選抜高等学校野球大会
今シーズンの大会:
第93回選抜高等学校野球大会
Hanshin Koshien Stadium2.JPG
競技 高校野球
開始年 1924
主催 毎日新聞社
日本高等学校野球連盟
(後援・朝日新聞社
特別協力・阪神甲子園球場
チーム数 32(記念大会は36)
チーム
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 東海大学付属相模高校
(2021年)
最多優勝 東邦高校
(5回)
公式サイト
www.jhbf.or.jp/senbatsu/2021/

メイン球場

開催取りやめ

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選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎日新聞社日本高等学校野球連盟(高野連)が兵庫県西宮市阪神甲子園球場にて毎年3月下旬から4月上旬に主催している日本の高校野球大会である。大会旗および優勝旗の色は紫紺。優勝旗は紫紺色のため「紫紺の大優勝旗」と呼ばれている。「春の甲子園」「春の高校野球」「春の選抜」「春高」「甲子園」「」「選抜」「National High School Baseball Invitational Tournament[2]」などと表現されており、 5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。

出場校

夏大会は地方大会の優勝校が機械的に出場しているが、春大会については選考委員会によって出場校が決められる。高野連は出場校の選考基準を

(1)大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。
(2)日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。
(3)校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。
(4)技能についてはその年度全国高等学校野球選手権大会終了後より11月30日までの試合成績ならびに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。
(5)本大会はあくまで予選をもたないことを特色する[注釈 1]。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。

としている[3]。第88回大会からの改訂により、選考における試合内容の考慮、および秋季大会の位置づけが明記された。また、出場校が最大32校、記念大会でも34ないし36校であるため、出場校が1校もない府県が毎回生じる(東京都北海道は必ず1校以上の出場が保障されている)。逆に、好成績の府県からは2校以上選出される可能性もある(過去には最大4校選出されたことがある)。

出場校の選考は21世紀枠→一般選考枠の順で行われ、各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会(東京都大会・北海道大会は地区大会に相当)と府県大会の実績と地域的なバランスを考えた選考を前提としている。ただし選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もある。出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。組み合わせ抽選会は毎年開会式1週間前の9:00から行い、各地区の出場校が多い学校から決定する。選手宣誓は出場校全校の主将によるくじ引きで決定する。ただし、第83回大会2011年)のみ奥島孝康日本高等学校野球連盟会長が抽選で選んだ。

選手の学年は年度を跨ぐため、新年度の学年で紹介される。

現在では、以下の枠が与えられている。

現存する枠

一般選考枠

1947年、小倉中学(現小倉高校)(福岡)が春大会で準優勝、夏大会で九州勢で初優勝して九州地区の中学校の野球熱が高まったとき、朝日新聞西部本社運動部の芥田武夫部長は全国に先駆け、「全国中等学校野球連盟九州支部」を組織し、秋に第1回九州大会を鹿児島の鴨池球場(現在の鴨池市民球場)で開催、大成功を収める。他の地域も九州大会を範にして翌秋から地区大会を行うようになり[4]、以後、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地区大会(全国10地区)の成績が春大会出場校・並びに補欠校を決める際の重要な選考資料となっている。

