近畿日本鉄道 名古屋線
E
霞ヶ浦駅 - 近鉄富田駅間を走行する 名阪特急ひのとり
霞ヶ浦駅 - 近鉄富田駅間を走行する
名阪特急ひのとり
基本情報
日本の旗 日本
所在地 三重県愛知県
起点 伊勢中川駅
終点 近鉄名古屋駅
駅数 44駅
路線記号 E
開業 1915年9月10日
全通 1938年6月26日
改軌 1938年12月7日江戸橋駅以南、概要
1959年11月19日 - 27日(全線、概要
所有者 近畿日本鉄道
運営者 近畿日本鉄道
車両基地 白塚検車区富吉検車区、同区米野車庫
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 78.8 km
軌間 1,435 mm標準軌
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
最大勾配 33.5
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 近鉄型ATSATS-SP
最高速度 120 km/h[1]
路線図
Kintetsu Corporation Linemap.svg
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名古屋線(なごやせん)は、三重県松阪市伊勢中川駅から愛知県名古屋市中村区近鉄名古屋駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。

概要

名古屋と大阪伊勢を結ぶ特急列車が多数設定されている。また、名古屋と三重県の沿線都市(桑名四日市鈴鹿など)を中心とした地域輸送も担っている。

名古屋都市圏と三重県北部の地域輸送を担うほか、近鉄大阪線大阪難波駅まで特急列車が直通運転しており、大阪都市圏とを結ぶ幹線鉄道として東海道新幹線と並ぶ存在となっている[2]

なお、正式な起点は伊勢中川駅[* 1]だが、列車運行上は近鉄名古屋駅から伊勢中川駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りである。

2010年4月1日には、近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の全線で名古屋列車運行管理システム「KRONOS」(クロノス)が導入された[3]

路線データ

全線、名古屋統括部(旧名古屋営業局)の管轄である。

路線の特徴

名古屋線は伊勢平野伊勢湾沿岸部に敷設され、比較的平坦な路線となっている。それでも、内陸部を走行する津新町駅 - 伊勢中川駅間では22.7 - 33.3‰の勾配区間が数か所存在しており、桃園駅 - 伊勢中川駅間には最も急な33.5‰の勾配がある。

また、名古屋線は路線距離の長い本線ながらもトンネルがほとんど無いことも特徴である。例外として、近鉄名古屋駅 - 米野駅間に地下線トンネルが、霞ヶ浦駅 - 阿倉川駅間の旧羽津駅跡にある2箇所のコンクリートトンネルが存在するのみである。

歴史

近鉄名古屋線は、複数会社が建設した路線をつなぎ合わせる形で成立した。

桑名駅 - 江戸橋駅間

桑名駅 - 江戸橋駅間は、伊勢鉄道(後の伊勢電気鉄道、伊勢電。現在の第三セクター鉄道伊勢鉄道とは無関係)によって建設された。

元々、同地域には国鉄関西本線参宮線(現在の紀勢本線亀山駅 - 多気駅間を含む)が、明治期に私設鉄道関西鉄道参宮鉄道によってそれぞれ敷設されていた。両線は大阪方面からの輸送を主眼に置いた線形となっており、愛知県三重県北部から三重県中南部に向かうには、亀山駅でスイッチバックを必要とした。

伊勢鉄道(初代)はそれを短絡する目的から設立され、三重県の二大都市である四日市を結ぶ路線を1915年 - 1924年に順次開業させた(桑名駅 - 江戸橋駅 - 津駅(部田駅)間。なお両都市間には1973年に同じ理由で国鉄→伊勢鉄道(2代目、前述)伊勢線が開業した)。軌間は国鉄との貨車直通を考慮し、1067mmの狭軌とした。また、軽便鉄道であり路線規格は低く、沿線諸集落を縫うために、曲線を多用した線形が採用された。

この段階では一地方のローカル私鉄であったが、1926年に社名を伊勢電気鉄道に改め、同年中に直流電化を完成させた頃から、「東海の飛将軍」と呼ばれた有力実業家の熊沢一衛が社長に就任したこともあって拡大策をとるようになり、北は名古屋への進出、南は伊勢神宮がある宇治山田への進出を目論むようになった。

