芋煮会(いもにかい)とは、日本の主に青森県を除く東北地方各地で行われる季節行事で、河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。バーベキューと併行して行われることが多い。

呼称には地域差があるが、ここでは総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。

河川敷で行なわれる芋煮会(山形風芋煮
仙台宮城風芋煮

概要

芋煮会は、親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われている。山形県、宮城県では特に盛んに行われ、秋の風物詩となっている。また、新潟県関東地方では、地域イベントを中心に芋煮会が行われている。芋煮会を開催する人々にとっては野外での宴会(またはお楽しみ会)のひとつであり、花見の芋煮会として双璧をなす。

在来種の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では、収穫時期が例年10月頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われ始める。その後、大体10月下旬から11月初旬にかけてがピーク期となり、紅葉シーズンの終了、または、初雪が降ると共に終息する。

平成に入る頃からは、「町おこし」や「食のイベント」として大規模な芋煮イベントも行われるようになった。これらのイベントの内いくつかは、一般的な芋煮会のシーズンである秋とは異なる開催時期のものもあり、東北では盛夏や晩夏の開催例が見られ、関東では、春の開催例や東北では寒さのために既に下火となっている11月末の開催例も見られる。

なお、飲みニケーションのように、芋煮とコミュニケーションを合わせ、芋煮会での交流を表す「イモニケーション」との造語を使用している者もいる[1][2]

歴史

起源

サトイモが日本に伝わったのは縄文時代とされるが、里芋は煮て食べるよりは茹でるか焼くか蒸すかが主な調理法であったと考えられるため、「芋煮」の成立は更に後世と考えられる。

江戸時代の不作に備えてサトイモも作られており、「芋煮」自体は家庭料理としても食べられていたが、サトイモの収穫時期に合わせて「芋煮会」の原型とみられることが農村部で行われていた。ただし、江戸時代には豚肉牛肉などの肉類は一般に食べられていなかったため、現代のように芋煮に肉は入っていなかったと考えられる。「芋煮会」の原型は、野外で集団で鍋料理を囲む収穫祭的な意味合いの行事だったが、村をあげてのものだったという記載はないため少人数で行ったとされる。また、都市が未発達でほとんどの国民が農村に居住していた当時、わざわざ「河原」まで出かけて行ってやる必要性は無かった(現代の都市部では木造住宅が密集するため、火災防止目的で「河原」や「キャンプサイト」等、火気使用可エリアで行う)。なお、中秋の名月(芋名月)に団子ではなくサトイモなどを供えていたかつての風習[3]との関係も不明。

サトイモの種芋は穴を掘って地中での保存が可能だが、食用のものは7℃ - 12℃に保たないと腐敗する(温度が低すぎても保存できない)ため、寒冷地の東北地方で越冬させるには囲炉裏や屋根裏などの温度が高いところでの保温が必要だった。その保存の難しさから、厳冬期前に消費する意味合いもあって「芋煮会」の原型が行われたと考えられる。また、青森県に「芋煮会」がないのは当時のサトイモの栽培限界より北にあったこと、東海地方以西で行われないのは、サトイモの保存が容易だったことなどが考えられる。

民俗学者野本寛一は、「芋煮会」はこのようなサトイモの収穫祭が発展したものではないかと述べている[4]

多様化

1980年代には、旅館やアウトドア施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌新聞折込チラシなどで多数の広告を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック)、遊園地温泉旅館の他、紅葉スポット(紅葉狩り)、渓流釣りカヌー)、海岸砂浜(釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。 現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。

近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。

山形県村山地方

江戸時代

山形県村山地方では、江戸時代の芋煮会の原型の様子をあらわす話がいくつか伝わっている[5]

中山町長崎では、里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていた。鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、船に積んできた棒鱈と、最上川でとれたザッコ(雑魚)をいっしょに煮たものだったという。長崎は、1693年(元禄6年)の最上川五百川峡・黒滝の開鑿までは酒田港と結ぶ最上川舟運の終着港として賑わっていた。このことから、元禄時代以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりであると山形の郷土史家である烏兎沼宏之は述べている[6]。鍋掛の松は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されている[7]