基本的には秋季大会の成績をもとに、地域性も考慮して決定する。ここで出場28校と補欠(代表校の出場辞退に備えるもので、各地区につき1~2チーム程度)を選出する。

  • 関東・東京、中国・四国の各地区の残り1校は両地区を比較した上で選出する。
  • 東京のみ、秋季大会が関東の枠組みから外れているため、単独選考となっている。2003年まではほぼ2枠で固定されており、それゆえ、1位校と2位校が揃って選出されるケースが多かった。背景には、毎日新聞東京本社の意向が反映しているともいわれる。21世紀枠への振り替えなどで出場枠が減枠され、関東との比較となった2004年以降は1枠となる年が多くなっている。
  • 山梨県関東地区大会参加のため関東枠で選考される。
  • かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。
  • 第75回大会まで各地区の出場枠は明文化されておらず、選考委員会で決定していたが[注釈 2]、第76回大会以降前年7月の運営委員会で出場枠が決定され、一般枠は各地区の枠が明文化されるようになった。同大会以降も各地区の基本枠は現在に至るまで変動していない。
  • 選考は地区別の小委員会で行われる。委員会の区分けは「北海道・関東・東京」「東北・近畿」「東海・北信越・九州」「中国・四国」。選考委員は地区ごとに異なるため、地区によって全く逆の基準により選考がなされる場合がある[注釈 3][5]
  • 上記の通り、秋季大会は当大会の予選ではなく参考資料にすぎないため、秋季大会の上位校を差し置いて下位校が選出される「逆転現象」が発生する場合もある。極端な例では2003年の第75回記念大会において、前年の北信越大会ベスト8の福井が同準優勝の福井商を上回って選出されている[注釈 4]。21世紀枠導入以前は秋季地区大会での直接対決に敗れながら逆転選出される例も見られた[注釈 5]
  • 「春は投手力」という格言があることから[6]、当落線上の場合はプロ注目の好投手を擁する学校が選出されやすい傾向にある[注釈 6]
一般選考枠一覧
地区 2002年から現在 1988年から2001年 1983年から1987年 1973年から1982年
北海道 北海道 1 北海道 1.5 北海道 1 北海道 1.5
東北 青森
岩手
宮城
秋田
山形
福島
2 青森
岩手
宮城
秋田
山形
福島
2.5 青森
岩手
宮城
秋田
山形
福島
2 青森
岩手
宮城
秋田
山形
福島
2
関東 茨城
栃木
群馬
埼玉
千葉
神奈川
山梨
4.5 茨城
栃木
群馬
埼玉
千葉
神奈川
山梨
5 茨城
栃木
群馬
埼玉
千葉
神奈川
山梨
4 茨城
栃木
群馬
埼玉
千葉
神奈川
山梨
3
東京 東京 1.5 東京 1.5 東京 2 東京 1.5
東海 愛知
岐阜
三重
静岡
2 愛知
岐阜
三重
静岡
3 愛知
岐阜
三重
静岡
3 愛知
岐阜
三重
静岡
3
北信越 富山
石川
福井
長野
新潟
2 富山
石川
福井
長野
新潟
2 富山
石川
福井
長野
新潟
2 富山
石川
福井
長野
新潟
1.5
近畿 大阪
京都
兵庫
奈良
滋賀
和歌山
6 大阪
京都
兵庫
奈良
滋賀
和歌山
7 大阪
京都
兵庫
奈良
滋賀
和歌山
7 大阪
京都
兵庫
奈良
滋賀
和歌山
6.5
中国 鳥取
島根
岡山
広島
山口
2.5 鳥取
島根
岡山
広島
山口
2.5 鳥取
島根
岡山
広島
山口
3.5 鳥取
島根
岡山
広島
山口
3.5
四国 香川
愛媛
徳島
高知
2.5 香川
愛媛
徳島
高知
3 香川
愛媛
徳島
高知
3.5 香川
愛媛
徳島
高知
3.5
九州 福岡
佐賀
長崎
熊本
大分
宮崎
鹿児島
沖縄
4 福岡
佐賀
長崎
熊本
大分
宮崎
鹿児島
沖縄
4 福岡
佐賀
長崎
熊本
大分
宮崎
鹿児島
沖縄
4 福岡
佐賀
長崎
熊本
大分
宮崎
鹿児島
沖縄
3.5

明治神宮大会枠

第75回大会2003年)から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地区に与えられ、その地区の一般選考枠が1つ増える形となる。第80回大会(2008年)は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、一般枠の1道府県2校までが確定した。東京のみ神宮枠を獲得し、関東との比較により一般枠が2となった場合に3校出場の可能性がある[9]

なお、大会で優勝した高校が自動的に「神宮枠」で出場できるわけではない。優勝した高校の地区で選考を最後に通過した高校が「神宮枠で選出」されたことにはなるが、高野連は「神宮枠」という扱いをしていない[10]。最後の枠が別地区同士の比較となる関東と東京、中国と四国は、その比較の前に該当地区から1校多く選出する[11]

明治神宮大会枠一覧
地区 2003年から現在
全国 優勝 1

21世紀枠

2001年21世紀最初の年であることに因み、同年開催の第73回大会から設けられた。

部員不足やグラウンドがない、豪雪地帯といった学校・地域の特性などの困難を克服した学校や、ボランティア活動といった野球以外の活動での地域貢献で他校の模範となる学校を選出。推薦は2012年までは基本的に各都道府県の秋季大会で参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム、2013年以降は128校を上回る都道府県ではベスト32、それ以外の県ではベスト16以上[注釈 7] と改定された。選考は各都道府県の高野連が推薦校1校を選出し、そこから各地区(全国9地区)の代表推薦校となった高校の中から3校(東日本〜東海 北信越以東・西日本〜近畿以西各1校、その他1校)が出場校に選出される。選考基準について大会を主催する毎日新聞は

勝敗にこだわらず多角的に出場校を選ぶセンバツ大会の特性を生かし、技能だけではなく高校野球の模範的な姿を実践している学校を以下の基準に沿って選ぶ。

とした上で、

少数部員、施設面のハンディ、自然災害など困難な環境の克服・学業と部活動の両立・近年の試合成績が良好ながら、強豪校に惜敗するなどして甲子園出場機会に恵まれていない・創意工夫した練習で成果を上げている・校内、地域での活動が他の生徒や他校、地域に好影響を与えている

学校を選出すると公表している[12]

