JR logo (west).svg 福知山線
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福知山線を走る特急「こうのとり」 (黒井駅 - 石生駅間)
福知山線を走る特急「こうのとり
黒井駅 - 石生駅間)
基本情報
通称 JR宝塚線(尼崎駅 - 篠山口駅間)
日本の旗 日本
所在地 兵庫県京都府
種類 普通鉄道在来線幹線
起点 尼崎駅
終点 福知山駅
駅数 30駅
電報略号 フクセ[1]
路線記号 G
開業 1891年7月24日
全通 1904年11月3日
所有者 西日本旅客鉄道
運営者 西日本旅客鉄道
車両基地 福知山電車区ほか
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 106.5 km
軌間 1,067 mm狭軌
線路数 複線(尼崎駅 - 篠山口駅間)
単線(上記以外)
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 ATS-PおよびATS-SW(拠点P・尼崎駅 - 篠山口駅間[2]
ATS-SW(篠山口駅 - 福知山駅間)
最高速度 120 km/h
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福知山線(ふくちやません)は、兵庫県尼崎市尼崎駅から京都府福知山市福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線幹線)である。

なお本項では正式な路線名を示す場合を除いて、東海道本線のうち大阪駅から京都方面は「JR京都線」、尼崎駅から三ノ宮方面については「JR神戸線」の愛称で記述する。

概要

大阪北近畿、さらに山陰地方とを結ぶルートの一つである。大阪駅 - 宝塚駅間では阪急宝塚線大阪梅田駅 - 宝塚駅間と、大阪駅 - 伊丹駅間では阪急神戸線阪急伊丹線の梅田駅 - 伊丹駅間と競合している。

東海道本線の大阪駅 - 尼崎駅間を含む大阪駅 - 篠山口駅間はアーバンネットワークの路線の一つとなっており、「JR宝塚線」(ジェイアールたからづかせん)の愛称が付けられている。阪急電鉄にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称に「JR」が付いている。JR西日本が1987年8月に大阪駅 - 新三田駅間の愛称を公募したところ、「北阪神線」が1位であったが、「JR宝塚線」が採用された[3]。また愛称の区間も地元自治体の要望により、大阪駅 - 篠山口駅間に変更されている[3]

ラインカラー)であり、選定理由は「これからの新しい開発エリアを示すイキイキとしたイメージ」とされている。路線記号は G [4]

尼崎駅 - 新三田駅間は近畿統括本部が、新三田駅(構内を除く) - 福知山駅間は福知山支社が管轄している。大阪駅 - 尼崎駅 - 谷川駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」に含まれており、大阪駅 - 篠山口駅間はIC乗車カードICOCA」のエリアに含まれている[5](2021年春に福知山駅まで拡大予定[6])。

路線データ

JR宝塚線と競合する阪急各線の位置関係
  • 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離(営業キロ):106.5km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:30(起終点駅含む。JR宝塚線としては23駅)
    • 福知山線所属駅に限定した場合、東海道本線所属の尼崎駅と山陰本線所属の福知山駅が除外され[7]、28駅となる[8]
  • 複線区間:尼崎駅 - 篠山口駅間
  • 単線区間:篠山口駅 - 福知山駅間
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 保安装置:
    • 尼崎駅 - 篠山口駅間:ATS-PおよびATS-SW(拠点P[2]
    • 篠山口駅 - 福知山駅間:ATS-SW
  • 最高速度:
    • 120km/h(尼崎駅 - 新三田駅間)
      • 尼崎駅 - 宝塚駅間は2005年6月19日から95km/h[9]
    • 105km/h(新三田駅 - 福知山駅間)
  • 運転指令所
  • 路線は篠山口駅を境に南側の都市近郊路線と、北側の地方幹線とに雰囲気が分かれ、日中は普通列車の運転系統も分離されている。篠山口駅以南は複線、以北は単線である。単線区間の各駅すべてで列車交換が可能で、一線スルー化されている。複線区間では塚口駅川西池田駅・宝塚駅・新三田駅広野駅で列車の待避が可能である。

    1986年10月31日まで客車普通列車が運行されていたが、同年11月1日の宝塚駅 - 新三田駅間の複線電化を機に、沿線住宅開発の進展とJR東西線の開業などにより新型車両が行き交う通勤路線となっている。また、川西池田駅 - 西宮名塩駅間・三田駅 - 丹波大山駅間・柏原駅 - 福知山駅間は国道176号とほぼ並行している。

    運行形態

    福知山線は尼崎駅が起点だが、尼崎駅を始発・終着とする列車はなく、全ての列車が尼崎駅を越えて大阪駅ないしJR京都線 高槻京都方面、またはJR東西線を経由し学研都市線(片町線)同志社前木津方面に乗り入れている。福知山駅からは特急列車が山陰本線に直通している(京都丹後鉄道宮福線へは臨時での延長運転時のみ)。普通列車快速列車を含む)は、日中は篠山口駅で運転系統が分かれており、大阪駅 - 福知山駅間を直通する列車は朝晩のみである。