文化文政時代(19世紀初頭)には、山形に移り住んだ近江商人たちが、京都の芋棒に思いを馳せながら、ニシンと里芋を煮て紅花取引の慰労会をしたという。

また、1845年(弘化2年)には、山形藩藩主の秋元志朝が、館林藩に転封されるときに芋煮の野宴を張ったとされる。

明治時代以降

明治時代(19世紀後半から20世紀初頭)になると、街の粋人たちが「野掛」といわれた山の芋煮を川原でもするようになり、1892年(明治25年)ころから川原での芋煮が定着した[5]。以降、芋煮会は、山形に置かれていた歩兵第32連隊の兵たちや山形高等学校 (旧制)の学生が行ったり、見合いや商談、送別の場となったりした。

芋煮に牛肉が使われるようになったのは、昭和の初め(1920年代後半)頃からである[6]養蚕農家の人たちが、秋蚕後に繭業者の経費負担で芋煮会を最上川の川原で行い、そのときに当時普及し始めていた牛肉をおごらせたのが最初とされている。なお山形市内には明治時代に創業した牛肉店が多く、牛肉はその頃から普及しはじめたと考えられる。山形高校に在籍した作家の戸川幸夫は、1932年(昭和7年)の芋煮会の様子をエッセイ「わが山高時代の芋煮会」で記述しており、その頃からすでに山形名物の芋煮は盛んで、大鍋に芋、ねぎ、牛肉およびその代替品としての馬肉、こんにゃくなどを入れ、酒を酌み交わしていた、としている[8]。また、中山町立長崎小学校から1941年に山形県中学校(のちの山形県立山形東高等学校)に進学した烏兎沼宏之は当時、長崎町内の学生団として自分たちで開催したほかには、最上川でも馬見ヶ崎川でも芋煮会の姿は見かけなかったとしている。芋煮の材料は1980年代と同じく、里芋、牛肉、こんにゃく、ねぎが主であった。太平洋戦争の激化により、烏兎沼らが芋煮会の開催したのは1942年までであった[9]

1945年(昭和20年)の終戦後数年は、肉の代わりにイカを入れていた[5]。暮らしが豊かになると、会場が飲食店に移り、川原の人影は消えていった[5]

1974年(昭和49年)、山形市と山形市観光協会が伝統的な芋煮の研修会を開いたところ、大きな反響があり、川原での芋煮会が促されるようになった。1977年(昭和52年)からは、前年の唐松観音堂復元を機会に「山形いも煮祭り」が開催された[10]。その後は、山形市内のスーパーマーケットが芋煮の材料や薪などのセット販売や鍋の貸出をしたり、飲食店のメニューに芋煮が加わったり、レトルトの芋煮が販売されたりするようになり、芋煮会はますます盛んになっていった。こうした動きの中、1989年(平成元年)に「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催され、10万人の人出を集めた[11]

山形市で里芋を栽培・販売しているさとう農園株式会社は、明治時代に行われた馬見ヶ崎川改修工事がきっかけで河原での芋煮会が広まったとしている[12]。1891年(明治24年)まで行われた馬見ヶ崎川改修工事において、河川改良工事に従事した人たちは河原で大鍋を用いたちゃんこ鍋のようなものを昼飯として食べていた。これらの人たちが、1945年の終戦後に当時を偲んで河原で秋に大鍋を囲むようになり、その具材として里芋も用いたのだという[12]