当時、関西系の企業である大阪電気軌道(大軌、現在の近畿日本鉄道の直系母体)と、その子会社で参宮急行電鉄(参急)が大阪から伊勢への進出を目論んでいた[4]。伊勢電は北への路線は1929年に桑名駅までを開通させ、養老電気鉄道(現在の養老鉄道養老線)を買収した時点でそこから先の延伸を後回しとし、地元企業としての対抗心から参急が建設中の路線と並行する伊勢への路線を優先して建設した。参急線の全通5日後には部田駅 - 津新地駅 - 新松阪駅 - 大神宮前駅豊受大神宮、外宮前)間の路線を全通させ、桑名駅 - 大神宮前駅間に新製車のモハニ231形を用いた急行電車を走らせた。

新規開業区間の多くが複線電化の高規格路線であったが、前述したように元々は四日市駅 - 津駅間は低規格の路線であったため、四日市と津の両市内では市街地をクランク状に縫う形で線路を敷かざるを得ず、急カーブ区間が生じた。特に四日市駅のすぐ北は、三重鉄道四日市鉄道から譲り受けた路盤を用いて線路を敷いたことから、半径100mで南方向から西方向へほぼ直角に曲がる通称「善光寺カーブ」ができ、後々までスピードアップや車両大型化の障害となった。

江戸橋駅 - 伊勢中川駅間

江戸橋駅以南は、参宮急行電鉄(参急)が建設した。同社は現在の近鉄大阪線桜井駅以東と山田線を建設し、親会社である大阪電気軌道(大軌)の路線と接続して、大阪から片道2時間余りで行ける伊勢神宮への参拝ルートを作り上げていたが、それが実現する前に既に名古屋方面への進出を計画し、桑名までの免許を取得した。

この免許収得に関しては、岩田橋駅 - 伊勢川口駅間で営業を行っていた軽便鉄道会社の中勢鉄道(1942年全廃)を傘下に置き、同社の支線として中川 - 久居間の免許を申請し、その後、免許を参急に譲渡させ、譲り受けた参急が区間延長申請するという方法が採られた。だが、国鉄の運営と私鉄の監督を当時行っていた鉄道省では、このまま行けば伊勢電線・国鉄線と合わせて三つ巴の競争になり、共倒れになることを危惧していた。そのため当初参急が申請した免許は名古屋までであったが、政策上、桑名までとして交付された。

参急は伊勢進出後しばらく世界恐慌の影響もあって赤字に苦しんでいた。とりあえず国鉄線や伊勢電線と連絡して、桑名・四日市から大阪方面へ向かう客を運ぶことで増収につなげようとした。1930年 - 1932年に免許線の工事を行い、そして中川駅から国鉄津駅までを津(支)線として開業させ、津駅から徒歩5分程度の伊勢電津駅(部田駅を改称したもので、参急買収後再び部田駅に戻る)との連絡も図られた。

これにより津 - 伊勢間で参急と伊勢電の路線が競合することとなったが、まもなく伊勢電は伊勢進出に多額な資金を使ったことや、名古屋進出が達成できずに乗客が伸びなかったこと、熊沢が頭取を兼任していた融資元の四日市銀行(現在の三重銀行)が取付騒ぎにあって休業したため資金繰りが悪化したことなどから経営に行き詰まり、銀行管理会社になった。そのため参急が伊勢電を1936年に吸収合併し、旧伊勢電本線を参急名古屋伊勢本線とした[5]