    2020年3月14日ダイヤ改正時点での運行概況は、次の通り。

    ラッシュ時間帯の尼崎方面行きは、大阪行きの快速、JR京都線直通の普通、JR東西線・学研都市線直通の快速・普通が頻発する。普通列車は、かつてはJR京都線直通とJR東西線直通が1:1の割合であったが、現在はJR東西線直通のほうが多く設定されている。尼崎駅でJR神戸線からの普通列車に接続する。

    日中1時間あたりの運転本数
    (2020年3月14日以降)
    種別\駅名 尼崎 塚口 宝塚 新三田 篠山口 福知山
    特急 ←新大阪 1[注釈 1]
    区間快速 ←大阪 2  
    2  
    ←木津 2  
    ←同志社前 2
    普通 ←高槻 4  
      1

    定期列車

    特急

    北近畿ビッグXネットワークの一角(「X」の左斜め下の部分が福知山線)としての機能があり、特急「こうのとり」がほぼ1時間に1本で1日14往復運転されている。

    停車駅は、大阪駅・尼崎駅・宝塚駅・(西宮名塩駅)・三田駅・(新三田駅)・(相野駅)・篠山口駅・(谷川駅)・柏原駅・(黒井駅)・福知山駅で、( )内の駅には一部の列車が停車する。

    大阪から福知山市・豊岡市などの丹波但馬地方の各市町や城崎温泉などの観光地への足として、城崎温泉駅発着列車などもある。現在は主に3両・4両編成で運転されるが、多客時には7両へ編成増強されることもある。平日朝晩の特急列車では大阪駅 - 篠山口駅間で通勤需要があるため、2往復は通年7両で運転されている。

    「こうのとり」のうち、一部列車が多客期のみ京都丹後鉄道(2015年3月までは北近畿タンゴ鉄道)天橋立駅へ延長運転を実施している[11][12]

    丹波路快速・快速・区間快速

    快速列車は、大阪駅発着系統と、尼崎駅からJR東西線・学研都市線に直通する系統とが運転されている。2000年3月11日のダイヤ改正より登場した丹波路快速は前者にあたる。快速と丹波路快速の停車駅は同じで、尼崎駅・伊丹駅・川西池田駅・中山寺駅・宝塚駅・西宮名塩駅と三田駅以遠の各駅に停車する。区間快速は、大阪駅発着系統は尼崎駅・伊丹駅と川西池田駅以遠の各駅に停車するが、JR東西線・学研都市線直通系統は尼崎駅から各駅に停車する。

    快速・丹波路快速は、原則として川西池田駅で普通と緩急接続を行うが、早朝と深夜では緩急接続を行わない列車がある。このほか、朝ラッシュ時では一部の大阪行きが宝塚駅または新三田駅でも普通と片接続を行う。区間快速は、大阪駅発着系統のうち大阪行きのみ川西池田駅で普通と緩急接続を行う。

    大阪駅発着系統
    大阪駅発着系統は、宝塚駅・新三田駅・篠山口駅・福知山駅発着で運転されている。JR京都線には乗り入れていない[注釈 2]。福知山駅発着の全列車と、篠山口駅発着のうち223系225系電車(いずれも6000番台)で運転される列車は、丹波路快速として運転される(ダイヤ乱れ時等は別車両の場合あり)。
    丹波路快速は、221系電車の当路線での運用が増加した2000年3月11日のダイヤ改正で運転を開始し[13]、その後2008年6月28日からは大半の列車が223系に置き換えられた。2011年3月12日のダイヤ改正で8両編成で運転される丹波路快速が大幅に増加[14]2012年3月17日のダイヤ改正で221系が同線から撤退し入れ替わる形で225系も運用されるようになった。
    福知山駅まで直通する列車および篠山口駅で福知山行きに接続する列車は、福知山駅まで先着する(後者は篠山口駅で乗り継ぎ)。大阪行きも基本的に終着駅まで先着だが、朝の一部列車のみ広野駅で特急列車の通過待ちを行う。
    大阪駅 - 篠山口駅間では最大8両編成で運転されるが、篠山口駅 - 福知山駅間ではホームの有効長が8両に達しない駅があるため、最大6両編成で運転される。大阪駅 - 福知山駅間を8両編成で運転する列車は篠山口駅で一部車両の連結・切り離し作業を行い、篠山口駅 - 福知山駅間では4両編成で運転される。
    2020年3月14日のダイヤ改正から、日中の丹波路快速と快速を宝塚駅[注釈 3] - 篠山口駅間の各駅に停車する区間快速(大阪駅 - 新三田駅2本と大阪駅 - 篠山口駅2本)に変更し、普通を(JR京都線 - )大阪駅 - 宝塚駅間に短縮した[15]。このうち、新三田行きの1本は川西池田駅で特急列車の通過待ちを行う。
    JR東西線・学研都市線直通系統
    JR東西線・学研都市線直通系統は、日中は塚口駅折り返しで1時間に4本運転されている。朝晩は宝塚駅・新三田駅・篠山口駅発着の設定がある。尼崎駅でJR神戸線の快速と相互接続(時間帯によっては新快速・普通とも接続をする場合もあり)を行う。全列車とも終着駅まで先着する。朝・晩の快速の一部は尼崎駅で列車種別を変更してJR東西線・学研都市線では区間快速として運転する列車があり、列車番号も尼崎駅で変更になる。日中の塚口駅発着の区間快速は尼崎駅で列車番号の変更は行われない。学研都市線・木津経由の奈良駅発着列車も、2018年3月時点で朝に奈良発新三田行き快速が1本、夜間に新三田発奈良行きの快速(平日は新三田20時台発。土休日は新三田21時台発で尼崎駅から区間快速)が1本設定されている。