年表

  • 江戸時代
    • 山形藩(現・山形県)において、最上川の舟運に関わる人たちが野外で鍋料理をするようになった。呼称不明。これが現在の山形の芋煮会の源流の1つとされる。すなわち山形県では、「農村の収穫祭」を起源としない。
    • 会津藩(現・福島県)において、「きのこ山」と呼ばれる野外での鍋料理が行われるようになった。これは「農村の収穫祭」を起源とし、現在の福島県の芋煮会の源流の1つとされる。
    • 仙台藩北部、松島丘陵より北側の古川 - 石巻間(大崎地方ほか)が鶏卵の集散地となった(現在の芋の子汁:鶏肉・醤油味エリア)。
  • 1960年代高度経済成長期、第一次ベビーブーマー成人する前後の時代にレジャーブームが到来すると、「農村の収穫祭」であった芋煮会は、郡部から市部に大量に移住してきた人たちを中心として、海岸・河川敷・広場・レジャー施設など、市部の当時のルールなら火気使用可の場所にて各グループ毎に構成員が食材等を持ち寄って開催されるようになった(現在のルールならば火気使用厳禁な地でも、当時の緩い規制により自由に開催されていた)。
    東北各地から人が集まる仙台圏の人口は、戦前は50万人に満たなかったが、当時は70万人を超えて毎年人口増加が激しくなり、仙台市電1976年廃止)等で容易にアクセスできる広瀬川河川敷で芋煮会を行うには場所取りが非常に困難になり、奥羽山脈に近い国鉄(現・JR東日本仙山線奥新川駅仙台駅から約1時間)周辺のような山奥にまで遠征して芋煮会をするような状態になった。そんな中、宮城県宮城郡宮城町(現・同県仙台市青葉区)の国鉄仙山線・愛子駅(仙台駅から約30分)近くにあった「河鹿荘」が、付近の広瀬川の河原(地図)を芋煮会場として提供開始した。より仙台市都心部に近い愛子駅から徒歩圏にて私企業が、食材等を準備し、参加者の手間を軽減した「手ブラで芋煮会」を商品開発したことは、従前の芋煮会の常識を覆した。すると仙台圏では、河原に限らず敷地内での「手ブラで芋煮会」のパッケージ商品を温泉旅館やレジャー施設も販売するようになり、マイカーのモータリゼーション進展と送迎バスのサービスもあって、鉄道駅周辺の芋煮会場を次第に凌駕して広まっていった。
  • 1970年(昭和45年)には約88万人、1975年(昭和50年)には約102万人、1980年(昭和55年)には約113万人と、顕著な人口増加がみられた仙台圏では、郊外住宅団地(戸建てが中心)すなわち「ベッドタウン」の造成が加速した。それらでは、新住民同士の交流を企図して町内会のイベントを積極的に催すようになり、小正月どんと祭、春の花見、夏の盆踊りミス仙台参照)と花火、秋の芋煮会等を、地域の寺社の境内、校庭、公園等で開催するようになった。また、郊外住宅団地でも旧城下町内でもおおむね、第二次ベビーブーマーの新住民の子供が大量に入学してきた各小中学校では、校内で火を使っても火事にはならないエリアである校庭において、秋の地元文化のイベントとして児童・生徒による芋煮会を開催するようになった(秋田県では逆に、校外の河原などで開催する「なべっこ遠足」が定着)。
  • 1989年平成元年)
  • 2004年(平成16年)10月23日新潟県中越地震が発生。東北各地のボランティアが芋煮の炊き出しの準備をして被災地に向かい、被災者に芋煮を振舞った。
  • 2005年(平成17年)より、日清食品から『日清のどん兵衛 芋煮うどん』[注 1]が東北地方限定で発売(2017年現在も販売継続中)。山形風芋煮をベースとしている[13]
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
  • 2010年(平成22年)
  • 2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生。被災地の避難所等において、芋煮の炊き出しをする団体が多数見られた。
  • 2013年(平成25年)、旅行雑誌「旅の手帖」(交通新聞社、2013年10月号)において「日本三大芋煮」が紹介された。それらは、
    山形県東村山郡中山町の「芋棒煮」「芋煮」
    島根県津和野町の「芋煮」

    「芋煮」にあたる呼称には地域差があり、同じ名称でも作られる料理が異なる例が見られる。すなわち、呼称と料理は必ずしも一致しない。

    名称の分布
    料理名 会合の
    名前
    分布
    岩手県 秋田県 宮城県 山形県 福島県

    芋煮
    芋煮汁
    芋煮会 全県 全県 全県
    芋の子
    芋の子汁
    芋の子会
    芋の子食い
    北上盆地 横手盆地 大崎地方 最上地方
    芋の子煮 (不明) 由利本荘市
    滝地区[16]
    きのこ山 きのこ山 会津地方

    「芋煮」(芋煮汁)、および、会合を指す「芋煮会」の使用範囲は、 南東北宮城県山形県福島県を中心に、新潟県関東地方でも例が見られる。ただし、このような風習や会合を示す名称としてマスメディアを通じてデファクトスタンダード化してしまったため、上記以外でも使用されている。そのため、旧来からの名称の使用範囲を特定するのは困難になっている。

