1月7日
三種の神器(イメージ)時計回りに
草薙剣八咫鏡八尺瓊勾玉

皇室の身位には天皇、皇室典範第5条に定める、天皇(男性)の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)及び皇太子妃(皇太孫妃)(皇嗣及び皇嗣妃)、皇族男子たる親王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王女王がある。親王妃王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。

戦前(大日本帝国憲法旧皇室典範施行下)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。

一般人(皇室に嫁ぐのに国籍条項はない。外国籍の女性と結婚した場合日本国籍を有しない皇族が誕生する可能性あり)の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる(皇籍離脱)。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の男性と婚姻したとき皇族の身分を離れる(皇籍離脱のうち、いわゆる臣籍降嫁)。

1392年南北朝合一以来、今日まで続く皇統は北朝持明院統および北朝第三代崇光天皇の皇子栄仁親王が創設した伏見宮後花園天皇践祚)の流れを汲んでいる。 また江戸時代中期の閑院宮東山天皇の第六皇子直仁親王が創設)出身である光格天皇(直仁親王の孫)が践祚しその典侍である勧修寺婧子仁孝天皇を出生して以降、徳仁までの歴代天皇は全て1親等の直系(親子関係)即ち皇太子によって皇位が継承されている。

東洋史学岡田英弘によると、712年に完成した日本最古の史書『古事記』及び、720年に完成した日本最古の官撰書『日本書紀』では、「高天原」より日向高千穂山に下った(天孫降臨)太陽の女神天照大御神の孫邇邇芸命(天孫)の曾孫の神武天皇を初代とする一つの皇統が、一貫して日本列島を統治し続けてきたとされている[3]。『百科事典マイペディア』によると、神武天皇は「もとより史実ではない」としているが[4]、『国史大辞典』では神武天皇の「史的実在は、これを確認することも困難であるが、これを否認することも、より以上に困難なのである」としており[5]、天照大御神や初期天皇の実在性については古くより議論がある。また、皇統が分裂して、二系統が交互に皇位に就いた「両統迭立[6]、皇統が分裂抗争した「南北朝時代」という語が存在している[7]。『ブリタニカ国際大百科事典』によれば、文献に「天皇」の文字が現れたのは7世紀である[8]

一般国民との相違面

皇室の構成員である天皇及び皇族も、日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」である[9]。天皇については、「日本国籍を有している」という前提で、天皇が「主権者としての国民」であるか否かが論じられ、憲法論の皇統譜についての箇所に「日本国籍を有する者でも戸籍に記載されない唯一の例外に天皇および皇族がある」と記載されている[10]。皇族については、皇室典範その他の法律により若干の制限はあるものの一般の国民との差異は本来大きいものではない。皇族の参政権は、皇族が戸籍を有しない為(詳細後述)、公職選挙法付則により当分の間停止されているだけである。しかし、実態として皇族の権利や自由は大きく制約されている。これは、「『皇族という特別な地位にあり、天皇と同じように制限されるべきだ』という考え方が市民の間で根強かったため」であるとされる。[11]

このようなことから、皇族には一般の国民に保障されている人権が存在しない[12]とされることもある。奴隷的拘束や苦役からの自由(憲法第18条)、居住移転の自由、職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由(憲法第22条)等が事実上ない皇室の在籍者は、24時間体制で公私に関係なく所在や行動の目的を監視され、外出時も必ず皇宮警察皇宮護衛官あるいは訪問する都道府県警察警視庁および各道府県警察本部)所属の警察官による警護の下で行動しなければならないため、物品の購入方法は外出が不要な百貨店のカタログ持参による外商Amazonのような通信販売を利用することが大抵である。Amazonなどの通信販売サービスの利用については宮内庁職員や私的使用人の名前で注文し、商品受取時に本人が対応することは一切ない。皇室の私的な交際相手であっても国民であれば、皇室の在籍者と電話インターネット経由の連絡までは頻繁に行えるが、対面で会話する機会は殆ど無い[13]

宗教面では、事実上信教の自由(憲法第20条)がない天皇は日本神話により天照大神の子孫とされ、宮中祭祀などの神儀祭事は神道に則って行う必要がある[14]

生活面で、日常の食事は宮内庁大膳課の料理長が皇室専属の医師と相談しながら、1日の摂取カロリーの上限を1800kcalとし、栄養価を計算した献立で作るため、品数が少ない質素であるとされている[15]。献立は「和食」と「洋食」を採用している。「中華料理」が食卓に上ることは殆どないと言う[16]

経済面において、皇室は皇室経済法の規定により国庫から支払われる「皇室費」を収入として生活しており、公的な活動に掛かる費用は「宮廷費」で賄い、私的な費用は、天皇・皇后と皇太子一家の場合は「内廷費」で、その他の宮家は「皇族費」で賄っている。例えば、秋篠宮家には、年間6710万円の皇族費国庫から支払われている(平成時代の場合)。警備上の理由により、皇室の在籍者はアルバイトをすることができない[17]

皇室構成員は、一般国民が登録される戸籍ではなく「皇籍を有する者」であり、「皇統譜(こうとうふ)」にその名が記される。皇統譜の人名は「称号+名+身位」で構成され、氏(苗字)を持たない。例えば、第126代天皇徳仁と皇后雅子の皇女子の敬宮愛子内親王の「敬宮」(としのみや)は、あくまで「称号」であり「苗字」ではなく、内親王は身位である(詳細後述)。