選考委員会ではまず推薦理由説明会において候補校のある都道府県高野連の理事長がプレゼンテーションを行い、続く特別選考委員会において主催者と外部有識者からなる委員との質疑応答を経て決定される[13][14]。2001年から2007年までは東日本と西日本から1校ずつ[注釈 8]第80回大会2008年)は記念大会による1校増の3校で「北海道、東北、関東・東京」(=東日本)、「東海、北信越、近畿」(=中日本)、「中国、四国、九州」(=西日本)から各1校が選出。第81回大会2009年)からは東日本1校、西日本1校、その他1校の3校が選出されている。第85回大会2013年)と第93回大会2021年)は東日本2校、西日本2校の4校が選出された。なお21世紀枠で選抜大会出場校に選出されなかった高校は一般選考枠で選出対象となる[注釈 9]

この21世紀枠は他競技にも影響を及ぼしており、近いものとして全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の「チャレンジ枠」、全国選抜高等学校テニス大会の「ドリーム枠」が後に設けられた。

21世紀枠一覧
地区 2008年から現在 2001年から2007年
東日本 北海道
東北
関東
東京
東海
北信越
1.5 北海道
東北
関東
東京
東海
北信越
1
西日本 近畿
中国
四国
九州
1.5 近畿
中国
四国
九州
1


前年優勝校枠以来の特別出場案となったのが21世紀枠であるが、公立進学校・伝統校や困難克服校が優先して選出される傾向にある。

“他校の模範であること”を根拠に名門大学へ現役合格者多数、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、生徒のボランティア活動、果ては災害被災地所在で頑張っている、など野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがある。さらに、過去の選出校のほとんどが一般選考ライン一歩手前で敗れており、実質的には地区大会出場校の救済枠となっている。

過去に優勝経験のある学校や、県内では強豪といわれる学校が選考されている。2009年の利府高校、2010年の山形中央高校に至っては困難克服どころか、地元紙の特集において「恵まれた環境」[15] とされていた(普通科と別に専科が設置されているため、他の公立高校に比べ選手が集まりやすい傾向にある)。選考理由の1つに練習環境の困難さを掲げていた2016年の長田も実際には野球部公式サイトで特徴の1つとして「充実した練習環境」を掲げており、両翼100メートル、中堅115メートルのグラウンドを「神戸市内の県立高校では屈指の広さ」としてアピールしていた[16]。また、「他校の模範となるチーム」を選出する枠でありながら、2006年から2010年まで・2014年は都道府県推薦校が不祥事により推薦を取り消されたり辞退したりする事態[17]、果ては選出校がのちに部内暴力で連盟から処分される事態[18] までも発生している。また2002年に「文武両道」を理由に選出された松江北の主戦投手は学業に専念するため夏の大会を前に退部している(東京大学を受験したが現役での合格はならず、一浪の末合格)[19]2011年第83回大会では見直しが行われるはずだったが、結局は地区大会の成績に「原則」が付記され、出場校選出の最終優先条件が「30年以上出場がない学校」から「出場から、より遠ざかっている学校」となったのみで、事実上の前例踏襲となった。2012年の第84回大会において洲本高校が30年以内に出場経験のある学校として初めて選出された。

なお、この枠で出場した高校は公立校がほとんどである。私立校は2013年の土佐高校1校のみである(2020年現在)。

2020年現在、初戦の成績は13勝38敗。通算成績は19勝51敗。21世紀枠で出場後、同年夏の選手権大会に出場した学校は2001年の宜野座高校第83回大会)、2010年の山形中央高校(第92回大会)の2校である。

