えんがるちょう
遠軽町
Ganbo-iwa, Engaru town, Hokkaido.jpg
瞰望岩と石北本線の特急「オホーツク
Emblem of Engaru, Hokkaido.svg

遠軽町章
1935年昭和10年)3月制定
2005年平成17年)10月1日継承
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道オホーツク総合振興局
紋別郡
市町村コード 01555-5
法人番号 1000020015555 ウィキデータを編集
面積 1,332.45km2
(境界未定部分あり)
総人口 19,469[編集]
住民基本台帳人口、2020年4月30日)
人口密度 14.6人/km2
隣接自治体 紋別市北見市常呂郡佐呂間町
紋別郡滝上町湧別町
上川郡上川町
町の木 エゾヤマザクラ
町の花 ヒマワリ
遠軽町役場
町長 佐々木修一
所在地 099-0492
北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目1-1
Engaru town hall.JPG
外部リンク 遠軽町

日本地域区画地図補助 01540.svg

遠軽町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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瞰望岩から望む遠軽市街地(2016年9月)
遠軽市街地(西町1丁目より南町・豊里方面、2016年9月)

遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内、紋別郡にある

なお現在の自治体としての遠軽町は、2005年(平成17年)に当時の遠軽町、生田原町丸瀬布町白滝村の紋別郡3町1村が対等合併して新たに設置された自治体であるが、本項では便宜上合併以前の旧・遠軽町、およびその前身の旧・遠軽村についても述べる。

概要

オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内と接している。人口は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在[1])、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在[2])。面積の広さは「市町村」としては全国9位・道内5位(北方領土内の留別村を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町(いずれも道内)に次ぐ全国3位である。

町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。

1919年大正8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がさらに遠軽村(のちに町)からそれぞれ分村されたが、前述のとおり2005年(平成17年)に4町村が合併して新たに遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の適用自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域の適用を受けている。

町名の由来

現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語の「インカイ(インカルシ)[3]」(眺める・いつもする・所)に由来する[4][5]。かつてはここで見張りをしたという[5]

1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、新局をこれにちなんだ「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[6]

地理

上川管内・上川町との町境にそびえる北大雪山系東麓から、湧別川およびその支流の流域にあたる東西47km、南北46kmの広い町域を持ち、その大半は山林であるものの河川沿いには農業・酪農に適した平地も多くある。最高所は上川町との境界に位置する武利岳(標高1,876m)で、これはオホーツク管内の最高峰でもある。市街地は旧4町村(遠軽、生田原、丸瀬布、白滝)のそれぞれにあり、市街地の標高はもっとも低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。

  • : 武利岳(1,876m) 、支湧別岳(1,688m) 、平山(1,771m)、チトカニウシ山(1,446m) 、北見富士(1,306m) 、六郷山(416m)
  • 河川: 瀬戸瀬川、生田原川湧別川、社名淵川、武利川、丸瀬布川
  • : 山彦の滝、鹿鳴の滝、十三の滝、白滝
  • その他: 瞰望岩(がんぼういわ) - 約700万年前の新生代新第三紀中新世後期、海底火山から噴出した安山岩質の水中溶岩ハイアロクラスタイト)と火山性の砂岩礫岩の堆積物で形成された遠軽市街地の岩丘[7]。断崖頂部から地表まではおよそ78mの高さがある。アイヌ人の古戦場となった伝説がある。北海道自然百選選出。国の名勝に指定(名勝地群「ピリカノカ」の一部として)[8]

気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 (Dfb) に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を下回ることが多いが、降雪量は道央の日本海側より少なく、雪質は軽い。

町内の気象庁アメダス観測地点は遠軽、白滝、生田原、丸瀬布の4か所。遠軽では1978年2月17日に-29.5℃の最低気温を、2019年5月26日に37.7℃の最高気温を観測した。以下は1981年から2010年までの30年間の観測データに基づく遠軽の気候表である。