構成

新天皇即位を祝う一般参賀に姿を見せる皇室の構成員たち。ただし、上皇明仁上皇后美智子は出席していない。
2019年(令和元年)5月4日、宮殿東庭から長和殿を撮影。

以下、2020年令和2年)4月1日現在で構成員は18名(天皇1名、上皇1名並びに皇族16名)[18]

内廷

天皇皇后皇居内に常時の住居である御所を構える(現在、天皇徳仁及び皇后雅子とその第一皇女子の敬宮愛子内親王は赤坂御用地にある「赤坂御所(旧東宮御所)」を住居とし、皇居の「御所」には上皇明仁及び上皇后美智子が「吹上仙洞御所」として居住する)。

宮内庁には、内部部局である「侍従職」が天皇及び皇后とその未婚の子女に関する事務を扱う機関として、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて「上皇職」が上皇及び上皇后に関する事務を扱う機関として、「皇嗣職」が皇嗣とその家族に関する事務を扱う機関として、それぞれ設置される。

2019年令和元年)5月1日の徳仁の即位以降は、1947年昭和22年)5月3日に現行の皇室典範が施行されて以来初めて、内廷皇族に皇位継承権を持つ人物が全く存在しない状態となった(天皇の子女には第1皇女子の愛子内親王しかおらず、皇位継承権を有する男子が不在のため。また、上皇も皇室典範特例法の定めるところにより、皇位継承権を有しない。)。

天皇・皇后及び皇子女

構成員3名。

身位 御名 読み 御称号 敬称 性別 生年月日 現年齢 天皇から
見た続柄
摂政
就任順位
Emperor Naruhito at TICAD7.jpg 天皇
(第126代天皇)
徳仁 なるひと ひろのみや
浩宮
陛下 男性 1960年昭和35年)
2月23日
60歳 本人
上皇第一皇男子
(二男一女のうち第一子)
Empress Masako at TICAD7.jpg 皇后
(第126代天皇后)
雅子 まさこ 陛下 女性 1963年(昭和38年)
12月9日
56歳 妻(配偶者)
旧姓:小和田(おわだ)
第3位
内親王 愛子 あいこ としのみや
敬宮
殿下 女性 2001年平成13年)
12月1日
18歳 第一皇女子
(一女のうち第一子)
出典

構成員2名。

身位 御名 読み 御称号 陛下 性別 生年月日 現年齢 天皇から
見た続柄
摂政
就任順位
Emperor Akihito 198901.jpg 上皇[20](第125代天皇) 明仁 あきひと つぐのみや
継宮
陛下 男性 1933年(昭和8年)12月23日 86歳 皇父
昭和天皇第一皇男子
(二男五女のうち第五子)
EmpressMichikoOfJapan.jpg 上皇后[20]
(第125代天皇后)
美智子 みちこ 陛下 女性 1934年(昭和9年)10月20日 85歳 皇母
旧姓:正田(しょうだ)
第4位
出典

秋篠宮(あきしののみや)は、上皇所生の直宮家、筆頭宮家。構成員5名。天皇の弟宮である当主の秋篠宮文仁親王は、皇嗣

宮邸は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内に所在。1997年平成9年)3月からは、旧秩父宮邸を使用している。

御名 読み 御称号 身位 敬称 性別 生年月日 現年齢 天皇から
見た続柄
皇位
継承順位
摂政
就任順位
Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (cropped).jpg 文仁
ふみひと あやのみや
礼宮
親王 殿下 男性 1965年(昭和40年)
11月30日
54歳 皇弟
上皇第二皇男子
(二男一女のうち第二子)
第1位 第1位
Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (3) (cropped).jpg 紀子
きこ 親王妃
(秋篠宮妃)
殿下 女性 1966年(昭和41年)
9月11日
53歳 義妹
旧姓:川嶋(かわしま)
Princess Mako.jpg 眞子 まこ 内親王 殿下 女性 1991年(平成3年)
10月23日
28歳 皇姪 /
文仁親王第一女子
(一男二女のうち第一子)
第5位
Princess Kako.jpg 佳子 かこ 内親王 殿下 女性 1994年(平成6年)
12月29日
25歳 皇姪 /
文仁親王第二女子
(一男二女のうち第二子)
第6位
Hisahito of Akishino CROPPED.jpg 悠仁 ひさひと 親王 殿下 男性 2006年(平成18年)
9月6日
13歳 皇甥 /
文仁親王第一男子
(一男二女のうち第三子)
第2位
出典

常陸宮(ひたちのみや)は、昭和天皇所生の直宮家、上皇の弟宮。構成員2名。

宮邸は、東京都渋谷区(旧・常磐松町)の常盤松御用邸。

御名 読み 御称号 身位 敬称 性別 生年月日 現年齢 天皇から見た続柄 皇位
継承順位
摂政
就任順位
Prince Masahito cropped 2 The New Year Greeting 2011 at the Tokyo Imperial Palace.jpg 正仁 まさひと よしのみや
義宮
親王 殿下 男性 1935年(昭和10年)
11月28日
84歳 皇叔父 /
昭和天皇第二皇男子
(二男五女のうち第六子)
上皇の実弟
第3位 第2位
Princess Hitachi 2012-1-2.jpg 華子 はなこ 親王妃
(常陸宮妃)
殿下 女性 1940年(昭和15年)
7月19日
79歳 義叔母(上皇の義妹)
旧姓:津軽(つがる)
出典

三笠宮(みかさのみや)は、大正天皇所生の直宮家、昭和天皇の弟宮。構成員4名。

寛仁親王妃信子及び彬子女王瑤子女王は、寛仁親王家として皇室経済法で宮家としての扱いを受けていたが、寛仁親王の薨去に伴い合流となった[24][25]

