出雲大社(神代創建と言われる、島根県出雲市
蒙疆神社昭和時代創建、張家口。写真は1952年のもので、当時はすでに廃社されていた)

神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設[1]産土神天神地祇皇室氏族祖神偉人義士などのなどがとして祀られる[2]文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある[3]。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。

概要

神社は日本固有の宗教である神道祭祀施設であるとされているが、その位置付けは時の政治の状況との関連もあり一定していない。律令国家においては式内社が国家による祭祀の対象として神祇官の統制下に置かれたが、その頃から既に式外社と呼ばれる神祇官の統制外にある神社もあったことは確実である。

近世においては仏教の施設となった神社や修験道陰陽道の影響下にある神社も存在していたが、一方で伯家神道吉田神道と言った他宗教からは独立した神道の神社もあった。近代になると神社は国家神道として神道系の宗教を含むあらゆる宗教から建前上は分離されたが、その位置づけには議論があった。宗教としての神道は教派神道として神社と分離された。

現代においては国家神道は廃止され、多くの神社は神社神道に分類される宗教団体の施設として再編された。その多くは神社本庁に所属している。

だが、現代においても神社の在り方はさまざまである。有名な神社であっても、難波神社鎌倉宮靖国神社伏見稲荷大社日光東照宮気多大社梨木神社新熊野神社富岡八幡宮など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、宗教法人格を有さない小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[4]東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある[5]。さらに神社本庁以外にも神社神道系の包括宗教法人がいくつかあり(神社本教北海道神社協会神社産土教日本神宮本庁など)、これに属する神社は神社本庁の被包括関係には属さない。また、教派神道修験道陰陽道、神道系新宗教大和教団大倭教等)や保守系の諸教生長の家天照皇大神宮教等)に所属している神社も存在している。

祭祀対象

祭祀対象は神道であり、「八百万(やおよろず)」と言われるように非常に多彩である。神聖とされた山岳や河川・湖沼などから、日本古来の神に属さない民俗神、実在の人物・伝説上の人物や、陰陽道道教の神、神仏分離を免れた一部の仏教の仏神などの外来の神も含まれる。また稲荷や猿、鯨など動物を祭神とする神社、子孫繁栄の象徴として男根の像を祀る神社もある。一方、本来はある氏族がその実際の祖神を奉斎したもので、一社ごとに具体的な奉斎氏族がいたものと考えられる。例え祭祀対象の神が一見すると自然神や抽象神のように見えても、本来は具体的に実在した氏族の祖神祖霊崇拝)であったと考えられる[6]

古くは神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、社殿がなくとも「神社」とした。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。神は目に見えないものであり、神の形は作られなかった。神社の社殿の内部のご神体は神が仮宿する足場とされた御幣や鏡であったり、あるいはまったくの空間であることもあり、さまざまである[注釈 1]

呼称

神社の名称

神社の名称の付け方は様々である。最も一般的なのは地名によるものである[注釈 2]

「〜坐神社」というのもある。また祭神名を冠するものも多い[注釈 3]。ほかに奉斎する氏族の名前を冠するもの[注釈 4]や祭神に関連する語句を冠するもの[注釈 5]、神社の種別を表すもの[注釈 6]・祭神の座数によるもの[注釈 7]などがある。また由来が不詳である神社名も少なくない[注釈 8]。稲荷神社や八幡宮など全国に広く分布するものは、それらの社名にさらに地名を冠することが多い[注釈 9]

天満宮は音読みで、八幡宮や浅間神社は音読みと訓読みの場合があるが、音読みで社号を読むのは仏教の影響である。天満宮は祭神である天満天神が仏教の影響を受けているため、漢語の社名となっている。八幡宮と浅間神社はいずれも本来は「やわた」「あさま」と訓読みしたが、神仏習合のもと仏教の影響で、音読みが定着した。