その上で、合併直前に両社の共同出資で設立されていた関西急行電鉄(関急電)によって、伊勢電・参急いずれにとっても悲願であった名古屋進出に取り掛かることとなった。

近鉄名古屋駅 - 桑名駅間

この区間は、前述した関西急行電鉄(関急電)によって建設されることになった。

同区間は、木曽三川と総称される揖斐川長良川木曽川を越える必要があり、その橋脚建設の資金が必要であった。伊勢電の計画では、並行する関西本線の橋脚が架け替えられたため、不要となる旧橋脚を購入して敷設することにしていた(詳しくは「関西急行電鉄」を参照)。関急電もさほど資金的な余裕がなかったため、伊勢電の計画をそのまま引き継いだ。この橋脚に関しては、戦後新たに架け替えられている。

建設は日中戦争の最中に行われたため、軍事上必要なの調達は難航したという。

名古屋のターミナル駅(関急名古屋駅→近鉄名古屋駅)は、伊勢電は方向転換不要なようにループ状にする計画であったが、関急電は一般的な3面3線の頭端式ホームにした。

これによって、1938年6月26日に現在の名古屋線となる区間が完成した(それに先立つ6月20日に津線と伊勢線の接続を図るため津線の江戸橋 - 津間が延伸されている)。

軌間統一への流れ

前述のような建設経緯から、名古屋駅 - 江戸橋駅間は狭軌 (1067mm)、江戸橋駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)間の津線は標準軌 (1435mm)となり、名古屋 - 大阪間直通の利用客は参急中川駅でのスイッチバック(上本町駅 - 江戸橋駅間の直通列車は2往復のみで、多くの場合は乗り換え)と江戸橋駅での乗り換えを強いられた。そのため、名古屋延伸の半年後に江戸橋駅 - 参急中川駅間を狭軌化し、名阪間の移動に際しては参急中川(伊勢中川)駅での乗り換えとした。

1940年に関急電は参急に合併され、関急名古屋駅(参急名古屋駅に改称) - 桑名駅間は名古屋伊勢本線に編入された。さらに1941年には参急と大軌が合併して、現在の近鉄の原型となる関西急行鉄道(関急)が発足、関急発足時の路線名整理により津線および名古屋伊勢本線参急名古屋駅(再度関急名古屋駅に改称) - 江戸橋駅間が名古屋線、江戸橋駅 - 大神宮駅前間が伊勢線になった[5]

山田線と重複するため、1942年に伊勢線の新松阪駅 - 大神宮前駅間を廃止した後(残存区間である江戸橋駅 - 新松阪駅間も単線化し、資材は名古屋線単線区間の主に伊勢鉄道時代に敷設された区間の複線化などに充当)は、名古屋 - 伊勢間直通の利用客も伊勢中川駅で乗り換えが必要になった。伊勢中川駅での乗り換えは最短時間になるよう配慮され、時刻表でも名古屋駅時点で「大阪行」「宇治山田行」と案内された。

悲願の名古屋線の標準軌への改軌は1960年春の実施に向けて1957年頃から準備工事が行われた。この一環として並行する国鉄関西本線の橋梁架け替えの際に不要となった橋脚を譲り受け、単線で輸送力増強の障害となっていた揖斐・長良川橋梁木曽川橋梁についても、改軌に対応できる複線のトラス橋に架け替えることになった。後に名古屋線は1959年9月の伊勢湾台風によって特に愛知県内において線路水没・流失などの被害を受けたが、揖斐・長良川橋梁は台風襲来の7日前、木曽川橋梁については台風襲来の当日に完成したため、幸い深刻な被害はなかった。

これを当時社長の佐伯勇による「禍(=災い)転じて福となす」との判断で、台風による水害からの復旧を機に改軌工事を同年11月に前倒しして実施した。工事は名古屋線全線と神戸線(現在の鈴鹿線)を全体で9区画(=工区)に分け、1日につき1区画ずつ(日によって2区画)昼間の6時間(概ね9時30分-15時30分)をバス代行とし、千数百人に及ぶ作業員らによって午前からレールの移設を始め昼過ぎには完了、夕方には改軌の済んだ線路上で定期列車の運行が行われた[6]。同年11月27日には全ての区間での工事が完了し、その後線路の道床改良を経て、同年12月12日より名古屋駅 - 上本町駅間と名古屋駅 - 宇治山田駅間の直通運転が開始された。また、前述のような事情で随所に存在した急カーブも改軌に先駆ける形で複線化を兼ねた線形改良がなされ、多くが解消されている。