当主であった三笠宮崇仁親王は、すでに薨去し故人である。

宮邸は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内の三笠宮・宮邸。

御名 読み 身位 敬称 性別 生年月日 現年齢 天皇から見た続柄 摂政
就任順位
Princess Mikasa 2012-1-2.jpg 百合子 ゆりこ 親王妃(三笠宮妃) 殿下 女性 1923年大正12年)
6月4日
97歳 義大叔母(昭和天皇の義妹)
旧姓:高木(たかぎ)
Princess Nobuko (cropped).jpg 信子 のぶこ 親王妃(寛仁親王妃) 殿下 女性 1955年(昭和30年)
4月9日
65歳 義従叔母(上皇の義従妹)
旧姓:麻生(あそう)
Princess Akiko cropped 3 The New Year Greeting 2011 at the Tokyo Imperial Palace.jpg 彬子 あきこ 女王 殿下 女性 1981年(昭和56年)
12月20日
38歳 皇再従妹/ 大正天皇皇曾孫
/寬仁親王第一王女子
(二女のうち第一子)
第7位
Princess Yoko cropped 1 Shimpei Matsushita Hiroshi Hase and Princess Yoko 20160726.png 瑤子 ようこ 女王 殿下 女性 1983年(昭和58年)
10月25日
36歳 皇再従妹/ 大正天皇皇曾孫
/寬仁親王第二王女子
(二女のうち第二子)
第8位
出典

高円宮(たかまどのみや)は、三笠宮崇仁親王の第三王子(三男二女のうち第五子)の高円宮憲仁親王が創設した宮家。構成員2名。

憲仁親王は既に薨去した故人であり、男子の宮家後継者が不在のため、妃の憲仁親王妃久子が宮家の当主を務める。

2014年(平成26年)に典子女王千家典子)が婚姻により皇籍を離脱し、2018年(平成30年)に絢子女王守谷絢子)が婚姻により皇籍を離脱した(いずれも皇室典範第12条による)。

宮邸は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内の高円宮・宮邸。

御名 読み 身位 敬称 性別 生年月日 現年齢 天皇から見た続柄 摂政
就任順位
Princess Takamado at TEDxTokyo 2009 opening cropped.jpg 久子 ひさこ 親王妃高円宮妃) 殿下 女性 1953年(昭和28年)
7月10日
66歳 義従叔母(上皇の義従妹)
旧姓:鳥取(とっとり)
Princess Tsuguko cropped 3 The New Year Greeting 2011 at the Tokyo Imperial Palace.jpg 承子 つぐこ 女王 殿下 女性 1986年(昭和61年)
3月8日
34歳 皇再従妹/ 大正天皇の皇曾孫
/憲仁親王第一王女子
(三女のうち第一子)
第9位
出典

戦後連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)による占領下での11宮家の皇籍離脱後(=旧皇族)、大正天皇の男系(父系)子孫とその家族のみが皇族として、皇室に残留した。

このうち、秩父宮高松宮桂宮の三宮家は、宮家成員の全皇族が薨去したことにより断絶し、消滅した。

旧皇族(旧宮家)と呼ばれている者たちは戦前の存在だと誤解されることが多いが、旧皇族は日本国憲法施行後、さらには現行の皇室典範下でも皇族の身分にあった期間がある[28]

読み 当主 創設 断絶[29][30] 備考
秩父宮家 ちちぶ 秩父宮雍仁親王
雍仁親王妃勢津子
1922年(大正11年)
6月25日
1995年(平成7年)
8月25日
伏見宮系皇族の臣籍降下後に存続した宮家のひとつ。
高松宮家 たかまつ 高松宮宣仁親王
宣仁親王妃喜久子
1913年(大正2年)
7月6日
2004年(平成16年)
12月18日
伏見宮系皇族の臣籍降下後に存続した宮家のひとつ。
有栖川宮家の祭祀や資産を継承しており、
妃喜久子は同じ弟宮家である常陸宮家の妃華子有栖川流を伝授している。
桂宮家 かつら 桂宮宜仁親王 1988年(昭和63年)
1月1日
2014年(平成26年)
6月8日
桂宮宜仁親王が未婚独身で創設した宮家。