    車両は、大阪駅発着系統は223系・225系が、JR東西線・学研都市線直通系統は207系321系が使用されている。207系・321系は大阪駅発着系統でも日中以外で運用されることがある。

    快速列車は日本国有鉄道(国鉄)時代は1日に数本程度運転されるだけであった。国鉄末期の1983年頃のダイヤでは、大阪駅 - 篠山口駅間に尼崎駅・伊丹駅・宝塚駅・武田尾駅・三田駅・広野駅・相野駅・古市駅を停車駅とする気動車による快速列車が1日2往復のみ設定されていたが、快速列車はのちに、各駅に停車する区間が三田駅 - 篠山口駅間、宝塚駅 - 篠山口駅間と次第に延びて停車駅が増加していき、1986年11月1日の全線電化で全列車が電車に統一されたことによって普通列車のスピードアップが図られたため、最終的に廃止された。快速が多数運転されるようになったのは民営化後の1989年3月11日のダイヤ改正からで、当時の停車駅は尼崎駅・伊丹駅・川西池田駅・宝塚駅と三田駅以遠の各駅で、国鉄時代とは異なる停車駅で設定されていた。1997年3月8日改正では広野駅・藍本駅・草野駅・古市駅・南矢代駅を通過する速達タイプの快速が設定され、大阪発篠山口行きで毎日夕方に4本(1時間に1本)運転されていた[16]。この速達快速は207系電車を使用して運転が開始されたが、2003年12月1日のダイヤ改正で廃止された。2020年3月14日のダイヤ改正で日中は快速・丹波路快速が区間快速に格下げされたため、日中は事実上旧国鉄末期の快速列車とほぼ同じ停車駅となっている。

    普通

    一部の列車を除き、運行区間内の各駅に停車する。大半の列車がJR京都線と直通しており、京都駅・高槻駅 - 大阪駅 - 宝塚駅・新三田駅間および篠山口駅 - 福知山駅間の運行が基本である。快速・丹波路快速が各駅に停車する新三田駅 - 篠山口駅間では朝の数本のみの運行である[注釈 4]。早朝・深夜の一部を除き、川西池田駅で快速・丹波路快速・区間快速(上りのみ)との緩急接続および特急の通過待ちを行うが、日中は下りの区間快速とは緩急接続を行わず、宝塚駅まで先着する。上りの一部は、宝塚駅または新三田駅(当駅始発のみ)でも緩急接続を行う。尼崎駅では一部列車を除きJR神戸線 - JR東西線間直通の普通と同一ホームで接続する。

    朝ラッシュ時は塚口始発でJR東西線に直通する系統が設定されている。日中は大阪駅 - 宝塚駅間で1時間に4本運転されている。2002年10月5日のダイヤ改正前は日中以降は高槻発・京都行きとの組み合わせであったが、この改正で15分間隔運転時間帯は高槻駅発着に統一された。土曜・休日ダイヤでは朝に京都駅発着の列車が運転されているほか、夜の20分間隔運転時間帯が21時から始まる。

    夜19時台には篠山口発高槻行きが1本運転されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正により廃止された。

    朝晩にはJR東西線・学研都市線に直通する列車も設定されている。JR東西線・学研都市線との直通列車は時間帯によって上りは尼崎駅で、下りは京橋駅で区間快速に種別変更を行う列車もある。土曜・休日の朝には学研都市線・木津経由の奈良発宝塚行き(京橋駅まで区間快速)が1本ある。