下記は、上記の傾向をまとめたものである。

21世紀枠出場校一覧(太字は選出後に甲子園大会に再度出場した学校。2020年の「結果」は甲子園高校野球交流試合での勝敗)
地区 出場校 主な選考理由 結果
2001年 東日本 安積(福島) 創立創部ともに県最古であり、質実剛健で考える野球を実践した。 初戦敗退
西日本 宜野座(沖縄) 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 ベスト4 
2002年 東日本 鵡川(北海道) 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 2回戦敗退
西日本 松江北(島根) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2003年 東日本 柏崎(新潟) 豪雪地のハンディを克服。 初戦敗退
西日本 隠岐(島根) 離島の過酷な条件を克服。 初戦敗退
2004年 東日本 一関一(岩手) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
西日本 八幡浜(愛媛) 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 初戦敗退
2005年 東日本 一迫商(宮城) 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 2回戦敗退
西日本 高松(香川) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2006年 東日本 真岡工(栃木) 地元密着の選手育成。 初戦敗退
西日本 金沢桜丘(石川) 県内有数の進学校。 初戦敗退
2007年 東日本 都留(山梨) 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。三宅島噴火による避難生活中だった都立三宅高校と合同練習や試合を行った。 初戦敗退
西日本 都城泉ヶ丘(宮崎) 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 2回戦敗退
2008年 東日本 安房(千葉) 創立100年を超える文武両道の進学校。房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。 2回戦敗退
中日本 成章(愛知) 創部100年を誇る県立の進学校。試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。 2回戦敗退
西日本 華陵(山口) 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。 3回戦敗退
2009年 東日本[20] 利府(宮城) 地域の清掃活動に積極的に参加。運動部員が小学校へ出前授業をしている。生徒が梨農家の手伝いをしている。 ベスト4
西日本[20] 彦根東(滋賀) 右翼が左翼より30メートルも短い変形グラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 初戦敗退
その他[20] 大分上野丘(大分) 県内随一の進学校。放課後の練習は2時間までと決められていながら、2008年秋季大会では九州大会出場を果たした文武両道。 初戦敗退
2010年 東日本[21] 山形中央(山形) 野球ばかりでなくスキー、スケート、柔道なども全国トップレベルにある。率先して学校周辺の清掃活動に取り組み、また部の方針に「感謝」を掲げ地域交流にも取り組む。 初戦敗退
その他[21] 向陽(和歌山) 旧制海草中学時代に嶋清一などの活躍で1939~40年に第25回第26回全国大会を連覇した名門校。清掃活動など地域とつながりも深く、副主将は生徒会長を務めて学校生活にも熱心に取り組む。 2回戦敗退
西日本[21] 川島(徳島) 少人数部員(18人)、グラウンドが共用で使える広さがダイヤモンドとほぼ同じという悪条件を、工夫をこらした練習で克服。 初戦敗退
2011年 その他[22] 大館鳳鳴(秋田) 1898年創立の進学校。部員全員が地元出身で、冬はボランティアで除雪を行い地域に貢献。「ベースボール」を「野球」と訳した中馬庚が大正期に校長を務めていた。 初戦敗退
東日本[22] 佐渡(新潟) 本州まで2時間半かけて遠征し練習試合を行う離島のハンディを乗り越え、2010年秋の県大会で準優勝。60条からなる「野球部心得」を基に人間力向上に取り組む。 初戦敗退
西日本[22] 城南(徳島) 創立・創部とも県内最古の歴史を持つ進学校。部員全員が近隣中学出身で、生徒会活動などに積極的に参加。 2回戦敗退
2012年 その他[23] 女満別(北海道) 全校生徒134人の小規模校で野球部員は19人。氷点下20度を下回る日が珍しくない寒冷地の中で、昨秋の北海道大会ベスト16と健闘した[24] 初戦敗退
東日本[23] 石巻工(宮城) 前年の東日本大震災で部員の殆どや自校のグラウンドが被災したものの、その年の秋季大会で準優勝を果たした。 初戦敗退
西日本[23] 洲本(兵庫) 1953年第25回選抜高等学校野球大会優勝校。阪神・淡路大震災当時に生まれた生徒が主力で、県内の強豪校と互角に戦い続けた[24] 初戦敗退
2013年 その他[25] 遠軽(北海道) 町唯一の道立校で、生徒の8割は町民。堀達也・元道知事や安彦良和の母校。町内の催事に生徒や教職員が積極的に参加。 2回戦敗退[注釈 10]
東日本[25] いわき海星(福島) 東日本大震災とそれに伴う大津波や福島第一原子力発電所事故の渦中でも夢を諦めずに頑張る姿は風評被害に苦しむ県民に希望と元気を与えてくれる。 初戦敗退
その他[25] 益田翔陽(島根) 他校の模範たり得るマナー、統合により誕生した学校で部員確保の苦労を克服し、ボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。 初戦敗退
西日本[25] 土佐(高知) 学校は1920年、野球部は1947年創立と歴史を誇る。「文武両道」と共に掲げられるモットー「全力疾走」は全国的に有名。 初戦敗退
2014年 東日本[26] 小山台(東京) 都立の進学校。限られた練習時間や狭いグラウンドなどの練習環境を克服し、秋の都大会で私立の強豪校を破り8強入り。 初戦敗退
西日本[26] 海南(和歌山) 旧制海南中学時代および統合した大成高校を含め春夏通算20回出場の伝統校。校舎改築工事の影響でグラウンドが使用できない厳しい練習環境の中、秋の県大会で準優勝。 初戦敗退
その他[26] 大島(鹿児島) 奄美大島の県立校でグラウンド周辺にはハブも生息。試合時には鹿児島市内までフェリーで11時間かけて遠征する離島のハンディを乗り越え秋の県大会で4強入り。 初戦敗退
