Ultimate Fighting Championship
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設立 1993年
主催 WME-IMG
本部 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ネバダ州ラスベガス
代表者 ダナ・ホワイト
サイト UFC公式サイト
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Ultimate Fighting Championship
YouTube
チャンネル
活動期間 2006年3月4日 -
ジャンル スポーツ
登録者数 約 849万人
総再生回数 約 25億4,547.1万回
チャンネル登録者数、総再生回数は2020年2月23日時点。
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UFC 74」での試合の様子

Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称:UFC)は、アメリカ合衆国総合格闘技団体。

概要

世界58カ国以上から最高峰の選手が常時600名近く参戦し、26カ国153都市以上で大会を開催、156カ国以上でテレビ放送されている、実力・人気共に世界最大の総合格闘技団体[1]

歴史

黎明期

柔術家のグレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレイシー柔術・イン・アクション"を見て触発された広告代理店役員のアート・デイビーが、"War of the Worlds"と名づけた8人制の格闘技トーナメントを、映画監督脚本家でグレイシー柔術を習っていたジョン・ミリアスとグレイシー一族の1人であるホリオン・グレイシーに企画提案したのがUFC立ち上げの発端になり、ミリアスはクリイエイティブ・プロデューサーに就任、デイビーは資金を調達してWOWプロモーションズを設立し、老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月にパートナー契約を交わした。SEGはアートディレクターのジェイソン・カッソンに依頼して試合場の「 オクタゴン 」を製作し、大会の名称を"アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ"と命名するなど、UFCの基礎を構築することになる。

1993年11月12日、WOWプロモーションズとSEGが第一回大会のUFC 1コロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで共催、アート・デイビーはマッチメイカーを担当した。

1995年4月、UFC 5の大会後、アート・デイビーとホリオン・グレイシーはUFCの所有権をSEGに売却して、WOWプロモーションズを解散した。権利売却後もデイビーはマッチメイカーとコミッショナーとして1999年12月まで在籍した。

ノー・ホールズ・バード禁止法

黎明期のUFCは、試合のルールがわずかしか規定されていなかった事に対して暴力的で危険であると批判を集めた一方で、ペイ・パー・ビュー(PPV)の契約数は数十万を獲得して興行としてはある一定の成功を収めた。しかしこの成功は、既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることにもなる。社会的批判とボクシング業界からの圧力が高まる中、親ボクシング派のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインが、UFCは「人間による闘鶏」にすぎず、野蛮で危険であるとUFC禁止を訴え、アメリカ国内全50州の知事へUFCを追放するよう要請する書簡を送るなど、バッシングキャンペーンを展開した。この結果ニューヨーク州を含む36州が総合格闘技を禁止するノー・ホールズ・バード禁止法(ノー・ホールズ・バードは当時の総合格闘技の呼び名)を制定した。また、総合格闘技を禁止しなかった州でも、ネバダ州のように、スポーツ興行を管轄するアスレチック・コミッションが、UFC自体に大会開催許可を出さない州が出始め、UFCは規制の緩い州や海外を転々とするしか無くなり追い詰められていった。さらに、1997年にマケインが上院議会の 商業委員会委員長に就任すると管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、それまでUFCのペイ・パー・ビューを放送していたケーブルテレビ会社を次々に撤退させた。このためUFCのペイ・パー・ビューはマイナーな存在である衛星放送テレビでの放送を余儀なくされ、ペイ・パー・ビューの販売も低迷して、経営状況はさらに悪化していった[2][3]

UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーはこの状況を解決すべく、アメリカ各地のアスレチック・コミッションを回って総合格闘技を啓蒙しつつ、アスレチック・コミッションと調整・協議を重ねて協調を図り、UFC 12(1997年2月7日)で階級制の導入、UFC 14(1997年7月27日)でオープンフィンガーグローブ着用の義務化、UFC 15(1997年10月17日)で禁止行為の指定、UFC 21(1999年7月16日)でラウンド制の導入、と徐々にルールを整備して競技化を進めた。そして2000年9月に、この地道な活動が実を結び、ニュージャージー州がアメリカで初めて総合格闘技を認可をするようになるまでに至った。