    JR京都線に直通しない大阪駅発着の普通も朝や深夜時間帯に運転されている。この列車は尼崎駅 - 大阪駅間で外側線を走行し、塚本駅は通過(土曜・休日夜の大阪行き1本は除く)する。大阪駅 - 福知山駅間を直通する普通も朝に数本設定されているが、大阪発福知山行きの片道のみの運行である(福知山駅からの普通は全て篠山口駅までの運転で、丹波路快速のみが大阪駅まで直通する)。

    車両はほとんどが207系・321系の7両編成であるが、朝の大阪発福知山行きは223系・225系の4両編成で運行される。

    JR東西線開業前は大阪駅発着の列車が殆どで、朝ラッシュ時のみ新大阪行きと吹田発の設定があった。また、昼間でも113系117系も普通列車に充当されていた。JR東西線が開業した1997年3月8日に吹田発は高槻発に変更された。同年8月31日まですべての普通が塚本駅を通過していた(大阪駅 - 尼崎駅間は外側線を走行していたことなどが理由。現在も朝の大阪駅発着は外側線を走行しているため塚本駅は通過している)が、翌9月1日からは、尼崎駅発着だったJR京都線の普通と当路線のJR東西線直通ではない普通を統合して京都・高槻方面 - 新三田方面直通としたため、前述の一部列車を除き塚本駅にも停車するようになった。

    2020年3月14日のダイヤ改正より、日中の普通は(JR京都線 - )大阪駅 - 宝塚駅間に短縮した(宝塚駅以遠は区間快速が代替)[15]

    篠山口駅 - 福知山駅間では、日中に丹波路快速に接続する普通が運転されている。主に223系5500番台の2両編成でワンマン運転を行い、1時間に1本程度運転されている。この区間では最大6両編成が乗り入れ可能で、朝晩は車掌が乗務している列車がほとんどであり、2両編成でも車掌が乗務している列車もある。2014年3月15日の改正で、大阪発22時台の丹波路快速が福知山行きから篠山口行きに見直されたことに伴い、篠山口発0時台の普通福知山行きが設定されたが[17]、2018年3月17日のダイヤ改正で廃止された[18]

    臨時列車

    特急

    国鉄からJRとなって以降は、冬のカニのシーズンを迎える11月から3月にかけて、臨時特急味めぐり北近畿」(1998年以前)[19]・「かにカニ北近畿」(1999年以降)[20]が運転されていた。 (「こうのとり」の項目も参照)

    現在は臨時列車の運転はなく、定期列車における車両増結で対応している。

    快速

    国鉄時代から、篠山の祭礼に合わせた臨時快速(「デカンショ祭り号」)などが多く設定されていたが、現在は定期列車の充実もあって臨時列車の設定はほぼなくなっている。

    現在は、毎年3月に行われている朝日放送テレビ主催の篠山ABCマラソン大会に合わせた大阪発篠山口行き臨時快速「篠山ABCマラソン号」が1本設定される程度となっている[21]。「篠山ABCマラソン号」の停車駅は、新三田駅までは通常の快速と同一であるが、新三田駅 - 篠山口駅間の各駅は旧速達快速が停車していた相野駅も含めて通過としている[22]

    女性専用車

    女性専用車
    ← 篠山口
    尼崎・大阪 →
    1 2 3 4 5 6 7

    大阪駅 - 篠山口駅間では、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、207系の大阪側から3両目および321系では5号車に女性専用車が設定されている。乗車位置には女性専用車の案内が表示されている。なお、ダイヤが乱れた際は女性専用車の設定が解除されることがある。

    JR宝塚線では2002年12月2日から女性専用車を導入し、始発から9時00分と17時00分から21時00分まで設定されていた[23]が、2011年4月18日からは平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった[24]

    過去の列車

    優等列車

    特急「タンゴエクスプローラー」

    かつて福知山線には大阪駅と京都府舞鶴市や山陰各都市とを結ぶ幹線として長距離の優等列車が多数運転されていたが、国鉄末期の1986年11月1日に山陰本線城崎駅(現在の城崎温泉駅)まで電化されたことにより、優等列車はほぼ全てが電車化・特急化された上に運転区間は城崎駅までに短縮され、福知山線経由での山陰方面への昼行の直通列車は廃止された。その後、電車特急の一部を気動車に置き換えて直通列車を復活させたが、のちに米子・出雲市方面へは新幹線伯備線経由が、鳥取・倉吉方面へは智頭急行経由がそれぞれメインになったことと車両老朽化もあり、長距離列車は再び姿を消した。2004年10月16日に急行「だいせん」が廃止されたことにより、福知山線経由での夜行列車は運転されなくなった。

    このほかに福知山線では、北近畿タンゴ鉄道(現在の京都丹後鉄道)へ乗り入れる「文殊」や「タンゴエクスプローラー」が運転されていたが、2011年3月12日のダイヤ改正により福知山線経由の特急はすべて「北近畿」から改称された「こうのとり」に統一され、福知山線経由で北近畿タンゴ鉄道に直通する列車は全廃された[25]