2015年 東日本[27] 豊橋工(愛知) 整備用トンボや防球ネットなど練習道具の多くを手作りし、工業高校らしい創意工夫で練習環境を整えている。また、毎朝学校周辺を清掃し地域に貢献。 初戦敗退
その他[27] 桐蔭(和歌山) 和歌山中時代に1915年夏の第1回大会から出場し春夏計3度優勝した古豪。高校野球100年の節目の年であり、草創期からの貢献が重視され53年ぶりの出場。 初戦敗退
西日本[27] 松山東(愛媛) 正岡子規らが学び夏目漱石も教壇に立った県内最古の伝統校。文部科学省指定「スーパーグローバルハイスクール」で文武両道を実践し、史上最長ブランクとなる82年(77大会)ぶりの出場。 2回戦敗退
2016年 東日本[28] 釜石(岩手) 東日本大震災で部員24人中9人が自宅を失い、親を亡くした部員もいる。グラウンドを6つの運動部で共用する厳しい環境に負けず秋の県大会で準優勝。 2回戦敗退[注釈 11]
その他[28] 長田(兵庫) 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区にある県内屈指の進学校。同じ敷地内に夜間定時制と通信制の高校が併設され、練習が制限される中で秋の県大会8強入り。 初戦敗退
西日本[28] 小豆島(香川) 部員17人ながら自主性を持って練習に取り組み、秋の県大会決勝で(その後の四国大会と明治神宮大会を制する)高松商を破って初優勝。少子化の時代に生徒減に悩む学校の希望の星となった。 初戦敗退
2017年 東日本[29] 不来方(岩手) 部員わずか10人[30] のため実戦形式の練習ができず、練習時間の9割を打撃に充て打ち勝つ野球を貫き秋の県大会で準優勝。 初戦敗退
その他[29] 多治見(岐阜) 狭いグラウンドを他部と共用し、バドミントンのシャトルやテニスボールを使うなど工夫を凝らした練習を取り入れ秋の県大会で初優勝。小学生に野球教室を開くなどボランティア活動にも熱心。 初戦敗退
西日本[29] 中村(高知) 過疎化が進む地域に位置するが、中学三年から高校の練習に参加できる中高一貫校の特例を生かした強化で困難な状況を克服し秋の県大会で優勝。部員12人で準優勝し「二十四の瞳」として注目された1977年春以来40年ぶりの出場。 初戦敗退
2018年 東日本[31] 由利工(秋田) 「地域に愛される学校」を目標に掲げ、部員が率先して地域住民へあいさつ活動を行っている。工業高校の技術を生かし高齢者施設の車椅子を修理するなどボランティア活動にも励む。 初戦敗退
その他[31] 膳所(滋賀) 全国屈指の進学校。セイバーメトリクスを取り入れ、野球経験のないデータ分析専門の部員が対戦相手の打球傾向を分析し守備位置を調整。秋の県大会での8強入りを陰で支えた。 初戦敗退
西日本[31] 伊万里(佐賀) 公立の進学校で、平日は90分という短い練習時間ながら、分刻みのメニューを設定し効率的に練習。部員が地元の少年野球大会の審判をボランティアで務め地域に貢献。 初戦敗退
2019年 東日本[32] 石岡一(茨城) 明治43年開校の農学校が前身で、部員の約4割が実習の授業が多い園芸科・造園科で学ぶ。全員そろって練習できる時間が限られる中で秋の県大会で4強入りし、農業を通じた新しい形の文武両道を示した。 初戦敗退
西日本[32] 富岡西(徳島) 野球を通じた町づくりを進める阿南市にある創部120年の伝統校で、休日には学校周辺の清掃活動を行っている。2001年・2008年に続く3度目の四国地区候補校選出で、継続した取り組みも評価。 初戦敗退
その他[32] 熊本西(熊本) 部員全員が地元中学出身で、2016年に熊本地震に見舞われ大半が避難所生活を送りボランティア活動を行った。2018年11月の練習試合中に部員が頭部に死球を受け亡くなる事故もあった[注釈 12] 初戦敗退
2020年 東日本[33] 帯広農(北海道) NHK朝ドラ『なつぞら』や漫画『銀の匙』のモデルにもなった農業高校で、部員の多くが農業や酪農の後継者。実習が多く全体練習は土日のみで、学校産の野菜や牛乳で体作りに取り組み秋の北海道大会ベスト4。 勝利
その他[33] 磐城(福島) 2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)で浸水被害を受けたいわき市にある進学校。当時は秋の東北大会の期間中で、地元が被災した直後の2回戦で逆境を乗り越え勝利し8強入り。大会後は泥除去などボランティア活動を行った。 敗戦
西日本[33] 平田(島根) 過疎化が進む地域で野球の普及活動に力を入れ、地元の幼稚園・保育園の園児らを対象に野球体験会を開催。2年連続3度目の中国地区候補校選出で、野球人口の増加に向けた取り組みを高く評価。 敗戦
2021年 東日本[34] 八戸西(青森) 進学校で練習時間が限られる中、学年や守備位置ごとのグループに分かれ効率的に練習。監督が八戸高等支援学校に勤務する傍ら野球部を指導し、選手が支援学校の敷地清掃、支援学校の生徒が傷んだボールを修繕するなど相互交流を行っている。 初戦敗退
その他[34] 三島南(静岡) 地元の園児・小学生を対象に開催している野球教室には延べ1000人以上が参加し、NPB関係者も視察に訪れている。選考委員会では最後の4校目の選出校として三島南と「富山北部水橋」の連合チームで意見が分かれ、最終的に合意に至らず決選投票で三島南に決まった[35] 初戦敗退
西日本[34] 東播磨(兵庫) コロナで活動が制限される中、「Zoom」や「LINE」などオンラインツールを活用し、監督が練習メニューを動画配信し質疑応答もSNS経由で行うなど新たな指導スタイルを確立。 初戦敗退
その他[34] 具志川商(沖縄) 5年前には部員不足で他部の選手を集めて試合をするほど低迷していたが、OBが監督やコーチとして指導し地域の支援を受け復活。生徒が仕入れや販売の実習を行う学校行事「具商デパート」に野球部員も積極的に参加。 2回戦敗退[注釈 13]
21世紀枠選出回数一覧(2021年現在。都道府県の右の括弧は地区推薦回数)[36]
地区 選出回数 都道府県
北海道 4回 北海道(21)[注釈 14]
東北 3回 宮城(6)・岩手(3)・福島(4)
2回 秋田(4)
1回 青森(2)・山形(2)
関東・東京 1回 栃木(6)・茨城(4)・千葉(3)・東京(2)・山梨(2)
0回 群馬(3)・埼玉(1)・神奈川(0)
東海 2回 愛知(6)
1回 静岡(4)・岐阜(4)
0回 三重(7)
北信越 2回 新潟(5)
1回 石川(6)
0回 福井(4)・長野(3)・富山(3)
近畿 3回 和歌山(8)・兵庫(3)
2回 滋賀(5)
0回 奈良(2)・京都(2)・大阪(1)
中国 4回 島根(9)
1回 山口(4)
0回 広島(4)・鳥取(4)・岡山(0)
四国 3回 徳島(6)
2回 香川(5)・愛媛(5)・高知(5)
九州 2回 沖縄(5)
1回 宮崎(4)・鹿児島(2)・佐賀(2)・大分(1)・熊本(1)
0回 福岡(3)・長崎(3)