なお、原則として全ての神社を「〜神社」(宮号・神宮号を除く)と称するようになったのは近代になってからである。「〜明神」や「〜権現」などと神名を社号としたところや、「〜稲荷」「〜八幡」と「神社」の部分が省略されたところ、「〜社」としたところなどがあったが、全て原則として「〜神社」と称することになった。これを権現号の使用禁止と関連させて、排仏政策によるという指摘もあるが、国家が管理するうえでの都合と言う解釈もある。

近代においては終戦まで神社はいわば国家の施設であり、法令上の規則により、「神社」と認められるのに設備や財産などの条件があり、条件に満たないものは「神社」とされなかった。

社号

近世まで、固有名の部分を除いた「神社」「大社」「宮」などの社号に特別な基準はなく、一つの神社が状況によって異なる呼ばれ方をすることもあった。明治時代に神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社・神宮などを名乗るには勅許などが必要とされた。終戦後には政教分離により国家、皇室が神社に直接関与しなくなったため、特に許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになった。

伊勢神宮に代表される神宮号は7世紀まで遡る古いものである。日本書紀に記された神宮号は伊勢神宮・石上神宮出雲大神宮のみだった。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』では鹿島神宮香取神宮・大神宮が神宮とされた。明治以降、明治天皇を祀る明治神宮が創建されると、他の天皇を祀る神社も順次神宮に昇格した。こうして、歴史上の人物を祀る神社で、天皇を祀るものを神宮皇族を祀るものを、功臣等を祀るものは神社とされた。しかし、仁徳天皇を祀る高津宮や難波神社は神宮と呼ばないように、全てにおいて天皇を祀るものを神宮と呼ぶわけではない[8]

戦後に神宮を名乗るようになった神社には北海道神宮伊弉諾神宮、英彦山神宮がある。香椎宮のように、いわゆる神宮ではないのに、最寄りの駅名が香椎神宮駅であるために誤解される例もある。

大社は江戸時代までは杵築大社・熊野大社の二社が名乗ったが、明治時代から1945年までは大社を名乗るものは出雲大社のみであった。戦後は旧官幣大社・国幣大社・官幣中社の神社のうち26社が大社を名乗っている。現在、ほかに気多大社諏訪大社南宮大社三嶋大社富士山本宮浅間大社多度大社日吉大社多賀大社建部大社松尾大社伏見稲荷大社住吉大社春日大社龍田大社広瀬大社熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社宗像大社高良大社など。

また、梅宮大社大鳥大社のように表記が定まらないものもある。また平野神社もかつては扁額に「平野大社」と書かれていた。

上社・下社

富士山本宮浅間大社奥宮
富士山山頂に鎮座)

神社には上社と下社、あるいは上の宮と下の宮など二社に分かれる「二社制」が多くみられる。上社、中社、下社の三社に分かれる「三社制」もある。

上社と下社はその位置関係から、上手のものを上社、低地のものを下社と呼ぶことが多い。また、本宮、本社から見て深奥部にある社は奥社、奥宮(おくのみや)、奥院、山宮、人里近い社は前宮、里宮、口宮などと呼ばれ、僻遠地の元宮に対し集落近郊に新たに建てられたものを新宮とも呼ぶ。

これらの上下社では祭神が異なる場合もあるが、一方がもう一方の若宮であったり、本宮の配偶神を祀るケースもある。これらの起源は不詳だが山奥に埋葬墓、都邑近郊に礼拝墓を設ける「両墓制」と関係があるとする説もある。また、山岳そのものをご神体として、その山麓に遙拝施設を建てたものを里宮の起源とし、神霊降臨の思想から山頂にもう1社を建て分祀したものを山宮の起源とする説もある。

