日本 > 東京都 > 中央区 > 銀座
銀座
銀座四丁目交差点
銀座の位置(東京23区内)
銀座
銀座
銀座の位置
北緯35度40分16.4秒 東経139度45分54.0秒 / 北緯35.671222度 東経139.765000度 / 35.671222; 139.765000
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chuo, Tokyo.svg 中央区
地域 京橋地域
面積
 • 合計 0.87km2
標高
4.4m
人口
2019年(令和元年)9月1日現在)[1]
 • 合計 3,608人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
104-0061[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川
※座標・標高は銀座四丁目交差点付近

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区地名で、旧:京橋区地域にある。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。郵便番号は104-0061[2]地域ブランドとしても知られている。

概要

日本有数の繁華街であり広義における下町でもある。東京を代表する高級商店街として、日本国外においても戦前よりフジヤマゲイシャミキモト赤坂などとともに知られる。「銀座」の名は一種のブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられる。銀座の地名の由来は、江戸時代に設立された貨幣の鋳造所(銀座)にある。駿府(静岡市)に置かれていた幕府の銀座が、1612年(慶長17年)に江戸に移されて以来、これが地名として定着した。また、銀座四丁目交差点付近は商業地として日本一地価の高い場所としても知られている。

地理

オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)
巨人軍優勝パレード(2009年11月22日撮影)

東京都中央区の西部に位置し、西を千代田区、南を港区に接する。北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。また、江戸城外堀を埋め立てた東京高速道路の1・2階部分は商店街となっているが、行政区画が未確定な部分もあり、俗に銀座九丁目・銀座西◎丁目地先などと呼ばれる[4]。こうした事情から、銀座は4丁目と5丁目を除き、1番地が存在しない。こうした未整理区域があることを利用し、銀座八丁目と新橋の間には銀座九丁目を示す「銀座ナイン」と呼ばれる商業施設が3棟あり[5]、2号館には「銀座九丁目」というおでん屋が入居している。

街路に関しては、仙台秋田会津若松、駿府(静岡)、名古屋、大坂(大阪)、広島など多くの近世城下町町人地と同じく、直交街路を基本としており、これは近隣の日本橋京橋地区と同様である。

しかし、大阪船場名古屋周辺、あるいは京都四条室町周辺などと異なり、街区は正方形ではなく細長い短冊形となっている。これは、京都のうち豊臣秀吉による都市改造を受けた地域や、大阪の平野町天満周辺、松山などと共通する。

また、街路網は北東から南西に向かう中央通りを中軸として設計されており、大阪京都名古屋札幌のように東西南北の方位を基準とした構造を有していないばかりか、銀座における中央通りの軸線は、京橋日本橋神田における軸線と異なる方向を向いている。これは、徳川家康による当初の都市計画の際、江戸前島以来の微高地尾根筋沿いに、地形に沿った主軸線として通町筋(とおりちょうすじ、現在の中央通り)を設定し、そこから両側に向かう道路を設けることにより、効率的な排水の便を図ったものといわれる。

近代になってからの都市計画に基づきさらに整備が加えられている。関東大震災後、後藤新平による震災復興の都市計画における目玉として、中央通りの東側に、新たな北東-南西軸(東京全体の南北軸の一部)として昭和通りが設けられた。また、数寄屋橋から銀座四丁目交差点歌舞伎座前を経て勝どき橋方面へ至る、北西-南東方向の主要な直交街路として晴海通りが大通りとして整備され、銀座街区の西側には外堀通りが整備された。

このような整備にも関わらず、銀座内部の街路は昔ながらのものであり、通りから通りへと抜ける路地が多く点在し銀座らしい空間を醸し出している。

地域の郵便番号は104-0061で統一されている。

区域

南東側を現在の首都高速都心環状線、その他を東京高速道路にぐるりと囲まれた地域である。かつては、東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に囲まれた人工の島であった。