なお、伊勢線は狭軌のまま水害から復旧したが、伊勢湾台風襲来から1年4か月後の1961年1月に全線廃止された。

年表

近畿日本鉄道発足まで

  • 1915年大正4年)9月10日:伊勢鉄道が白子駅 - 一身田町駅(現在の高田本山駅)間を狭軌で開業。
  • 1916年(大正5年)1月9日:伊勢鉄道 千代崎駅 - 白子駅間が開業。
  • 1917年(大正6年)
    • 1月1日:伊勢鉄道 一身田町駅 - 江戸橋駅 - 津市駅(後の部田駅)間が開業。玉垣口駅・千里駅開業。
    • 12月22日:伊勢鉄道 楠駅 - 千代崎駅間が開業。
  • 1918年(大正7年)11月1日:伊勢鉄道 一身田町駅を高田本山駅に改称。
  • 1919年(大正8年)10月25日:伊勢鉄道 海山道駅 - 楠駅間が開業。
  • 1920年(大正9年)4月1日:伊勢鉄道 北楠駅開業。
  • 1921年(大正10年)
    • 10月:伊勢鉄道 千里駅廃止。
    • 11月8日:高田本山駅 - 江戸橋駅間の三軒家駅廃止認可。
  • 1922年(大正11年)
  • 1924年(大正13年)4月3日:伊勢鉄道 (旧)津市駅を部田駅に改称。部田駅 - 津市駅(後の津新地駅)間が開業。
  • 1925年(大正14年)12月16日:伊勢鉄道 津市駅を津新地駅に改称。
  • 1926年(大正15年)
    • 9月12日:伊勢鉄道が伊勢電気鉄道に社名変更。
    • 12月16日:伊勢電気鉄道 千代崎駅 - 白子駅間の玉垣口駅、塩浜駅 - 楠駅間の北楠駅廃止認可。
  • 1926年(昭和元年)12月26日:伊勢電気鉄道 四日市駅 - 津新地駅間が電化、電車運転開始。以後の開業区間は開業当初から電化路線。
  • 1928年(昭和3年)10月21日:伊勢電気鉄道 楠駅 - 箕田駅間の長太駅廃止認可。
  • 1929年(昭和4年)
    • 1月30日:伊勢電気鉄道 桑名駅 - 四日市駅間が開業(諏訪駅 - 四日市駅間を除き複線)。
    • 7月5日:伊勢電気鉄道 (臨)霞ヶ浦駅開業。
    • 10月28日:伊勢電気鉄道 羽津駅開業。
  • 1930年(昭和5年)
    • 月日不明:伊勢電気鉄道 西桑名駅を益生駅に改称。
    • 5月18日:参宮急行電鉄津線 参急中川駅(現在の伊勢中川駅) - 久居駅間が開業。
    • 12月25日:伊勢電気鉄道 桑名駅 - 江戸橋駅 - 大神宮前駅間が全通。
  • 1931年(昭和6年)
    • 月日不明:伊勢電気鉄道 霞ヶ浦駅が常設駅となる。
    • 7月4日:参宮急行電鉄津線 久居駅 - 津新町駅間が開業。
    • 8月19日:伊勢電気鉄道 塩浜駅 - 楠駅間複線化[7]
  • 1932年(昭和7年)4月3日:参宮急行電鉄津線 津新町駅 - 津駅間が開業。
  • 1934年(昭和9年)6月30日:北楠駅再開業。
  • 1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併。桑名駅 - 江戸橋駅 - 大神宮前駅間が名古屋伊勢本線となる。
  • 1937年(昭和12年)12月20日:白崎分岐(信号場、新設) - 白子駅 - 鼓ヶ浦駅間、上磯分岐(信号場、新設) - 伊勢上野駅間、豊津浦駅 - 逆川分岐(信号場、新設)間を複線化[7]
  • 1938年(昭和13年)
    • 4月13日:諏訪駅 - 四日市駅間および楠駅 - 楠箕分岐(信号場、新設)間複線化[7]
    • 6月20日:参宮急行電鉄津線 津駅 - 江戸橋駅間が開業。伊勢線に江戸橋駅で接続。
    • 6月26日:関西急行電鉄が関急名古屋駅(現在の近鉄名古屋駅) - 桑名駅間を開業。関西本線の旧橋梁を流用したことから、木曽川分岐(信号場)間 - 桑名駅間は単線、他は複線となる。
    • 12月7日:参宮急行電鉄 江戸橋駅 - 参急中川駅間を標準軌から狭軌に改軌。
  • 1940年(昭和15年)1月1日:参宮急行電鉄が関西急行電鉄を合併。関急名古屋駅を参急名古屋駅に、関急八田駅を参急八田駅に、関急蟹江駅を参急蟹江駅に、関急弥富駅を参急弥富駅に、関急長島駅を参急長島駅に改称。
  • 1941年(昭和16年)