賀茂神社
上賀茂神社(祭神 賀茂別雷神)と下鴨神社(祭神 玉依姫命賀茂建角身命)。下鴨社の起源は上賀茂社からの分祀ともいうが定かではない。
諏訪大社
諏訪湖の南北に上下社があり、上社は建御名方神と妻の八坂刀売命、下社は二神に加え兄神事代主神を配祀するが、民間では上社に男神、下社に女神とされる。さらに上社は本宮・前宮、下社は春宮・秋宮に分かれる。
熊野三山
本宮大社速玉大社那智大社の三社。祭神は長年熊野三所権現とされた。速玉大社は「新宮」とも呼ばれる。本宮は山宮だが新宮は里宮である。
宗像大社
辺津宮中津宮沖津宮の三社および中津宮北部にある沖津宮遙拝所。
丹生川上神社
奈良吉野罔象女神を祀る。元は一社だったが近世に入り比定地の変遷に従い上中下の三社となった。
秋葉神社
秋葉山頂の上社と山麓の下社が山宮と里宮に対応する。祭神は秋葉大権現(カグツチ)として知られる。
富士山本宮浅間大社
市街地に本宮、富士山頂に奥宮を置く。祭神は浅間大神。他に大宮口登山道中途に浅間大社旧跡とされる
神社境内模式図
参考文献『神道の本』(学習研究社)
(下部から)
①鳥居 ②石段 ③参道 ④手水舎 ⑤灯籠 ⑥神楽殿 ⑦社務所・納札所 ⑧絵馬掛け ⑨摂末社 ⑩狛犬
⑪拝殿 ⑫瑞垣 ⑬本殿

鳥居の内の区域一帯を、「神霊が鎮まる神域」とみなす。神社の周りには鎮守の杜という森林があることが多い。御神木といわれる木には、注連縄を結ばれているものもある。神社の入口には、境内と俗界の境界を示す鳥居があり、社殿まで参道が通じる。参道のそばには「身を清める」手水舎、神社を管理する社務所などがある。大きな神社では神池神橋もみられる。

社殿は本殿(神殿)や拝殿からなる。人々が普段参拝するのは拝殿で、神体がある本殿は拝殿の奥にある。本殿と拝殿の間に参詣者が幣帛を供えるための幣殿が設置されることもある。

神社の敷地(境内)には、その神社の祭神に関係のある神や本来その土地に祀られていた神を祀る摂社や、それ以外の神を祀る末社があり、両者をあわせて摂末社という。境内の外にある摂末社は境外社と呼ばれる。

また、神仏習合が始まる奈良時代以降は神社の境内に神を供養する神宮寺(別当寺、宮寺)が建てられたり、神社内に寺院が建てられたりしたが、明治初期の神仏判然令(神仏分離令)により、神社と寺院は分離され、神社の境内の五重塔や仏堂などは撤去され、神職と僧侶も区別された。

参道にある灯籠常夜灯はもともとは仏教寺院のものであり、平安時代以降、神社にも浸透したものである[9]。参道に敷かれる玉砂利は、玉が「たましい(魂)」「みたま(御霊)」「美しい」という意を持ち、砂利は「さざれ(細石)」の意を持ち、その場を清浄する意味を持っている。敷くことによってその場所を祓い清める意味があり、なお参道を進み清浄な石を踏みしめることによって、身を清め心を鎮めて、最高の状態で祈りが出来るようにしてある[10][11]


建物

宮大工による木造の日本式建築が多い。現代では、建築技術の変化や法律上の問題(耐震強度や火事対策)により、鉄筋コンクリート造も増えている。前述のようにビルの中にある神社もあり、必ずしも日本風の建物ばかりではない。ただし、神体が鎮座する本殿の形は日本式建築である。

神社は周囲に森があることも多く、夜間は警備もしにくく、放火などもみられる。そのため、一部では警備会社と契約して機械警備などを行う。防火や盗賊除けの神が鎮座する神社に警備会社のステッカーが貼ってあるのが見かけられることも多い。

神社の付属施設

多くの神社に共通する施設

本殿と神殿は別とされることもあるが通常は同一の物。常設とされる施設でも、絵馬殿[注釈 10]など時代によって変化するものもあると思われる。また、摂末社がない神社もある。また、摂末社に本来の祭神(その土地の鎮守神)が祀られる事もある。

その他の共通施設も神社によって存在しないことがあり、以上は一定の目安である。

他の付属施設

現在では参拝用の施設の他に、結婚式の設備[注釈 11]などが併設されることも多い。

本殿の様式

代表的な様式
他の様式