    「芋の子」(芋の子汁)、および、会合を指す「芋の子会」(年配者は「芋の子食い」)は、栗駒山の周辺、すなわち、北東にある岩手県北上盆地、北西にある秋田県横手盆地南部、南西にある山形県新庄盆地最上地方)、南東にある宮城県大崎地方の一部に分布している。

    「きのこ山」は、会合の名称も「きのこ山」であり[17][注 2]福島県会津地方に分布している。江戸時代より、秋の収穫祭としてキノコ・里芋・大根等が入る鍋を囲む習慣があり、その鍋料理を「きのこ山」と呼ぶ[18]。現状では、キノコが入ってなくとも「きのこ山」と呼ぶ[18]

    なお、秋田県の秋の鍋料理は、里芋よりもきりたんぽあるいはだまこもちがメインになっているため、里芋が入っているかどうかに関係なく「鍋っこ」と呼ばれている。遠足に付随して野外で集団でこれを囲む行事は「なべっこ遠足」と呼ばれ、小中高校において学校行事になっている場合もある。これらが芋煮会の一種と見なせるかは議論があるが、里芋が入っていない例があるとは言え、秋に野外で集団で囲む鍋料理としての共通性はある。

    因みに現代では、秋に野外で集団で鍋料理を囲む風習が廃れつつあり、秋田県では小学校201校のうち、現在も「なべっこ遠足」を実施しているのは15校(全体の7.5%)のみである。岩手県では、県内で有名な里芋の品種を用いて芋煮・芋の子を作って家庭内で食べることには執着しても、野外で集団で里芋の鍋を囲むかどうかを重視しない傾向もある。宮城県では集団で食する秋の料理としてはらこ飯仙台せり鍋が急成長しており、芋煮会と競合している。はらこ飯と仙台せり鍋側は店で供される一方、芋煮会は準備や後始末に手間がかかるため、芋煮会サイトを運営する後者側としては準備と後始末をしなくてもいいフリープランを提供している。旧住民のこのような変化により、上記の名称は新住民には浸透しづらくなっている。

    料理の分類

    呼称以外に、地域によって材料・味付けが異なる。また、同一呼称地域内でも、それぞれの集団でアレンジされ、地域的に特徴的な具材の他に、白菜ゴボウ油揚げ大根ニンジン豆腐きのこ類などさまざまな具材が投入される。サトイモの代わりにジャガイモを入れる場合もある。細分すると正月料理の雑煮並みに種類があるが、ここでは、1.使用する肉、2.味付けの2点を基準に分類する。小分類は、a.呼称、b.使用するイモ類。

    豚肉みそ味

    豚肉みそ味の芋煮
    • 宮城県の仙台平野では、豚肉・里芋を主な材料とし、仙台味噌で味付けをする豚肉みそ味の芋煮がつくられる。「仙台風芋煮」と呼ばれる。
    • 福島県の浜通りも豚肉みそ味の芋煮が一般的。中通りは豚肉しょうゆ味が一般的
    • 山形県の庄内地方では、豚肉みそ味の芋煮が一般的である。(豚汁の元になったという説がある[要出典]が、諸説あるため定かではない)
    • 栃木県などの様にイベントとして導入された関東地方ほかでは、豚肉みそ味の芋煮が一般的である。
    「豚肉みそ味」芋の子汁
    • 芋の子汁の地域でも一部で豚肉みそ味の芋の子汁がつくられる。
    豚肉みそ味のなべっこ
    • 秋田市由利本荘市能代市などを中心とする秋田県沿岸では「なべっこ」と呼ばれ、豚肉みそ味のなべっこも作られることがある。
    ブレンド系「豚肉みそ味」芋煮
    • 会津地方を中心に、福島県各地で味噌と醤油をブレンドした味付けが見られる。材料は豚肉みそ味の芋煮と同様。
    「豚肉みそ味」+「牛肉しょうゆ味」芋煮
    • 山形県最上地方では、庄内地方(「豚肉みそ味」芋煮)と村山地方(「牛肉しょうゆ味」芋煮)の間に位置しているために双方の影響を受け、豚肉・醤油味の芋煮が存在する。