遠軽 (1981年-2010年平均)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 9.2
(48.6)
12.0
(53.6)
17.1
(62.8)
30.9
(87.6)
32.7
(90.9)
35.3
(95.5)
36.4
(97.5)
36.6
(97.9)
33.3
(91.9)
27.8
(82)
22.8
(73)
16.6
(61.9)
36.6
(97.9)
平均最高気温 °C (°F) −2.7
(27.1)
−2.1
(28.2)
2.4
(36.3)
10.6
(51.1)
17.0
(62.6)
20.3
(68.5)
23.7
(74.7)
25.5
(77.9)
21.3
(70.3)
15.3
(59.5)
7.3
(45.1)
0.3
(32.5)
11.6
(52.8)
日平均気温 °C (°F) −8.3
(17.1)
−8.1
(17.4)
−2.9
(26.8)
4.6
(40.3)
10.4
(50.7)
14.3
(57.7)
18.2
(64.8)
19.9
(67.8)
15.3
(59.5)
8.9
(48)
2.1
(35.8)
−4.7
(23.5)
5.81
(42.45)
平均最低気温 °C (°F) −15.1
(4.8)
−15.4
(4.3)
−9.1
(15.6)
−1.4
(29.5)
4.0
(39.2)
9.0
(48.2)
13.6
(56.5)
15.3
(59.5)
9.9
(49.8)
3.0
(37.4)
−3
(27)
−10.5
(13.1)
0.0
(32.0)
最低気温記録 °C (°F) −29.2
(−20.6)
−29.5
(−21.1)
−26.2
(−15.2)
−18.1
(−0.6)
−5
(23)
−0.6
(30.9)
3.7
(38.7)
5.6
(42.1)
0.7
(33.3)
−5.2
(22.6)
−16.6
(2.1)
−23.9
(−11)
−29.5
(−21.1)
降水量 mm (inch) 49.5
(1.949)
32.1
(1.264)
34.4
(1.354)
40.9
(1.61)
54.8
(2.157)
58.2
(2.291)
97.7
(3.846)
114.5
(4.508)
113.7
(4.476)
80.5
(3.169)
51.1
(2.012)
52.9
(2.083)
794.5
(31.28)
降雪量 cm (inch) 162
(63.8)
135
(53.1)
120
(47.2)
30
(11.8)
2
(0.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
24
(9.4)
117
(46.1)
596
(234.6)
平均月間日照時間 92.4 110.2 155.2 166.2 182.9 167.0 144.9 151.1 152.2 143.6 109.8 91.2 1,671
出典 1: 気象庁[9]
出典 2: 気象庁[10]

歴史

日本キリスト教会遠軽教会会堂。札幌北一条教会旧会堂の意匠を採って建設された[11]1931年建設、大通南二丁目)
救世軍遠軽小隊が1915年に初代の橋を架橋した救世橋(道道社名淵瀬戸瀬停車場線

遠軽町は1896年明治29年)、プロテスタント日本基督教会(現・日本キリスト教会)が、札幌で活動していた宣教師の信太壽之ら東北学院仙台市)の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会キリスト教徒によって開拓が始まった道内でも珍しい歴史を持つ[12]

当地にキリスト教主義の私立大学を設立することをめざして1897年学田地と名付けた湧別村湧別原野第四小作地(のちの遠軽市街地周辺)に最初の集団入植を行い、現在の岩見通南二丁目1番地付近に「学田農場事務所」を設置したが、翌年にかけて冷害や大水害に見舞われ、最終目的の大学建学は果たせなかった。

しかし学田農場事務主任でのち遠軽郵便局初代局長を務めた野口芳太郎と入植者らが築いた基盤を元に1902年日本基督教会遠軽教会が創設された。遠軽教会は1922年には国内純農村の教会としては初の独立自給教会となった。現在も日本キリスト教会遠軽教会として伝道活動を行っている[13]

また学田の入植者らが基礎を築き、1913年に設立された救世軍北海道連隊遠軽小隊は国内最北の小隊である。学田の名は今も地名(遠軽町学田)として残っている。