離脱した旧皇族51名の一覧

宮家 読み 身位 年齢 備考
伏見宮 博明 ひろあき 2/ 16 1/第26代当主
博義王第1男子。
朝子 ときこ 4/王妃 46 博義王妃。
光子 みつこ 女王 19 博義王第1女子。
章子 あやこ 女王 14 博義王第2女子。
閑院宮 春仁 はるひと 2/ 46 1/第7代当主
載仁親王第2男子。
直子 なおこ 4/王妃 40 春仁王妃。
山階宮 武彦 たけひこ 2/ 50 1/第3代当主
菊麿王第1男子。
北白川宮 道久 みちひさ 2/ 11 1/第5代当主
永久王第1男子。
房子 ふさこ 3/内親王
王妃
58 3代当主の成久王妃。
明治天皇第7皇女。
祥子 さちこ 4/王妃 32 4代当主の永久王妃。
肇子 はつこ 女王 9 永久王第1女子。
梨本宮 守正 もりまさ 2/ 74 1/第2代当主
久邇宮朝彦親王第4男子。
伊都子 いつこ 4/王妃 66 守正王妃。
久邇宮 朝融 あさあきら 2/ 47 1/第3代当主
邦彦王第1男子。
俔子 ちかこ 4/王妃 69 邦彦王妃。
静子 しずこ 4/王妃 64 多嘉王妃。
朝子 あさこ 女王 21 朝融王第2女子。
邦昭 くにあき 2/ 19 朝融王第1男子。
通子 みちこ 女王 15 朝融王第3女子。
英子 ひでこ 女王 11 朝融王第4女子。
朝建 あさたけ 2/ 8 朝融王第2男子。
典子 のりこ 女王 7 朝融王第5女子。
朝宏 あさひろ 2/ 4 朝融王第3男子。
賀陽宮 恒憲 つねのり 2/ 48 1/第2代当主。
邦憲王第1王子。
敏子 としこ 4/王妃 45 恒憲王の妃
邦寿 くになが 2/ 26 恒憲王第1男子
治憲 はるのり 2/ 22 恒憲王第2男子。
章憲 あきのり 2/ 19 恒憲王第3男子。
文憲 ふみのり 2/ 17 恒憲王第4男子。
宗憲 むねのり 2/ 16 恒憲王第5男子。
健憲 たけのり 2/ 6 恒憲王第6男子。
東伏見宮 周子 かねこ 4/親王妃 72 初代当主依仁親王妃。
竹田宮 恒徳 つねよし 2/ 39 1/第2代当主
恒久王第1男子。
光子 みつこ 4/王妃 33 恒徳王妃。
恒正 つねただ 2/ 8 恒徳王第1男子。
恒治 つねはる 2/ 4 恒徳王第2男子。
素子 もとこ 女王 6 恒徳王第1女子。
紀子 のりこ 女王 5 恒徳王第2女子。
朝香宮 鳩彦 やすひこ 2/ 61 1/初代当主
久邇宮朝彦親王第8男子。
孚彦 たかひこ 2/ 36 鳩彦王第1男子。
千賀子 ちかこ 4/王妃 27 孚彦王妃。
富久子 ふくこ 女王 7 孚彦王第1女子。
誠彦 ともひこ 2/ 5 孚彦王第1男子。
美乃子 みのこ 女王 3 孚彦王第2女子。
東久邇宮 稔彦 なるひこ 2/ 61 1/初代当主
久邇宮朝彦親王第9男子。
聡子 としこ 3/内親王
王妃
52 稔彦王妃。
明治天皇第9皇女。
盛厚 もりひろ 2/ 32 稔彦王第1男子
成子 しげこ 3/内親王
王妃
23 盛厚王妃。
昭和天皇第1皇女。
信彦 のぶひこ 2/ 3 盛厚王第1男子。
文子 ふみこ 女王 2 盛厚王第1女子。
俊彦 としひこ 2/ 19 稔彦王第4男子。

旧皇族と現皇室との血縁関係

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
93

[32]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
誕生 年齢 性別 続柄 皇位継承順位 摂政就任順位
1948年(昭和23年)02月11日 桂宮宜仁親王 (故人) 男子 三笠宮崇仁親王第2王男子(3男2女のうち第3子) - -
1951年(昭和26年)10月23日 容子内親王(千容子) 68歳 女子 三笠宮崇仁親王第2王女子(3男2女のうち第4子) - -
1954年(昭和29年)12月29日 高円宮憲仁親王 (故人) 男子 三笠宮崇仁親王第3王男子(3男2女のうち第5子) - -
1960年(昭和35年)02月23日 今上天皇 60歳 男子 上皇明仁第1皇男子(2男1女のうち第1子) (第126代天皇) -
1965年(昭和40年)11月30日 秋篠宮文仁親王 54歳 男子 上皇明仁第2皇男子(2男1女のうち第2子) 第1位 第1位
1969年(昭和44年)04月18日 紀宮清子内親王(黒田清子) 51歳 女子 上皇明仁第1皇女子(2男1女のうち第3子) - -
1981年(昭和56年)12月20日 彬子女王 38歳 女子 寬仁親王第1王女子(2女のうち第1子) - 第7位
1983年(昭和58年)10月25日 瑶子女王 36歳 女子 寬仁親王第2王女子(2女のうち第2子) - 第8位
1986年(昭和61年)03月08日 承子女王 34歳 女子 高円宮憲仁親王第1王女子(3女のうち第1子) - 第9位
1988年(昭和63年)07月22日 典子女王(千家典子) 31歳 女子 高円宮憲仁親王第2王女子(3女のうち第2子) - -
1990年(平成02年)09月15日 絢子女王(守谷絢子) 29歳 女子 高円宮憲仁親王第3王女子(3女のうち第3子) - -
1991年(平成03年)10月23日 眞子内親王 28歳 女子 秋篠宮文仁親王第1王女子(1男2女のうち第1子) - 第5位
1994年(平成06年)12月29日 佳子内親王 25歳 女子 秋篠宮文仁親王第2王女子(1男2女のうち第2子) - 第6位
2001年(平成13年)12月01日 敬宮愛子内親王 18歳 女子 今上天皇第1皇女子(1女のうち第1子) - -
2006年(平成18年)09月06日 悠仁親王 13歳 男子 秋篠宮文仁親王第1王男子(1男2女のうち第3子) 第2位 -

宮家

宮家(みやけ)とは、日本において、宮号を賜った皇族の一家のことである。親王およびの家を指すこともある。

宮(みや)とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し、転じて住んでいる皇族のことを指すに至った。さらに、親王の身位とともに「○○宮」との称号(宮号)を世襲することが認められる例が生じ、これが「宮家」と呼ばれるものであり、個別には宮号に応じて「○○宮家」と呼ばれることがある。ただし、現行法上はいずれも法的な根拠を持つものではない。「○○宮」の称号は宮家の当主たる(あるいは生前当主であった)親王・王個人の称号であり、その家族は用いない。

