(はし)、橋梁(きょうりょう)とは、地面または水面よりも高い場所に設けられたである。

歴史

有史以前の橋

橋の起源についてははっきりしたことは判らないが、偶然に谷間部分を跨いだ倒木や石だったと推測されている。その後人類が道具を使うようになってからは伐採した木で丸木橋が造られるようになった。また、木々に垂れ下がっている蔓を編んだ吊橋の原型とされる蔓橋(つるはし)や、より長い距離を渡るために川の中で飛び出た石の頂部に丸木を渡したり自然石を積み上げて橋脚を築いたり、杭を打ち込み橋脚にした事も考えられている。 なお、日本語の「橋」という言葉は、道のはしに架けるものから由来しているとされる[1]

古代の橋

紀元前5世紀から6世紀ごろにはバビロンや中国で石造桁橋が架けられていた。紀元前4000年ごろのメソポタミア文明では石造アーチ橋が架けられている。紀元前2200年ごろ、バビロンではユーフラテス川に長さ 200 m のレンガ橋が架けられた。アーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術が、東西に伝播して西洋と東洋それぞれ独自に発展したとする研究が発表されている[2]

ローマ時代に道路網の整備に伴い各地に橋が架けられ、架橋技術は大きく進歩した。現存する水道橋は驚異的な精度を持っている。ローマ教皇は英語で「ポープ」と呼ばれるが、この「Pope」の正式名称である「最高司教:Pontifex maximus」の前半部は「橋:Ponti」と「つくる:fex」から成り立っている。この名前が示すように、古代ローマ時代には橋を架けることは聖職者の仕事であった。中国や日本でも橋は仏教僧侶が架けることが多かった[3]

日本での記録に残っている最古の橋は、『日本書紀』によると景行天皇の時代に現在の大牟田市にあった御木のさ小橋(みきのさおはし)である。巨大な倒木による丸木橋とされている。人工の橋では同じく『日本書紀』によると324年仁徳天皇14年)に現在の大阪市に猪甘津橋(いかいつのはし)が架けられたのが最古とされている[4][5]。また、624年推古天皇32年)に道昭が京都の宇治川に宇治橋を、726年神亀3年)には行基山崎橋を架けるなど、古くは僧侶が橋を架けたことが知られている[5]。これは僧侶が遣隋使遣唐使として中国に渡り技術を学んできたことや、救済の一環として土木事業を指導したことによる。一方、当時の律令政府勢多橋などの畿内の要所を例外とすれば、橋の築造には消極的であった。『日本紀略』の延暦20年(801年)5月甲戌条には、河川に橋がないことでの搬送が困難な場合には、そのたびに舟橋を架けるように命じている。

中世ヨーロッパの橋

ローマ帝国が滅んだ後、優れた土木技術は失われてしまった。このため、流失した橋には再建されず放棄されたものも多い。 依然石造りのアーチ橋は造られていたが、この時代に橋を架けたのは聖職者だった。

戦乱の続いた時代では橋は戦略上重要な拠点となるため、守備用の塔が付属して建てられたり、戦時に簡単に壊せるようになっていたものも多い。 ルネサンス期になると扁平アーチが開発され、軽快な石橋が建設されるようになった。

中世・近世日本の橋

律令制度の衰退とともに交通路も衰退し、橋の整備も資力や技術に乏しい現地にゆだねられたため、架橋技術は発達しなかった。更に治水技術の未熟からしばしば発生した雪解けや大雨に由来する増水にも弱く、船橋のような仮橋や渡し舟による代替で間に合わされるケースが多かった。こうした傾向は江戸時代末期まで続き、江戸時代に大河川に架橋がされなかったのも、実際には軍事的な理由とともに技術的要因による部分も大きかった。

そうした中でも特徴的な架橋の例はあり、鎌倉時代においては僧侶の勧進活動の1つとして、重源による瀬田橋や忍性による宇治橋の再建などが行われた。これは人々の労苦を救うとともに架橋を善行の1つとして挙げた福田思想の影響によるところが大きいとされている。安土桃山時代から江戸時代に入ると、都市部や街道においてようやく橋の整備が進められるようになった。江戸時代の大都市には幕府が管理した橋と町人が管理して一部においては渡橋賃を取った橋が存在し、江戸では「御入用橋」「町橋」、大坂では「公儀橋」「町人橋」と称した。また、江戸時代以前の日本では木造の橋がほとんどであったが、九州や琉球では大陸文化の影響を受け、明出身の僧侶如定による長崎眼鏡橋の造営をはじめとする石造りの橋が多く作られるようになり、江戸時代末期に作られた肥後国通潤橋は同地方の石工らによって様々な工夫がされたことで知られている[5]。また、石積みの橋桁と木製のアーチを組み合わせた周防国岩国錦帯橋など、中小河川における架橋技術の発達を示す例が各地でみられるようになった。

