ながのけん
長野県
Mount Shirouma from Mount Korenge 2000-7-31.jpg
小蓮華山から望む白馬岳
長野県の旗 長野県章
長野県旗 長野県章
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方信越地方
団体コード 20000-0
ISO 3166-2:JP JP-20
面積 13,561.56km2
(境界未定部分あり)
総人口 2,065,168
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 152人/km2
隣接都道府県 群馬県埼玉県新潟県富山県山梨県岐阜県静岡県愛知県
県の木 白樺
県の花 リンドウ
県の鳥 雷鳥
他のシンボル 県歌:信濃の国
県獣:ニホンカモシカ
長野冬季五輪開催記念日:2月7日
長野県庁
知事 阿部守一
法人番号 1000020200000
所在地 380-8570
長野県長野市大字南長野字幅下692番地2
北緯36度39分4.6秒東経138度10分51.4秒
長野県庁
外部リンク 長野県公式ホームページ
長野県の位置

長野県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 県庁舎位置の標高:371.3m[1]
ウィキポータル 日本の都道府県/長野県
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長野県空撮画像。長野盆地富士山浅間山日本アルプスなどを望む。
長野県の地形図

長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地長野市善光寺門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。

概要

令制国の信濃国にほぼ相当する(旧神坂村・旧山口村岐阜県中津川市に編入される等の僅かな差異はある)ので、「信州」(しんしゅう)と呼ばれることも多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代は、科野(しなの)と書いた[2]

2010年平成22年)現在、男女とも都道府県別平均寿命で1位の長寿県となっている[3]

地理・地域

本州の中部に位置し、周囲8県に隣接する東西約128km、南北約220km、面積13,562.23km2、東西に短く南北に長い地形である。面積は、北海道を除く46都府県のうち、岩手県福島県に次ぐ面積を持つ。これは南関東1都3県の面積の合計に近い。長野県は群馬県埼玉県山梨県静岡県愛知県岐阜県富山県新潟県と8つの県と接し、日本で最も多くの都道府県と隣接する県でもある(2位は埼玉県、岐阜県、兵庫県の7都府県。ただし兵庫県は海上区間を含む)。ただし、埼玉県とは県境が10km程しか無く、中津川林道(埼玉県側は未舗装、また冬季や夜間は閉鎖されている。)のみでしか直接的な行き来ができない。富山県とは陸続きで接しているものの3000m級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的にあまりにも険しくまた非常に山奥であるため空路か関電トンネルトロリーバスでしか往来が出来ず、一般人は自家用車両による往来は不可能である(車両が往来できない県境は他に群馬・福島県境があるがこちらは徒歩でのみ越境可能である)。他にも地形的な問題等で飯田市と静岡県静岡市松本市下諏訪町王滝村大桑村、岐阜県中津川市、同下呂市など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。

中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間のいくつかの盆地(伊那谷松本盆地佐久盆地長野盆地など)を中心とした地域が形成されている。大半は内陸部の気候(中央高地式気候)であるが、北部(長野盆地、白馬岳麓など)は日本海側の気候(日本海側気候)の特徴も有する。県内の南半分は太平洋側に近く飯伊地域の多くは東京都(伊豆諸島、小笠原諸島を除く)よりも南であり、県の最北端は那須塩原市いわき市とほぼ同緯度である。自然が豊富であり、地域医療への関心も高いことから平均寿命も長く、世界一の長寿国日本の都道府県で一番の長寿を誇る。「日本の屋根」と呼ばれ、県境に標高2000m - 3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻で複雑な地形である。数多の水源を擁し、天竜川(南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ、姫川(中信)も日本海に流れている。長野県に流域をもつ一級河川としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・矢作川水系・富士川水系・関川水系・利根川水系がある。

本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走る。糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖から中央構造線が南に走る。

内陸側なので、気象など自然地理学では、中部地方中央高地として分類される。

最大人口は長野市の387,146人[4]、最大面積は松本市の978.77km2[5]、最大人口密度は岡谷市の620.27人/km2[6]、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%[7]

地形

隣接県
盆地


山地




歴史

原始

長野県域でも旧石器時代の遺跡がいくつか発掘されている。その中の野尻湖遺跡(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5千年前〜3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し刃の部分を砥石で研磨した物が多く、世界でも最も古い磨製石器と言われている[12]。その他この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。

2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4カ所から石器を含む800余点の旧石器時代の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わり頃(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された[13]

2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わる頃には日本で最初の細石刃が矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている[14]

有史以前、県内には縄文時代遺跡が多数分布し、この時代の中心地の一つであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。

続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることも極めて稀なケース)。

律令時代から江戸時代

明治維新後

府藩県三治制
廃藩置県