廃止された枠

前年優勝校枠(第2回~第9回)

第2回大会(1925年)から第9回大会1932年)までは、前年優勝校は地方大会に出場しなくても無条件で全国大会に出場することができた。第10回大会1933年)からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年1945年の大会が戦争で中断になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは第20回大会1948年)で優勝した京都一商(京都)が最初である。

希望枠(第75回~第80回)

第75回大会(2003年)から、第80回大会(2008年)まで設けられた。

一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで、第75回大会から導入された。神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は第75回が被塁打、与残塁+失点、失策、第76回以降が被塁打、与四死球、失点、失策。第75回大会では明治神宮大会を除く直近5試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、最初に被塁打数の多い3校、次に与残塁+失点の多い3校を除外し、残った3校のうち最も失点の少ないチームを選出するという方法が採られていた。

第76回大会から選出方法が変更され、明治神宮大会を除く直近4試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化、合計がもっとも多い学校が選出されるようになった。

合計得点(第75回大会では失点)が同じ場合は得失点差の大きいほうを選出する。得失点差も同じ場合は、第75回大会では出場経験がない、もしくは古い方を選出するとされていたが、第76回大会以降は明示されていなかった。

希望枠は、明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中からデータを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を21世紀枠を除く、3校選出を避けるためである。

希望枠出場校一覧
出場校 結果
2003年 旭川実(北海道) 初戦敗退
2004年 秋田商(秋田) ベスト8
2005年 三本松(香川) 初戦敗退
2006年 一関学院(岩手) 初戦敗退
2007年 大垣日大(岐阜) 準優勝
2008年 一関学院(岩手) 初戦敗退

東北絆枠(第85回)

2013年の第85回記念大会は通常の東北代表枠や21世紀枠などとは別に「東北絆枠」と題した特別枠として、東日本大震災からの復興を目指す東北地方の学校の中から「一般選考の中に含めつつも、何かキラリと光るものを持っているチームを選抜する」として制定しており、内容としては21世紀枠に準じたものである。