    • 3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道に改称。
      • 名古屋伊勢本線関急名古屋駅 - 江戸橋駅間、津線江戸橋駅 - 関急中川駅間が名古屋線、名古屋伊勢本線江戸橋駅 - 新松阪駅 - 大神宮前駅間が伊勢線となる[5]
      • 参急名古屋駅を関急名古屋駅に、参急八田駅を関急八田駅に、参急蟹江駅を関急蟹江駅に、参急弥富駅を関急弥富駅に、参急長島駅を関急長島駅に、西富田駅を関急富田駅に、参急中川駅を伊勢中川駅に改称[8][9]
    • 8月18日:海山道駅 - 塩浜駅間複線化[7]
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月24日:伊勢上野駅 - 豊津浦駅間複線化[7]
    • 7月1日長太ノ浦駅開業、千里駅再開業、千里駅 - 逆川駅間の豊津浦駅・伊勢上野駅を統合し豊津上野駅開業。
    • 8月21日:楠箕分岐 - 箕田駅 - 伊勢若松駅間、久居駅 - 雲出川分岐間複線化[7]。楠箕分岐信号場廃止、雲出川分岐信号場開設。
    • 10月22日:霞ヶ浦駅廃止。羽津駅移転。
    • 11月25日:伊勢若松駅 - 白崎分岐間複線化[7]、白崎分岐信号場廃止。
  • 1944年(昭和19年)
    • 3月13日:鼓ヶ浦駅 - 上磯分岐間複線化[7]、上磯分岐信号場廃止。
      • 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立。
        • 関急名古屋駅を近畿日本名古屋駅に、関急八田駅を近畿日本八田駅に、関急蟹江駅を近畿日本蟹江駅に、関急弥富駅を近畿日本弥富駅に、関急長島駅を近畿日本長島駅に、関急富田駅を近畿日本富田駅に改称。
      • 1945年(昭和20年)
        • 6月1日:黄金駅・町屋駅・西町駅休止。
        • 7月24日太平洋戦争下の空襲により、揖斐・長良川橋梁が爆撃され不通に。関西本線を代替線として用いるため、連絡線を設けた上で同線を一時的に電化。
      • 1946年(昭和21年)
      • 1947年(昭和22年)
        • 3月1日:休止していた黄金駅営業再開。
        • 3月14日:休止していた川原町駅 - 諏訪駅間の西町駅廃止。
        • 10月8日:大阪 - 名古屋間特急運転開始。
      • 1948年(昭和23年)
        • 7月21日:揖斐川分岐 - 播磨川分岐間を複線化[7]
        • 9月1日:近畿日本長島駅 - 桑名駅間の揖斐川駅休止。
      • 1950年(昭和25年)。
      • 1952年(昭和27年)
        • この年までに休止していた伊勢朝日駅 - 益生駅間の町屋駅廃止。
        • 10月31日鹿化川分岐(信号場、新設) - 海山道駅間0.1km短絡工事完成、同区間を複線化[7][10]
      • 1953年(昭和28年)9月15日:津新町駅 - 二重池信号場間複線化[7]、二重池信号場廃止。
      • 1955年(昭和30年)7月15日:逆川分岐 - 高田本山駅 - 江戸橋駅間の経路変更・複線化[7][10]。0.5km短縮。逆川分岐信号場廃止。
      • 1956年(昭和31年)9月23日:川原町駅 - 諏訪駅 - 四日市駅(国鉄四日市駅の前) - 鹿化川分岐間を、川原町駅 - 近畿日本四日市駅 - 鹿化川分岐間の新線に切り替え[7][10]。1.1km短縮。鹿化川分岐信号場廃止。
      • 1959年(昭和34年)
        • 9月19日:揖斐・長良川橋梁架け替え[10]。近畿日本長島駅 - 揖斐川分岐間を複線化[7] し、揖斐川分岐信号場を廃止。
        • 9月26日:木曽川橋梁架け替え[10]。木曽川分岐 - 近畿日本長島駅間を複線化[7] し、木曽川分岐信号場廃止。同日、伊勢湾台風により全線が被災し、不通に。
        • 9月28日:近畿日本四日市駅 - 津新町駅間が復旧[11]
        • 9月29日:近畿日本名古屋駅 - 近畿日本八田駅間が復旧[11]
