ながさきし
長崎市
Peace Statue of Nagasaki 20150926.jpeg
長崎市旗 長崎市章
長崎市旗 長崎市章
1900年(明治33年)5月制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
市町村コード 42201-1
法人番号 6000020422011 ウィキデータを編集
面積 405.86km2
総人口 407,918[編集]
推計人口、2020年5月1日)
人口密度 1,005人/km2
隣接自治体 諫早市西海市西彼杵郡時津町長与町
市の木 ナンキンハゼ
(1975年8月1日制定)
市の花 アジサイ
(1968年3月21日制定)
市章 五芒星
長崎市役所
市長 田上富久
所在地

850-8685
長崎県長崎市桜町2番22号
北緯32度45分1.2秒東経129度52分40.3秒座標: 北緯32度45分1.2秒 東経129度52分40.3秒
長崎市役所


市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

長崎市位置図

― 市 / ― 町

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稲佐山から望む長崎市街地。
長崎市の夜景は世界新三大夜景日本三大夜景にも数えられている。
金比羅山から望む長崎市の夜景

長崎市(ながさきし)は、長崎県の中部に位置する。長崎県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。

古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ち、ヨーロッパ(主にオランダ)から多くの文化が入ってきた。外国からの文化流入の影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った景観を保持している。

人口は長崎県で最大である。市域面積の13.1%である市街地に人口の約78%が住み、市街地の人口密度は7,900人/km2となっている。人口密度が高いため山間部にも建物が密集する。

概要

鎖国」体制であった江戸時代には、国内唯一の江戸幕府公認の国際貿易港(対オランダ、対中国)・出島を持つ港町であった。このため、出島跡を初めとして、異国情緒に満ちた港町として有名である。歴史的経緯からカトリック教徒の数が比較的多いことでも知られており、特にカトリック教会長崎県単独で一つの大司教区を形成している(日本の大司教区は長崎含め3つあり、東京大司教区は東京・千葉で、大阪大司教区は大阪・兵庫・和歌山で構成)。

また、実戦で使用された核兵器原子爆弾)としては広島市に次ぐ世界史上2番目の、そして最後の被爆都市としても知られる。「近隣の核武装国による核攻撃を想定するのは、他国に誤解を与える」との信念の下で、全国自治体の中では唯一、国民保護計画案から、他国より核攻撃想定される事態の想定をあえて削除している(2007年5月11日 市長発言)。なお、長崎県は計画案の中で核攻撃への対処事項を記述している。

人口

2005年の国勢調査によれば、男女別人口は男209,250人、女245,956人、人口性比85.1%で女性人口の比率が多い地域であった[要出典]。また、日本の全都道府県の県庁所在地の中で人口性比が一番低い[要出典]。人口減少が著しく、2018年から2019年にかけて人口が4,832人減少し、社会減は全国の市で最も多かった[1]

Demography42201.svg
長崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) 長崎市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 長崎市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

長崎市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


地理

坂の街。大浦天主堂前の坂道。
坂の街。大浦天主堂前の坂道。
グラバー園より市中心部を望む。
グラバー園より市中心部を望む。

長崎半島および西彼杵半島を市域とする。諫早市西海市西彼杵郡時津町長与町に隣接する。市の形状は全国的に見ても数少ない「すり鉢」状となっている。市の中心部は三方を山に囲まれており、女の都(めのと)・三原・本原・西山・片淵・小島(こしま)・稲佐(いなさ)・小江原(こえばる)・西町・滑石(なめし)など住宅地の多くは山の斜面を利用している。そのため「階段の街」「坂の街」として有名である。坂が多いため自転車に乗る人は少なく、他都市でしばしば問題になる放置自転車等の問題は少ない。その代わり原付バイクが多くナンバープレートの登録番号が5桁になっている。また、「自転車屋」を名乗りながらも原付バイクだけを扱う店も多い。また、長崎市内の小学校・中学校・高等学校は立地条件の関係上、全て自転車通学が禁止されており、自転車置き場すら存在しない。