宮家のうち天皇の子女や兄弟が創設した宮家を直宮家という。

当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王身位を保持し続けた宮家を世襲親王家という。

宮家 読み 現当主 創設 創設者 現人数 備考
Japanese Crest of Akisino no miya.png 秋篠宮 あきしの 文仁親王 1990年(平成02年)06月29日 上皇(第125代天皇明仁)第二皇男子文仁親王 5人 直宮家
Japanese Crest of Hitachi no miya svg.png 常陸宮 ひたち 正仁親王 1964年(昭和39年)09月30日 昭和天皇第二皇男子正仁親王 2人 直宮家
Japanese Crest of Mikasa no miya svg.png 三笠宮 みかさ 崇仁親王妃百合子 1935年(昭和10年)12月02日 大正天皇第四皇男子崇仁親王 4人 直宮家
Japanese Crest of Takamado no miya svg.png 高円宮 たかまど 憲仁親王妃久子 1984年(昭和59年)12月06日 崇仁親王第三男子憲仁親王 2人

皇室の活動

宮中の公務

国事行為
日本国憲法第6条および第7条により、天皇が行う。また、皇族の中から摂政、もしくは国事行為臨時代行を置き、代行させることができる。
皇居で公務を行う明仁
天皇在位当時:2003年(平成15年)2月
一般参賀
2012年(平成24年)
新年一般参賀
新年祝賀と天皇誕生日祝賀に際し、皇居において一般参賀を行う。天皇と皇族が皇居長和殿のベランダに出て祝賀を受ける。なお三権の長を招いて行う「新年祝賀の儀」は国事行為に該当する儀式だが、この「新年一般参賀」は国事行為以外の公務とされている。
園遊会

近代以後における皇室の儀式は、かつて大日本帝国憲法及び旧皇室典範下の皇室令で細かく規定されていたが、現日本国憲法及び皇室典範下で廃止された現在でも、基本的には概ねこれに従って行われる。

皇室の儀式には、日本国憲法第7条で定めている「国事行為の儀式」と「皇室の私事で行われる私的行為の儀式」に区別される。

宮中祭祀

五穀豊穣や国家国民の安寧を祈るものである。代表的なものは主に現在の祝日(春分の日春季皇霊祭など)にあたる日に行われている。

年間主要祭儀

祭儀[35]
1月 1日 四方拝
歳旦祭
新年祝賀の儀
2日 新年一般参賀
3日 元始祭
4日 奏事始
7日 先帝祭昭和天皇祭)
30日 孝明天皇例祭
2月 17日 祈年祭
23日 天長祭(天長節祭)
3月 春分の日 春季皇霊祭
春季神殿祭
4月 3日 神武天皇祭
皇霊殿御神楽
6月 16日 香淳皇后例祭
30日 節折
大祓
7月 30日 明治天皇例祭
9月 秋分の日 秋季皇霊祭
秋季神殿祭
10月 17日 神嘗祭
11月 23日 新嘗祭
12月 中旬 賢所御神楽
25日 大正天皇祭
31日 節折
大祓

行幸・行啓

広島を訪れ歓迎を受ける昭和天皇(1947年

急遽、戦災(東京大空襲)や被災した地域に行幸することがしばしばあるが、一般にかねてより計画されたものとなる。

国際親善

各国君主制国家の王室との関係は親密である。取り決めによってそれぞれの王室に不幸があった場合、半旗を掲げることと、服喪することが慣例になっている [要出典]

天皇の国事行為の「外国の外交官の接受」の一環である「信任状奉呈式」に際しては、皇室の馬車での送迎を認めている。馬車を使用した場合、東京駅から皇居宮殿御車寄までの道のりになる。自動車での送迎も可能であるが、馬車を希望する大使が多いと言われる。宮内庁は皇室の馬車による送迎は各国親善に役立っていると主張している。(宮内庁ホームページ)2007年(平成19年)8月、馬インフルエンザの影響により馬車による送迎が見送られたことがある。

国民との関わり

皇室行事

明治天皇及び過去の天皇の巡行にならい、昭和天皇以降も全国への「巡幸」が行われている。 主に式典の主賓としての列席及び祝辞、弔辞、開会または閉会の「おことば」として挨拶をするなどが代表的な活動といえる。更に、医療社会福祉施設児童施設への訪問や戦没者などへの慰霊碑などへの参拝も積極的にこなしている。

一般参賀

新年の一般参賀は正月に皇居において天皇はじめ皇族が5回程度、長和殿に「お出まし」として姿を現し、国民の参賀を受ける。又、天皇誕生日にも同様、一般参賀が行われる。ちなみに、宮内庁の発表によれば、2008年(平成20年)度は過去最高の2万2655人が参賀した。この一般参賀の参列者の多くは日章旗小旗を片手に振りながら拍手で出迎えるのが恒例となっている。

歌会始

皇室の行事の一つで新年を賀するために宮中で行われる和歌の会。一定の題にしたがって国民からの詠進歌を募集している。

勤労奉仕

宮内庁では、「勤労奉仕」(きんろうほうし)の名でボランティア活動として「国民の自主的な意思に基づく無給奉仕による皇居および赤坂御用地清掃活動への参加」を受け付けている。