    豚肉しょうゆ味

    • 福島県中通り地方では、豚肉しょうゆ味が一般的である。宮城県の流れがあり味噌味やブレンドが最近は出てきた。

    とりすき風

    とりすき」とは異なるが、ここでは便宜的に、鶏肉・醤油味の芋煮を「とりすき風」芋煮と記す。

    「とりすき風」芋の子汁
    • 岩手県の
      「牛肉しょうゆ味」芋煮
      山形県村山地方では、牛肉、里芋、こんにゃくねぎを主な材料とし、醤油で味付けをする。「山形風芋煮」と呼ばれる。初めに鍋に肉を入れ、醤油で味をつけながら軽く火を通し、一旦皿に取る。残った煮汁に水を入れ沸騰したら鍋に皮をむいた里芋を入れ、軟らかくなるまで煮る。その後こんにゃく、肉の順に入れ、醤油・砂糖・酒で味を調えた後、最後にねぎを入れる。また最近ではこの他にシメジ・舞茸などを入れることが多くなっている。
      ブレンド系「牛肉しょうゆ味」芋煮
      山形県の

      魚のみを入れる場合、魚と豚肉を入れる場合など様々ある。味付けも醤油味の他、味噌味もある。イモ類を入れる。

      「寄せ鍋風」芋煮
      三陸海岸ではジャガイモが使われる傾向がやや高く、豊富な魚介類も用いられる。
      山形県村山地方にある
      • 残りの汁に、ご飯を入れて雑炊にしたり、市販のカレー粉などを入れてカレーうどんにしたりするのみならず、最初からカレーライスを作ってしまう例も若い世代には見られる。
      • 近年では、地元の芋煮の他に他地域の芋煮を同時につくったり、さんまの塩焼きなどを同時に作ったりする例もしばしば見られる。
      • 東京都港区の麻布十番では、「麻布十番仙台芋煮」として牛タンを入れたみそ味の仙台芋煮を提供することもある。

    芋煮会シーズン中の様子

    芋煮会の様子(シーズンになると、沢山の人が河川敷に集まって会を開く光景が見られる)

    山形県や宮城県では、秋になるとコンビニエンスストアの前にまで堆くが積まれ、店内では着火材も販売されている。当地の人間にとっては秋の日常風景で何ら違和感を抱かないが、他地方から来た人々には、「冬に備えて暖房用に売られている」と誤解されることもある。一般のスーパーマーケット大学生協などでは、具材の販売はもちろん、芋煮に必要な鍋の貸し出しなども行われている。一部では、指定した場所まで宅配サービスを行う業者もいる。

    一般的に芋煮会は、河川敷やキャンプ場、海岸のような屋外で行われるが、この時期に屋内で集団で台所で作った芋煮を食べる場合にも、長時間屋外に出られない老人や病人のための季節行事の1つとして、広い意味で「芋煮会」と呼ばれる。また、地域色を出した観光客向けメニューとして、飲食店で「芋煮」が供されることもある。

    「芋煮会」の風習のある地域の学校では、昭和30年代あたりから課外授業の一つとして芋煮会を取り入れている所が多い。子供達が一班5,6人程度の小グループに分かれ、それぞれが予算内で買い物をしたり里芋などの食材の一部を分担して持ち寄ったりして、調理まで分担して行う。学校で行われる場合は、校庭の一角・河原や沼や湖の岸辺・アウトドア施設など、地域の実情によって開催地は異なる。現在ほどモータリゼーションが進んでいなかった時代には、リヤカー手押し車に必要機材や具材を載せて河原まで行き芋煮をする「リヤカー芋煮」が行われていた地域もある。