ユニファイド・ルール

2000年11月17日、初めてアスレチック・コミッションから認可を受けた大会となったUFC 28を開催。現代総合格闘技の礎となっているルールである、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが制定した統一ルール(通称”ユニファイド・ルール”)に従って試合が執り行われた。

ルールが整備され競技化が進むことにより、選手の技術が洗練されレベルも向上した。結果、格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋や技術レベルの低い選手は淘汰され、黎明期の喧嘩さながらの試合は見られなくなった。

ズッファによる買収

2001年1月、財政状況の悪化でUFCの運営がままならなくなっていたSEGは、ラスベガスでカジノホテル「ステーション・カジノ」を経営するロレンゾ・フェティータフランク・フェティータ、そしてロレンゾのビジネスパートナーでボクシングプロモーターのダナ・ホワイトにUFCを200万ドルで売却した。フェティータ兄弟はUFCを管理・運営するための親会社としてズッファを設立する。

ロレンゾ・フェティータがネバダ州アスレチック・コミッションの元コミッション委員だったことで、ほどなくしてネバダ州は総合格闘技を認可、これにより世界の格闘技の中心地であるラスベガスで総合格闘技の大会を開催出来るようになった。

2001年9月28日、初めてネバダ州アスレチック・コミッションに認可を受けた大会となったUFC 33を開催。

ズッファの運営により、ケーブルテレビでのペイ・パー・ビュー放送の再開、スポンサー獲得、MGMグランド・ガーデン・アリーナなどのラスベガスのホテル会場での大会開催、2002年6月にはFOXスポーツネットとテレビ放送契約を交わすなど業績を上げていくが、ズッファの投資は3400万ドルにも膨らんでいった。

ジ・アルティメット・ファイター

投資が膨らみ運営危機に直面していたズッファはペイ・パー・ビュー以外の新たな事業を模索し始め、フェティータ自身達が以前リアリティ番組に出演した際にプロモーション効果を実感した経験があったことで、新人UFCファイターの発掘・育成をテーマとするリアリティ番組「ジ・アルティメット・ファイター」の開始を決める。しかし、ジ・アルティメット・ファイターの企画はことごとくテレビ局に却下されてしまい、最終的に番組制作費の1000万ドルをズッファが自己負担する条件でSpike TVで放送することが決定した。

2005年1月から放送を開始したジ・アルティメット・ファイターはすぐに人気を集め、後にUFCで活躍するスター選手を発掘しただけでなく、決勝戦で行われたフォレスト・グリフィンステファン・ボナーの試合は、ダナ・ホワイトが「UFCを救った試合」と称える激闘となるなど、社運をかけたジ・アルティメット・ファイターは大成功を収めた。人気を博したジ・アルティメット・ファイターはシリーズ化されることになり、UFCがFOXへ移籍をする2012年までの間に14回のシーズンがSpike TVで放送された。また、ジ・アルティメット・ファイターの成功を受けて、Spike TVは、UFCの過去の大会からピックアップした試合を放送する番組「UFCアンリーシュド」とペイ・パー・ビュー大会のプロモーション番組「カウントダウン」の放送を開始、2005年8月6日からは試合生中継番組「UFCファイトナイト」の放送を開始した[4]

これらの番組が原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではペイ・パー・ビューの販売件数が62万件を記録、2006年7月8日のジ・アルティメット・ファイター・シーズン3のコーチ対決ティト・オーティズケン・シャムロックを組んだUFC 61では77万5千件を記録、2006年12月30日のチャック・リデルティト・オーティズをメインにしたUFC 66ではUFCで初めてペイ・パー・ビューの販売件数が100万件超えを記録するなど盛り上がりを見せて、ペイ・パー・ビューの年間販売件数で初めてボクシングとWWEを超え、UFCが急躍進した年となった。

2006年3月、ネバダ州アスレチック・コミッションの元エグゼクティブ・ディレクターのマーク・ラトナーがズッファの副社長に就任。ラトナーは過去にジョン・マケインと共にノー・ホールズ・バード・バッシングキャンペーンを繰り広げた人物であったが、アスレチック・コミッションで長く働いた経験と繋がりを活かし、まだ総合格闘技を禁止していた州のアスレチック・コミッションや議員に総合格闘技を認可するよう働きかける仕事も担当した。