参加に要する交通費および宿泊費などは自己負担である。主に希望者は複数名からなる団体として申し込みをし、国民の祝日が重複していない平日の連続する4日間(月・火・水・木曜日または火・水・木・金曜日)で清掃活動を行うことになっている。基本的には4日間のうち、3日間は皇居、1日間は赤坂御用地で作業する。主な内容は敷地内の除草清掃庭園作業などである。また、宮内庁職員による、普段は関係者以外は立入不可である敷地内の案内を受けることができる。多数応募がある場合は抽選となる。毎年、全国47都道府県から、学校関係の団体、地域の婦人会など多数の申し込みがある。

これは、1945年昭和20年)の敗戦直後に宮城県民の有志「皇国奉仕団(みくにほうしだん)」が「皇居の荒れ様に心を痛めて始めたのが興り」といわれる。

この勤労奉仕の参加者には、公務に差し支えがなく非常事態などで控えられない限り、天皇皇后及び皇太子皇太子妃より「ご会釈」を賜る(面会と挨拶伝達)ことができる。また、参加最終日には記念品として、以前は恩賜のたばこが授与されたが、2018年(平成30年)現在では、和菓子が授与されている。

皇居参観

宮内庁では、事前の予約に基づき、皇居をはじめ京都御所京都仙洞御所桂離宮などの参観を許可している。また、日本人のみならず訪日外国人観光客にとっても人気のある観光スポットにもなっている。

関係省庁

宮内庁

宮内庁庁舎。昭和10年(1935年)に建築された庁舎3階は,昭和27年(1952年)に改装され,昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間、昭和天皇香淳皇后の仮宮殿として使用された。皇太子明仁親王同妃美智子(当時)の朝見の儀はここで執り行われた。

宮内庁[36](くないちょう、: Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つである。皇室関係の国家事務、天皇国事行為にあたる外国大使公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管する内閣府の機関である。所在地は東京都千代田区千代田1番1(皇居内・坂下門の北側)。

なお、宮内庁はかつて総理府外局であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく内閣府に置かれる独自の位置づけの機関とされている(内閣府設置法48条)[37]。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。

1947年(昭和22年)には宮内府(くないふ)となり、さらに1949年(昭和24年)に宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年(平成13年)1月6日には、中央省庁再編の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれる機関となった。

幹部

予算・財産

皇室の予算

皇室費平成28年度予算案で約61億円。皇室費は内廷費宮廷費皇族費の三つに分かれている。(皇室経済法第3条)。また、宮内庁費は109億3,979万円。皇宮警察本部人件費は72億4500万円。[38]

内廷費
天皇内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので,法律により定額が定められ,平成28年度は,3億2,400万円。内廷費として支出されたものは,御手元金となる。(皇室経済法第4条,皇室経済法施行法第7条)。この内、約3分の1が人件費内廷で私的に雇われる職員)に、3分の2が物件費に使われる。[39]
皇族費
皇族としての品位保持の資に充てるためのもので,各宮家の皇族に対し年額により支出される。平成28年度の皇族費の総額は,2億2,997万円。皇族費として支出されたものは,各皇族の御手元金となる。なお,皇族費には,皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるものと皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものもある(皇室経済法第6条)。
宮廷費

皇室経済に関する重要な事項の審議に当たるため、合議体の皇室経済会議が設置される。

同会議の議員は、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣財務大臣宮内庁の長並びに会計検査院の長の8人。

議長は内閣総理大臣

皇室経済会議の主要な職務は次のとおり。

  • 皇族が独立の生計を営むことの認定
  • 皇族がその身分を離れる際に支出する一時金額による皇族費の金額決定
  • 内廷費・皇族費の定額の変更の必要を認める旨の意見の提出

現在の議員

皇室経済会議議員
氏名 職名 生年月日(年齢) 備考
Tadamori Ōshima 2018 (cropped).jpg 大島理森 衆議院議長 (1946-09-06) 1946年9月6日(73歳)
Hirotaka Akamatsu.jpg 赤松広隆 衆議院副議長 (1948-05-03) 1948年5月3日(72歳)
Akiko Santō (cropped).jpg 山東昭子 参議院議長 (1942-05-11) 1942年5月11日(78歳)
Toshio Ogawa 201101.jpg 小川敏夫 参議院副議長 (1948-03-18) 1948年3月18日(72歳)
Shinzō Abe Official.jpg 安倍晋三 内閣総理大臣 (1954-09-21) 1954年9月21日(65歳) 議長
Taro Aso cropped 1 Taro Aso 20080924.jpg 麻生太郎 財務大臣 (1940-09-20) 1940年9月20日(79歳)
Replace this image JA.svg 西村泰彦 宮内庁長官 (1955-06-29) 1955年6月29日(65歳)
Replace this image JA.svg 森田祐司 会計検査院長 (1958-09-02) 1958年9月2日(61歳)

被服

天皇・皇后史上初めて洋装をした 明治天皇と昭憲皇太后 天皇・皇后史上初めて洋装をした 明治天皇と昭憲皇太后
天皇・皇后史上初めて洋装をした
明治天皇昭憲皇太后
即位直後の昭和天皇と香淳皇后 即位直後の昭和天皇と香淳皇后
即位直後の昭和天皇香淳皇后
洋装の昭和天皇と香淳皇后 洋装の昭和天皇と香淳皇后
洋装の昭和天皇と香淳皇后
左側:1990年(平成2年)天皇明仁の即位の礼 右側:唐衣裳姿の皇后美智子(当時) 左側:1990年(平成2年)天皇明仁の即位の礼 右側:唐衣裳姿の皇后美智子(当時)
左側:1990年(平成2年)天皇明仁即位の礼
右側:唐衣姿の皇后美智子(当時)
2019年(令和元年)10月22日 即位礼正殿の儀に臨む天皇徳仁と皇后雅子 2019年(令和元年)10月22日 即位礼正殿の儀に臨む天皇徳仁と皇后雅子
2019年(令和元年)10月22日
即位礼正殿の儀に臨む天皇徳仁と皇后雅子

