中華人民共和国香港特別行政区
中華人民共和國香港特別行政區
Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China
香港の旗 香港の紋章
地域の旗 地域の紋章
地域の標語:なし
地域の歌:義勇軍進行曲March of the Volunteers
※中華人民共和国としての国歌。
香港の位置
公用語 中国語広東語普通話、事実上の共通語は広東語)、英語
主都 (政府総部所在地は金鐘添馬
最大の都市  
政府
行政長官 林鄭月娥
政務司司長 張建宗
財政司司長陳茂波中国語版
律政司司長鄭若驊中国語版
立法会主席梁君彦中国語版
首席裁判官馬道立中国語版
面積
総計 1,104km2183位
水面積率 4.6
人口
総計(2019年 7,524,100人(100位)年中間暫定値[1]
人口密度 6,815人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2016年 2,4851.17億香港ドル
GDP(MER
合計(2017年 3341.04億[2]ドル(35位
GDP(PPP
合計(2018年4840.49億[3]ドル(44位
1人あたり 64,794[3]ドル
香港返還(主権移譲)
英中共同声明署名1984年12月19日
香港特別行政区成立1997年7月1日
通貨 香港ドルHKD
時間帯 UTC +8
香港時間DST:なし)
ISO 3166-1 HK / HKG
ccTLD .hk
国際電話番号 852
香港
Regional Emblem of Hong Kong.svg
香港特別行政区区章(區徽)
中国語 香港
香港特別行政区
繁体字 香港特別行政區
簡体字 香港特别行政区

中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン、中国語: 香港; イェール式広東語: Hēunggóng; 拼音: Xiānggǎng英語: Hong Kong)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区である。同じ特別行政区の澳門(マカオ)は南西に70km離れている[4]東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。

広大なスカイラインと天然の深い港湾を抱える自由貿易地域であり、1,104 km2 (426 sq mi)の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である[5]

概要

香港の人口は、93.6%が華人、6.4%はその他の民族である[6]。香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり[7]、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリス植民地であった香港に逃れて来た人々である[8][9][10][11]。1839年から1842年のアヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年に九龍半島割譲、1898年には新界租借された。

太平天国の乱(1851年〜1864年)、義和団事件(1900年〜1901年)、辛亥革命(1911年〜1912年)、日中戦争などが原因で、香港には難民が続々となだれこんだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りは九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の3分の1にもなった。それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。当時香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[12]第二次世界大戦 (1941年〜1945年) の間、イギリス軍と香港義勇軍が放逐され、日本の軍事占領が1945年8月まで続いた。戦前から現在まで、香港は慢性的な水不足に悩まされている[13]。問題が激化した1960年代には中華人民共和国から水の輸入を増やしてパイプライン(東深供水プロジェクト中国語版)も築かれた[14]。水不足問題は後に、租借していた新界のほか割譲されていた香港島・九龍も含めた香港全領域を返還せざるを得ない状況にイギリスを追い込むことになる。

戦後は中華民国に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入方針は現在の香港の文化および教育制度の形成に大きく影響した。なお、香港の教育制度はおおむねイギリス式であったが、その後2009年に制度改革が実施された。イギリスは中華民国ではなく中華人民共和国をその返還・移譲交渉相手に選び、中華人民共和国間との交渉と英中共同声明の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還された。一国二制度の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区になった。

1989年に北京で六四天安門事件が発生すると、香港では再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港からの移民はイギリス連邦の構成国であるカナダトロントバンクーバーシドニーシンガポールに向かった。1999年12月にポルトガルから移譲されたマカオも特別行政区である。現在も香港は中国大陸とは異なる法制度・政治制度を有する。香港の独立した司法機関コモン・ローの枠組みに従って機能する[15][16]英中共同声明において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ[17]、国際関係および軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している[18]。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされる(2014年6月10日中国国務院白書)。

香港は複数政党制であるものの、立法会の70議席のうち30議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国の中では政治的権利において最下点欠陥民主主義に分類される[19][20][21]

香港は東京ロンドンニューヨークシンガポール上海と並ぶ世界都市の一つであり、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、低税率および自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨香港ドル世界第8位の取引高を有する[22]

香港は世界有数の1人当たりの所得を有するが、先進経済諸国有数の所得格差もまた存在する[23]。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築および世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発された[23]。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由並びに金融および経済的競争力において多数の高い国際ランキングを有する[24]人間開発指数は全面的に高く順位付けされ、知能指数は世界で最も高い地域にもなっている[25]。隣接する中国本土からのPM2.5による大気汚染スモッグは香港市民の健康面への影響は懸念されるが[26][27]、香港市民は男女ともに平均寿命で世界一[28][29]になるなど非常に長寿である。

名称

香港という名称は珠江デルタ東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には蜑民の言葉・zh:蜑家話)によるとされる。標準中国語では、香港を「Xiānggǎng」(シアンカン)と発音する。

中国語での別名に香江があり、略称は。英文での略称はHK

行政上の正式名称