2006年12月、活動停止した総合格闘技団体WFAを買収、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンリョート・マチダヒース・ヒーリングマルティン・カンプマンらWFAの主力選手を獲得した[5]。さらに、総合格闘技団体WECを、放送していたテレビ局Versusのテレビ放送契約とまとめて買収した。WECは、UFCに統合されたWFAとは異なり、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会としてUFCとは別に独立した運営で存続された[6]

2007年5月、総合格闘技の選手として史上初めて、ロジャー・ウエルタがメジャー・スポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」の表紙を飾る。同じ月に、同様にチャック・リデルがメジャー・スポーツ誌「ESPNマガジン」の表紙を飾った。

PRIDEの買収

2007年3月27日、ロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技団体PRIDEを買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立した。PRIDEはPFWによって活動継続される方針だったが、5月に開催予定だったライト級グランプリは延期の末中止となった。

2007年10月4日、旧DSEの日本人運営スタッフを解雇し、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所を解散[7]、これにより、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラマウリシオ・ショーグンヴァンダレイ・シウバダン・ヘンダーソンミルコ・クロコップファブリシオ・ヴェウドゥムらPRIDEの主力選手を獲得した。

2008年6月18日、ロレンゾ・フェティータが、UFCの国際的な発展戦略に集中するため、ステーション・カジノの代表を辞任してUFCの運営に専念することを発表した。

2009年7月11日、UFC 100を開催。ブロック・レスナーフランク・ミアジョルジュ・サンピエールの出場、ジ・アルティメット・ファイター・シーズン9のコーチ対決ダン・ヘンダーソンマイケル・ビスピンなど豪華対戦カードが組まれた。

WECの統合

2010年10月28日、独立運営していたWECをUFCに統合。WEC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと同バンタム級王者ドミニク・クルーズを、それぞれの階級の初代UFC世界王者に認定すると同時に、ユライア・フェイバーアンソニー・ペティスドナルド・セラーニカーロス・コンディットベン・ヘンダーソンミゲール・トーレスらWECの主力選手を獲得した。 これにより、2011年1月1日のUFC 125以降、UFCはフェザー級・バンタム級を加えた7階級の体制になる[8][9]

Strikeforceの買収

2011年3月12日、UFCに次ぐ全米第二規模の総合格闘技団体Strikeforceを買収。以前のWECと同様にUFCとは別で独立して運営することを発表し、ニック・ディアスアリスター・オーフレイムカン・リーらStrikeforceの主力選手の一部はUFCへ移籍させ、12月にはStrikeforceのヘビー級を廃止してUFCに統合した。

FOXと契約

2011年8月18日、アメリカの4大テレビネットワークのひとつFOXと複数年の放送契約を結んだことを発表[10]

2011年11月12日、初めてアメリカの地上波で放送されるUFCの試合として、UFC on FOX 1のUFC世界ヘビー級タイトルマッチ、ケイン・ヴェラスケスジュニオール・ドス・サントスが放送され、880万人の平均視聴者数を記録。地上波で放送された総合格闘技の歴代最高視聴者数を更新し、格闘技全体としても、2003年にボクシングで行われたレノックス・ルイスビタリ・クリチコで記録した平均視聴者数700万人を超える成功を収めた。

女子部門の設立

2012年11月16日、UFC初の女子選手としてロンダ・ラウジーと契約して、UFC女子部門を設立。Strikeforce女子バンタム級王者のラウジーを初代UFC世界女子バンタム級王者として認定した[11]

2013年1月12日のStrikeforce: Marquardt vs. Saffiedineを最後にStrikeforceをUFCに統合。ダニエル・コーミエロビー・ローラールーク・ロックホールドタイロン・ウッドリーギルバート・メレンデスゲガール・ムサシホナウド・ジャカレイアマンダ・ヌネスらのStrikeforce所属選手がUFCへ移籍した[12]

2013年2月5日、「UFC公式ランキング」を制定した[13][14]。ランキングの決定にUFCは関与しておらず、数十人の総合格闘技記者の投票によりランキングが決定するシステム。

2013年12月、ストリーミング配信サービス「UFCファイトパス」の運営を開始した[15]

2014年12月2日、リーボックとの6年間のスポンサー契約を発表した[16]。これにより選手とセコンドにリーボック製のユニフォーム「UFCファイトキット」の着用が義務付けられた。