この他、八橋と言って、川底が浅い場所に杭を打ち、その杭の間に板を渡すという方法で作られたために、川の途中で曲がりくねった構造をした木造の橋が作られたこともあった。なお、2016年現在の日本においても「八橋」と言う地名が残っている。

産業革命後の橋

18世紀末期から19世紀にかけて、産業革命によって生じたを用いた橋が出現する[6]。鉄の出現により橋梁技術が飛躍的に向上し、橋脚と橋脚の間隔を示す支間長(スパン)が大幅に伸びて長大橋が建設されるようになる[6]。初めは銑鉄を用いた全長30 mの橋がイギリスで架けられたが、製鉄技術の改良によりを用いた橋が誕生する[7]1873年には鉄筋コンクリートを用いた橋がフランスで初めて架けられ、その後全世界に普及する[7]。日本で最初の鉄橋は、1868年慶応4年)に長崎の眼鏡橋が架かる中島川の下流にオランダ人技師の協力を得て架けられたくろがね橋である[6]。純日本国産の鉄橋第1号は、1876年明治11年)に東京の楓川に架けられた弾正橋であり[6]、鋼橋としては、1888年(明治21年)に完成した東海道本線の天竜川橋梁が日本初である[6]。さらに鉄道網の進展、自動車の普及と交通量の変化に合わせて重い活荷重に耐えられる橋が要求されるようになって、1900年代に入ってから鉄筋コンクリート製の橋も造られるようになった[8]。また、経済の急速な発展に伴い、経済的で短い工期が重視された。

現代の橋

構造の強さだけでなく、需要に即した規模、気象条件、景観を含めた周辺環境への配慮、ライフサイクルコストの経済性を含めた設計が要求される。また、老朽化を迎える橋が増大している現状から維持管理の重要性が増している。

日本全国には約72万6千の橋がある[9]。橋に求められる要件は、橋に掛かる荷重を支えること及び荷重が掛かっても変形が大きくなり過ぎないことである。特に地震台風の多い日本では、地震発生時及び台風通過時の安全性を確保することが重要になる。また、橋には実用性だけではなく、デザイン性も求められる。大きく目立つ橋はその地域のシンボルになりうるため、構造物自体のデザイン性や周囲と調和するデザインを有していることが望ましい。

橋の下まわりを点検するために開発された橋梁点検車。

さらに、橋の建設には大きな金額がかかること、高度経済成長期に大量に建設された橋が老朽化しつつあることから、長期的な視点での安全性、経済性の確保が重要となっている。かつては橋の定期点検が十分に行われていなかったため、老朽化を要因とする事故が相次いだ。2007年平成19年)11月には吉野川水系の日開谷川の支流の1つである大影谷川にかかっていたトラス橋が、自動車通過中に落橋するという事故が起きた[10]。この事故後の調査で、この橋も定期的な管理がなされていなかったことが判明した[11]

こうした事故を受け、2012年(平成24年)に道路法が改正され、道路管理者は管理する全ての橋梁について、5年に1度近接による目視で点検を行い、健全性を診断することになった。橋の定期点検は、橋の安全性の確保のほか、点検結果を元に橋梁長寿命化修善計画を策定することで、橋の計画的な長寿命化及び更新を図ることになり、公共事業費の増大を防ぐことにつながっている。

一般的な構造

断面(道路橋)
1.全幅(ぜんぷく) 2.有効幅員(ゆうこうふくいん) 3.高欄(こうらん) 4.地覆(じふく) 5.歩道、歩道幅員 6.縁石(えんせき) 7.路肩(ろかた)、路肩幅員 8.車道 9.舗装 10. 床版(しょうばん)11.主桁
側面
1.橋長(きょうちょう) 2.支間(しかん) 3.橋桁(はしげた) 4.支承(ししょう) 5.橋台(きょうだい) 6.杭基礎 7.橋脚(きょうきゃく) 8.ケーソン基礎 9.直接基礎 10.上部構造(じょうぶこうぞう) 11.下部構造(かぶこうぞう)