    ほくせつライナー

    エーデル北近畿車両で運転された「ほくせつライナー」

    通勤客向けの座席定員制の列車(ホームライナー)として1988年3月13日から2002年10月4日まで、大阪駅 - 篠山口駅間でほくせつライナーが1往復運転されていた[26]。篠山口行きは夕方に、大阪行きは朝ラッシュ時に運転された。ほくせつライナーには183系電車のほか、一時期大阪行きのみキハ58系キハ65形気動車による運用もあった。ほくせつライナー廃止後は特急「北近畿(現・こうのとり)」の増発で代替している。

    停車駅(2001年時点)
    大阪駅 - 尼崎駅 - 宝塚駅 - 三田駅 - 新三田駅 - 広野駅 - 相野駅 - 藍本駅 - 古市駅 - 篠山口駅[27]


    大晦日終夜運転

    沿線には中山寺など初詣の対象となる大きな社寺があるため、大晦日深夜から元旦にかけて、福知山線では尼崎駅 - 宝塚駅間(運転区間は学研都市線四条畷駅 - (JR東西線) - 宝塚駅間)において普通のみ約30〜60分間隔で終夜運転が実施されていた[28]。なお、かつては宝塚駅 - 新三田駅間でも終夜運転が行われたが、2011年度以降は宝塚発新三田ゆき臨時列車1本のみの運転となり[29]、のち臨時列車の運転も取り止め、2019年度からは当路線は全区間とも終夜運転は取り止めとなった[30](但し、競合する阪急電鉄では宝塚本線及び今津線ともに終夜運転を継続して実施している)。

    阪神・淡路大震災時の迂回路として

    1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災ではJR神戸線が寸断され、迂回ルートで最も重要な線区として、最優先で復旧作業が行われた。福知山線では川西池田駅 - 中山寺駅間の被害が大きく、地震発生の1月17日には広野駅 - 福知山駅間が開通し、その後順次運転を再開した。

    輸送力の確保のため運転開始直後から臨時列車が運転され、5時30分から21時まで1時間あたり1 - 2本の臨時列車を最大42本運転し、特急「北近畿」の増結も行われた。大阪駅を発着としていた特急列車は、東海道新幹線との接続のため3往復を新大阪駅発着で運転し、このほか「北近畿」15号は福知山駅 → 和田山駅間で延長運転し、播但線との接続を改善した。またJR神戸線が全通した4月1日以降も4月17日まで、新大阪駅延長運転が2往復、和田山駅延長運転が行われた。

    貨物列車の迂回運転も行われた。福知山線や山陰本線の和田山駅 - 湖山駅間で貨物列車が運転されていなかったため貨物列車を毎日運転するには問題があり、乗務員の養成や設備の一部改良の必要性があったが、福知山線・山陰本線・伯備線を経由して2月11日から迂回運転が開始された[31]。貨物列車が運転されていなかった区間の迂回貨物列車の乗務はJR西日本が担当した[32]。また、ダイヤ改正にあわせた新製車両の甲種鉄道車両輸送も3月14日から8本、特大貨物2本が迂回運転された。

    • 1月17日:広野駅 - 福知山駅間が開通。
    • 1月18日:(東海道線大阪駅 - )尼崎駅 - 塚口駅間が開通。
    • 1月19日:宝塚駅 - 広野駅間が開通。
    • 1月21日:塚口駅 - 宝塚駅間が開通し、全線復旧[33]神戸市内からは北神急行電鉄神戸電鉄を利用した鉄道の迂回ルートが完成。臨時列車10往復運転開始。
    • 1月22日:臨時列車が14往復に増発。
    • 1月23日:姫路駅 - 新大阪駅間(播但線・福知山線経由)で直通快速が1往復運転開始。
    • 1月24日:臨時列車が19往復に増発(増発の快速4本は西宮名塩駅に停車)。
    • 2月11日:東京貨物ターミナル駅 - 福岡貨物ターミナル駅間運転の貨物列車が迂回運転開始(コンテナ車両10両)[34]
    • 3月20日:東京貨物ターミナル駅 - 福岡貨物ターミナル駅間運転の迂回貨物列車が2往復に増発(増発分はコンテナ車両8両)