天皇と皇族が着用する被服(御服)は、皇室令「天皇ノ御服ニ関スル件」と同「皇族服装令」に規定があるが、西洋のノブレス・オブリージュの慣習に倣い、大日本帝国憲法下であった戦前の各皇族男子はほぼ軍務に服していたためそれぞれの大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍の服制によった。また、祭儀用の御服については、その儀式において一々に規定されており、現在も慣習としてこれを踏襲している。なお、皇族女子の御服は、朝議、祭儀用ともその祭儀に一々にして規定はあるが、それ以外は別段の規定はない。

天皇の服

下記の二種は、1945年(昭和20年)までの天皇の被服に関して記す。

陸軍式
正装(フロック形式正衣に前立を附する正帽)、礼服(フロック形式正衣に前立を附さない正帽)、通常礼服(軍衣、軍帽)、軍装、略装。
海軍式
正装(燕尾形式衣に黒色天鵞絨反り形帽子、大元帥佩刀)、礼装(フロック式礼衣に黒色天鵞絨反り形帽子、佩刀)、通常礼装(フロック形礼衣に軍帽、短剣)、軍装(第一種及び第二種)であり、略装は存在しない。

なお第二次世界大戦後、傍系宮家に属する皇族臣籍降下(皇籍離脱)以後、女性はもとより男性皇族が自衛官ないし自衛隊員として自衛隊陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊)の服務に従事するようなことはないため、天皇の御服として自衛官制服(他国における軍服)が使用されることはない。

装束

袞衣
袞衣(こんえ)は、天皇の最高礼装であり、歴代天皇の即位の礼や朝賀の際にのみ用いられた服であった。着用の際には冕冠を戴冠する。明治天皇即位の礼の際に廃止された。
御祭服(束帯
御祭服(ごさいふく)は、宮中祭祀の神事の中で、最も清浄にして神聖な御服であり、練らない白生絹で製作されたもので、大嘗祭の「悠紀主基(ゆきすき)両殿親祭」、年中恒例の神事では新嘗祭の時にだけ召される。冠は幘製の御幘の冠(おさくのかんむり)で、これらは天皇が未成年の場合には一切召すことができない。
帛御服(束帯、縫腋袍)
帛御服(はくのごふく)は、前者に次ぐ祭儀服で、純白無文、冠は立纓(冠の纓が前方に立っているもの)である。ただし、未成年時はこれらを召さず「空頂黒幘」を召す。即位の礼の一部と、大嘗祭の渡御のときにしか召されず、通常は用いられることはない。
黄櫨染御袍(束帯、縫腋袍)
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)は、年中の神事、皇室行事を通じて最も多く用いられる。鳳凰麒麟の地紋が表されている。袍は禁色黄櫨染であり、嵯峨天皇以来明治天皇までの御服であり袞衣が廃止されてからは、即位の礼など重要儀式で用いられる。
御直衣
御直衣(おのうし)は、皇室または国家の大事に際し、御奉告のため臨時に行う神宮、山陵への勅使発遣の儀、紀元節祭及び先帝祭の御神楽の儀等に用いられる。また毎月(一月一日を除く)の旬祭に御親拝の節もこの御服を召される。
御引直衣
御引直衣(おひきのうし)は、御袍の丈が長く、裾を三尺以上(1メートル以上)も長く引く。即位礼後神宮の礼、神武天皇山陵と前帝四代の山陵へ勅使発遣の儀に用いられる。
御小直衣
御小直衣(おこのうし)は、年中恒例行事の御祭儀では、六月、十二月の節折の儀式等に用いられる。
闕腋袍
闕腋袍(けってきのほう)は、未成年の男性皇族の装束。冠は被らず、空頂黒幘を着用する。

皇太子・皇族の装束

黄丹袍
皇太子(皇嗣・皇太弟を含む)が儀式の際に着用する束帯。太陽の色を表している。
束帯(縫腋袍
一般皇族男子が着用する文官の束帯。

皇后・皇太后の服

御洋装と御儀服(御装束)の二種に分けられる。下記の二種は、1945年(昭和20年)までの皇后および皇太后の被服に関して記す。

御大礼服 - マント・ド・クールmanteau de cour
フランス語宮廷礼服を意味する。戦前までの宮中新年儀式(現・新年祝賀の儀)においてのみ用いられた、18世紀フランスルイ王朝時代の礼服。明治19年(1886年)6月23日、伊藤博文宮内大臣内達によって宮中における皇族女性の礼服として定められた。
御中礼服 - ローブ・デコルテrobe décolletée
御通常服 -

天皇および皇族は、氏姓および名字を持たない。なお、宮家の当主が有する「○○宮」の称号は、あくまで宮家の当主個人の称号(宮号)とされており、一般国民でいう苗字には当たらない。