市の中心部を流れる川には、北部から南下し長崎港へ注ぐ浦上川と、市の北東部から長崎港へ注ぐ中島川とがある。それぞれ川沿いに平地と埋立地があり、商業地や公共施設はそこに集中する。

長崎港の外海は五島灘橘湾に面しており、急峻な海岸線が多いが、河口部などのわずかな平地に漁港と集落が点在する。

  • 東部(橘湾・天草灘) - 宮摺(みやずり)・茂木・飯香浦(いかのうら)・日見・矢上・戸石など
  • 西部(五島灘) - 神浦(こうのうら)・出津(しつ)・黒崎・三重・畝刈(あぜかり)・式見・小江(こえ)・福田など
  • 南部(五島灘 - 天草灘) - 深堀・香焼(こうやぎ)・蚊焼(かやき)・高浜・野母・脇岬・樺島・川原・千々(ちぢ)など
  • 北部(大村湾) - 西海(にしうみ)・村松・大石・戸根・長浦・形上・小口など

北西部の三重・畝刈地区や東部の矢上・かき道地区などは近年開発が進み、住宅地が増えた。

2005年1月4日の市町村合併では、長崎半島西南部や有人島の離島である伊王島・高島・池島、石炭産業の衰退で無人島となった端島(通称:軍艦島)が編入合併された。さらに2006年1月4日の市町村合併では大村湾沿岸の旧琴海町が編入合併された。

2005年12月11日に、長崎港の両岸の女神地区、木鉢地区を結ぶ「女神大橋(通称:ヴィーナスウィング)」が完成した。これは中央径間長が480メートルに達し、全長は1,289メートルで、斜張橋としては横浜ベイブリッジを上回って全国第6位の長さとなる。長崎南バイパス完成により長崎自動車道と接続され、長崎市街地南部一円を循環する長崎南環状線の一部となった。

ダムは浦上水源地・本河内水源地・鹿尾(かのお)ダム・神浦ダムなどがあるが、市街地に近い水源では環境が悪く、上水道事情はあまり良くない。市外からは大村市の萱瀬ダムからの送水のものもある。また、斜面が多いために下水道の整備も目下進行中という状況である。

風頭山公園から眺める長崎市の様子。右方が長崎市街中心地である。中央部の港を出発した船は南西(左奥)の海へ出てゆく
上のパノラマ写真の反対側、稲佐山展望台から眺める長崎市の様子。

地名

長崎の地名はかつて存在した、現在の市役所付近を付け根とし、現在の県庁を先端とした岬に居を構えた桓武平家九州千葉氏本家が、岬の長さから長崎氏と名乗ったことに由来するとされるが[要出典]、長崎御崎に館を構えた北条内管領家の鎌倉長崎氏から枝分かれした九州長崎氏に由来するとされるとの説もある[要出典]。町名は長崎市の地名参照。

気候

年間平均気温は17.4、年降水量は約1,678mmである。暖流の影響が強く、九州の他都市に比べても寒暖の差は小さい。近年、大雪が多くなってきている。特に2016年(平成28年)1月24日には17cmの積雪を記録した。[2]長崎のご当地ソングには雨が登場するものが多いため、長崎は雨が多いと思われがちだが、年降水量が突出して多いわけではない。[3]長田暁二によると「長崎のご当地ソングで雨が初めて登場するのは1939年の「長崎物語」で、同曲や1947年の「雨のオランダ坂」のヒットにより、長崎と雨が結びつくようになったのでは」という[4]