      現在の使用車両

      2011年3月12日以降はすべて電車で運転されている。篠山口駅 - 福知山駅間の快速・普通列車は、すべての列車が転換クロスシート車両で運転されている。

      特急列車

      • 287系289系福知山電車区):特急「こうのとり」
        • 289系は
          • 207系網干総合車両所明石支所)
            • 7両編成で、尼崎駅 - 篠山口駅間で快速・普通で運転されている。
          • 321系(網干総合車両所明石支所)
            • 7両編成で、尼崎駅 - 篠山口駅間で快速・普通で運転されている。2005年12月1日に運用を開始し、当時は大阪駅 - 新三田駅間のみで運用されていた。2006年3月18日の改正から快速運用にも充当され篠山口駅まで運転されていたが同年10月21日の改正で一旦廃止され、2010年3月13日の改正で再び篠山口駅まで乗り入れるようになった。
          • 223系6000番台225系6000番台(網干総合車両所宮原支所)
            • 2008年6月28日から日中の丹波路快速などを中心に、快速や朝晩の一部の普通で運用されている。225系は2012年3月17日のダイヤ改正で221系・113系の運行終了を受けて、全線で運用が開始された[36]
          • 223系5500番台(福知山電車区)
            • 2008年8月11日から113系3800番台に代わって運用開始した。篠山口駅 - 福知山駅間のみ運用されており、日中はワンマン運転を行っている。

          過去の使用車両

          国鉄時代末期の1986年11月1日に全線電化開業したが、1981年4月1日の尼崎駅 - 宝塚駅間電化の際には、103系として新車の導入がなされたものの、逆に残る宝塚駅 - 福知山駅 - 山陰本線城崎駅(現・城崎温泉駅)間電化の際に新車は全く導入されず、既存の113系を寒冷地向けに改造した800番台の導入等で賄った。

          電車

          • 201系205系0番台(網干総合車両所明石支所)
            • JR京都線直通の普通として1997年9月1日から普通(京阪神緩行線)として運用されていたが、321系を投入して普通の最高速度120km/hに統一するため、201系は2007年3月18日に、205系は2006年2月7日に運用が廃止された。なお、205系はその後、4編成すべてが阪和線に転属し、2011年3月14日にJR京都線JR神戸線に復帰したが、運用は京都駅高槻駅 - 尼崎駅間の平日朝ラッシュ時の限定運用で、当路線に入線することはなかった。
          • 113系(網干総合車両所宮原支所)
            • 全線で運転されていた。2012年3月17日のダイヤ改正で運用が終了した[36]
          • 113系3800番台(福知山電車区)
            • 篠山口以北の単線区間で運用されていた。2両編成の固定運用で113系800番台からの改造工程と経費を節約するため、従来のように廃車体から前頭部を移植・溶接するのではなく、編成に組まれていたクハ111形から運転台機器を流用して非常に簡易なものを新造するという手法が採られた。そのため片方の前面部は独特の外観を持つ車両となっている。223系5500番台の運用開始に伴い2008年10月までに除籍となった。
          • 115系
            • 電化直後に113系800番台の不足を補う形で非冷房の0番台が運用を開始、後に1000番台に置き換えられ2004年まで使用された。いずれも転入直後は湘南色だったが、0番台は旧福知山色、1000番台は新福知山色に塗り替えられた。
          • 117系
            • 福知山色といわれる緑帯塗装で快速・普通として運用されていたが、ラッシュ時の遅延対策のため一部の座席を転換クロスシートからロングシートに変更されていた。しかし、それでも対応しきれなくなり、ラッシュ時には乗客の流動とは逆方向の列車に充当されたり、早朝深夜を中心に運用されるようになった。JR福知山線脱線事故の影響でATS-Pを搭載していないことから、結果的には2005年4月25日限りで運用を終了し、福知山色のまま下関地区や京都総合運転所(当時)へ転出している。
          • 103系
            • 宝塚駅まで電化された1981年4月1日から普通として6両編成の新車がカナリアイエロー(黄5号)で登場した。1984年2月1日のダイヤ改正(1984年2月1日国鉄ダイヤ改正)で4両編成に短縮されたが、JR化後に6両編成に戻された。1997年9月1日の改正でJR京都線との直通運転に伴って7両編成に増強された。普通以外に深夜の快速などにも使用された。その後はJR京都線直通が主体となったため1999年以降、順次スカイブルー(青22号)に塗り替えられた。高速化やJR東西線開業の影響により2003年8月14日に運用を退いたが、2005年4月25日の脱線事故の影響で同年8月1日より再び運用を開始し、321系の運用が始まる前日の同年11月30日まで使用された。
          • 221系(網干総合車両所)
            • 1999年10月2日から運用を開始し、2008年6月28日までは4両編成が全線で、それ以降も8・6両編成が大阪駅 - 篠山口駅間で運用されていた。丹波路快速・快速での運用がほとんどだが、2011年3月12日改正時点で朝1本、大阪発篠山口行き普通(8両編成)での運用があった。なお、2012年3月17日のダイヤ改正での223系・225系への統一に伴い運用を終了した[36]
          • 415系800番台
            • 1991年9月1日の七尾線電化に向けて用意された415系800番台の早期落成車が、延命工事等によって不足していた113系800番台の代わりに福知山線を走行した実績がある。塗装は113系800番台と同一であった。
          • 183系
            • 特急「こうのとり」で使用されていた。2013年3月16日のダイヤ改正で運用が終了した。なお、この形式の運用終了により、当路線での普通鋼製車両の定期運転がすべて終了したことになった。
          • 381系
            • 特急「こうのとり」で使用されていた。2011年5月31日まで運用されて、一時離脱していたが[14]、2012年6月1日より再び運用されていた[37]。車両の老朽化が進んでいたため、289系に置き換える形で2015年10月30日をもって正式に運用を離脱した[38][39]。これにより当路線の営業列車はすべてJR西日本発足後製造の車両に統一された。