古代日本において、氏姓(しせい)、すなわち氏(ウジ)名と姓(カバネ)ヤマト政権大王(おおきみ、のちの天皇)が臣下へ賜与するものと位置づけられていた(氏姓制度)。大王は、氏姓を与える超越的な地位にあり、大王に氏姓を与える上位の存在がなかったため、大王、そして天皇は氏姓を持たなかったとされる。このことは、東アジア世界において非常に独特なものである。また、このことは古代より現在に至るまで日本で王朝が変わったことがないことを示しているとされる。延久4年(1072年)に日本の仏教僧である成尋北宋神宗への謁見で「本国の王は何というか」と尋ねられた際に「本国の王に姓なし」と答えた文献がある。

しかし、ウジ・カバネが制度化される以前の大王は、姓を有していたとされる。5世紀倭の五王が、倭讃、倭済などと称したことが『宋書』倭国伝ないし文帝紀などに見え、当時の倭国王が「倭」姓を称していたことがわかる。このことから、との冊封関係を結ぶ上で、ヤマト王権の王が姓を称する必要があったのだと考えられている[45][46]

また、『隋書』倭国伝に倭国王の姓を「阿毎」(あま、あめ)とする記述があり、7世紀初頭まで大王家が姓を有していたとする説もあるが、中国風の一字姓でないことから「阿毎」は姓でないとする説もある[45]。大王家の「倭」姓は、中国の冊封体制から離脱した5世紀末ないし、氏姓制度の形成が進んだ5世紀末から6世紀前半までの間に放棄されたとする説も提出されている[45]。文献では、姓はアメ、字はタラシヒコと記述されているが、日本語では、「天垂らし彦」になり、天から垂れた(降りた)男子という意であり[47][48]、つまり「天孫」という意味になる。中国語では「天子」(『通典』では「天児」)がこれに当たるが、中国の天子とは意味が異なる[49]。一方で、熊谷公男は『万葉集』の「天の原 振り放(さ)けみれば 大王の 御寿(みいのち)は長く 天足らしたり」(巻二から一四七)の歌などを参考に、「天の満ち足りた男子」という意味の尊称と解釈している[50](この説は森田悌も支持している[51])。森田悌は邪馬台国の時代では、「天垂らし彦」の称号があったとは考えがたいとし[52]、以後の時代に大陸思想の影響から芽生えたとみている[53](また、「天子」という語が反感を受けたのに対し、「天垂らし彦」の反応が低かったことに注目している)。王仲殊も阿毎多利思比孤は「天足彦(天の満ち足りた男子)」とした(天垂らし彦説もあると紹介した)上で、この語の中にはすでに「天子」「天皇」といった意味が含まれており、これは最初の国書で日中両国の君主を共に「天子」と称したため、中国側の不快感をあおったところから、それぞれ天子を「皇帝」と「天皇」と呼び変えて区別を示したとする[54]

吉田孝は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかったことが、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けたことにつながったとしている[45]

最高敬語

御写真
写真。旧字体では「御寫眞」。官衙(役所・官庁)、学校等に下賜された天皇・皇后の写真ではなく、それ以前の天皇皇后である明治天皇昭憲皇太后大正天皇貞明皇后昭和天皇香淳皇后の写真をいう。また、各皇族の場合にも用いる。戦前、宮内省(現在の宮内庁)では「御寫眞」と発表していたが、巷間の「御真影」(ごしんえい)という名称も使用可である。
御影
天皇・皇后の写真。「ぎょえい」とよむ。1910年(明治43年)以降、文部省中央省庁再編後の文部科学省)の調査委員会で定め各学校に発布した。
御尊影、御尊像、御肖像
天皇、皇后、皇太后の写真。主として、新聞・雑誌に奉載したものをいう。
自尊敬語
天皇が一人称を使うときは「朕」を使う。戦後は「私(わたし、わたくし)」を使用している。

皇室会議

皇室会議は、日本の皇室に関する重要な事項を合議する国の機関である。皇室典範第28条以下に定められる。

以下の重要事項について、皇室会議の「議を経る」または「議に拠る」こととされ、諮問機関とは一線を画する。

  1. 皇位継承の順序変更(皇室典範第3条)
  2. 立后と皇族男子(親王)の婚姻(同第10条)
  3. 皇族の身分の離脱(同第11条・第13条・第14条):皇族女子の結婚による皇籍離脱(同第12条)は除く
  4. 摂政の設置・廃止(同第16条・第20条)
  5. 摂政の順序の変更(同第18条)

議員

皇室会議議員
氏名 身分 生年月日(年齢)
Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (cropped).jpg 皇嗣文仁親王 皇族 (1965-11-30) 1965年11月30日(54歳)
Princess Hitachi 2012-1-2.jpg 正仁親王妃華子 皇族 (1940-07-19) 1940年7月19日(79歳)
Tadamori Ōshima 2018 (cropped).jpg 大島理森 衆議院議長 (1946-09-06) 1946年9月6日(73歳)
Hirotaka Akamatsu.jpg 赤松広隆 衆議院副議長 (1948-05-03) 1948年5月3日(72歳)
Akiko Santō (cropped).jpg 山東昭子 参議院議長 (1942-05-11) 1942年5月11日(78歳)
Toshio Ogawa 201101.jpg 小川敏夫 参議院副議長 (1948-03-18) 1948年3月18日(72歳)
Shinzō Abe Official.jpg 安倍晋三 内閣総理大臣 (1954-09-21) 1954年9月21日(65歳) 議長
Replace this image JA.svg 西村泰彦 宮内庁長官 (1955-06-29) 1955年6月29日(65歳)
Replace this image JA.svg 大谷直人 最高裁判所長官 (1952-06-23) 1952年6月23日(68歳)
Replace this image JA.svg 池上政幸 最高裁判所判事 (1951-08-29) 1951年8月29日(68歳)