    主な芋煮イベント

    岩手県

    奥州市水沢産業まつり「大芋の子会」
    日本一の芋煮会フェスティバル
    2012年(平成24年)9月
    2012年(平成24年)9月
    通称・略称 芋煮フェス
    開催時期 9月の第1日曜日( - 2013年)敬老の日前日の日曜日(2014年 - )
    初回開催 1989年(平成元年)9月3日[20]
    会場 山形市馬見ヶ崎川河川敷
    主催 日本一の芋煮会フェスティバル協議会・山形市・山形商工会議所・山形商工会議所青年部
    共催 国土交通省東北地方整備局山形河川国道事務所 ほか
    協力 陸上自衛隊第20普通科連隊 ほか
    来場者数 20万人(2009年)[21]
    最寄駅 JR山形駅
    直通バス 駐車場 - 会場間にシャトルバスあり(8時 - 16時)。山形駅からは路線バス利用。
    駐車場 山形市総合スポーツセンター山形県庁駐車場、山形一中東側県庁駐車場、県研修センター駐車場
    公式サイト
    備考
    運営費3550万(うち山形市負担分1080万円)[22]
    日本一の芋煮会フェスティバル
    毎年9月、山形市内の馬見ヶ崎川河川敷を会場として「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されている。1989年(平成元年)に初開催。以降、毎年9月の第1日曜日に開催されてきたが、近年のサトイモの生育状況ならびに残暑の厳しさを考慮し2014年(平成26年)からは敬老の日前日の日曜日に開催日が変更された。
    左岸(街側)の河川敷では、直径6mの「鍋太郎」と名付けられている山形鋳物アルミ合金製大鍋に約3万食の山形風「牛肉しょうゆ味」芋煮が作られ、右岸(山側)では直径3mの大鍋で庄内風「豚肉みそ味」芋煮約5千食分が作られる。芋煮一杯300円以上の協賛金を支払い、協賛チケットと芋煮を交換する。自衛隊が主催する防災ゾーンでは、炊き出し車輌による五目飯の無料配布も行われる。
    調理する際には、大鍋に対応して大型重機(バックホー)や専用大型調理器具を用いるなど大掛かりとなる。人の口に入る食べ物を作るため、大型重機は工事現場で使われたことがないものを使用し、油圧作動油や潤滑油にも食用油脂を用いており、衛生上問題が起きないよう配慮されている。
    芋煮会フェスティバルで使われる大鍋は一年中野外に置かれているので、芋煮会フェスティバル前に鍋を洗う作業が行われる。地元山形県では、「芋煮会フェスティバル用の芋煮鍋洗い」が季節の風物詩として地域のニュースになる。2017年で二代目である大鍋は老朽化のため引退し、2018年から直径6.5mの「3代目鍋太郎」がお披露目された。
    20周年にあたる2008年(平成20年)のフェスティバルでは5万食が作られたとされ、来場者数は15万人[23]にのぼった。2009年(平成21年)は主催者側の予想を上回る過去最高の20万人が訪れ、芋煮が足りなくなるトラブルが発生した[21]2010年(平成22年)は気温が34℃を超える猛暑の影響で人出がのびず、3万食分用意した山形風芋煮が2万食で販売打ち切りとなり、庄内風芋煮も用意した6500食分のうち販売出来たのは4000食に留まった[24]
    30周年にあたる2018年(平成30年)のフェスティバルは上記が「3代目鍋太郎」で3万食の芋煮が調理された。合わせて「8時間以内で提供されるスープの数」のギネス挑戦が行われ4時間半で1万2695食が振る舞われギネス達成になった。しかし、それでも購入した整理券の人数に足りず急遽14時頃から500 - 700食分を追加調理したが、それでも全員分には足りずに整理券(協賛金)を購入して食べられなかった500 - 600人分を返金する事態が発生した[25]2020年令和2年)は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い中止[26][27]
    このフェスティバルを以って山形県の芋煮シーズンは始まるが、従来の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では収穫時期が10月になるため、シーズン当初の商用の里芋は千葉県等の県外産や輸入物の里芋を用いている。ただし、少なくともこのフェスティバルで用いるサトイモは県内産でまかなおうと、9月に収穫できる品種の栽培も行われている。現在では、砂糖以外の食材はすべて県内産のものを使用している。
    大鍋「鍋太郎」(いずれもアルミ合金製)[28]
    使用期間 直径 高さ 重量 製作費 費用負担
    初代 第1回(1989年) - 第3回(1991年 5.63m 1.5m 約2.2t ふるさと創生一億円事業[29]
    2代 第4回(1992年) - 第29回(2017年 6m 1.65m 約3.3t 約1600万円[30]
    3代 第30回(2018年) - 6.5m 1.65m 約3.5t 約4400万円[注 3] G
    風とロック芋煮会
    2009年(平成21年)に「風とロックFES福島」として初開催され、2010年(平成22年)より「風とロック芋煮会」と改称した。会場は福島県内で変遷している。音楽がメインのイベントであるが、アーティストが観客に芋煮を手渡しするなど、芋煮を介した交流が見られる。