昭和通りの南東に位置する地域は、かつて木挽町と呼ばれる地域だったが、三十間堀川の埋め立てにより銀座と地続きとなったことから銀座東と改名し、1960年代後半に銀座西と共に銀座に統合された。首都高速都心環状線を挟んだ地域も含めて東銀座駅を最寄りとする一帯は、一般的に東銀座と呼ばれている。

一方、数寄屋橋を中心とする地域はかつて銀座西という町名だったが、地下鉄丸ノ内線の西銀座駅(現在の銀座駅)があったことなどから、町名が銀座となった今でも西銀座の名を冠した施設も散在する(例:西銀座デパート・西銀座チャンスセンター・西銀座通り)。


区域・町名の変遷

区画整理実施前後の
町名町域対照地図
1930年3月)
  • 1869年(明治2年)5月
    江戸町名改正により新両替町と三十間堀西側等を合わせて銀座一丁目から銀座四丁目が起立。
    当時の銀座一丁目から銀座三丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、観世通り、松屋通り、桜通り(東京高速道路)に囲まれた四角形、銀座四丁目は、東西南北をそれぞれ現在のあづま通り、観世通り、晴海通り、松屋通りに囲まれた四角形に当たる。
  • 1930年(昭和5年)3月4日
    区画整理により現在の晴海通り北側の4町域を銀座一丁目から銀座四丁目に編入。また、現在の晴海通り南側の9町域を統合して銀座五丁目から銀座八丁目とし、同時にこれら「銀座」地区と外堀に挟まれた18町域を統合して銀座西一丁目から銀座西八丁目とした。
    この時点での銀座一丁目から銀座四丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、西五番街、晴海通り、桜通りに囲まれた四角形に当たる。また、当時の銀座五丁目から銀座八丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、西五番街、御門通り、晴海通りに囲まれた四角形に当たる。「銀座西」は「銀座」と西側にある外堀に囲まれた地域。
  • 1951年(昭和26年)8月1日
    三十間堀川の埋め立てにより木挽町と陸続きになることから、この木挽町一丁目を銀座東一丁目(銀座東二丁目から銀座東八丁目も同様)と改名した(埋め立ては1952年7月に完了した)。
  • 1968年(昭和43年)10月1日
    住居表示実施により、銀座西一丁目と銀座一丁目を統合し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として[6]銀座西が消滅(ただし東京高速道路下にある店舗などは未だに何区に帰属するか確定していないため、暫定的に「中央区銀座西◎丁目地先」と名乗っている)。
  • 1969年(昭和44年)4月1日
    住居表示実施済みの銀座一丁目に未実施の銀座東一丁目を編入し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として[7]銀座東が消滅。
実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町名ともその全域)
銀座一丁目 1968年10月1日 銀座西一丁目、銀座一丁目
1969年4月1日 銀座一丁目、銀座東一丁目
銀座二丁目 1968年10月1日 銀座西二丁目、銀座二丁目
1969年4月1日 銀座二丁目、銀座東二丁目
銀座三丁目 1968年10月1日 銀座三丁目、銀座西三丁目の一部
1969年4月1日 銀座三丁目、銀座東三丁目
銀座四丁目 1968年10月1日 銀座西四丁目、銀座四丁目、銀座西三丁目の一部
1969年4月1日 銀座四丁目、銀座東四丁目
銀座五丁目 1968年10月1日 銀座西五丁目、銀座五丁目
1969年4月1日 銀座五丁目、銀座東五丁目
銀座六丁目 1968年10月1日 銀座西六丁目、銀座六丁目
1969年4月1日 銀座六丁目、銀座東六丁目
銀座七丁目 1968年10月1日 銀座西七丁目、銀座七丁目
1969年4月1日 銀座七丁目、銀座東七丁目
銀座八丁目 1968年10月1日 銀座西八丁目、銀座八丁目
1969年4月1日 銀座八丁目、銀座東八丁目

隣接する地区