長崎市(1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 21.3
(70.3)
22.6
(72.7)
24.4
(75.9)
29.0
(84.2)
31.4
(88.5)
36.4
(97.5)
40.9
(105.6)
41.4
(106.5)
39.2
(102.6)
33.7
(92.7)
27.4
(81.3)
23.8
(74.8)
37.7
(99.9)
平均最高気温 °C (°F) 10.4
(50.7)
11.7
(53.1)
14.8
(58.6)
19.7
(67.5)
23.5
(74.3)
26.4
(79.5)
30.1
(86.2)
31.7
(89.1)
28.6
(83.5)
23.8
(74.8)
18.3
(64.9)
13.1
(55.6)
21.0
(69.8)
平均最低気温 °C (°F) 3.8
(38.8)
4.4
(39.9)
7.3
(45.1)
11.6
(52.9)
15.8
(60.4)
20.0
(68)
24.3
(75.7)
25.1
(77.2)
21.8
(71.2)
16.1
(61)
10.8
(51.4)
5.9
(42.6)
13.9
(57)
最低気温記録 °C (°F) −5.6
(21.9)
−4.8
(23.4)
−3.6
(25.5)
0.2
(32.4)
5.3
(41.5)
8.9
(48)
15.0
(59)
16.4
(61.5)
11.1
(52)
4.9
(40.8)
−0.2
(31.6)
−3.9
(25)
−5.6
(21.9)
降水量 mm (inch) 64.0
(2.52)
85.7
(3.374)
132.0
(5.197)
121.3
(4.776)
179.3
(7.059)
314.6
(12.386)
314.4
(12.378)
195.4
(7.693)
188.8
(7.433)
85.8
(3.378)
85.6
(3.37)
60.8
(2.394)
1,857.7
(73.138)
降雪量 cm (inch) 2
(0.8)
1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
1
(0.4)
4
(1.6)
平均月間日照時間 102.8 119.7 148.5 174.7 184.4 135.3 178.7 210.7 172.8 181.4 137.9 119.1 1,866.1
出典 1: 気象庁[5]
出典 2: 気象庁[6]

歴史

年表

1764年出版の古地図
1764年出版の古地図
1801年出版の古地図
1801年出版の古地図
1858年出版の古地図
1858年出版の古地図
大正の市役所本館、手彩色絵葉書
大正の市役所本館、手彩色絵葉書
長崎市(1870年代)
長崎市(1870年代)
戦国時代から天正期まで
江戸時代
明治期から第二次大戦まで
第二次大戦後

※行政区域の変遷は別記。

事始め

  • 英字新聞(日本初、ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザーを参照)
  • 国際電信(日本初)
  • 缶詰製造(日本初)
  • 汽車(日本初の蒸気機関車が走った場所である。慶応元年(1865年)イギリス人商人のグラバーが上海から輸入した英国製蒸気機関車「アイアン・デューク」号を大浦海岸(数百メートル)で走らせたことから、長崎市梅香崎町の市民病院前に「我が国鉄道発祥の地」の碑がある。「鉄道発祥記念碑」は日本で初めて鉄道の営業運転(1872年)が行われた横浜市にある。日本の鉄道史を参照。)
  • 気球飛揚の地(日本初)
  • コーヒー(伝来)
  • ジャガイモ(伝来)
  • 鉄橋(日本初)(銕橋を参照)
  • バドミントン(伝来)
  • ボウリング場(日本初)
  • ヨット(日本初、英国人船大工が英国商人の注文で建造)
    • 市中と郷
    長崎奉行の管理下にあった天領としての長崎は、「市中」という内町・外町と、「郷」という農村部から成っていた。内町は、大村純忠が1571年元亀2年)に造った6町(島原町、大村町、外浦町、平戸町、横瀬浦町、文知町)をはじめとして、1593年までに本興善町など23町が成立していた。外町は、材木町、本紺屋町、袋町、酒屋町などで、1597年慶長2年)に内町との町域を定めた。
    ポルトガル等との貿易によって栄えた長崎は、町の区域が徐々に拡大していったが、その領地は幕府領と大村領に混在していたため、1605年(慶長10年)に幕府領の一部と大村領の一部を交換し、円滑な支配が行えるようにした。
    これにより「市中」と「郷」からなる天領長崎が確立したが、外町の町域はその後も拡大を続け、1672年寛文12年)には内町26町、外町51町とされ、両町合計77町になった。さらに、外町の出島町と遊廓のあった丸山町、寄合町の3町を加え、80町となった。1676年(延宝4年)には外町の検地が行われ、これによって長崎の町域が決定した。1699年元禄12年)には、内町と外町の区分が解消されている。

    幕末1857年に外国人居留地を建設するために大村領戸町村が幕府に没収されたが、この時までは上記の体制が続いた。

    ※行政区域の変遷は別記。

行政

行政区域の変遷