千年紀: 1千年紀
世紀: 4世紀 - 5世紀 - 6世紀
十年紀: 400年代 410年代 420年代 430年代 440年代
450年代 460年代 470年代 480年代 490年代
大仙古墳。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の前方後円墳で、大阪府堺市に広がる百舌鳥古墳群を代表する。伝承では仁徳天皇陵とされている。
フン族の王アッティラ。アッティラの侵入は東西ローマ帝国を驚倒させた。画像はヴァティカン教皇宮殿ヘリオドロスの間にあるラファエロの「教皇レオ1世とアッティラの会見」。
ラヴェンナガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。
仏教と道教の融合。政権が不安定だった六朝時代は儒教が不振で、深遠な形而上学を扱う仏教や道教が歓迎された。画像は江戸時代の曽我蕭白の「虎渓三笑図」でこの時代を代表する仏僧の慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。
雲崗石窟北魏文成帝の時代に曇曜の奏上によって、都の平城大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。
キジル千仏洞壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家亀茲(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い鳩摩羅什もここの出身である。
アジャンター石窟寺院。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。
シーギリヤスリランカのシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、アヌラーダプラからこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。
エフタルの侵攻。現在のアフガニスタン北部に興起した遊牧民族エフタルは幾度となくサーサーン朝ペルシアと干戈を交え、インドではグプタ朝衰退の原因となった。画像は5世紀後半に作られたエフタル騎馬人物像のある銀碗(大英博物館蔵)。
コパンの王権。コパンは古典期マヤの都市国家の一つ。画像は776年に作られた「コパンの祭壇Q」で、426年に初代コパン王となったキニチ・ヤシュ・クック・モから16代の王の姿が刻まれている。
ナスカ文化。紀元前1世紀から紀元後8世紀まで栄えたナスカ文化の編年はおよそ9期に分けられるが、5期から6期にかけての多色彩土器は巧緻な造形の絶頂期と位置づけられる。画像はペルーリマにあるラルコ博物館所蔵のシャチをモチーフにした多色彩土器。
アルメニア教会カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派」にはシリア・エジプト・アルメニアの諸教会がある。画像は483年に再建されたアルメニア教会のエチミアジン大聖堂。
シリア教会。シリアでも修道生活が独自に発展した。アレッポ近郊で高い塔の上に登り、そこで祈りと瞑想の日々を送ったのが登塔者シメオンである。画像はこの修道士を描いた500年頃の浮き彫り(シリア・ハマー博物館蔵)。
ヴァンダル人の躍進。ゲルマン諸族の中で最も故地から遠方に本拠地を構えたのがヴァンダル人である。指導者ガイセリックのもとローマを略奪して、その後帝国の穀倉地帯である北アフリカに定住した。画像はカルタゴから出土したヴァンダル騎兵を描いたモザイク断片(大英博物館蔵)。
ヒッポレギウスアウグスティヌス。異民族の跳梁する衰勢の西ローマ帝国にあって、神の救済の歴史を描き出す『神の国』を執筆した。画像は6世紀にローマラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。
クローヴィスの洗礼。ゲルマン系諸民族の中でもフランク族はいち早くカトリック教会に従った。画像はランス司教レミギウスの伝記を浮き彫りにした9世紀の象牙板(ピカルディー美術館)だが、その下段はレミギウスがフランク王クローヴィスを受洗している場面である。

5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀

できごと

文化

人物

地中海世界

フン族の帝国