東北絆枠出場校一覧[37]
出場校 結果
2013年 山形中央(山形) 3回戦敗退

試合組み合わせ

準々決勝以降も再抽選を行う夏の甲子園大会と違い、現在(1983年から)は組み合わせ抽選会において全ての組み合わせ表が決まり再抽選を行わない。併せて選手宣誓者も決定される。かつては開会式の2日前に全選手を集め毎日ホール兵庫県立総合体育館で行われていたが、1995年以降は毎日新聞大阪本社オーバルホールにおいて主将のみで行われている[38]

1997年の第69回大会以降、組合せ抽選会では同地区および同県の高校同士が早い段階で試合を行わないような措置が施されている。

  1. 同県の高校とは決勝(3校出場している場合は準決勝)まで対戦しない。
  2. 同地区の高校は準々決勝まで対戦しない。

そのため、抽選会では出場校の多い地区からの抽選となる(北海道が1枠の場合は3枠の地域に含む。関東・東京は同一扱い、中国・四国は別枠、21世紀枠は各校の属する地域に含まれる)。出場枠が同じ地区場合は北から抽選。

上記の要件を満たすため、最大3段階で抽選を行う複雑な抽選方式が採用されている[38]

会場

会場は兵庫県西宮市阪神甲子園球場(第1回大会を除く)。

第1回大会1924年)だけ名古屋市山本球場で開いた理由として当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し優勝は8回中5回だったため主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。このうち、開催地の風土に関しては本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は2校(和歌山中、立命館中)が初戦敗退で1校(市岡中)が2回戦敗退、逆に東海エリアで唯一出場した愛知一中も2回戦敗退という結果になっている(決勝は香川県高松商業東京府(当時)の早実の対戦となり、高松商が優勝)。一方、東海地方の野球ファン拡大についての効果は大きく、特に1930年代に入り愛知県勢(中京商、東邦商、愛知商など)と岐阜商を中心に東海勢が中等野球で一時代を築き、1936年の職業野球(後のプロ野球)創設時に愛知県のチームが2チーム(名古屋軍名古屋金鯱軍)できるほどに野球が盛んとなる下地を作ったと言える。

主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて全国各地で開催する構想だったが翌年の第2回1925年)以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる阪神甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は豊中球場鳴尾球場阪急西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。

会期

第1回(1923年)は4月に5日間にわたって開催され、当初は1週間程度であった。第10回(1933年)では出場校が増えたため10日間にわたったが、その後再び記念大会を除いた平年は1週間前後の開催が続く。第33回(1961年)以後は学校の春休みの開始に合わせて3月26日前後の開幕が定着するようになった。

だが、第69回(1997年)などのように雨天中止による試合日程の度重なる順延が影響して新年度の始業式や入学式に差し支えが出たケースがあったことや、プロ野球の試合数が増加したこと[注釈 15] により阪神甲子園球場を専用球場としている阪神タイガースの試合日程にも影響を来たすようになったこと[注釈 16] から、第75回(2003年)からは春分の日3月20日ないし21日)前後に開幕日が繰り上げられている。また、併せてこの年からは選手の健康管理を考慮して雨天中止による順延が頻発しない限り準々決勝を2日間に分けて開催するようになった(準々決勝進出チームはいずれか1日が休養日に充てられた)こと、1回戦・2回戦は雨天中止がない限り1日3試合としたため、12 - 13日間の日程が組まれている。

春分の日(3月21日)に開幕した第86回(2014年)では、前年(2013年)夏の第95回選手権大会と同様、準々決勝4試合を全て1日で開催した。この年は大会史上初めて、準々決勝の翌日を休養日と設定していた[注釈 17] が、実際には3月26日に予定していた第6日の全試合が雨天中止となり翌27日に順延しただけでなく、2回戦だった第8日(3月29日)の第2試合・広島新庄高校桐生第一高校戦が延長15回引き分けとなり翌30日に急遽同カードの再試合(15:00開始)のみ組まれたため、第10日(3月31日)に準々決勝4試合を開催した上で、休養日を設けずそのまま4月2日の決勝戦まで日程を消化した。

第88回(2016年)では、3月20日に開幕して以降、順調に日程を消化。休養日を挟んで3月31日に決勝戦を開催した。3月中に大会が終了するのは、第18回(1941年)以来、75年(70大会)ぶりとなった。

第93回(2021年)から、準決勝と決勝の連戦を避けるため休養日が1日追加される[注釈 18]。大会が準々決勝日までに2日中止となった場合は、準決勝翌日の休養日が削除され、また同3日以上の中止の場合は準々決勝の翌日の休養日も削除される[39]

開閉会式

司会

第69回大会1997年)までは主催者の職員が司会を担当していたが、第70回記念大会1998年)以後は、前年度の「NHK杯全国高校放送コンテスト」の全国コンクールにおいて、朗読・アナウンス部門で上位に入賞した放送部の生徒、または新卒生[注釈 19] が2-3名程度[注釈 20] 出演する。

