ちりゅうし
知立市
Tiryuumatsuri7.JPG
Flag of Chiryū, Aichi.svg Emblem of Chiryū, Aichi.svg
知立市旗 知立市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23225-4
法人番号 5000020232254 ウィキデータを編集
面積 16.31km2
総人口 71,899[編集]
推計人口、2020年4月1日)
人口密度 4,408人/km2
隣接自治体 刈谷市豊田市安城市
市の木 ケヤキ
市の花 カキツバタ
他のシンボル マスコットキャラクター:ちりゅっぴ
知立市役所
市長 林郁夫
所在地 472-8666
愛知県知立市広見3丁目1番地
北緯35度0分4.6秒東経137度3分2.9秒座標: 北緯35度0分4.6秒 東経137度3分2.9秒
知立市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

知立市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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知立市(ちりゅうし)は、愛知県三河地方(西三河)にある

概要

歌川広重『東海道五十三次 池鯉鮒』

知立は景行天皇42年(112年)に創建された知立神社の門前町として発展した。知立神社は延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社であり、三河国二之宮、東海道三大社(三島大社熱田神宮、知立神社)の一つとして数えられ、大きな影響力を持った。知立神社の神官でもある永見氏は後白河天皇配下の武士となり知立城を築くなど、土豪としても勢力を広め、長きに亘りこの地を支配した。

戦国時代に入ると永見氏一族から徳川家康の側室、於万の方(長勝院)を輩出し結城秀康が誕生。当時の永見氏は今川家に属した為、刈谷城愛知県刈谷市)の水野氏や、岡崎城(愛知県岡崎市)の松平清康駿府城静岡県静岡市)らに従ったが、永禄3年(1560年)、桶狭間の戦い今川義元が討死すると、織田信長に従った水野忠重が知立城を接収し、天正年間(1573年から92年)には信長に対しての迎賓館的な施設が設けられた。

江戸時代に入ると、東海道日本橋から数えて39番目の宿場町池鯉鮒(ちりゅう、歴史的仮名遣いでの振り仮名は「ちりふ」)宿として整備され、知立城の跡地には寛永年間(1624年から43年)に将軍上洛時の宿泊施設として御殿が設置された。池鯉鮒宿は物資の集積場としても発展し、馬市や木綿市等が行われ、周辺地域の経済的中心地となった。天正14年に編纂された記録によれば、池鯉鮒宿には本陣1件、脇本陣1件、旅籠35件、人口1620人との記載がある。

知立市中心部のスカイライン

中京大都市圏の主要幹線道路(国道1号国道23号国道155号国道419号)や名古屋鉄道の主要路線(名鉄名古屋本線名鉄三河線)が通るハブ地域であり人口密度は三河地方で最も高い。名古屋市の25km圏内に位置する都市でもあり、同市や岡崎市のベッドタウンの側面もある。2016年より、知立駅の立体交差事業により大規模な再開発が行われている。

市名の由来

すでに、7世紀後半の木簡に「知利布」(ちりふ)とある。律令制以後の8世紀の木簡に「知立」とある。平安時代の『和名抄』に「智立」郷がみえ、江戸時代には「池鯉鮒」という東海道の宿場町として栄えた。知立神社を建てた伊知理生命(いちりゅう)にちなむという説もある。「池鯉鮒」の名は知立神社の池にコイやフナが多数いたことに由来する(大あんまきで有名な藤田屋のホームページなどに記載)。

地理

知立市中心部周辺の空中写真。
1987年撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

三河地方の市では、高浜市に次いで面積が小さい。市域は平坦な土地となっており、市の北部に逢妻川、南部に猿渡川が流れる。

地形

河川

二級河川