    東北以外の芋煮会

    栃木県の以下のイベントはいずれも豚肉みそ味芋煮である。

    日光けっこうフェスティバル「関東一芋煮会」
    栃木県日光市で10月初旬に行われる「日光けっこうフェスティバル」では、「関東一芋煮会」と銘打って芋煮会が行われている。直径2.5mの大鍋で約3,000人分がつくられる。「日光けっこうフェスティバル」は1995年に、納涼夏祭りをこの時期をずらして衣替えした。
    天平の菊まつり「天平の芋煮会」
    栃木県下野市(旧国分寺町)の天平の丘公園花広場で、1988年(昭和63年)より毎年11月初旬に開催されている「天平の菊まつり」において、期間中の週末1日を以って「天平の芋煮会」が開催されている。関東一とされる直径2.5mの大鍋で、地元特産のかんぴょうが入った芋煮が3,000食つくられる。
    にのみや秋まつり「尊徳大鍋」
    栃木県真岡市(旧二宮町)で行われる様々なイベントにおいて、二宮尊徳にあやかった尊徳大鍋が振舞われている。11月下旬の「にのみや秋まつり」での尊徳大鍋は1500人分の芋煮が作られる。[要出典]


    小さな鍋を用いた芋煮イベントとしては、東京都港区[32]清瀬市[33]調布市[34]神奈川県川崎市多摩区[35]、同麻生区[36]横浜市都筑区[37]千葉県佐倉市[注 4]など南関東に例が見られる。

    「千人鍋」と呼ばれる直径1m程の大鍋を用いた芋煮イベントとしては、大阪府泉南市の「芋煮鍋」[38]鹿児島県出水市高尾野町の「たかおのいも煮会」[39]の例がある。

    また、東北地方出身者の県人会同窓会などでは、各出身地の芋煮を用いた内輪のイベントも見られる[40]

    海外の芋煮会

    芋煮会は、海外でも開催されている。

    ライン川「欧州一の芋煮会」 ドイツ・デュッセルドルフ市
    2008年(平成20年)以来、日本一の芋煮会フェスティバルの旧開催日と同じ毎年9月の第1日曜にドイツ連邦共和国デュッセルドルフ市内のライン川岸辺を会場として、ドイツ東北県人会の主催で「ライン川・欧州一の芋煮会」を開催している。
    2012年の第5回より、山形の「日本一の芋煮会」の姉妹芋煮会第1号の公認を受け、山形から芋煮大使の派遣、山形の地元企業各社からの協賛を得て、山形名物の「玉こん」や山形そばでの「芋煮そば」「流しそば」も振る舞われている。
    2015年には、山形のゆるキャラ「ペロリン」の初海外出張として、ドイツでの「ライン川・欧州一の芋煮会」に参加している。会場では、山形風「牛肉しょうゆ味」芋煮が作られる。
    アムステル川「和蘭一の芋煮会」 オランダ・アムステルダム市
    2014年(平成26年)以来、毎年9月第2日曜日に、オランダアムステルダムのボス公園の湖畔の広場で、三五八屋(Sagohachi-ya)の主催にて、山形風牛肉しょうゆ味での「オランダ一の芋煮会」が開催されている。
    「欧州一のお花見DE芋煮会」オランダ・アムステルダム市
    2015年より毎年4月第2日曜日には、欧州一の桜の名所でもあるアムステルフェーン市のBloemsePark(俗称:桜公園)にて、三五八屋の主催にて「欧州一のお花見DE芋煮会」が400本のソメイヨシノの桜の下で、お花見を兼ねた「春の芋煮会」が開催されている。
    セーヌ川「仏蘭西一の芋煮会」 フランス・パリ市
    2017年(平成29年)以来、毎年9月第3日曜日に、フランス共和国パリのエッフェル塔前のシャン・ド・マルス公園にて、フランス山形県人会の主催にて、山形風牛肉しょうゆ味での「仏蘭西一の芋煮会」が開催されている。
    スヘルデ川「白耳義一の芋煮会」 ベルギー・アントワープ市
    2018年(平成30年)以来、毎年10月第2日曜日に、

    青森県の野外鍋料理イベント

    現在の青森県内の稲作地域は、県西部の津軽地方が主で、その他の地域では畑作が中心である。米作とサトイモの関連する「芋煮会」分布域から若干外れるため、青森県では「芋煮会」はあまり見られない。青森県で野外で鍋料理をするのは、地域イベントの時である。