          気動車

          • キハ10系:無煙化の進行していた蒸気機関車 (SL) 混在期に普通列車として使用。
          • キハ55系:1970年代後半よりキハ26形が一日に2往復存在した快速列車に充当された。1970年代初頭には急行「丹波」にも使用。
          • キハ58系キハ65形:特急「エーデル北近畿」「エーデル丹後」「エーデル鳥取」、急行「だいせん」「丹波」、普通列車など
          • キハ47系:快速・普通(1979年より運行開始)
          • キハ80系:特急「まつかぜ」「やくも」
          • キハ181系:特急「まつかぜ」(1982年より運行開始)
          • KTR8000形(北近畿タンゴ鉄道〈現・京都丹後鉄道〉):1996年から1999年まで新大阪駅発着列車が「タンゴディスカバリー」と名乗っていた。また、2005年6月19日 - 2007年3月17日の間、KTR001形気動車の代替で「タンゴエクスプローラー」に使用されていた。
          • KTR001形(北近畿タンゴ鉄道〈現・京都丹後鉄道〉):特急「タンゴエクスプローラー」

          客車

      輸送改善

      武庫川中流、武田尾付近には旧線跡が残る。

      1970年から兵庫県三田市神戸市北部に位置している神戸三田国際公園都市・北摂三田ニュータウンの開発が始まり、ニュータウンへの入居が始まった1981年ごろから三田市の人口が増加した。特に1987年から1996年まで、人口の実質増加率は10年連続で日本一を記録した[40]

      福知山線では輸送力増強のため、非電化区間であった宝塚駅 - 福知山駅間の電化による全区間電車運転と一部区間の複線化が行われることとなったが、当時は生瀬駅 - 三田駅間の山間部においては武庫川渓谷に沿って走っており[10]、複線化が困難であったことから、生瀬駅 - 道場駅間はトンネルの連続する複線の新線に切り替えられ、約1.8km短縮されることになった。

      まず、1986年8月1日より新線切り替えと宝塚駅 - 三田駅間の複線化が行われた。次いで同年10月15日より三田駅 - 新三田駅(この時点では開業前)が複線化され、翌11月1日行われた国鉄最後のダイヤ改正(1986年11月1日国鉄ダイヤ改正)から全面的に電車で営業を開始した。同時に、生瀬駅 - 武田尾駅間には西宮名塩ニュータウンの開発にあわせて西宮名塩駅が、三田駅 - 広野駅間にはウッディタウンの玄関口として新三田駅が開業し、特急「北近畿」の運転開始に加え、113系2両編成を主体として普通が日中時間帯で1時間あたり3本(大阪駅 - 福知山駅間1本、大阪駅 - 新三田駅間2本)に増発された。国鉄分割民営化後の1989年より快速が運転を開始した(快速の区間は現在と同じく、大阪駅 - 三田駅間のみ)。この時点で日中は特急0 - 1本、快速2本、普通4本の現在とほぼ変わらないダイヤになった。

      1997年には新三田駅 - 篠山口駅間の複線化が完成し[41]JR東西線が開業することにより、同線経由で学研都市線との直通運転が開始された[42]

      なお、生瀬駅北西から武田尾駅北東にかけての廃線敷は、地面に半ば埋まった枕木が残り、2016年11月から渓谷沿いのハイキングコースとして一般開放されている[43]

      利用状況

      2009年度1日平均の乗車人員は、宝塚駅が約4万人と福知山線で最も利用者が多く、次いで伊丹駅が約2万3千人、川西池田駅が約2万人である[8]。アーバンネットワーク内でも新三田駅以北では利用者数が少なくなり、7駅合計で約1万人に留まる。JR西日本発足時に1日の運転本数が100本足らずだった福知山線は、JR東西線開業以降は1日360本を超えるダイヤの都市近郊路線へと変化していった。

      大阪駅・北新地駅 - 宝塚駅間の利用は特定区間運賃が適用されるが、電車特定区間に含まれないため、これ以外の区間と跨って利用すると幹線運賃が適用され、運賃が高くなるのが特徴である。