2014年12月、独占禁止法違反で元選手数名から起訴された[17]

全米アンチドーピング機関との提携

2015年6月3日、全米アンチドーピング機関(USADA)と提携し、同年7月1日からドーピング検査の全権限がUSADAに委託されることが発表された。UFC契約全選手に試合の有無にかかわらず、年間を通して世界アンチ・ドーピング機関(WADA)ルールに準拠したオリンピックと同等の競技外(抜き打ち)及び競技内ドーピング検査が実施されるようになり、ドーピングの検査体制が、従来の各州アスレチック・コミッションにより実施されてきたものと比較して、大きく強化された[18]

全米で総合格闘技認可

2016年3月22日、全米で唯一総合格闘技が禁止されていたニューヨーク州でも総合格闘技が認可される。ニューヨーク州の下院で通称"総合格闘技法案"が賛成113票、反対25票で法案可決となり、同州が1997年に禁止して以来初めて認可されたことによる[19]。総合格闘技法案は過去7年間、毎年上院を賛成多数で通過していたものの、総合格闘技法案反対派のニューヨーク州下院議長シェルドン・シルバーの妨害により、下院では毎年採決にかけられないまま塩漬けにされていた[20]。このため、UFCはロビー活動や訴訟を起こすなどして下院でも総合格闘技法案を採決にかけるよう促していたが、前年にシルバーが汚職で逮捕され議員を失脚したことで[21]、この日に初めて下院でも採決にかけられ、圧倒的賛成多数で晴れて法案が可決された[22]

WME-IMGによる買収

2016年7月9日、「WME-IMG」率いる、シルバーレイク・パートナーズ、コールバーグ・クラビス・ロバーツ、MSDキャピタルが参加する共同グループが、スポーツ史上最高額の買収額となる40億2500万ドル(約4400億円)でUFCを買収[23][24][25]。ダナ・ホワイトは引き続きUFC代表として留まるが、ロレンゾ・フェティータは退任となった[26]

ESPNと契約

2018年5月23日、ESPNと2019年1月からのテレビ放送契約を1年につき3億ドル(約330億円)の5年総額15億ドル(約1650億円)で締結したことが発表された[27][28][29]。2019年3月18日にはESPNと2年間の契約延長で合意したことが発表された。

2019年4月13日のUFC 236から従来のケーブルテレビと衛星放送によるペイ・パー・ビュー販売が廃止され、ストリーミング配信サービスESPN+の契約者のみにESPN+を経由しての独占販売に移行した[30]

ルール

競技ルールは、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが制定した統一ルール(通称:ユニファイドルール)で執り行われる。統一ルールは北米以外にヨーロッパや南米やアジアなど世界で広く標準採用されている。

勝敗・判定

試合の勝敗は以下で決着する

  • ノックアウト(KO)
  • テクニカルノックアウト(TKO:レフェリーストップ、ドクターストップ、コーナーストップ)
  • サブミッション(タップアウト及び口頭によるギブアップ、見込み一本[要出典]、その他戦意喪失の表明)
  • 失格、試合放棄、ノーコンテスト
  • ジャッジによる判定

判定は3人のジャッジがラウンドごとに採点を行い、優勢だった一方の選手に10ポイント、他方の選手に9ポイント以下を付け、各ラウンドのポイントの合計で勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。ただし、僅差のラウンドの場合はジャッジが両選手に10ポイントを付けることもあるので、必ず勝敗がつくマストシステムではなく、引き分け裁定もありうる。

なお、判定の呼称にはユナニマス(Unanimous、3-0)、スプリット(Split、2-1)、マジョリティ(Majority、2-0)、ドロー(Draw、1-1, 1-0, 0-0)がある。

ラウンド

通常の試合は5分3ラウンドで行われるが、タイトルマッチと大会のメインイベントは5分5ラウンドで行われる。延長はいずれも行われない。 ラウンド間のインターバルは1分間であり、ラウンド終了時にはゴングではなくブザーが鳴る。なお、王者のノンタイトルマッチは原則として行われず、必ずタイトルマッチとなる。