上部構造

上部構造は、床構造と主構造から成り立つ[12]。床構造は床版(しょうばん)や床組(ゆかぐみ)によって形成され、通行する交通を支える役目を持つ[12]。主構造は主桁など、床構造を支えて荷重を下部構造に伝達する役割がある[12]吊り橋斜張橋では主塔やケーブルも上部構造に含まれる。さらに、車両や人などが橋から落下するのを防ぐ高欄(こうらん、欄干・らんかん)や自動車防護柵、照明柱などの付加物、下部構造とをつなぐ支承(ししょう)や道路と橋梁の境にあたる伸縮継手も上部構造に含まれる。

下部構造

下部構造は上部構造を支え荷重を地盤に伝達する橋台(きょうだい)と橋脚(きょうきゃく)、それらを支える基礎(きそ)を指す[12]。橋の両端に設置されるものを橋台、中間に設置されるものを橋脚と呼ぶ。基礎には直接基礎、杭基礎、ケーソン基礎などの形式がある[12]

橋の種類

橋には、用途や材料、橋床の位置、橋桁構造、可動するかどうか等により、様々に分類される[13]用途別材料別構造形式別によって分類が行われる。

それぞれ長所と短所があり、橋の用途や長さに建設コストの要素が考慮されて決定される[13]

形式別

橋の構造形式には以下のような種類がある。なお、主な部材に働く力については、構造力学材料力学力学などの項目を参照のこと。

  • 桁橋
    桁橋 - 2つあるいは3つ以上の支点上に水平に桁を架け、その上あるいは内部を通行する橋。最も古くからある一般的な形式[13]。桁には曲げモーメントにより主桁内部の上側に圧縮応力が発生、下側に引張応力が発生する。材料にはコンクリート木材などが用いられ、I形、箱形、T形などの断面がある。一般に荷重を主として負担する主桁と通行路を造る床版は異なる部材だが、比較的小規模のコンクリート橋では床版が主桁としての役割も果たす床版橋(スラブ桁橋)もある。また、吊橋の桁は補剛桁と呼ばれる。建設費が比較的安価なことから、最も多く採用される形式[13]


  • トラス橋
    トラス橋 - 棒状の部材を三角形に組み合わせ交点(格点と呼ぶ)をピンで結ぶトラス構造を用いた橋。鉄道橋に多い形式[13]。トラス部材には軸力(圧縮力または引張力)のみが作用する。ただし、実際にはピン結合ではなく剛結とすることが多く、この場合トラス部材には曲げモーメントも作用する。材料には鋼や木がよく用いられる。トラス構造は、使用部材を減ずる目的で断面2次モーメントを極大化させるため、桁構造と比して鉛直方向に構造が大きくなる。特に下路式の場合は、構造下面と路面や軌道面との間の高さを減ずることが可能であることから、桁下に余裕の無い箇所や取り付け部での縦断勾配の得づらい箇所での採用例も多い。トラス部材の配置によって以下のような分類がある。平行弦ワーレントラス、曲弦ワーレントラス、垂直材付きワーレントラス、プラットトラス、ハウトラス、Kトラス。


  • アーチ橋
    アーチ橋 - 上向きの弧(アーチ)を用いた橋で、アーチ(アーチリブ)には大きな圧縮力と比較的小さな曲げモーメントが作用する。コンクリートや鋼あるいは木のほかに、近代以前ではがよく用いられていた。深い渓谷など、橋脚を造ることが困難な場所で採用されることが多い形式[13]


  • ラーメン橋
    ラーメン橋 - 橋脚主桁が剛に結合された骨組(ラーメン)構造を用いた橋。ラーメンはドイツ語 Rahmen (鋼節骨組)に由来する[13]。部材には軸力、せん断力と曲げモーメントが作用し、材料としてはコンクリートあるいは鋼が用いられる。構造力学の観点からは、ラーメン構造は力のつりあい方程式の数より未知反力の数の方が多い不静定構造である。これにより過大な荷重によってある部材が大きく変形しても落橋は免れたり、橋脚上に支承がなく上部構造がずれ落ちたりすることがないため耐震性の高い構造と考えられている。あまり一般的ではなく高速道路を跨ぐなど、ごく一部でみられる形式[13]


斜張橋と吊り橋