        • 9月30日:近畿日本八田駅 - 伏屋駅間、富洲原駅 - 近畿日本四日市駅間、津新町駅 - 伊勢中川駅間が復旧[11]
        • 10月1日:桑名駅 - 富洲原駅間が復旧[11]
        • 10月15日:伏屋駅 - 近畿日本蟹江駅間が復旧[11]
        • 11月8日:近畿日本長島駅 - 桑名駅間が復旧[11]
        • 11月19日標準軌化本工事開始[11]。久居駅 - 伊勢中川駅間を標準軌に改軌[12]。なお、これに先立つ改軌準備工事の際に、重量級の大阪線車両が入線可能となるように、路盤の強化も実施された。
        • 11月20日:江戸橋駅 - 久居駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月21日:豊津上野駅 - 江戸橋駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月22日:白子駅 - 豊津上野駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月23日:塩浜駅 - 白子駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月24日:近畿日本四日市駅 - 塩浜駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月25日:富洲原駅 - 近畿日本四日市駅間を標準軌に改軌[12]
        • 11月26日:近畿日本長島駅 - 富洲原駅間を標準軌に改軌[12]、播磨川分岐 - 桑名駅間を複線化[7]、播磨川分岐信号所廃止。
          • 1959年(昭和34年)
          • 1960年(昭和35年)1月20日:近畿日本名古屋駅 - 上本町駅(現在の大阪上本町駅)間の直通急行を伊勢中川駅経由で運転開始。
          • 1961年(昭和36年)
          • 8月8日:津駅 - 津新町駅間複線化[7]
          • 1964年(昭和39年)
          • 1966年(昭和41年)月日不明:1600系の改良増備車である1800系の運用開始。
          • 1967年(昭和42年)月日不明:1800系の改良増備車である1810系の運用開始。
          • 1968年(昭和43年)3月1日:自動列車停止装置 (ATS) 使用開始。
          • 1969年(昭和44年)5月15日:休止していた近畿日本長島駅 - 桑名駅間の揖斐川駅廃止。
          • 1970年(昭和45年)
          • 1972年(昭和47年)7月16日:雲出川分岐 - 伊勢中川駅間複線化[7]、全線複線化完成。雲出川分岐信号場廃止(伊勢中川駅構内扱いに変更)。
          • 1973年(昭和48年)10月11日:近鉄四日市駅付近1.7km高架化。
          • 1975年(昭和50年)7月20日新正駅開業。
          • 1976年(昭和51年)3月18日:急行の停車駅に近鉄弥富駅を追加。朝・夜間に1往復運転されていた近鉄名古屋駅 - 上本町駅間の直通急行廃止。
          • 1978年(昭和53年)月日不明:片側4扉ロングシートの新製冷房車2000系の運用開始
          • 1979年(昭和54年)3月15日:名伊乙特急の一部停車駅に久居駅を追加(朝間は名古屋方面、夜間は伊勢・賢島方面のみ)。
          • 1982年(昭和57年)月日不明:界磁チョッパ制御車両1200系(現・1201系)の運用開始
          • 1983年(昭和58年)3月18日:準急の運転体系を見直し、通過駅の多い準急を廃止し、新たな準急を近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅間に設定。近鉄名古屋駅 - 宇治山田駅間直通の普通列車を(時刻表上)廃止(伊勢中川駅で列車番号変更の上で継続運転する列車は存続)。