試合着

男子選手は競技ショーツ、女子選手は競技ショーツと競技ウェアを着用し、オープンフィンガーグローブ(階級によって4オンスから6オンス)と、マウスピース及びファールカップ(男子選手のみ)の着用が義務付けられている。シューズや道着、ロングタイツの着用は禁止されている。

試合場

オクタゴンの全体像

試合はオクタゴンと呼ばれるケージ(金網)のフェンスで囲われた8角形の試合場で行われる。オクタゴンの直径は30フィート(約9.1m)で、面積は約750スクウェアフィート(約69.3m2、畳の種類で差異があるが畳38畳から48畳分)、フェンスの高さは6フィート(約1.8m)である[31][32]

反則

  • 噛み付き
  • 眼球への攻撃
  • 口腔・鼻腔・耳腔等の開口部に指を引っ掛ける行為
  • 局部への攻撃
  • 指関節等の小さい関節への攻撃
  • 髪を引っ張る行為
  • 口腔・鼻腔・耳腔等の開口部や、裂傷した部分に指を入れる行為
  • 喉への打撃や喉を掴む行為
  • ひっかく、つねる等の行為
  • 故意に相手を骨折させる行為
  • 相手の頭や首をマットに突き立てるように投げ落とす攻撃
  • オクタゴンの外に相手を放り投げる行為
  • 相手の着衣やグローブを掴む行為
  • 相手につばを吐きかける行為
  • 相手の怪我の原因になるようなスポーツマンらしくない行為
  • オクタゴンのフェンスを掴む行為(フェンスを掌で押す、蹴る行為は認められている)
  • 罵声を浴びせる行為
  • ブレイク中の相手への攻撃
  • レフェリーが対応している間の相手への攻撃
  • 終了のブザーが鳴った後の攻撃
  • レフェリーの指示を無視すること
  • 相手との接触を避け続けること、怪我のふりをすること、故意にマウスピースを落とすこと、などを含む臆病な行為
  • コーナーの人間による妨害及び干渉行為
  • 不正な優位性を得るために異物を使用すること
  • 頭突き
  • 脊椎や後頭部への打撃
  • 肘を上から下に垂直に打ち下ろして肘の先端を当てる打撃(斜めに角度を付けて振り下ろす肘は反則に取られない)
  • 試合を止めるためにコーナーがタオルを投入すること(部外者のタオル投入による試合妨害などを避けるため。コーナーが試合を止めたい時にはインスペクターに伝える[33]
  • グラウンド状態の相手の頭へのキック攻撃(サッカーボールキック、蹴り上げ)
  • グラウンド状態の相手の頭への膝攻撃(いわゆる4点ポジションの膝蹴り)
  • グラウンド状態の相手を踏み付ける行為
ルールの変遷
UFC 1 (1993年11月12日)
反則は目潰し、噛み付き、金的攻撃のみ。1ラウンド5分の無制限ラウンド制。体重は階級制無しの無差別で、決着は選手のギブアップかノックアウト、セコンドのタオル投入によるストップのみでつき、グローブおよび道着・シューズ等の着用は自由であった。
UFC 2 (1994年3月11日)
1ラウンド5分のラウンド制を廃止して時間無制限に変更され、金的攻撃も有効とされた。
UFC 3 (1994年9月9日)
完全なKO決着がなくとも、レフェリーの判断で試合を止めるレフェリーストップが導入され、またシューズを履いたままでの蹴りが禁止となった。(後にシューズを履いたままでのグランド状態の選手への蹴りの禁止に変更される)
UFC 5 (1995年4月7日)
試合時間に制限が導入され、トーナメント1回戦・準決勝は20分、トーナメント決勝およびスーパーファイトは30分に改められた。
UFC 6 (1995年7月14日)
試合が膠着したときに、選手をブレイクしてスタンド状態から試合を再開させる権限がレフェリーに与えられた。
Ultimate Ultimate 1996 (1996年12月7日)
試合でオクタゴンの金網を掴む行為が禁止された。
UFC 12 (1995年4月7日)
ヘビー級(+91kg)とライト級(-91kg)が設置され、初めて階級制が導入された。
UFC 14 (1997年7月27日)
公式オープンフィンガーグローブ(4-6オンス)の着用が義務付けられた。
UFC 15 (1997年10月17日)
頭突き、金的攻撃、頚部および後頭部への打撃、ダウンした相手への蹴りと膝蹴り、頭部の踏みつけ、指などの小さな関節を取ること、髪を引っ張ることが禁止となった。
UFC 17 (1998年5月15日)
トーナメントが実施された最後の大会(日本大会UFC 23を除く)
UFC 21 (1999年7月16日)
1ラウンドの制限時間が5分間に改められ、ノンタイトル戦は5分3ラウンド、タイトル戦は5分5ラウンド制となった。また、判定においてラウンドマスト制が導入された。
UFC 28 (2000年11月17日)
ユニファイド・ルールが採用される。ダウンした相手の頭部への膝蹴りの禁止(頭部以外は可)、後頸部と後頭部へのパンチの禁止、脊椎と首への肘打ちの禁止が導入され、シューズや道着などの着用が不可となり、また出場のための医学的な必要条件が厳格化され、出場選手への健康状態の厳しいチェックも行われるようになった。
UFC 31 (2001年5月4日)
階級区分が変更され、旧バンタム級は現在のライト級へ、旧ライト級は現在のウェルター級へ、旧ミドル級は現在のライトヘビー級へそれぞれ移行し、新たに現在のミドル級が設置された。
UFC 138 (2011年5月4日)
ノンタイトル戦であっても大会のメインイベントは5ラウンド制に変更された。
2016年8月承認(2017年1月1日施行)[34]
グランド状態の定義が変更される。これまでは指先一本でもマットについていればグラウンド状態とみなされ頭部への打撃攻撃が許されなかったが、両手(手のひらか拳)をついていなければグラウンド状態とはみなされなくなり、片手のみをついた状態はスタンド状態とみなされるようになった。
目突きに繋がる、対戦相手の顔へ指を向ける行為に対して、これまでレフェリーは注意しかできなかったが、減点等の反則を取る権限が与えられるようになった。
腎臓へのかかとによる蹴り、鎖骨を掴む行為が反則ではなくなる。
ジャッジの採点において「効果的な打撃」と「効果的なグラップリング」が最初に考慮され、これが等しい場合に限り「積極性」と「ケージコントロール」が考慮される等の判定基準の明確化。
2017年8月承認
インスタントリプレイ(