      篠山口駅以北の複線化と現状

      丹波市は、篠山口駅 - 福知山駅間の単線区間の複線化をJR西日本に要望している[44]。また丹波市は団体利用への運賃補助を行い[45]、兵庫県も特急列車の料金補助を行う社会実験を実施していた[46]。そして兵庫県は「乗って 近づく 複線化」などと呼びかけている[47]。だが、2003年度の1日の乗車人員はこの区間の丹波大山駅から丹波竹田駅までの8駅を合わせても約3,600人であり、篠山口駅以北では少子化に伴う通学利用の減少やモータリーゼーションの浸透もあって減少傾向にある。

      歴史

      国有化以前

      福知山線の発祥は、川辺馬車鉄道が1891年に開業させた尼ヶ崎駅(後の尼崎港駅) - 伊丹駅間の馬車鉄道である。のちに摂津鉄道と改称して1893年に馬車鉄道を蒸気動力の軽便鉄道に改築し尼ヶ崎駅 - 池田駅(現在の川西池田駅)間を開業させた。当時の池田駅は呉服橋西詰付近にあった。

      摂津鉄道の路線は、大阪から舞鶴までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に譲渡され、改軌した上で宝塚駅まで開業。以後順次延伸されて、1899年には福知山南口駅(内田町付近)まで開通した。

      1904年、軍部からの要請で対ロシア戦略の軍用鉄道として舞鶴鎮守府までの開通を急がされた福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間が官設で開通。阪鶴鉄道も現在の福知山駅(天田)まで延伸し、福知山駅 - 新舞鶴駅間の貸与を受けて、大阪と舞鶴を結ぶ鉄道が完成した。

      国鉄時代

      武田尾駅付近の旧線を行くDD51牽引の旧形客車。1986年7月31日撮影

      阪鶴鉄道は1907年に国有化され、官設区間とあわせて阪鶴線と呼ばれていたが、山陰本線の京都駅 - 出雲今市駅(現在の出雲市駅)間が1912年に開通したのを機に、神崎駅(現在の尼崎駅) - 福知山駅間、塚口駅 - 尼ヶ崎駅間が福知山線となった。

      大阪と山陰方面を結ぶ亜幹線とされたが、線路改良や電化などの近代化は大幅に遅れた。さらにC54形蒸気機関車DD54形ディーゼル機関車が配属され、特急「まつかぜ」が福知山線経由で1961年から設定されていたが、1972年に新設された特急「はまかぜ」に至っては時間短縮を理由に姫路駅経由となるなど亜幹線として機能しているとは言い難い状況であった。加えて、普通列車は永らくDD54形やDD51形ディーゼル機関車牽引による旧形客車が使用され続けるなど、車両面での近代化は大きく遅れていた。ただし、大阪駅発着の客車列車に関しては、乗客のデッキからの転落事故などがあり1985年3月のダイヤ改正で自動扉がついた12系客車に置き換えられて近代化された。

      設備面では、1970年代後半から近代化が進められた。1979年 - 1980年にかけて塚口駅 - 宝塚駅間が順次複線化され、翌1981年に尼崎駅 - 宝塚駅間の電化が完了。また、1980年代前半までは腕木式信号機が現存したが列車集中制御装置 (CTC) の導入により姿を消した。だが、設備は近代化された一方で、車両は依然として旧形車両が主力であったため[注釈 5]、新車を相次いで登場させたが、競合相手の阪急には太刀打ちできず、当線に登場した103系も当初の6両編成から後に4両編成に減車されている。また、神戸方面へも当時は神戸電鉄経由(当時は北神急行が開業していなかったので神戸電鉄有馬線鈴蘭台駅新開地駅経由)での所要時間とは大差なく、やはり本数は福知山線の方が相当少なかった。

      福知山線にとって画期的な変化は、1986年の宝塚駅 - 新三田駅間の複線化、福知山駅までの全線電化の完成である[48]。それまで山間部を武庫川渓谷に沿って走っていたため[10]複線化が困難であった生瀬駅 - 道場駅間をトンネルの連続する複線の新線に切り替え、新たに西宮名塩駅を設置し、三田駅 - 広野駅間には新興住宅地の玄関として新三田駅を設置した(「輸送改善」の節も参照)。そして国鉄最後のダイヤ改正である1986年11月1日から全面的に電車で営業を開始し、特急「北近畿」の運転が開始された。

      一方、福知山線最初の開業区間でもあった塚口駅 - 尼崎港駅間の通称尼崎港線が、1981年に旅客営業を廃止した後、1984年に完全に廃止された。同線は1898年に東海道本線の尼崎駅への連絡線を設けて大阪方面との直通運転を開始後は、塚口駅 - 尼崎港駅間の貨物主体の盲腸線となっていた。晩年の旅客列車の本数は1日2往復で混合列車であった。

      民営化以降は下記の年表を参照のこと。

      年表

      国有化以前