          • 1984年(昭和59年)11月28日:旧型車全廃により通勤車の最高速度を110km/hに向上[* 2]
          • 1988年(昭和63年)
            • 3月18日:21000系(アーバンライナー)の営業運転開始、特急の120km/h運転開始。
          • 1989年平成元年)4月28日南が丘駅開業。
          • 1990年(平成2年)3月15日:名阪甲特急の一部列車の停車駅に津駅を追加。
          • 1992年(平成4年)3月19日22000系 (ACE) の営業運転開始。
          • 1994年(平成6年)3月15日:23000系(伊勢志摩ライナー)の営業運転開始。
          • 1996年(平成8年)
            • 2月:2610系2621Fを改造したL/Cカー試作編成の試験運用開始。
            • 3月15日:名伊特急の運行体制見直し(一部列車の臨時列車格下げなど)が始まる。
          • 1998年(平成10年)
            • 月日不明:新造L/Cカー(5800系)の営業運転開始(1997年から1998年にかけて2610系2626F・2627Fおよび2800系2811F・2813F・2815Fの各編成もL/Cカーに改造)。
            • 3月17日:湯の山線直通特急の廃止(近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間の単独運行に)。
          • 2000年(平成12年)3月15日:近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅間の準急・近鉄名古屋駅 - 富吉駅間の普通を毎時各4本から3本に削減。
          • 2001年(平成13年)
            • 2月1日:伊勢中川駅・近鉄四日市駅・桑名駅における「途中下車指定駅」の制度が廃止。
            • 3月22日:日中の津新町駅折り返しの急行を伊勢中川駅まで延長。名古屋線全線で急行が毎時3本となる。
          • 2002年(平成14年)3月20日:急行の停車駅に近鉄蟹江駅を追加。これに伴って準急の本数を削減。
          • 2003年(平成15年)3月6日:名伊甲特急の停車駅に津駅を追加。
          • 2004年(平成16年)3月18日:白塚駅 - 伊勢中川駅間の一部の普通でワンマン運転を開始。
          • 2005年(平成17年)5月21日:黄金駅 - 伏屋駅間高架化完成。
          • 2007年(平成19年)4月1日:各駅でPiTaPaICOCAの取り扱いを開始。
          • 2008年(平成20年)6月14日:近鉄名古屋駅 - 近鉄八田駅間で車上速度パターン照査式ATS (ATS-SP) 使用開始。
          • 2009年(平成21年)3月20日:富洲原駅を川越富洲原駅に改称[14][15]
          • 2010年(平成22年)4月1日:近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の全線で名古屋列車運行管理システム「KRONOS」(クロノス)の運用開始[3]
          • 2012年(平成24年)3月20日:名阪甲特急の全列車の停車駅に津駅を追加。
          • 2013年(平成25年)
            • 3月21日:観光特急50000系(しまかぜ)の営業運転開始。
            • 3月23日:各駅でTOICAmanacaなどの取り扱いを開始。
          • 2014年(平成26年)
          • 2015年(平成27年)11月7日:伏屋駅付近の下り線高架切り替え[17]
          • 2016年(平成28年)5月8日:川原町駅の高架化が完成[18]
          • 2017年(平成29年)9月23日:伏屋駅付近の上り線高架切り替え[19]
          • 2018年(平成30年)3月17日:急行の停車駅に南が丘駅・桃園駅を追加[20]