開会式

開式の前に阪神甲子園球場のウグイス嬢が開会式のアナウンスがされる。
  1. ファンファーレ、開式の辞
    ファンファーレの後、開式のことばとともに入場行進の司会を務める高校生が自己紹介する(学年は旧学年を言う)。なお、東日本大震災の直後に行われた第83回大会2011年)ではファンファーレは中止され、開式に先立って黙祷が行われた(その時の黙祷は、サイレンが鳴らされた)。
  2. 選手入場
    ライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたセンバツゲート[注釈 21] から入場。大阪府警察音楽隊フレッシュウインズ、和歌山警察音楽隊カラーガード隊、近畿管区内警察音楽隊の順に入場し各校がそれに続く。選手入場は先ず前年優勝校が優勝旗と優勝杯を、続いて前年準優勝校が準優勝旗を持って入場(いずれも出場校に選出の場合は出場選手全員、選出ではなかった場合は優勝校は主将・副主将、準優勝校は主将のみが入場)[注釈 22]。この後は下1桁が奇数回開催の時は南から北、下1桁が偶数回開催時は北から南の順に主将を先頭に2列で入場し、入場順にレフト寄りから外野側に各校が整列する。選手は白色の運動靴で入場する。選手入場ののち司会者は式典を担当する別の高校生に交代し(式典司会者は交代時に自己紹介する[注釈 23])、選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
    第34回大会1962年)以降、入場行進曲においては主に前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。
    選抜高等学校野球大会入場行進曲を参照
    国旗、大会旗、校名プラカードを持つのは、かつて第79回大会2007年)まではボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、第80回大会2008年)から校名プラカードは各出場校の生徒(選手として出場しなかった野球部員や野球部男女マネージャーが担当することが多く、一部では生徒会長などが選ばれる)が持つことになった(連続出場できなかった前年優勝校・準優勝校は変わらず)。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っている。校名プラカードは第80回大会から「国際高校生選抜書展」(毎日新聞主催)で団体の部地区優勝した学校が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される。なお、阪神淡路大震災直後に行われた第67回大会1995年)と、東日本大震災直後に行われた第83回大会(2011年)では中止された(外野側に整列した状態で開始)。
  3. 国旗掲揚・国歌独唱
    国歌の演奏に合わせて国旗を掲揚する。第71回大会1999年)より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者(司会者自己紹介同様、旧学年でアナウンスされる)による国歌独唱が行われている。
  4. 大会旗掲揚・大会歌演奏
    大会歌「今ありて」は兵庫県西宮市高等学校吹奏楽連盟の演奏に合わせて大会旗を掲揚する。第83回大会(2011年)は大会旗掲揚と共に大会歌を1番のみ合唱した。
  5. 前年優勝校校旗掲揚・校歌演奏
    前年優勝校の校歌の演奏に合わせてその学校の校旗を掲揚する。なお、東日本大震災の直後に行われた第83回大会(2011年)では国旗・大会旗・校旗はいずれも半旗として掲揚された。
  6. 選手前進
    選手は向きを変え着帽の上、仕掛け花火発破(大会名および出場校名が書かれた連続旗が垂れ下がる。第82回大会2010年)と第83回大会(2011年)は中止)と共にバックネット方向へ前進する。第83回大会(2011年)は国旗掲揚・国歌独唱、大会旗掲揚・大会歌演奏、前年優勝校校旗掲揚・校歌演奏の順に行った。
  7. 優勝旗・優勝杯返還
    優勝旗と優勝杯が前年優勝校の主将・副主将から大会会長の毎日新聞社社長に返還され、そのレプリカが引き換えに進呈される。
  8. 準優勝旗返還
    準優勝旗が前年準優勝校の主将から大会会長の毎日新聞社社長に返還され、そのレプリカが引き換えに進呈される。
  9. 大会会長の開会の挨拶
    毎日新聞社社長による。
  10. 御祝の言葉
    文部科学大臣[注釈 24] による。第83回大会(2011年)は中止。
  11. 励ましの言葉
    日本高等学校野球連盟会長による。
  12. 選手宣誓
    出場各校は選抜旗をもって宣誓台に集まる。
  13. 大会歌合唱
    第27回大会1955年)から毎年神戸山手女子高校の1・2年生が大会歌の合唱を担当している。
  14. 閉会の辞、選手退場
    選手達は一塁側から3校ずつ駆け足ですぐさま退場する。近畿管区内警察音楽隊、神戸山手女子高校、兵庫県西宮市高等学校吹奏楽連盟は同様に駆け足で三塁側アルプスから退場する。退場の際に場外外周の一般通路を一時通行止めにして、一塁側から出た選手等は球場すぐ向かいの室内練習場に、三塁側から出た生徒等はすぐ向かいの立体駐車場に入る。駆け足のため、通路の通行止めが最低限の時間に抑えられる効果もある。