ネバダ州アスレチック・コミッションおよびボクシング・コミッション協会が制定している統一ルール(ユニファイドルール)の階級区分では全14階級が規定されているが、UFCは階級が多すぎると王座の価値が下がるとして階級の設置を8階級に留めている。

王座の変遷については「UFC王者一覧」を参照。

男子

階級 重量区分 現王者[いつ?] 防衛回数
ヘビー級 -265lbs: -120.2kg アメリカ合衆国の旗スティーペ・ミオシッチ 0
ライトヘビー級 -205lbs: -93.0kg アメリカ合衆国の旗ジョン・ジョーンズ 3
ミドル級 -185lbs: -83.9kg ニュージーランドの旗イスラエル・アデサンヤ 1
ウェルター級 -170lbs: -77.1kg ナイジェリアの旗カマル・ウスマン 2
ライト級 -155lbs: -70.3kg ロシアの旗ハビブ・ヌルマゴメドフ 2
フェザー級 -145lbs: -65.8kg オーストラリアの旗アレクサンダー・ヴォルカノフスキー 1
バンタム級 -135lbs: -61.2kg ロシアの旗ピョートル・ヤン 0
フライ級 -125lbs: 56.7kg 空位 -

女子

階級 重量区分 現王者[いつ?] 防衛回数
フェザー級 -145lbs: -65.8kg ブラジルの旗 アマンダ・ヌネス 1
バンタム級 -135lbs: -61.2kg ブラジルの旗 アマンダ・ヌネス 5
フライ級 -125lbs: -56.7kg キルギスの旗 ヴァレンティーナ・シェフチェンコ 3
ストロー級 -115lbs: -52.2kg 中華人民共和国の旗 ジャン・ウェイリー 1

ネバダ州アスレチック・コミッションおよびボクシング・コミッション協会が制定する階級区分に従い、男子8階級、女子4階級で行われている。そのため、通常はこれらの階級に沿った試合が組まれるが、体重超過の場合等で契約体重試合(キャッチウェイト)として、上記以外の契約体重を設定して試合を行うこともある。

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